花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病を持ちながら伯母の介護をし、夏場はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

「中米コスタリカの旅」(11)

2018年03月11日 | 海外旅行「中米」
≪「サン・ホセ」のホテル≫

「サン・ホセ」に再び戻り、「ラジソン・サンホセ」というホテルに投宿した。2泊するのだ。
部屋は広いがホテル自体が古く部屋はかび臭いし、、防音措置が全くなっていなくて、おまけに金曜の夜は結婚式があったらしく、夜中、騒音が煩かった。
特に私の2階の部屋の位置とほぼ同じ高さのホテルの横に道路があり、そこを一晩中走ったり、ブレーキを掛けたりする車の騒音が酷くて、催眠薬を2回飲んだが、ほとんど朝まで眠られなかった。

≪体調を崩し「サン・ヘラルド・デ・ドータ」散策できず≫

6日目は、睡眠を取らないまま3時過ぎにモーニングコールの電話で起きて身支度した。高地に行くので寒いと聞き、沢山着込んだ。バスに乗る前にパンとジュースの朝食弁当を貰い、まだ暗い4時にバスでホテルを出た。目的は2時間走った所の「サン・ヘラルド・デ・ドータ」で幻の鳥「ケツアール」を見つけるためだ。
ところが少し走った所で、私に腹痛が起き、バスに止まってもらってトイレに行った。
20分もするとまた腹痛だ。
座席に戻ると今度は吐き気が起き、2回吐いてしまった。

目的の標高2400~3000mの「サン・ヘラルド・デ・ドータ」に着いても悪心が続き、バスから降りて散策する所ではなかった。皆が散策に出た後、私は仕方なくカメラを添乗員に渡して撮影を頼み、バスで休養していた。



2時間後、皆が戻って来た。「手塚治虫」の「火の鳥」のモデルになった「ケツアール」に何とか出会えたのだそうだ。
しかし、いる場所が余りに遠すぎて、上手くカメラに収められなかったらしい。
私は写真が上手な添乗員が、40倍にズームできる私のカメラで撮って来てくれたので感謝した。
この日の「ケツアール」探索が、今回の旅のハイライトだったので、私自身の目で「ケツアール」を見られなかったのが本当に残念だった。

 

また、2時間かけて「サン・ホセ」に戻り、市内見学とスーパーでの買い物だった。
物価は日本と同じ位か、果物などは安かった。私は珍しい調味料とコーヒーを買った。

 
 (入り口の前で座っている男性は乞食だ)    (卵は1ケースが15個入りだ)



      

夕食は中華レストランでの中華だったが、その頃には私の体調も次第に回復して、少し料理をたべる事ができた。



その夜はホテルで結婚式は無かったが、外部の車の騒音はまるで工事現場にいるように聞こえて来て、やはり半分も眠られなかった。

6日目は前に書いた通り、朝食後ホテルを出て「サン・ホセ国際空港」に行き、昼過ぎの飛行機に搭乗。3時間25分で「メキシコ・シティ国際空港」に着き、9時間待ち合わせ後、夜中の1時発ANA国際線で成田空港に戻った。14時間35分の飛行中、軽食1回と夕食、朝食が出た。どちらも美味しかった。
機内では咳をしていた人が沢山いた。また、往復共長時間の飛行だったが、今回は娘がくれた吊り式の「足置きマット」のお陰で快適だった。
その後新千歳空港に戻ったが、機内では良く寝たので、何とか体調を回復できたようで良かった。
                        (完 成)
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「中米コスタリカの旅」(10)

2018年03月10日 | 海外旅行「中米」
≪「サラピキ」の私営自然保護区「ビエーラ」観光≫(3)

更に進むと黒い模様がある青色の「マダラ毒蛙」や目が赤色の「赤目雨蛙」がいた。
両方とも四肢をたたむと2cm程の体の大きさだ。「赤目雨蛙」は、色は毒々しいが毒はないらしい。余りにも小さくて、写真がボケてしまった。

 

木の上方に「ナマケモノ」がいた。顔も見えた。毛が灰色なので「ミツユビナマケモノ」だろう。
小枝に「ナナフシ」がじっと留っていた。傍で見るのは初めてだった。

 

最後に木の葉に似た姿の珍しい蝶が群れているのを見た。名前は分からなかった。沖縄に「木の葉蝶」という枯葉に似た体型の蝶がいるらしい。いずれも「擬態」なのかも知れない。

         

この「私営自然保護区」を維持するのは大変な仕事だと思うが、真近に珍しい熱帯雲霧林の生物を観察できたことに感謝して経営者に別れを告げた。

≪「ブリット」コーヒー販売店≫

帰り道、「ブリット」コーヒー店に立ち寄った。色々な種類のコーヒーが試飲できた。
中には有機栽培のコーヒーもあった。飲んで見たらあっさりした味のコーヒーだった。
どれも350g入りで多かった。
店の前の植栽が美しく、ハチドリも来ていた。傍の公園には、コーヒーが「エチオピア」から「コスタリカ」迄、世界に広がって行った変遷図の立看板があった。

 



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「中米コスタリカの旅」(9)

2018年03月10日 | 海外旅行「中米」
≪「サラピキ」の私営自然保護区「ビエーラ」観光≫(2)

林の中に入って間も無く、太い木の幹にふくらみができていた。「蟻塚」だそうで、案内してくれた経営者の女性が手で表面の木屑を掴み取って口に入れた。蟻も木の味がするそうだ。



その次に声を出さないように指示されてから一人ずつ大きな葉の下を覗いた。1個が1.5cm程の灰色の毛球の塊だ。これがとても珍しい「ソロヘラコウモリ」の群れだそうだ。

体長は3.7~4.7cm、体毛は白くフワフワしていて、耳と鼻が黄色い。雄1匹、雌数匹のハーレムを作り、昼間は「ヘリコニア」という植物の裏側に止まり、大きな葉の葉柄を噛んで柔らかくし、手の爪で軸の両端をたたむ様に引き寄せて屋根を作り、その下に生息するという。
実は撮った写真を拡大して見るまでは、私の裸眼で生き物だと分からなかったのだが、よくよく見ると耳が写っていた。




(葉に開いた小さな穴は、指の爪で葉を引き寄せた時に開いた穴だろう)

次に「モルフォ蝶」が飛び回っている大型ネットの中に入ったが、速く飛ぶのでカメラで捕らえられなかった。
彼女が捕まえて見せてくれた。表と裏の模様や色が全く異なる珍しい蝶だ。これは天敵を驚かすためらしい。
表の羽の色は輝く青色で目立つ。毒があって、一度食べた鳥に警告する色らしい。羽をたたむと褐色なので目立たない。

長さが数cmある幼虫はマメ科の植物を食べて育つが、成虫になると腐った果物や動物の死骸などを食べるそうだ。

  

          
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「中米コスタリカの旅」(7)

2018年03月09日 | 海外旅行「中米」
≪「フォルトゥーナ」のホテル「カンポベルデ」の自然≫

「カバコン温泉」の後、その日は近くのリゾートホテル「カンポベルデ」に泊まった。
広い敷地に、一棟ずつ建物が分かれて建っていた。到着時刻が遅かったので、周囲の様子は分からないまま、広々とした部屋で寝た。

翌朝(4日目)、6時半ごろまだ薄暗い中外に出て、近くの「レストラン棟」(写真)に向かった。
枝に大きな黒い鳥がとまっていた。調べたら「カンムリシャクケイ」らしい。
庭には様々な熱帯の木が植えてあり、花も咲いていて実に美しかった。私の庭造りの参考にできそうなものもあった。



 

            
              (カンムリシャクケイ?)



8時にバスで約65km離れた「サラビキ」の町に移動したが、その途中で「イグアナ」がいるという街中の橋の傍でバスを降りて10分程観察した。他にも沢山の人が見ていた。
傍の住人が、付近に草食性の「イグアナ」の好物の「アボガド」と聞いた気がするが…を置いておいたら、いつの間にか住み着いて繁殖し出したのだという。
面白い話だが、私なら尾の先までなら1m近くもある大きな「イグアナ」が、付近に沢山いるのは嫌な気がした。




           
          





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「中米コスタリカの旅」(6)

2018年03月08日 | 海外旅行「中米」
≪コーヒー農園に立ち寄る≫

「モンテベルデ自然公園」を後に、4時間掛けて120kmはなれた「フォルトゥーナ」の町に向った。
その途中で「オリゾンテ」という小さな「コーヒー農園」に立ち寄り、傾斜している山肌と山道の両側に植えてあるコーヒーの木を見た。有機栽培をしているという。たまに残ったコーヒーの実が付いている木もあった。

山道横の木の上に「ナマケモノ」が1頭いたが、枝や葉の陰になっていて姿をはっきりと捉える事ができなかった。私が自然の中で「ナマケモノ」を見たのは初めてだった。
中南米には6種類の「ナマケモノ」が炒るらしいが、その内「コスタリカ」には2種類いて、前足の指が2本の「フタユビナマケモノ」と3本の「ミツユビナマケモノ」だそうだ。前者は毛が薄茶色で長めで顔は白っぽいという。
この事からすると毛が長めの茶色だったので、「フタユビナマケモノ」という事になるが、顔を見られなかったので残念だった。
1日8gしか餌を食べないエコ動物だそうで、1週間に1回程度、排泄するために地上に降り、木の根元に排泄してそれを隠すらしい。1日に10時間も眠るそうだ。





          

花も実も付いている「バナナ」の木が珍しかった。旅行中、食事に「バナナ」の炒め物や揚げ物が何度か出たが、普通の甘い「バナナ」ではなく、調理用の味が無い種類なのだそうだ。
私はホットケーキに普通の「バナナ」を薄切りにして焼く。酸味が出て、味にアクセントが付く。



≪フォルトゥーナの「タバコン温泉」体験≫

バスが「フォルトゥーナ」に向う途中で「アレナル火山」と「人造湖」を見た。いつもならガスが掛かっていて、火山は滅多に火山を見られないそうだ。



     



「タバコン温泉」は、川の上流に湧き出る温泉水が流れる川で、人の手が全く加えられない天然温泉だ。上流ほど温度が高く、下流では冷たくなる。そこに温泉リゾート施設が作られている。
(この施設の入場料はかなり高額だそうで、地元の人たちは車で来て、施設から更に下流の川に入っていた。水温は下がってしまっているという)
更衣室で水着に着替えてから、温泉川の上流に行って見た。ドイツやアメリカからの観光客が沢山来ていたが、日本人は他にはいなかった。
1時間程何か所かに入ってからシャワー室に行った。どうした訳か湯が出なかったので、冷たくて頭を洗うこともできず残念だった。
添乗員がフロントに問い合わせたが、そんな筈が無いの一点張りだったそうで、とても不愉快だった。



その後、温泉のレストランでバイキング方式の夕食を食べた。焼きながら出してくれるステーキが美味しかったのでお変わりをした。
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「中米コスタリカの旅」(5)

2018年03月07日 | 海外旅行「中米」
≪「モンテベルデ自然保護区」観光≫(2) 

②「スカイウオーク」
高い木々が生い茂る「熱帯雲霧林」の中に6箇所のつり橋が造られていて、地上よりも15~50m高い場所から林を観察し、野鳥などを探せるようにしてある。
私達は雲霧林の中を歩き、4箇所のつり橋を渡りながら写真のコースを約1時間かけて散策した。つり橋の長さ、高さは色々だったが、最後に渡ったNo5のつり橋は、高さが50m長さが236mあって、最も壮大だった。



       

 

つり橋は鋼鉄製だったが、路面は板の様だった。添乗員に「真ん中を歩くと揺れ難い。」と言われたが、どうしても少しは揺れてしまうから、歩く事に気を取られ、なかなか周囲を観察する余裕は出てこなかった。
そんな訳で残念ながら雄が雌に存在をアピールする「ホエザル」の大きな鳴き声が聞こえた位で、野鳥を見つけられなかったし、「ケツァール」にも出会えなかった。

しかし、鳥が飛ぶ高さから「熱帯雲霧林」を見ると、木々に寄生する蘭などの植物、霧の中で繁茂する独特のコケ類、珍しい熱帯の花などが沢山見られた。
雰囲気を知ってもらうために、その間の写真を数枚掲載する。

  

 

 
   (「胡椒」の原種だそうだ)


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「中米コスタリカの旅」(4)

2018年03月06日 | 海外旅行「中米」
≪「モンテベルデ自然保護区」観光≫(1) 
山小屋風ホテルのレストランでセットメニュウの朝食を食べた。テーブルに飾られた花が綺麗で、デザートの果物が美味しかった。

 

                  

①「ハミングバード」ギャラリー
7時半にホテルを出発して間も無く「モンテベルデ自然保護区」に到着した。
ここは「熱帯雲霧林」という独特のジャングルが広がり、400種類もの鳥類が生息していて、古代マヤの聖鳥だった「ケツァール」がいる野鳥愛好家の聖地だ。管理は民間団体で管理している自然保護区なのだ。
1951年に自由を求めてアメリカからやって来たクエーカー教徒が住み着いたのが最初で、1/3を開発しないで残す事にしたのが現在の自然保護区に発展した。現在は入場料と寄付金によって、11000haの林が管理されているという。

「ハミングバード」ギャラリーはこじんまりした建物だった。その軒先には、甘い蜜を入れて「ハミングバード」を誘う蜜台が幾つも下げられ、そこに入れ替わり立ち替わり蜜を吸いに「ハミングバード」が来ていた。

この「アメツバメ目」の鳥は、蜂の様にブンブン羽音を上げて飛ぶので「ハチドリ」とも言われ、体が小さく体重は2~20gしかない。毎秒55~80回の速度で羽ばたきながら空中で静止して花の蜜を吸う特技を持つ。蜜を吸う特定の花に合わせて口ばしの長さや曲がり具合が進化している。足は退化していて歩けないらしい。

心拍数は毎分1260回と多いが、睡眠時は50~180回に低下する。体温も18~40℃と変えられる。
孵化後1年以内に死ぬ個体も多いが、それを乗り越えると10年生きる個体もあるという。
実際に見ていると、とに角動きが素早くセワシナイので、写真を撮るのに一苦労した。


 (ムラサキケンバネハチドリ。羽ばたいているのが分かるだろうか。この種の口ばしは少し曲がっている) 



 
 (エメラルドハチドリ。緑色が綺麗)

このギャラリーを領域にしているらしい灰色の「ハナグマ」が3匹現れ、ゴソゴソと動き回っていたが、1匹がかなり重い台によじ登ろうとして台を倒してしまい、危うく下敷きになったら大怪我を負う所だった。
私が「ハナグマ」を初めて見たのは、「イグアスの滝」を見に行ったアルゼンチン側だった。そこの「ハナグマ」の毛色は茶色に近かったが、食べ物を見つけると人間のバッグや持ち物に飛びついて取って行く姿を見た。彼等は集団で、人も恐れずに悪さをするのだ。





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「中米コスタリカの旅」(3)

2018年03月05日 | 海外旅行「中米」
≪「タルコレス川リバークルーズ」で鰐や珍しい野鳥に出会う≫

「コスタリカ」の日本との時差は-15時間なので、往路の日の21日は「24時間+15時間=39時間」ととても長い一日だった。
その一日目は、早朝に家を出て新千歳空港に向かってから、「成田空港」⇒「メキシコ」の「メキシコシティ空港」⇒「コスタリカ」の首都「サン・ホセ空港」と移動し、サン・ホセのホテルに着いた時には、ようやく日が変わって22日の午前2時になっていた。

3時頃就寝し、8時のモーニングコールで起こされ、朝食を採ると間も無く10時にバスで2時間の「タルコレス」に向った。
「タルコレス川」で待っていたボートに乗り込んだ。結構幅が大きい大河の様だったが、乾期なので水深は浅かった。
約1時間、リバークルーズを楽しんだ。行き交うボートは、やはり同じ様に観光客を乗せていた。
ボートの上から、遠くの木々に止まっていて、しかも動き回る野鳥を写すのが本当に難しかった。
ピントを合わせた途端に相手は飛び去ってしまう経験を何度もしたが、こればかりは仕方が無い事だった。
また新しいカメラは40倍ズームだが、ズームを大きくするほど僅かな手ブレも大きくなるので本当に難しかった。
しかし、何とか撮った写真を掲載する。(?印は、名前が判明しないもの)



          


    (アメリカ鰐)
          
             (アメリカ鰐。体長2mはあった。頭は左手前の水中だ)


    (カッショクペリカン)
          


    (ダイサギ)
          
            (猛禽類 クロノスリ?)

    (猛禽類 ミサゴ?)

          
            (グンカンドリ)

    (イグアナ。体長80cm以上ありそう。こんなに大きいイグアナは初めてだった) 
          

       
           (カワセミ?)
    
その後、冷や冷やするような未舗装の細い山道をバスは3時間半かけて110km離れた「モンテベルデ」へ移動した。
標高1800mあるという地域の古い簡素な木造の山小屋に泊まった。
部屋には昔風の裸電球が1つついていただけで薄暗く、また、隙間風が吹き付けて、カーテンが常時揺れていた。更に暖房が無いので、寒く、シャワーなど全くする気になれず、そのまま冷たいベッドに潜り込んだ。
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「中米コスタリカの旅」(2)

2018年03月04日 | 海外旅行「中米」
≪成田空港国際線の「カードラウンジ」初体験≫

年末にカード会社のカード付帯サービスを色々と調べる機会があり、年会費が安い割りにそれなりの旅行保険が付いていて、さらに空港で国際線の「ラウンジ」が使えたり、成田空港からスーツケースを1個、無料で宅配できるというメリット付きのカードがあるのを知った。

それで早速、その「ANAアメリカンエキスプレス」カードに入会した。
2週間ほどでカードが届いた。使用する銀行口座を提出した。

今回は、朝、新千歳から羽田に行き、リムジンバスで成田空港に向ったが、まだ旅行会社の受付窓口は閉まっていた。
そこで「カードラウンジ」を探して行って見た。出発階のもう一階上だった。

カードを提出すると、同行者1名も入室できる。
受付で「アルコール1杯サービスします。」と言われたので貰った。つまみの「柿の種」も用意されていた。
椅子はゆったりしていてリラックスできた。
無料のコーヒーや紅茶もあり、朝、自宅で読めなかった新聞も読んだ。

寝ている人も数人いた。羽田空港には24時間利用できる「ラウンジ」もあるらしいので、成田から早朝便で出かける場合にはわざわざホテルを予約しなくてもいいかも知れない。
仕切りの向こう側には、インターネットをする人の空間も作られていた。


         (各種ソフトドリンクサービス)           
             
帰国時、飛行機が「成田空港」に着いたので、緊急に必要な荷物以外を「スーツケース」に入れて、無料の宅配便に出した。20kg近い荷物1個が無くなったので、凄く楽に帰宅できた。
今後の事を考えると、「羽田空港発着」の海外旅行も増えているので、カード会社には「羽田空港」からの無料宅配サービスも検討して貰いたいものだ。

私は100回以上も海外旅行をして来ながら、こんな有益なカードがある事に何故今まで気がつかなかったのだろうと後悔している。
もう後、何回旅行できるか分からないが、せいぜい有効に使いたいと思っている。


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「中米コスタリカの旅」(1)

2018年03月01日 | 海外旅行「中米」
≪常春の国「コスタリカ」は遠かったが、動植物が実に豊かだった≫

先月21日~28日まで、「コスタリカ」を旅行して来た。
先ず印象的なことと言えば、遠い国なので飛行機の搭乗時間が凄く長かった事だ。(成田空港から中継空港の「メキシコシティ」までは、行きが12時間15分、帰りが14時間35分もかかった)
そればかりか「メキシコ」から更に南の国「コスタリカ」への乗り入れ便が数がないので、往復便とも「メキシコシティ」の空港でそれぞれ7~9時間待ったが、その間外へ出ることもできず、ぶらつく場所も限られていて辛かった。予め持参した文庫本を読んだり、同行者とお喋りをして過した。

長時間の飛行では、搭乗する飛行機が問題になる。今回は、成田~「メキシコシティ」間の飛行機が「全日空ANA」だったことが功を奏してくれた。
私の座席はいつも通りの「エコノミー席」だったが、前後の間隔が比較的広めで楽だった事と、機内食がなかなか工夫された内容で美味しかった。
今まで以上にこれからは、搭乗する航空機を選んだ旅行になるかも知れない。
次は、飛行機の座席前部の刻々と変る「フライトマップ」をカメラで写した写真だ。下の写真には「コスタリカ」は写っていない。



                         
「コスタリカ」は、「メキシコ」を除く中米7カ国の1つで、北は「ニカラグア」、南は「パナマ」に挟まれている。
赤道よりも北半球の北緯8度~11度に位置し、面積は日本の四国と九州を足したそれよりも少し大きい国で、人口は489万人である。
かって「スペイン」に支配されていた歴史から、公用語はスペイン語、宗教は85%が「カトリック」で14%が「プロテスタント」である。

また、赤道に近い国と言っても、山岳地系が多く、首都「サン・ホセ」は標高1100m、「ハミングバード」を見たり、「つり橋ウオーク」をした「モンテベルデ」は標高1800m、幻の鳥「ケツァール」探しをした「サン・ヘラルド・デ・ドータ」は標高2400~3000mの場所だから、「常春の国」なのだ。しかし、紫外線は強く、数日間だったが大分日に焼けた。「オーストラリア」以降にできたシミが気になっていたが、今回更に濃くなった。 
雨期(5~11月)、乾期(12~4月)の違いはあるが、気温的には年中、快い気温で過せる国だ。(カリブ海沿いの町は、やはり年中蒸し暑いらしい)

そんな国に、地球上の生き物の5%が生息していると言われ、「動植物の楽園」と言われている。

また、「国家が国民に幸せを提供できているか」というイギリスの研究機関の調査では、世界一の国だ。
その主な理由として上げられるのは、1948年の憲法改正で「軍隊を持たない世界唯一の国」を宣言した事が大きい。軍備に使う財政は、皆、国民の福祉、教育、生活向上に当てられ、かっての中米一の最貧国から脱出し、比較的裕福な国になったのだと言う。

そんな「コスタリカ」に、最低気温-8~-12℃の日本の「北国の町」から脱出して行って来た。
明日から「コスタリカ人気質」に見習って、ゆっくりと報告記事を書く予定だ。
2月末ながら、薔薇やブーゲンビレア、日本の春の花などが咲いていた。                       

 

                      




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「メキシコ」の旅(15)

2014年12月03日 | 海外旅行「中米」
≪最後のカンクンのホテルは「オールインクルーシブプラン」≫

その後はバスで3時間東に走り、「カリブ海」に面したリゾート地「カンクン」のホテルに着いた。
「オールインクルーシブプラン」のホテルだったので、飲食物を何時どこで摂っても(ルームサービス、ビーチサービスも可能)全て無料だった。こんなホテルは初めての事だったので、慣れるまで少し緊張したが、直ぐにバーに行ったりアイスクリームなどの軽食店に行ったりして楽しむ事ができるようになった。
食事は三食、異なるメニューが提供されていた。2日目の夕食は、イタリアレストランでの定食だった。
2泊したので、2日目の自由時間に循環バスに乗って町に行ったり、ホテルのプールやビーチを散策したりして楽しんだ。

5階の部屋のベランダから写したホテルのプールとカリブ海のビーチ。 


庭を散策。
       

最大のレストランのビュッフェスタイルの食事。


        



希望の具でオムレツを焼いてくれるコック氏。不思議な雰囲気のバー。私はここで「アイリッシュクリーム」のリキュールを飲む。


7日目の夜、「カンクン空港」発18;06の「アエロメヒコ」航空機で帰国の途に着いた。途中「モントレイ」で給油した。
一時、気流が悪く、私にとっては体験した事が無いような揺れ方だった(飲み物をテーブルに置いて置けない程だった)が、日付変更線を越えて16時間後の11月17日6;20、無事に成田空港に到着した。スーツケースが重かったので、初めて空港の宅配窓口にスーツケースを預け(料金は1980円)京急電車で羽田空港に2時間弱かけて行き、11時発の国内線で北海道に戻った。スーツケースは2日後の朝、配達された。

今回の「メキシコ」の旅は思いがけずとても楽しく、充実した旅となった。「国立人類学博物館」も半分の展示は見られなかったので、機会があればまた、中米に行きたいと思っている。
読んでいただいた方々には、日本に情報が少ない「メキシコ」の一部分を知っていただいたのだが、現代の国情や経済、文化、生活などについてはほとんど書かなかった。
私自身は旅に行く時にいつも図書館から「明石書店」発行の「現代〇〇を知るための60章」シリーズなどを借りて予習するのだが、現地ガイドからは余り話を聞くことはできなかったのだ。
(この本は、その国に精通している研究者数人以上が各自の専門分野を担当して分担して書いているので、信頼できる本だと思っている)

今は何とか旅行記を書き終わってホッとしている。今日からは年賀状作製に取り掛かりたい。

私の記憶に曖昧な所があって、文や掲示した写真に間違いがあるかも知れない。あればお詫びします。気づいた方はどうか指摘して下さい。お願いします。 (完)
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「メキシコ」の旅(14)

2014年12月02日 | 海外旅行「中米」
≪「国立人類学博物館」見学≫②

「アステカ(メヒカ)室」

ここの広い場所に展示された直径3.6m、重さ24Tもある「太陽の石(アステカカレンダー)」が圧巻だった。この暦は「メキシコ・シティ」の中央広場付近に捨てられていたのが発見され、インディヘナの人達が敬うのを見て、キリスト教の大司教が再び土中に埋めてしまった。それから再度1790年に発見されたという数奇な運命のものである。
20日を1ヶ月として1年を18カ月に分け、さらに「空の5日間」があって365日となっている。
アステカ人はこのカレンダーに基づいて農耕や祭事を行っていたのであろう。
その前には、抱き合って写真を撮るカップルやグループが次々と来て賑わっていた。



 

アステカ時代に変わった頭部の形づくりが行われていた。生まれて直ぐ、まだ頭骨が柔らかい時に額に板を当てて、額から上に向かって平らにするというものだ。左の遺石の写真に見られる神官になるような身分の家で行われていたのだろうか。 

 

 

スペインが支配する前の「テノチティトラン(メキイコ・シティ)」の大きな絵が掲げられていた。



前に書いた様にこの都市は、湖の中にある島に1325年(または1345年)に造られて次第に大きくなり、16世紀の初めには人口20万人以上の大都市になっていたという。
中心の広場には、双子の大神殿(アステカの主神と雨の神「トラロック」を祀った)、諸王の神殿、球技場、生贄の頭蓋骨を並べた祭壇などがあり、一辺500mの蛇の壁で取り囲んでいたらしい。

資料(世界の博物館5『メキシコ国立人類学博物館』)によると、1450年頃に中央高原一帯が大飢饉にみまわれた時、『花の戦争』が始った。これは、6カ国の王達が協定を結んで、生贄にする捕虜を捕まえるための戦争だったのだ。
(1926年、「不足する生贄を確保するためには、戦争が必要だ」と呼びかける絵文字が発見されている)

やがて1487年、大神殿が完成した時には、支配下の都市や部族が差し出した2万人の人の心臓がくり抜かれて、神と太陽に捧げられたと言う。

「アステカ王国」では人々の不安が高まるばかりだった。そんな時にやって来たスペイン人の征服者「コルテス」に1521年8月13日王国は滅ぼされてしまった。
1532年11月16日には、アンデスの山中でインカ帝国皇帝「アタワルパ」が「ピサロ将軍」に捕らえられて、アメリカ大陸最大の古代国家は消滅したという。



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「メキシコ」の旅(13)

2014年12月01日 | 海外旅行「中米」
≪「セノーテ」の傍で昼食と休憩≫

バスで別の「神秘の湖・セノーテ」に行き、傍のレストランで昼食を食べた。
その後、40分程自由時間があり、希望者は更衣室で着替えて「セノーテ」までの階段を88段下りて遊泳したが、私は「セノーテ」の写真を撮りに行っただけだった。
泳ぐ人、飛び込む人などが沢山いたが、この場所でもかって儀式が行われたのではないかなどと考えると、余り良い気分にはなれなかった。








≪「国立人類学博物館」見学≫①

旅の3日目、「テオティワカン遺跡」を見学した午後、メキシコの古代文明の歴史を永遠に残すために造られた「国立人類学博物館」に行った。
メキシコ各地に点在する重要な壁画や石像、発掘品の全てが集められている世界的にも大きな博物館だが、残念ながら私達はその一部の「マヤ」と「アステカ」の部屋を中心に見学しただけだった。

「マヤ室」には「チチェン・イツァー遺跡」の「チャック・モール像」や地下から発掘された「パレンケ遺跡」の「王墓」と「ヒスイの仮面」などが展示されていた。

1つを正面と側面から撮った。実際に遺跡で見た像の大半は鼻が下向きだったが、これは上を向いた鼻だ。
 

次の「王墓」は「パレンケ遺跡」から発見されたもので、幅4m奥行9m高さ7mのものだった。棺の蓋は幅2.2m長さ3.8m厚み25cmあり、王は翡翠のマスクと衣を纏っていた。

 

この腹部に生贄から摘出した心臓を乗せたのだろう。
 
  
 

トウモロコシの図柄を用いた遺物も多かった。
  
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「メキシコ」の旅(12)

2014年11月30日 | 海外旅行「中米」
≪世界遺産「チチェン・イツァー遺跡」②≫

①「ククルカン神殿」
「新チチェン・イツァー」の最大の遺跡は、やはり「ククルカン神殿(エルカステージョ)」だろう。
「ククルカン」は「羽毛の蛇」を表し、「エルカステージョ」はスペイン語で「城」の意味である。
9世紀に造られたこの神殿は、1辺が55.3m、高さが24m(上の神殿の高さは6m)もあり、基壇は9段ある。

 

階段は他の遺跡と異なり、4つの面の全てにあって、それぞれ91段ある。91×4=364となり、上の1段を足すと365段になる。1年365日と一致している。
9段の基壇が中央で2分されるので、9×2=18となり、1年が18ヶ月に分かれていた「ハアブ暦(マヤの暦)」の月数と一致する。
他にも1面に凹み部分が52あり、これにも意味があるという。

※「ウィキペディア」で調べたら、マヤには「日」「月」「年」の神がいる。「月」の神は18あり、1つの「月」の神が支配の座に着くのは20日間である。20日×18=360日となり、それに不吉の日「ウェヤブ」の5日間を足すと1年=365日と考えたという。

さらに北側階段にある蛇頭は、年に春分と秋分の2回、太陽が沈む時に真西から光が当たると基壇の陰が階段に現れて、あたかも「ククルカン」の胴体の様になり、太陽の動きと同時に「ククルカン」が動くように見える。この現象を「ククルカンの降臨」と言っている。このように「ククルカン神殿」は巧妙に設計されているのだった。
        
この日は気温が35度近くあり、午前10時半には強い太陽光が神殿を照らしていた。現地ガイドが私達に、「神殿を見ながら、ゆっくりと神殿の西から北に回り込むように歩くように」と案内した。本当に影ができ、それが動くのだった。
残念ながら、この神殿には上ることはできなかった。

②「ジャガーと鷹の台座」



③「頭蓋骨の台座」
この台座の上には、実際に頭蓋骨が並べられていたと考えられている。



④「ジャガーの神殿」

 

⑤「球戯場」
かなり規模が大きい球戯場だが、両方の壁が内側に傾けて造られているため、声や音が反響して良く聞こえた。係りの人が手をたたくと、その音が大きく反響するのが確認できた。

球技は手を使わずに上腕と足、腰で硬いゴムの玉を壁中央の上部に設けた穴(写真で分かるだろうか)に入れるというものだ。競技で優勝した者が生贄に選ばれたらしい。なぜなら「太陽」は、毎日の栄養に強い人間の心臓の血を欲したと考えていたからだという。優勝者は名誉の生贄になったらしいが、思っただけでゾッとする。何故儀式を行う「神官」たち自らが、率先して生贄にならなかったのかと思うのは私だけだろうか。



⑥「戦士の神殿」
石柱が林立し上部に空を仰ぐ「チャーク・モール」が設置されている。これに生贄の心臓を捧げたのだ。この神殿も立ち入りが禁止されていた。



⑦生贄の泉「セノーテ」
遺跡群から北北西に100m程の所に生贄の泉「セノーテ」があった。調査した所、湖底から多くの人骨と財宝などが出て来たらしい。
ガイドに聞くと子どもの骨が多かったという。理由は、子どもが泣き叫びながら涙を流すので「雨乞い」のためには適すると考えたのだろうと言っていた。他の「セノーテ」からは女性や男性の人骨も多く見つかっているらしい。

ガイドが「チチェン・イツァー遺跡」は、世界の7不思議(他は「マチュピチュ」「万里の長城」「ブラジルの大キリスト像」「タージマハール」「コロッセオ」「ペトラ遺跡」)の一つに数えられている」と話した事が、分かった様に思った。

「セノーテ」に行く道の両側に、土産物を並べた屋台が幾つも並んでいた。彼らは朝、商品を並べて、夜は片付けるのだそうだ。
「セノーテ」には、水を求める植物の根が長く伸びて垂れ下がっていた。

 

また、木彫りをしながら店番をしている男性も何人もいた。技術があれば、仕入れるよりも利益になるのだろう。私はTシャツの店で、記念のシャツを買った。

 



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「メキシコ」の旅(11)

2014年11月29日 | 海外旅行「中米」
≪世界遺産「チチェン・イツァー遺跡」①≫

旅の5日目は、「メリダ」のホテルで朝食後、バスで走ること2時間、マヤの遺跡の中で最大の「チチェン・イツァー遺跡」に着いた。



ここはユカタン半島の中心地として栄えたらしく、6世紀からマヤの特徴を示す遺跡が建造された「旧チチェン・イツァー遺跡」と、10世紀に入って中央部で栄えていた「トルテカ」文化と融合した時代に建造された「新チチェン・イツァー遺跡」の二つの時代の遺跡が残されていた。


先ず「旧チチェン・イツァー遺跡」からみる。
かなり石が崩れ落ちそうな状態になっているピラミッド型の①「高僧の墳墓」②「カラコル(天文台)」③「尼僧院」が代表的な遺跡だった。

①「高僧の墳墓」基台だけが残存していたが、「蛇頭」が綺麗に残っていた。



②「カラコル(天文台)」
古代マヤの天文台で、高さ13mある上の丸いドームに開いた3つの窓で天体観測をしていたと言われている。
南の窓は真南を向いている。西南の窓からは、月没の最北線をみる。西の窓からは、春分、秋分の日没と月没の最北線が正確に見えるという。
また、9mの高さがある台座の正面は、真西から27.5度北にむいている。この方向は金星が北に沈む方向と一致している。
こうしたことから、千数百年前に生きていたマヤ人は、月、太陽、星の運行を観測して、正確な暦を作る高度な知識を持っていたのだ。



③「尼僧院」と傍の「エルアカブ・ジブ」
高さ20mの台の上に個室が沢山ある。積み上げた石が崩壊している所もあった。ガイドは階段跡だと言った。
石の間に生える草を2人で取っている職員がいた。草を放置すると、根が張って遺跡を破壊して行くからだろう。

 

「エルアカブ・ジブ」は、何をする建物なのかな。



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