花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

年の瀬にあたり

2019年12月31日 | 日記

私のブログにいつも親身になって励ましの「コメント」を下さる方々、また時々ブログに立ち寄ってくれて私の生活を見守ってくれた皆さん、皆さんに今年も支えられながら何とかブログの記事を書き続け、私自身も元気で年末を迎えることができて安堵している。有難うございました。

私の今年の一番の出来事は、介護して来た99歳の伯母を2月に看取り、無事に事後の処理を済ませることができたことである。

その後は、前の様に庭仕事が中心の生活に戻ったが、いつも傍に伯母がいてくれるような感覚で暮らして来た。もう話し合う事はできないので、寂しい。

一方、今年は近年では一番、気候が良かった。狭く、「アブラナ科」の作物に生育不良の被害が出る病原菌の「ネコブ病菌」が繁殖した畑で、今年も工夫しながら種を蒔いたり、苗を育てたりしながら作物を育てたが、ホウレン草、茎ブロッコリー、トマト、春菊の生育が良かった。

キャベツは青虫に餌を提供した形になった。無農薬栽培では、防虫ネットを張らないと難しいことが身に染みた。

白菜は、CR(ネコブ病耐性)の種から苗を育てたので、外側は虫に食べられたが内側は大丈夫だった。漬物にしたり、鍋物の具材にしたりと利用できた。来年は、やはり防虫ネットを張って育てたいと思っている。

昨日、今朝と珍しく雨が降り、菜園に残っていたホウレン草(9月半ばに種蒔きをしたもの)が雪の下から顔を出したので収穫してゆでた。この時期のホウレン草は貴重だ。ネコブ菌の菜園でも、ホウレン草は問題なく育つので、来年も春と秋の2回は種を蒔きたい。

大根もアブラナ科だが、ネコブ病の畑では菌を少なくすることができる貴重な作物。じゃが芋の跡地で育てた秋大根の内、半分は干して甘酢付けにした。残りは、ビニール袋に入れて室内の涼しい場所で保存しているが、正月料理に活躍してくれているし、2月頃までは食べられそうだ。

隠元豆の跡地では、聖護院大根を育てた。干して漬物にしたが、皆食べてしまった。

一方、薔薇は、年々木がしっかりと育つので、花の開花後は枝を適当に剪定し、11月の初めまで多くの花を咲かせられた。

[秋以降に土壌に肥料分が多く残ると、薔薇の冬の休眠ができ難くなって、冬季に枯れ易い]と知ったので、9月以降は化成肥料の施肥を中止し、堆肥と液肥だけにしたが問題がなかった。来年もこのやり方で行こうと思う。

私自身の今年の一番の懸念は、足腰の筋力低下だった。7月下旬に始めたウオーキングは、先日丸5ヶ月を迎え、歩くことには少し自信が付いて来た。今後は無理をせずにウオーキングを続けたいと思う。

近所の方々には、色々な野菜を収穫する度に例年通り、お裾分け分を利用して貰って来たが、今年も色々と交流できて感謝している。

特に花友さんには、本当にお世話になり有りがたかった。数日前に手作りの美味しい餡餅を沢山戴いた。また一昨日は、角餅も沢山戴いた。市販品とは違って水分含有量が少ないので、もちもちしていて本当に美味しい。汁粉、雑煮、黄な粉餅などを作って楽しみたい。

来年も健康を維持しながら、楽しく庭仕事をしたいと思っているので、どうかまた宜しくお願いしたい。

                                         

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従姉の事後報告(1)

2019年12月30日 | 高齢期の生活全般

翌日の朝、従姉に電話を掛けた。

「病院に行って、物忘れの検査をして貰った方が良いのではないだろうか。」と言いたかったのだ。ところが私が話し出すと、従姉も少し遅れて大きい声で話し出す。私の声と従姉の声がぶつかって、何を言っているのかさっぱり分からない。

全く私の話に聞く耳を持たないので、「私の話を聞かないでしゃべらないで、聞いてから言いたいことを話して頂戴。こんな電話の受け取り方は失礼でしょう!」と言って電話を切った。

そして次の日、ネットで従姉の家の近くにある「物忘れ外来」の病院を調べ、そのことを伝えようとまた電話した。

すると前日とはうって変って、大人しく聞いてくれた。そして従姉が「私がそんなに進んでいるように思うのかい?」と聞かれたので、「そうじゃなくて、できるだけ早くに病気が分かれば、薬で進行するのを遅くできるからだよ。」と答えた。

従姉は「分かった。来月になったら病院に行って見るから。」と言ってくれた。嬉しかった。本当は従姉自身が、物忘れが多くなった事を誰よりも不安に思っているに違いないのだから。

                                  

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久し振りに従姉が来て年賀状をつくる

2019年12月26日 | 高齢期の生活全般

昨日は一日中、最高気温も-5℃程度と寒い日だった。

札幌に住む私よりも5歳年上の従姉から、数日前に今年の「年賀状」の編集を頼まれた。直ぐにデザイン作成に取り掛かり、その日の夜に「デザインは完成したよ。印刷できるので、何枚印刷するか決めて、数日以内に家に来て下さい。」と電話をして置いた。

ところが一向に来る気配が無いので、昨日朝、どうしたのか問い合わせた。すると、「デザインができたという連絡が無かったので、まだかと思っていた。」とチグハグな返事だ。

「印刷枚数は何枚か決まったの?」と聞くと、「昨年通り、印刷してくれたんじゃあないの?」と来た。「頼まれていないのに印刷するはずが無いでしょう。とに角来て、デザインや文章を確認してよ。」というと、寒い中、午後にやっと来た。

彼女とのやり取りを考えると、記憶力が凄く低下した事がわかる。1年3ヶ月振りの来宅なので、札幌駅よりも向こうの駅からJRに間違いなく乗れるのかも心配だったし、我が家へは駅から5~6分の単純な道なのだが、間違えずに来れるかも気になった。

しかし何とかやって来たので、先ずはホッとした。

彼女にパソコンで作って置いた年賀状の原稿を見てもらって、彼女が言うとおり、数箇所を手直しした。

それから二人で郵便局に行って、見本を見ながらどれを買うか決めてもらおうとしたが、なかなか決められない。

私が、「インクジェット式でないとパソコンでの印刷が上手く行かないよ。表の切手部は、大人絵がいいのでは?」とアドヴァイスしたら、それに従った。

最後に何枚にするかもまだ決めてない。「去年は数枚足りなかったらしいから、去年と同じでどう?」と言うと、「そうする。」と言って、やっと買った。

家に戻り、プリンターを動かそうとしたが、5つのインクの内4つが立て続けに「交換が必要」と出た。そんな事もあろうかと、先日、電気店に行き、新しいのを買っておいて良かった。キャノンの「純正インク」は、セットで6900円した。インクは高い。

無事にプリントが済み、お喋りした。

従姉の方から「死後の墓の事、喪主のこと、相続の事をどうしたら良いかと思っている。」と話し出した。

そこで私から、「独身者の相続人は、法律では親と兄弟姉妹だから、あなたは両親が亡くなっているので兄弟姉妹だけになるね。全部で10人近くいるし、既に亡くなった兄弟姉妹はその子が親の代わりの相続人になる。物凄く大勢だし、どこに居るかも判らない場合は困るね。」と私がいうと、「遺産は少ししかないから、全然問題ないよ。」と言う。

「例え少しでも、相続人全員の了解がなければ、貯金も下ろせなくなるよ。それに今住んでいるマンションはどうするの?」と話した。彼女は法律的な知識を持っていないようだった。

80代になり、物忘れが頻繁になって来ているので、元気な今の内にまさかの時の事を考えて置かねばならないのだが、「明日死ぬわけではないし…」と、切羽詰っていないので他人事の様に具体的な話を拒絶する。

私は彼女に、せめて先ず法的な決まりを知る事、そして自分はどうするのが良いかを考えて置く事を勧めたが、様子からして思考力も低下して来ているようで困った。どうしたら良いだろうか。

その点、伯母は実に立派だった。何十年も暮らした町を引き払い、私の所に来ることが決まった94歳の時、自分で「公証役場」に出向いて「遺言書」の公正証書を作っていたのだった。

もしも「遺言書」が無ければ、血の繋がらない「姪」の私には、伯母の財産管理をしながら最後まで介護を引き受けたとしても、遺産には一切の権利はない。そして「法定相続者」は、40年以上前に一人息子と離婚した女性が「親権者」となって育て、ほとんど連絡が取れていなかった「亡くなった息子の遺児(伯母の戸籍上の孫)」という事になる。伯母はそれを心配して、「遺言書」を作ったのだろうと思う。

(この男の孫は、どこで何をしているか40年以上ずっと分からなかったが、息子が亡くなった後で私が市役所に行って手続きをし住所を探してもらった。半月後、住所が分かったと言う連絡があり、彼と連絡を取って、一度伯母に引き合わせていた)

夕方になったので、冷蔵庫にあった肉とホタテに野菜を加えて「焼き蕎麦」を作って食べて貰った。彼女はホタテが美味しかったらしく、残しておいて最後に食べていた。

夜、別な用事があるといって、彼女はJRで帰って行った。暗くなったし道が滑りやすいので、駅迄車で送った。

                                       

 

 

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一進一退

2019年12月24日 | 医療・健康・食生活・衣生活

いつの間にか年末になり、気候もすっかり真冬。冬至が済んだら、最高気温が-3~-4℃にしかならない。寒過ぎて、これでは「ウオーキング」はなかなか難しい。

「ウオーキング」は、昨日で「連続丸5ヶ月間」155日をやり切り、「合計歩行距離」は、921kmになった。

それで自分へのご褒美に赤紫色の「シクラメン」の鉢を買った。この花は温度管理が難しく、20度以上になる場所では元気をなくしてしまう。置き場所を決めるのに思案したが、直射日光が当らない20度程度の明るい場所ということで、台所の窓に置く事にした。この花を、少なくとも3年は元気で生長するように世話したいものだ。(以前に育てたシクラメンは、5年も経ったら球根が鉢一杯になるほど大きくなったので、二つに分けて見たら駄目になった)

          

 

昨日は内科の定期健診日だった。血液健診の結果は、一進一退だ。もう少し良くなっているかなと期待したが、そうでは無くて少しガッカリした。

前回、足が冷たくて眠られないと訴えたら、今回、上腕と足首に血圧計を巻いて血圧を測定してくれた。その差などから見て、私は年齢の平均値と大差が無い結果だという。動脈硬化も余り進行していなかった。

これから正月を迎えるが、今までは帰省する家族の為に色々と沢山の料理を作って来た。今年は数も量も程ほどに作り、私自身は食べ過ぎないように努力したい。

                               

ところで昨日は月曜日という事もあって、酷く病院が混んでいた。

待ち合い室の椅子は次々と座る人で常に一杯。空席が無くて立っている人も大勢いる。

座席が混むと、近くに咳をする人がいたり、隣席の人の煙草の匂いがきつくして気分が害されても逃げ道が少ないのだ。

病院側も余裕がある広めの待ち合い室を用意して、今よりも換気を良くするなど、患者目線で考えて欲しいと思った。

 

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がん検診で札幌へ

2019年12月18日 | 日記

私の「乳癌」の健診は、今は1年に1回だ。その日が昨日の午後だった。

大雪なら大変だと思っていたが朝から気温がプラスになり、凍りついた雪の表面だけが溶け出して、道路は危険なツルツル路面になっていた。

健診までの午前中に久し振りに親友に会うため早めに家を出たが、JR駅までの道はとても危険で、転ばないように細心の注意を払って歩いた。こんな状態の道路は、今年初めてだった。

友人には「蜜柑」1袋と花友さんが前夜届けてくれた「手作りの餡餅」のお裾分けを手土産にした。

待ち合わせで会ってから、JR札幌駅地下通路にある「イタリアンレストラン」に入ってお喋りをした。

友人が、じゃが芋を同じ場所で作り続けていたら、今年は全部ピンポン玉みたいな大きさだったと言うので、「連作したら駄目だよ。畑作りの基礎だよ。」と教えた。

また、友人は何と5日程前に、凍結路面で仰向けに転倒し、頭を強く打ちつけて、「脳神経外科」に検査に行ったそうだ。

CTの画像では何ともないと言われたが、頭痛が続いていると話すので心配だ。高齢者はバランス感覚が悪くなっているので、本当に注意しなければならない。

                                     

友人と別れてから、地下鉄で病院に行った。 

受付を済ましてから「マンモグラフィ検査室」に行って写真を撮ってもらった。技師の女性が「機械が新しくなりました。」と言って小奇麗な機械の傍に案内された。しかし、乳房を左右、上下から透明な板で強く挟んで撮影する原理は同じなので、私には昨日の方が失神するのではと思ったほど痛かった。

「乳腺外科」は相変わらず混んでいたが、私の診察順番は1時間で来た。

担当医師が変っていたが、今回も女性だった。

昨年と今回の「マンモグラフィ」画像を比較しながら見せられ、また、ベッドに寝て「乳房の触診」を受けた後、「何も問題はありません。」と言われてホッとした。

しかし、「自分でも時々触れて見て、しこりがあれば来て下さい。」と言われた。私の「乳癌」の組織は、「女性ホルモン」には反応せず、「ハーセプチン」という成分に反応する再発し易いタイプなので、20年位は気を抜けないと言われ、改めて自覚させられた。次回はまた1年後だ。

予定よりも早めに病院を出たので、もう一人の友人を訪ねることにした。以前私と畑を一緒に作ったり、国内旅行に行ったりしていた友人だが、その後60代中頃に「認知症」になり、今は一人で住んでいたマンションを引き払って「優良老人ホーム」に入居しているのだ。

何とか場所を探し当てて「優良老人ホーム」に辿り着いたが、残念なことに彼女は「デイサービス」に出かけていて留守だった。

受付の女性に、「デイサービスには、週に何回行っていますか?」「彼女は元気にしていますか?」などと聞いたが、「個人のプライバシーにはお答えできません。」の一点張りだった。

仕方が無いので、簡単な手紙を書き、「帰って来たら渡して欲しい。」と頼んで来た。

夜、彼女から電話が来た。少しぎこちない話し方だったが、私の事を思い出してくれたのだろうと思った。

ところが1時間後に、また電話が来た。先程私に掛けたことを忘れて、再度かけた風だった。それでも数年ぶりで聞いた友人の声は懐かしかった。それに心配していたよりも元気そうだったので、少し安心した。

                                

 

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薩摩芋「紅はるか」を初購入

2019年12月15日 | 日記

3日程前にTVを見ていたら、「安納芋」よりも美味しいらしい薩摩芋の名前を「安納芋」の生産地の人が話していた。その名前は「紅はるか」だという。

「安納芋」はこの辺りでも販売され出したが、今まで一般に出回っているのは「紅あずま」という品種だ。「紅あずま」は私も2~3回栽培したことがあるが、「紅はるか」の名前は初めて聞くものだった。

昨朝、ウオーキングの最後にスーパーへ立ち寄ると、「紅はるか」が売り出されていた。大きさはまちまちなのに1本当たりの価格は同じだ。それならばと大きいのを2本買い、リュックに入れて帰宅した。1本は我が家で食べることにし、もう1本は近所の花友さんに届けた。

茹でて食べて見た。ねっとりとしていて甘い。どちらかと言うとあっさり味の「紅あずま」とはまるで違う味だ。

ネットで検索してみたら、「紅あずま」と比べて価格がかなり高い。しかし、揚げ物にする場合は、「紅あずま」が良いかもしれないと思った。

北国のこの地域では今まで薩摩芋の品種は2~3種類しか売られていなかったが、色々な品種が売られるようになると、これからはじゃが芋と同じく、薩摩芋も食べ方によって品種を選ぶ人が増えるに違いない。

          

今朝は、車が無い花友さんを誘ってスーパーに出かけた。今日は昨日の4割安で「紅はるか」が売られていた。太めなものを4本買った。

花友さんは、一人では持てないほどの量の買い物をした。私も車に積んだり下ろしたりを手伝った。

帰宅後、粉雪が降っていて風も冷たかったが、改めてコートを暖かいのに着替えて「連続ウオーキング」に出かけた。今日は5,4km、9000歩だった。

                (新雪に覆われた早朝の庭)

                                        

 

 

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交通整理の男性の話から

2019年12月09日 | 日記

毎日市内の限られた地域をうろうろしていると、いつも決まった人達に会う。それは電気工事や道路工事をしている人達だ。

彼らの工事の場所は時々変るが、クレーン車を路上に止めて高い電柱に上がり、そこで工事をしている人がいるかと思うと、傍には交通整理をする人が必ずいる。

今朝も郊外の公園に行くと、いつも少し距離を置いて何度も出会って来た高齢の男性が、電気工事の傍で交通整理をしていた。

私は「こんにちは。」「寒い中、お疲れ様です。今まで何度も会いましたね。」というと、「自分は会う人を覚えていないけど、通る人は覚えてくれるみたいだね。」という。

私が「年齢と共に、だんだん寒さが体に応えるようになりますね。」と話したら、彼が「仕方なく働いているんだ。」「60歳で退職して家に居たけど、その内、毎日パチンコに通うようになったんだ。そうしたら、だんだん足が弱って歩けなくなってしまってさ。仕方が無いので、この仕事をし始めたんだ。」と言うのだ。

顔のしわが深いので、私よりも5歳以上は年齢が上だろうと思っていたが、聞いて見るとほぼ同年齢だった。

そして「お宅さんが元気に歩いていることを、家族は喜んでいるでしょう。」と言われた。

「お互いに体に気をつけて頑張りましょう。」と言って別れた。

ところで、今春亡くなった伯母の連れ合いだった私の亡き伯父は、朝から晩まで居間のソファーに座ったまま、TVを見たり、妻(伯母)に「おい、お茶。」「おい、新聞。」などと指図していて、自分ではトイレ位しか歩いて行かず、ソファーでうたた寝をしてしまう生活を何年もしていた。するとその内、とうとうソファーから立てなくなり、寝たきりになって、最後は94歳で亡くなったのを思い出した。

年々、日本人の「平均寿命」は伸びているが、他人の手助けを受けなくても一人で自立して生活できる「健康寿命」はそんなに伸びていないという。今日は「健康寿命」を維持する事の難しさと、一人ひとりの努力の大切さを考えさせられた。

今日の10時過ぎの気温は-3度だったが、風が弱いので歩きやすかった。9,000歩、5、6kmのウオーキングだった。

  (追 記) 厚生労働省2019年発表 

             「2018年 日本人の平均寿命」 男性81.25歳 女性87.32歳

             「2013年 日本人の健康寿命」  〃 71.19歳 女性74.21歳      

また、2016年の「都道府県別健康寿命」の中で、「北海道」は男性25位(71.98歳) 女性45位(73.77歳)だったそうだ。

私が考えた「北海道」の「健康寿命」が短い原因は、まず、北国は半年間雪に閉ざされるため、外で運動や活動をする機会が減少するからではないだろうか。

そればかりではない。冬季は家の中に引き篭もる人が大半なので、隣近所に住む人とも滅多に顔を合わす事はなくなる。なので、高齢者世帯や一人暮らしの人は、他人と言葉を交わしたり、交流する機会が極端に減って孤立してしまいがちだ。その結果、精神的な「孤独感」に陥ったり、「欝」場合によっては「認知症」になる高齢者も多いと聞く。

また、北海道の世帯別職業で昔から多い農業や水産業などの「第一次産業」に従事する人を中心に比較的「塩辛い味を好む人が多い」ため、高血圧や脳卒中などになる人が他府県よりも多いこともあるのかもしれない。 

地方自治体には、こんな北海道の高齢者が抱える問題点を改善する方策を、一日も早く打ち出して欲しい。

特に冬場、体力維持をはかるための工夫や施設が必要だ。そうでなければ、介護を受けたり、寝たきりになる高齢者が、他府県よりもずっと多く、それも長期になりがちなのが分かっているのだから。

                                                                     

 

      

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駅で感心な高校生に会う

2019年12月08日 | 日記

今朝は洗濯をして、それを室内に干してから10時半にウオーキングに出た。

朝の気温は-8度程度だったと思うが、太陽が出れば徐々に気温は上がる。だから、これからは昼近くのウオーキングが良いのかも知れない。

風が吹くとほほに当る風は冷たいが、コートの「フード」を被ると風が傍を吹き抜けなくなって冷たさを感じない。「フード」は雨除けだけではなく、風除けとしてもかなり役立つことが分かった。

また、風が吹きすさぶ場所でゲームをする時は、できるだけ風を背中で受ける向きに立ってスマホをいじるようにしている。電柱が1本あれば、その影に立つだけでも暖かく感じられる。

最近は足元をしっかり確かめながら歩くようになった。雪が残っていて、アイスバーンになっている場所は、滑りやすいので除けるようにしているからだ。反対に前後、周囲への目配りが減るので、交通事故などに会わない様に注意している。

ところで、毎日、JRの駅にも寄るのだが、今日、「待ち合い室」に入ると、女子高校生が数人いて、楽しそうに話をしていた。彼女達がいなくなって少しすると男子高校生らしい人が入って来た。彼は黒っぽい財布らしきものを私に見せて、「あなたのではありませんか?」と言う。「違います。」と答えたら、駅の切符売り場に行って駅員さんに渡してから、また待ち合い室に戻って来た。

やがて構内放送が掛かった。財布の中に名前が分かるものが入っていたらしく、名前で人を呼び出していた。

私は彼に「少し前まで女子高校生らしい人が何人かいたので、その中の誰かが落としたのかも知れないですね。それにしても良い事をしましたね。最近は色々な人がいるのに。」と言った。彼はニコニコしていた。何か清々しい気持ちにさせられた。

今日は6.1km、10,000歩だった。

                                  

 

 

 

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高齢者にとって操作が厳しいデジタル家電類

2019年12月03日 | 高齢期の生活全般

昨日、「ガス暖房」の不具合が起きたので修理してもらった。

その後、操作盤がリセットされたので、現在時刻、自動点火時刻、自動消火時刻、燃焼の強度など設定し直すことになった。

ところが操作版が小さく、操作ボタンが小さすぎる。視力が低下しつつある私には文字が見難いし、操作しなければならない項目も沢山ある。そして、一々「決定」のボタンを押さなければならないなど、とても煩わしい。一つの事ができなければ、前に進むこともできないのだ。

この「ガス暖房」は、暖房だけでなく、我が家の風呂も給湯も一台で賄うものなので、尚更、操作が煩雑で参ってしまった。高齢者にはもっと操作し易いアナログ方式が良いのにと思った。

今は「シャワートイレ」や灯油や電気の「ストーブ」、「テレビ」から「電話機」「時計」に至るまで、全てがデジタルで操作する仕掛けになっているが、高齢者の事を配慮しているとは思えないデジタル家電製品の見難く複雑な取り扱い方に我慢するしかないのだろうか。

何とか「ガス暖房」の設定操作をし終えたが、つくづく思った事だった。

                                   

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