花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

白菜の種を蒔く

2018年07月28日 | ガーデニング・家庭菜園
狭い庭の菜園部分が2年程前から「ネコブ病」になっていた。今までずっと畑地を3つに区切って連作しないように注意して来たのだが、10年以上似たようなアブラナ科の野菜をどうしても植える事が多かったので、防ぎ切れなかったと思われる。
今年は「ネコブ病」の菌に強い「ホウレン草」「大根」「春菊」「豆類」を、「酸度調整用苦土石灰」を多めに散布してから植えて来た。

これから秋野菜の植え付けをするが、どうしても「大根」と「白菜」は植えたい。
最近の野菜の市販価格からすると、秋野菜も多分また昨年の様に高騰するのではないかと思うからだ。
「大根」は良いが「白菜」は「ネコブ病」に弱いので心配だ。

農協で種を見ていたら「CR種子・ネコブ病に強い種子」というのを見つけた。
去年の余り種が十分あるのに迷ったが、これなら我が家の菜園でも心配なく育つかもしれないと思い、大枚473円の種1袋を買うことにした。たまたまJAの預金で当たった500円クーポン券があったので、300円の園芸用手袋を合わせて支払った。これで種はただで買った事になる。

今朝早速、連結式のプランターに野菜培養土を入れ、種を蒔き終えた。この気温なら順調に発芽してくれるに違いない。今後の生育が楽しみだ。

           
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健康管理も楽じゃあない

2018年07月27日 | 医療・健康・食生活・衣生活

今日は予約してあった「心臓の造影CT検査日」だった。
前回、循環器科の医師から「一度受けて置いた方が良い。」と言われて、予約して置いたのだ。
看護師に説明されたように、昨日からコーヒーやお茶などのカフェインが含まれるものは摂取せず、今朝は朝食後にいつもの薬と合わせて「心臓の働きをゆっくりさせる薬」を飲んだ。
予約時刻に病院に行き、X線撮影室の前で待っていると、呼ばれた。

先ず「造影剤」を入れるための注射針を右腕に射して固定した。
私の場合は、左胸を手術しているので、左手は避けた方が良いといわれたので、理由を聞くと、「リンパ浮腫などが起きる場合があるから」だと言う。右はいつも注射した事が無く、今日も血管がどこか分からなくて、2度太い針を刺された。

次にCT撮影室のベッドに上向きに寝せられて、息を吸ってから良いと言われるまで止める練習をした。
いよいよ、舌の下に強くしびれる薬を噴霧され、間も無く造影剤を注射されてCT撮影機の中に入った。
造影剤が血管の中を素早く巡り、熱い風呂に入ったように血管が熱せられた。息を止める指示があった。
造影剤が心臓の2mmほどの細い血管を通っている短時間にCT撮影したのだろう。

「楽にして下さい」と言われてから、あっという間に熱さは去った。CT撮影機から出され、注射針が抜かれた。

この検査は初体験だったので、心臓が止まるなどと言う副作用はないのか、直前になる程不安で、看護師に訊ねたリしたが、無事に済んで良かった。
初めと終了後に血圧を測られたが、いずれも160以上あり、高いと言われた。
今日の結果は、次回、担当医から説明されるらしい。

※使われた造影剤は「イオパミロン注」、しびれる口内薬は「ミオコール」だそうだ。ネットで検索してみたい。

次に少し離れている「耳鼻科」の専門病院に行った。
かれこれ20年にもなるが、片方の鼻からだけ水っ洟が出るので、ずっと「坑アレルギー薬」を飲んでいる。今日は薬が切れたのだ。
医師に「今まで60日分出して貰っていたが、もう少し長くできないだろうか?」と相談して、70日分にしてもらった。良かった。

今日は当地でこの夏初めて28度まで上がった。凄く暑く感じたので、スーパーに寄って「アイスクリーム」を買ったのだが、薬局に寄って帰宅したら半分溶けていた。でも美味しかった。(私の場合は「アイスミルク」ではない本物の「アイスクリーム」という表記の物を買う事にしている。卵や牛乳の原材料が異なるから)
健康管理も楽じゃあないが、庭仕事を続けるためにも、やはり自分の健康状態はちゃんと把握して、適切な管理をする必要があるから仕方が無いと思っている。

                              

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今年の庭のバラ達(8)

2018年07月25日 | ガーデニング・家庭菜園
西日本の猛暑は、長引いているだけに本当に大変だろうと想像する。
高齢者が熱くてもクーラーを使わずに、熱中症で亡くなることが増えているらしいが、私も伯母を看ていて理解できる。
伯母は、手足や体の毛細血管が細くなってほとんど血液が通らないので、年中、手足が冷たい。今でも冬用のパジャマの下に半袖のシャツを着て、病院のベッドに寝ている。秋から春までは、長袖の下着のシャツもさらに重ねて着ていたのだ。
暑くても厚いと感じず、厚着をして暮らしているのだから、仕方が無いとも思うが、この時期に周囲に見守る人がいない高齢者は心配だ。

ニュースによると、一人暮らしの高齢者が激増しているという。
また、二人暮らしでも、同じ様な年齢の配偶者と一緒とか、介護人がいても「老々介護」とかが大半らしい。
私と伯母も、考えたら「老々介護」に分類される。

        

 
(「トリトマ」別名トーチリリー、百合科) 

  

 

          
 
一箇所に2種類の「クレマチス」を植えたら、今は表裏の花が異なるこんな姿に。場所を節約する方法になる。

 



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今年の庭のバラ達(7)

2018年07月24日 | ガーデニング・家庭菜園
6月下旬から咲き出した薔薇は、次々と剪定カットしているので、この時期は随分花数が減った。
今は先週から咲き出した百合と遅れて咲いている薔薇だ。

 

 


 



 

春に種を蒔いて育てていた「金盞花」が咲き出した。また、半月ほど前から咲いているのは変った細長い球根植物の「アルストロメリア」だ。
花友さんから昨秋分けて貰った「黄小花夏菊」が咲き出した。

  

                

昨日と今朝、2箇所に繁茂していた「クロコスミノ」を掘り出して処分した。近所の人が植えたものだが、年々増えて背丈も1mほどと高く、傍の薔薇が日陰になっていたのだ。球根はコンポストでも腐食しないので、切り取って市の燃えるゴミに出すが、葉は数センチの長さに細かく切ってコンポストで堆肥の材料にする。
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自分で「乳癌」を発見した日が「私の記念日」

2018年07月23日 | 医療・健康・食生活・衣生活

私が忘れる事ができない記念日は、TVを鑑賞中、左胸に違和感を感じ、触ってみたら硬い石ころの様なしこりに触れて驚いた日だ。
翌日、近くのクリニックへ行くと、「乳癌に間違いない。」と言われ、それから大変な治療の日々が始まることになったからだ。

当時は60歳で職場を「定年退職」後、年金がごく一部しか支給されなかったため、別の職場にパートタイマーで再就職していたから、仕事をどうするかで悩んだ。幸いなことに上司の特段の理解を得て、約5ヶ月余の「病気休職」ができ、治療に専念できた。結局、その後は退職せざるを得なかった。
一方、思いがけない病気になった事で、初めて「自分の命が有限であること」を教えられ、自分がこれからどう生きるべきかを真剣に模索する機会を得た。
その結果は、「今日の一日を、満足ができる様に前向きに生きること」にしたのだ。癌になって人生の指針を得られたのだ。
同病で出会い、知り合った知人の大半の方は、残念ながら既に亡くなられたが、私は今もこうして元気で生きていることに日々感謝している。

                  
 

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「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(15)

2018年07月23日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪世界遺産「レボチャ」観光≫

「レボチャ」は、「スロヴァキア」北東部の山間部にある町だが、1242年にオスマントルコ軍の侵攻を受けた。その後、「ハンガリー」王が町を深い堀と9mもの高さの城壁で囲み、防御の最前線にした。2009年に次に書く「スピシュ城」と共に世界遺産に登録された。



①「聖ヤコブ教会」
この教会は「スロヴァキア」第二の教会で、内部は高さがあり、ゴシック様式の豪華な祭壇に目を奪われた。

      

②「旧市庁舎」
1615年に造られたというルネッサンス様式でアーケードがある建物だ。今は歴史博物館になっている。



「旧市庁舎」傍の建物は、歴史を感じられる造りの建物だった。

      

≪世界遺産「スピシュ城」観光≫

「レボチャ」で昼食を終えた後、バスで30分程で城の町「スピシュケー・ポドフラディエ」に着く。間も無く目の前の丘の上に(ガイドブックには標高634mとあった)巨大な石の廃墟が現れた。「スピシュ城」だ。
バスは徐々に坂を上って駐車場に着いた。私達は城の入り口まで急な坂道を20分登った。息が切れた。





この城は、元々この地に建っていた城の場所に、タタール人の襲撃に備えて石造りのロマネスク様式の要塞として1209年から新たに建設が始ったらしい。
ネットで調べた資料によると、この一帯は「旧スピシュ県」の政治、経済、行政、文化の中心地として栄えた地域だった。
1464年以前は「ハンガリー王国」が所有していたが、その後、3つの家の所有を経て、1945年には「チェコスロヴァキア政府」が接収。1993年「スロヴァキア」の独立後は、政府の国有地になっている。世界遺産への登録は、2009年だ。

1464年~1528年に所有していた「サポヤイ家」は上下二層の建物の上階を家族の住居にするため後期ルネッサンス様式に改装し、礼拝堂は1470年頃に付け足された。(ハンガリー王になった「サポヤイ・ヤーノシュ」はここで生まれたという)
1780年頃、城は火災に遭い消失し、廃墟となった。現在はスロバキア政府の手で、修復が進められている。
ヨーロッパ一と言われる規模(多分総面積)のこの城は、2012年「トリップアドヴァイザー」の「世界の名城25選」に選ばれている。



            

1時間程自由時間があったので、私は最上部の塔の上まで狭く段差が高い螺旋階段をやっと上った。360度はるか遠くまで、素晴らしい景色が見渡せた。これなら敵の奇襲を発見できる。こんな遠くまで来て良かったと思った。



     



この城の見学後、スロヴァキア第二の都市「コンツェ」に立ち寄り、その町の空港からトルコ「イスタンブール」を経由して成田に無事帰国した。
伯母の入院やシーズンを迎えた薔薇の作業や菜園の作業に挟まれて、記事の掲載が長引いてしまったことをお詫びしたい。だが、やっと終る事ができてホッとした。
初めての「スロヴァキア」は、まだまだ観光地化されていない状況の国だったが、世界遺産が多く、どの町も素朴な雰囲気で、行って良かったと思った。
私のいつもながらの拙文を読んでくれた方々には、心から感謝します。      (完 成)
 

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「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(14)

2018年07月22日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪「スロヴァキア」の世界遺産「バンスカー・シュティアヴィニツァ」観光≫

「ハンガリー」の観光を終え、国境を難なく通過すると、そこは「スロヴァキア共和国」だった。
「スロヴァキア」は日本の1/7の面積に5,447,000人(2016年調べ)が暮らしていて、その80%以上がスロヴァキア人だ。その他、ハンガリー人、チェコ人、ウクライナ系のルテニア人、ドイツ人もいる。
言語はスロヴァキア語が公用語。若い人には英語が通じる。

ガイドブックを参照に、 「スロヴァキア共和国」の歴史を要約する。

7世紀にスラブ人が「サモ王国」を建国したが間も無く滅び、9世紀初頭に「ヒトラ公国」ができる。
828年キリスト教会が建てられ、833年には西スラヴ族が「大モラヴィア王国」を作るが907年に滅ぶ。
1536年「ハンガリー王国」の首都が「ブダ」から現在の「スロヴァキア」の首都「プラチスラヴァ」に移るが、1541年に「オスマン帝国」が「ブダ」を支配すると、150年間に渡って「ハンガリー王国」の支配を受けることになる。
18世紀になると、ハプスブルグ家の支配に反対する「ハンガリー民族」の運動が起きるが、「スロヴァキア」では「ハンガリー」に抵抗する動きが強まる。
1918年に「オーストリア=ハンガリー二重帝国」が敗れて、「チェコスロヴァキア」が独立する。1939年「チェコ」がナチスドイツの保護領となると、「スロヴァキア」は独立するが、実はドイツの傀儡政権だった。
1945年ドイツの敗北後、再び「チェコスロヴァキア」として独立する。
1992年の総選挙で「民主スロヴァキア」が第一党となり、1993年1月、「スロヴァキア共和国」が誕生する。
2000年「OECD」に加盟、2004年「NATO」と「EU」に加盟し、2009年、通貨を「€」に切り替える。
ヨーロッパの弱小国は、長い苦難の道を歩んで来たが、スロバキアもそうした国の一つで、独立してからまだ20数年しか経っていない新しい国なのだ。


「ホッロークー村」からバスは北西方向に約80km強走行して、山間の鉱山の町「バンスカー・シュティアヴィニツァ」に着いた。
坂の上に町の「中央広場」や「インフォメーション」があった。
この町は、15世紀半ばには金銀が産出される重要な鉱山になり、最盛期の18世紀には600kgの金、24,000kgの銀が採掘された。
20世紀になると産出量が減って町は衰退したという。現在の町の人口は1万人だ。
「中央広場」に面して「インフォメーション」があり、その裏に一つの「鉱石博物館」があった。ガイドに案内されて内部に入った。

①「鉱石博物館」

  

②「聖三位一体広場」
広場は傾斜地になっていて、中央に立派な「ペスト収束記念柱」が建てられていた。その台座で遊んでいた女児。



             

③「新城」
町の中心から狭い階段を登って行くと、小高い丘の上に「新城」があった。16世紀にオスマン帝国の侵略に備えて造られた二つの城の内の一つだ。
壁には砲弾の跡が沢山残されていた。城の前では出店が出ていて、色々なものを売っていた。

  

           

≪世界遺産「バンスカー・ビストリッツア」観光≫

次の町は「バンスカー・シュティアヴィニツァ」の38km程北北東にある鉱山の町「バンスカー・ビストリッツア」だ。
ここも14~16世紀にかけて銅と銀の産出地として栄え特に産出量が多かった銅はヨーロッパ中に輸出されていた。
しかし資源が枯渇するようになると、手工業の町として発展した。

一方、18世紀後半からは、スロヴァキア民族運動の中心地となった。
第二次世界大戦末期の1944年には、「ナチスドイツ」の支配に反対して「スロヴァキア民族放棄(SNP)」が起こった。
町の中心には、「SNP広場」が作られていて、教会、時計塔、市庁舎、中部スロヴァキア博物館が囲んでいた。
「ナチスドイツ」に最初に反旗を翻した人々がこの町の人たちだったんだと知って、感銘を受けた。

私達が訪れたのは土曜日だったので、教会では結婚式が行われていた。

 


         (「SNP広場」)
          



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「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(13)

2018年07月19日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪世界遺産「ホッロークー村」観光≫

この村は「ブタペスト」の北東約90kmの「スロヴァキア」との国境近くにあった。
13世紀にモンゴル帝国の襲撃から逃れて移り住んだ人々で「バローツ人」と言われているという。
1909年の大火後に「バローツ様式」で再建した家々は、斜面に建っていて半地下様式だ。全部で50棟ほどあるというが、今の住民の大半は年金生活者と聞いた。
壁は藁を混ぜた土壁の上に石灰を塗って白くしてある。室内の煙を外に逃がす「破風」がその家によって異なる。

私達はその家の一軒に入った。
広い庭がある家で、70~80歳代と思われる民族衣装に身を包んだ二人の女性が迎えてくれた。
先ず、「ハンガリー」の蒸留酒「バーリンカ」が振舞われた。二人の女性が歌を唄ったり、民族ダンスを披露してくれた。
それから私達の中から男女1人ずつに民族衣装を着せた。女性のスカートの下には、2枚の下着を着て、スカートが大きく開くようにしていた。
それから簡単な民族ダンスを輪になって踊った。短時間だったが、高齢の村人の歓迎と交流に心が温かくなった。



               

村内を散策した。冬には1.5mもの積雪になるらしいが、5月下旬なので薔薇やゼラニウムが咲き誇っていた。可愛い教会に目を惹かれた。
一軒の家に入って見たが、質素な暮らしながら、室内を明るく綺麗に飾っていた。



               



その後、レストランで昼食を食べてからバスに戻った。



                  


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「ハスカップ(クロミノウグイスカズラ)」のジャム作り

2018年07月18日 | ガーデニング・家庭菜園

「ハスカップ」はアイヌ語。シベリア原産の低木で、この時期に黒紫色の小さな実を着ける。
シベリアでこの実を食べた渡り鳥が、北海道の道央や道南の原野に飛来して糞と共に種を落として行き、やがて芽が出て土地の人達に実が愛されるようになったらしい。
私の庭にも大小2本植えてある。昨年は実を摘み取るのが面倒で、放置していたが、今年はジャムを作ることにした。
既に庭に出る度に摘まんで食べていたので、収穫は僅か170gだけだった。

≪作り方≫

①「ハスカップ」を洗ってざるで水切りをし、30~40%に当たる砂糖を計量して加える。(煮詰めると少し甘めだが、防腐剤など入れない分、この濃度にしている)
②少しの水とレモン汁を足してホウロウの小鍋に入れ、弱火にかける。(水を入れ過ぎると、煮詰めるのに時間がかかる)
③ぐつぐつ沸騰し始めたら、好きな濃度まで煮詰めると完成だ。
今回はゆるめの濃度のジャムにした。市販品の様に添加物は全く入っていない甘酸っぱいジャムが1瓶できた。

「ハスカップ」は皮が柔らかいので傷みやすいため、市販される事はほとんど無い。当地では、「ハスカップ」農園が開く「ハスカップ摘み」に参加する人も多い。

 

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「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(12)

2018年07月17日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

暫くぶりで旅日記を続ける。

≪「ブタペスト」市内観光≫

この町は2回目の訪問だったが、何か新鮮に感じられた。現地ガイドは、中高生の時に東京に住み、公立の学校に通学した経験がある若い人で、日本語の違和感がほとんどなかった。

①「漁夫の砦」
首都「ブダペスト」は、南北に流れる「ドナウ川」を挟んで東が「ペスト地区」西が「ブダ地区」となっている。 
「漁夫の砦」はドナウ川沿いの小高い丘の上にあった中世の城壁に1899年から「ネオ・ロマネスク様式」で町の美化の為に壮大な砦が建設された。白い石灰石の建物が印象的で「ペスト地区」が眺望できるため、大勢の観光客で賑わっていた。


 (ドナウ川の向こう岸「ペスト地区」の写真中央に聳える尖塔がついた建物は、1902年に完成したネオ・ゴシックにルネッサンス様式を加えた「国会議事堂」

(広場に立つのは「聖イシュトバーン」の騎馬像だ。彼(969または975年~1038年)はマジャール人の大首長だったが、父の死後、「ハンガリー」の初代国王になった。国内に8つのカトリック教会の司教座を置き、修道院付属の学校を作り、カトリック教とラテン語を振興した。1000年12月25日にローマ教皇より冠を戴き、「エステルゴム」で戴冠式を行って、正式に「ハンガリー王国」が成立した。息子達は早くに死んだので、彼の死後、後継者を巡る争いが起きたが、11世紀末に混乱を収めた「ラスロー一世」によって、彼は聖人に加えられた。像の手に持つ十字架は二重のクロスだが、彼がキリスト教を広めたことと、国を統一したことの二つを意味するらしい)

②「マーチャーシュ教会」(聖処女マリア教会)
13世紀に建てられたカトリック教会だ。オスマントルコが侵略した後、モスクに改装されたが、第二次大戦後、教会に再建された。

  

③「三位一体広場」
「マーチャーシュ教会」の前の広場だ。
14mの高さの「三位一体像」は、ペストの収束を祈って18世紀に建造された。

                

④「くさり橋」
「ドナウ川」で分断されていた「ブダ地区」と「ペスト地区」を結んだブダペスト最古の橋で、第二次世界大戦で破壊されたが1949年に再建された。巨大な4頭の「ライオン」が橋の両端で通る人や車輌を見守る美しい橋だ。夜間はライトアップされる。



⑤「英雄広場」
ハンガリーの民族「マジャール族」の建国1000年に造られた記念モニュメント。「建国記念碑」は高さ35mあり、「マジャール族」の首長、歴代の王、貴族14体の像が並べられている。
私達が行った17時半頃、丁度トルコから来た人達が映画の撮影をしていたのに出くわした。



⑥「現代美術館」
「英雄広場」の近くにあり、傍には「西洋美術館」もある。「農業博物館」「交通博物館」もあった。

        

 
(バスから見た中の良い中年カップル)         (レストランの看板)

「ブタペスト」には、歴史に残る巨大モニュメントが沢山あった。


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今年の庭のバラ達(7)

2018年07月15日 | ガーデニング・家庭菜園
≪「チェコ」の種が開花した≫

昨年5月に「チェコ」のスーパーから買って来た花の種を、今年の春にポットに蒔いて苗を作り、庭に移植した。
種の袋に書かれている「チェコ語」の名前や説明は私には一切解読できないが、とに角、普通に種蒔きをして育てた。

苗を庭に植えると間も無く「ダリア」の様な葉が出て来て、背丈が低いのに蕾が沢山付き出した。
どんな花が咲くのかとワクワクしながら待っていたら、まだ丈は25cm程なのにとうとう「ダリア」に似た可愛い花が咲き出した
今は35cm程の背丈になり、1本の茎から横に脇芽が沢山出て来てこんもりした姿に生育している。蕾が沢山ついて、花の色も黄色、赤、ピンクと様々で次々と開花している。
今までの「ダリア」は背が高くなり、強風に遭うと倒れやすいので、支えを必要とするなど手がかかった。
日本では「ダリア」は球根植物として売られているので、この種から育てる花は何なのだろうか。来年のためには種を採って置くのが良いのだろうか。知っている方がいれば、教えて欲しい。

 

  

昨日に続いて「薔薇」の写真を掲載する。

 

 
                                   (背後は2年前に植えた「クレマチス」)
 
  (昨年秋に植えた「クレマチス」)
          
(私が考えて道路際に造って貰った高さ50cmの「土手式塀」の上。腰掛けるにも良い高さだ)

    

          

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今年の庭のバラ達(6)

2018年07月14日 | ガーデニング・家庭菜園
一昨日まで小雨が降り続き、最高気温も14~15度程度と寒かったが、昨日の最高気温は24度、そして今朝は湿度が高く蒸し暑いので、当地にもようやく夏が来たように思う。
長らく布団をベランダに干せなかったが、今日こそ干せるかもしれない。

今週は兎に角多忙だった。
月曜日の自分の通院から始って、火曜日は伯母の転院手続きとケア、木曜日は運転免許更新の「認知症検査」で自動車学校へ行った。
そして昨日は私の虫歯の治療で麻酔をされ、神経を抜かれた。
いつも診て貰っている歯科医から「虫歯が奥まで進んでいたので、治療に時間が掛かりそうです。」と言われたので、私が「もう少し早く治療をしていただいていたら良かったですね…」と言ったら、「気づくのが遅かったかも知れませんね。スイマセン。」と言われた。
おまけに突然、伯母の見舞い客が来たり、ある日は寝ようとしていたら予期せず娘が帰宅したり…
そんな訳で、とても疲れた一週間だった。

庭の花々は、季節を知っていて、ちゃんと蕾を付け開花してくれる。疲れている時でも見ていると、本当に心が癒やされる。
昨日写した写真の残りを、引き続き掲載する。

 
(「金糸梅」別名ヒペリカム) 
  
 
 
(「芍薬」も終りかけ)
             

  
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今年の庭のバラ達(5)

2018年07月13日 | ガーデニング・家庭菜園
この所続いた「九州、西日本一体の集中豪雨」によって、多くの多大な被害を受けた方々にお見舞い申し上げたい。
災害は、いつ、どこに、襲って来るか分からないというのが、正直な気持だ。

それにしても住まいは、できるだけ土砂崩れなどが起こらない場所、洪水に見舞われそうにない場所を選ばないと駄目だなと感じた。
日本列島は山地が多く、河川は大陸の国に比べると急流だ。それで今回の様に大雨が続くと、短期間でも地面は大量の水を含んで斜面などは流動性が一気に高まるのだと思った。
200人以上の死亡者が出た今回の自然災害から多くの教訓を得て、今後の国の住宅対策に生かして行く必要がある。

昨日は、何日かぶりに晴れたので、庭の写真を撮って見た。「クレマチス」と「薔薇」の共演を見て欲しい。



 
                           (4月末に鉢植えの「フクシャ」を庭に移植したもの)
 
                             (1箇所に2種類の「クレマチス」を絡ませている)
 
(「ラベンダー」はこれだけを残して後は処分した) 
 

            

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運転免許更新の認知症検査を受ける

2018年07月12日 | 医療・健康・食生活・衣生活
今日は、後期高齢者になる年齢の運転免許更新の一つ、「認知機能検査」の日。
午後1時過ぎに市内の自動車学校に向った。昨日買って来た「750円の北海道収入証紙」と印鑑、免許証を持参して受付へ。
検査は20分後に始った。10ページ程の検査用紙が配られ、説明を聞きながら検査に取り組んだ。

終了後、直ぐに採点されて、各自に検査結果が渡された。
認知症の疑いがある人、または認知症と診断された人は、後日、免許公布所で行われる講習を3時間受けなければならないとの事。
お陰さまで私は、今回認知症ではないという検査結果だったので、2時間の講習で済む。

しかし今回の検査で「記憶力の衰えは、如何ともし難いものがある」と実感した。2週間後に今度は実地試験がある。
例え今回大丈夫だったとしても、数年後の次回はどうかと、不安になって来た。

                                      
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伯母の脳梗塞、その後(8)

2018年07月11日 | 高齢期の生活全般
≪自宅に近い病院に転院した≫

先週、急に病院から「伯母の治療が済んだので、退院して欲しい」旨の連絡があった。
それで私からの転院の申し出を受け入れてくれていた地元の病院に、昨日午前中に私の車に乗せて転院した

昨日は、朝9時過ぎに私が迎えに行くと、朝、シャワーを浴びたらしく、伯母は疲れたのかベッドでぐったりしていた。
私が入院費の支払いを済ませ、私物をキャリーバックに詰めていたら、今まで世話になった「相談員」の方が車椅子に伯母を乗せてエレベーターで降り、私の車の傍まで送ってくれた。
昨日の伯母は、車の座席に移ったり、車から降りて短距離を歩くのもふらついて危険だったので、伯母を支えて安全に転院するのが大変だった。

今まで伯母を診てくれていた今度の病院に着くと、直ぐに「心電図検査」「脳のMRI検査」「心臓のCT検査」「血液検査」を受けた。それから病室に案内された。看護婦詰め所前の一人部屋だ。

伯母が疲れて寝ていた所に、突然、伯母の妹(95歳)が娘夫婦に伴われて札幌から見舞いに来た。妹が耳元で話をしたら、伯母は誰だか分かったようだった。その人達は、15分程で帰って行った。

昼食が運ばれて来た。伯母が前日、スプーンを持たせると一人で食べたので、昨日も食べさせて見たらほとんど残さずに食べた。余程お腹が空いていたらしい。
ここの病院では、栄養剤の点滴をせずに食事を食べさせるようだ

私は、一旦、家に帰って、午後にまた、入院関係の書類に必要な印鑑を持参した。すると、医師に呼ばれた。
私は先ず、「快く転院を受け入れてくれて有難うございました。」と感謝の言葉を伝えた。
医師は午前中の検査結果を見せてくれて、「5~6cmもある大きな範囲の脳梗塞だったが、目はぼんやりとは見えている。」「心臓が肥大しているので、心筋梗塞の治療も必要だ」。と言われた。


今日も12時からの昼食時に病院に行って見た。伯母は、食堂で他の入院患者と一緒のテーブルで食事していた。
お茶にはとろみ剤が加えられているが、おかずは微塵切りだけの状態だった。時間はかかったが、伯母は一人で食べ、完食したのには驚いた。
また、前の病院では、粉薬をおかずに混ぜて食べさせていたが、この病院では最後にとろみが付いたお茶に混ぜて飲ませていた。

食後に部屋に戻ってから、車椅子に座った状態の伯母を5週間ぶりに散髪した。髪が床に散らばることも無く、上手くできた。
それから、この間の北九州、西日本の豪雨による大勢の死者、行方不明者のニュースを伝えた。
伯母は、家でイヤホンで聞いていた「携帯ラジオ」を聞きたいと言うので、明日には届けてやりたいと思う。

今後、口から食事ができる様になって胃や腸が働くようになれば、徐々に気力を回復していくのではないかという希望が出て来たので嬉しい。
                                 
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