花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

伯父の命日に思う

2016年03月23日 | 高齢期の生活全般
早いもので伯父の命日がまた来た。亡くなってから9年が経ったのだ。
食後の伯母は、緊張が解けたのか、体調を崩して暫く病院通いをしていたが、温かくなるに連れて少しずつ元気になっていった。
5月には伯父の名義の田畑とその傍にある宅地、古い大きな家、大きな納屋を処分して、高齢者専用賃貸住宅に引っ越したのだった。

最近の伯母の話では、94歳で逝った伯父はほとんど世話をかけなかったという。伯母がご飯を食べさせた事も一度もなかったそうだ。
ただ、自分が亡くなった後、残る妻の生活費の事は、全く考えてくれなかったと言っていた。
私は、「伯父さんは優しくて良い人だったけれど、相続や贈与、年金、生命保険などの知識を余り持ち合わせていなかったのではないだろうか。」と伯母に話した。
農業を長くやって来た人は、大半の人間関係や情報源は家庭内と新聞、TVだけに留まりがちだし、さらに亡くなる数年前からは耳が遠くなり、人とコミュニケーションがとれなくなってしまっていた事も大きいと思う。

私が「伯父さんがもしもの事があったら、伯母さんはどうすれば良いの?」と90歳位の時に聞いたことがあった。その時の伯父の答えは「何とかなるさ。」だった。
伯母は国民年金にも加入していなかったから私は心配し、伯父の生命保険や定期預金が満期になれば、伯母と一緒に郵便局に行って、受取人などの名義を伯母に変えて置いた。結果的にそうして置いて良かったと思っている。(これ以上何があったかは書かないが…)

また、昨日も伯母に話したが、伯父は第二次世界大戦の時、三回も徴兵されていて、(始めの2回は、結婚前だそうだ)その時の軍人恩給が毎年数十万円支払われていた。本人が亡くなった後は、遺族の伯母が受け取っていて、今の伯母の唯一の収入になっているのだ。
「伯父が戦争に行って苦労したから、今、遺族恩給が貰えているんだよ。伯父さんのお陰だね。」と話した。

その一方で私は、徴用された全ての兵隊に、その配偶者が亡くなるまで高額な遺族恩給を国が払い続けている事について、戦争の代償の大きさと補償期間の長さに愕然とするのである。
国民の税収入から毎年支払われて来たと思うが、多大な負担を何時までも残す戦争には、今後は絶対になってほしくないとつくづく思う。先月の確定申告で初めて知ったのだが、伯母の遺族恩給は所得税の対象にもならないそうだ、

昨日は花とお菓子、果物を伯母が我が家に持って来た仏壇に供えた。
それにしても最後の最後まで家にいて、伯母に看取られた伯父は幸せだったと思う。できれば私も、例え「孤独死」になったとしても、伯父の様に最後は自分の家で死にたいものだと思っている。
                      
コメント
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