花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

J○B主催のツアーはどうも…

2007年03月31日 | 日記
 近所の奥さんが、昨夜、国内旅行から帰って来られ、今朝、ちょっとしたお土産を持参して我が家に来てくれました。

 その奥さんは椅子に座るなり、今回はJ○B主催のツアーだったのだけれど、添乗員は超ミニスカートで添乗初めてというさっぱり要領を得ない人だった。おまけに、食事が付かないツアーだったので、食事時間も取って貰えず、買い込んだ弁当をバスの中で食べた、と話し出しました。
 千歳からの飛行機は、全員が乗れず、二つのグループに分かれて別々のに乗せられ、自分達先発隊は、中部国際空港で2時間以上、後から着くグループを待ったのだけれど、それについて何の説明もなされなかったと憤慨していました。

 実は、私が去年の春にイタリアに行った時も、J○B主催のツアーでした。
 その時の添乗員は中年の男性でしたが、彼は私達には何もガイドをせず、行く先々で若い女性の現地ガイドにべったりで、私達、客に関係なく、一番前を歩きながら二人の世界に入ってしまう人でした。 

 おまけに、7泊8日の旅行中、野菜料理は3日間全く出されず、参加者はみんなビタミン不足でイライラが募りました。私が思い切って添乗員にその事を言うと、その晩、申し訳程度のサラダの小皿が出て来ました。
 外国旅行の食事計画は、旅行社が立てるのでしょうか。まさかその時の添乗員ではないと思うのですが、本当に驚きました。
 
 また、「ベニスは特に治安が悪いので、バックは胸の位置に抱え込むようにして下さい」と私達に言っておきながら、自分は、大きな汚い「ずだ袋」を、口を閉めずにしょっていたのには呆れました。

 その旅行以来、私は、J○B主催のツアーには行かない事にしました。少し前までなら、日本で一番安心できる旅行会社として信頼されていたようですが、最近のJ○Bはどうなっているのでしょうね。

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大白鳥とがんの群れに出逢う

2007年03月28日 | 日記
 

 

   

 昨日、葬儀が済んだ伯母の見舞いに出掛けました。
 9時に家を出て20分程、北東方向に車を走らせた所で、左側の田圃に白い物が沢山見えたのです。初めは残雪かと思いましたが、よく見ると北へ帰る途中で羽を休めている大白鳥達でした。落ち穂をついばんでいるのでしょう。
 私は慌てて車を左側に止め、カメラを持って道路脇の側溝を飛び越え、田圃のあぜ道へ少し入って、数枚夢中で撮りました。鳥は近づくとばっと飛び立ちます。ざっと見た所、200羽以上はいたと思います。(写真上3枚)
 大白鳥の向こう側の黒い鳥は、首が短いがんだと思います。仲良く餌を食べている様です。(写真下)

 片側一車線の道路で駐車すると交通の邪魔になるため、急いで車を出しました。走っていると、そのうち遙か上空を、北から70~80羽の黒い鳥が、二重のV字型を作って飛んできたのです。多分、南へ渡るがんの群れでしょう。前の方角から、次々と湧き出すように数十羽ずつの群れがやって来ました。
 大白鳥の方は2~12羽のグループで、がんよりは低い高度を優雅に飛んで行きます。
 その美しい野鳥の様子と、鳥たちが厳しい何万キロに渡る旅を毎年、繰り返しながら、命をつないで行っている事に感動し、運転しながら見とれました。(狭い道路なので、よそ見しながら大型トラックとすれ違う時、少しハラハラしましたよ。)

 暖冬のため今年は2週間程、渡りが早くなったというニュースがありました。北国にも確実に春の季節が訪れようとしている事を、再確認させられました。
 
 伯母は思いの外元気で、すっきりした顔をしていました。多分、家で悔いのない看病をやり終えたせいでしょう。祭壇の遺影に「葬儀の疲れを持って行って下さい」と何度もお願いしたら、本当に楽になったと話していました。
 

 
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鳥たちの近況

2007年03月25日 | 日記
   
天気が良いと朝6時頃から鳥たちがバードテーブルにやって来ます。鳴き声がうるさく聞こえるので見ると、右上の写真の様に、数羽の鳥が電線や隣家の山桜の木に止まって、バードテーブルを見ています。一羽がテーブルから飛び立つと、直ぐに次の鳥がやってきます。どうやら食事の順番待ちをしているらしいのです。

 たまには2~4羽が一緒に食事をしている事もあります。(左下) そこへ別の鳥が来て、追いかけっこのようになる事もあります。

 左上の写真は、この前の鳥でしょうか。今日も長い時間ずっと羽を休めながら、餌のパイナップルをついばんでいる様子でした。
鳥を見ていて思うのですが、餌を食べながら、常に頭をくるくる回して、周囲への警戒を怠ることがないですね。敵を発見すると素早く飛び立つ。飛べるって素敵な能力だと思います。 

 右下の鳥は、少し体が大きめで、透眼線が黒く、目の上下に白いはっきりとしたアイシャドーをしている鳥なので、多分、雀目のモズだと思います。この鳥は結構、性格が荒く、蛙なども捕まえて食べる様などう猛さがある様ですね。

 ここ北国も、ようやく雪が溶け始めました。季節の移ろいと共に、次はどんな鳥が我が家にやってくるか楽しみです。
 

    
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伯父の葬儀の帰路、数羽の大白鳥に出逢う

2007年03月23日 | 高齢期の生活全般


 昨日朝、とうとう母の直ぐ上の兄に当たる伯父が逝去しました。
 葬儀一切を終え、先程帰宅しましたが、途中で大白鳥7~8羽が北へ帰るためでしょう、低く悠然と車の前を羽ばたきながらかたまって横切る姿に出逢いました。感動的で印象に残る一瞬のできごとでした。
 
 自宅が大好きだった伯父は、家族に見守られて静かに息を引き取ったそうです。満93歳の老衰死でした。
 10日程前、一時意識を回復した伯父は、家族に「長い間世話になった、有り難う」と言ったそうです。続いて珍しく色々な話しをしたそうですが、伯母に聞くと、耳が遠いので何を言っているか分からなかったと言います。老々介護の笑えない一コマです。

 大正3年に農家の長男として生まれた伯父は、当時の尋常小学校卒業後、親を手伝い、やがて結婚して農業を継ぎ、六十数年間、大地と格闘しながら生きて来ました。
 若い頃には二度、戦争にも徴用され、理不尽な上下関係が厳しい軍隊生活には嫌気がさしたと私に話した事があります。
 普段は、時々酒を嗜む以外には、これという趣味のない人でした。労働に明け暮れ、実直に生きた人生は、まさに日本の農民の姿だったと思います。

 ところで、最近は自宅で看病されて亡くなる人がとても少ないと聞きます。伯父の場合も、寝たきりになってからの家族の介護は、想像を上回る大変さだった様ですが、私は、毎日、訪問看護、訪問診療を受けながらのこんな最後もいいかなぁと思いました。

 国も施設介護や、入院して最後を迎える高齢者をもっと減らしたいようですが、家庭で家族が最後を看取るには、ヨーロッパの福祉先進国の様に、毎日数回、入れ替わりで来て家族を手助けするホームヘルパーさんが必要だとつくづく思います。介護保険法で、早く、そのようなホームヘルパーの利用の仕方ができるようになって欲しいと願うのは、贅沢な事でしょうか。

 頂いてきた菊や蘭を、伯父より35年早く逝った私の母の仏壇に報告しながら供えました。 
 当面、残された要支援2の伯母が、一人暮らしの生活をどれだけ続けられるのかが、差し迫った問題です。

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輸入農産物の危険性について

2007年03月20日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 最近、スーパーへ行くと、外国産の農産物が多いですよね。今日、私が行った店は、全国チェーンの大手スーパーですが、沢山ありましたよ。
 農産物の名前を10書きますから、何処の国の物だったか当てて下さい。
 ①カボチャ②オクラ③長ネギ④竹の子⑤バナナ⑥アボガド⑦レモン⑧キウイフルーツ⑨グレープフルーツ⑩レッドグローブ(葡萄)…
 7つ以上分かった方は、普段関心を持って買い物をしておられる方だと思います。
 
 輸入農産物の一番の危険性は、収穫後に散布される農薬、ポスト・ハーベスト・アプリケーションだと思います。
 ポストハーベストは日本では貯蔵倉庫の薫蒸以外は禁止されていますが、輸入農産物は遠い国から船などで時間を掛けて輸入されるのため、輸送中の腐敗やかびの増殖を防止するために認められているのです。
 問題は残留農薬が人体に与える毒性ですが、これまでの研究で慢性・急性毒性、発癌性、胎児の催奇形性、アレルギーなどが上げられています。

 例えばレモン、今日も広島産とアメリカ産と二種類、並んで売られていました。
 広島産は、アメリカ産より形がかなり小さく、色も悪い。けれど、一個当たりの価格はほぼ同じでした。消費者の多くはどちらを買うのかなと思いました。
 私の場合、国産レモンが手に入らなくて仕方なく輸入レモンを買った場合は、OPP、ジフェニール、TBZなどの発癌性の防かび剤がまぶされているので、流水で良く洗って皮を剥き、中身と絞り汁だけ使います。間違っても輪切りにして熱い紅茶に入れたり、皮ごと利用はしません。
 調べたら、アメリカではレモンやグレープフルーツには13種類、オレンジには16種類の収穫後の農薬使用を認めているそうですが、日本では防かび剤以外は表示しなくても良いことになっているのです。

 バナナも防かび剤が使用されていると思うけれど、ほとんど表示されていないですよね。私は、まず流水で良く洗ってから、皮を剥くようにしています。

 ですが、店頭で見かけるのはほとんどが国産苺。でも、日本で採れない8~10月にも苺を使ったケーキを見ますよね。あれが輸入苺の様です。傷みやすい苺に、収穫するまで発癌性のあるキャブタンを毎週1回散布し、収穫後は薫蒸すると、傷みにくい苺になるそうです。

 近年、アメリカから輸入されるようになった冷凍フライドポテト。これも私は買いません。除草剤や殺菌剤が大量に使われていると言われているからです。でもファーストフードとして調理され、ファーストフード店やお総菜になって大量に消費されていると思います。

 とは言っても、我が国の食料自給率は年々低下し、自給率では40%と世界の最貧国になってしまいましたし、円高によって外国から比較的安い農作物が入ってくる訳です。
 また、私達自身が地域や国内の旬に無関係な食生活をするようになってしまったから、全く買わないということは難しくなって来ています。
 さらに、外食産業や調理済みの食品の中に紛れ込めば分かりません。一体、どうしたら良いのか、本当に考えてしまうのです。

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私がしている電気代節約生活

2007年03月18日 | 暮らしと経済・経済生活
 日曜日だけど特に予定はないし、この間から取り替えようと思っていた電球を買いにホームセンターに出掛けました。
 今朝も2時間程吹雪いたのですが、すでに店内には園芸用の様々な球根が入荷していて、眺めるだけでも春の雰囲気に浸れて、楽しかったです。

 実は私の家の電気料金は、深夜の8時間は深夜電力契約で安いけれど、それ以外の16時間は一般家庭の電気料金より結構高いのです。電気会社も考えていますよね。暖房も電気なので、特に冬場は毎月、大変な電気料金がかかります。

 それで、今の家に入居してから、どういう暮らし方をすれば電気を効率良く使えるか、工夫、実験しています。
 
 まず、夜23時~朝7時迄になっていた深夜電力の契約を、限度一杯の深夜0時~朝8時までに変えてもらいました。そして、掃除、洗濯、炊飯、アイロン掛けなど、電気を使う家事は、なるべく朝8時迄に済ませる事にしました。私は、大抵6時には起きるので、今までの所は無理なく計画的にやれています。
 
 次に考えたのは、電気が明るすぎる場所の電球を取り替えることです。一坪の風呂に60Wが2個付いていて、少し明るすぎると感じていたので、今日、40Wのを2個買って来て取り替えたのです。これで前より落ち着いて入浴できそうです。

 また、パソコンなどの電源は、スイッチ付きのテーブルタップにつないでいます。待機電力を少なくするため、こまめに不要な電気を切れるので効果的だと思っています。
 誰でもしていると思いますが、洗濯機、TVは元から切っています。最近はダラダラとTVをつけておくことも少なくなったので、自分のためにも良い事だと思っています。
 電気代がどれくらい違うのか分かりませんが、一日に2~3回しか使わない電子レンジも、この家に来てからは使用しない時は電源を切っています。

 今の所はこれ位ですが、毎月の請求書を見ながら、反省しつつ、合理的な実験生活を目指している所です。
 どなたか他に工夫している事があれば教えて下さいませんか。

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母の形見の人形に思う

2007年03月16日 | 日記
    

 先日、伯父を見舞った時に、家の片づけを手伝いました。その時伯母から、昔、私の母が作ったという日本人形を貰いました。ガラスケースに入っていたので、ほとんど汚れていません。母が亡くなってから既に35年、とても感慨深い想いで我が家に持ってきました。
 
 母は、私にとって反面教師でした。
 結婚して幸せだった生活も長くは続かず、当時、流行っていた結核で父(享年38歳)を亡くし、母は35歳で未亡人となったからです。当時は今のように女性が働く場所は多くなかったので、私と妹の二人を育てるために母は苦労しました。

 そんな母の苦労を見て、私は高校生の頃から、将来は経済的に自立する女性になり、老後の母の面倒を見ようと強く思うようになったのです。
 その私の希望は実現したのですが、母は私と同居後、僅か2年4ヶ月で、54歳という若さで病死してしまいました。

 一昨年でしたか、血液凝固剤フィブリノーゲンで多くの患者が命を落としたというかっての医療問題が、当時の厚生労働省の発表として新聞に載りました。
実は母も、亡くなる2年4ヶ月前に、新聞にあった病院で腹部の手術を受けていました。手術後2年目に肝炎を発症して入院し、やがて慢性肝炎から肝硬変になり、命を落としたのです。

 私は、新聞にあった国の対策室に問い合わせましたが、母が手術を受けた当時のカルテは既に廃棄されていて、最早、事実を突き止める事ができないという回答が来ました。母は知らずに死に追いやられたのだと、私は悔しく思っています。

 ただ、私にはずっと、いつも生活に追われていた母のイメージが強かったのです。大学時代以降、家を離れていた私が知らなかった趣味を楽しむ母の姿を想像して、少し慰められました。
 この人形が我が家に来て、私の心にある母への思いが、また少し強くなったようです。

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多様な効能を持つポリフェノールの多い食品

2007年03月14日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 バナナが空気中に放置されると黒くなるのは、含まれるポリフェノールが酸化するからですが、ポリフェノールは身体の抵抗力を高める成分として知られる様になりました。
 詳しくは、抗酸化作用の他、高血圧や動脈硬化症、心臓病、脳血管障害を予防したり、抗菌作用、抗腫瘍作用や糖尿病の予防作用も持っていると言われています。
 
 一般的に多く含む食品は、ココア(チョコレート)、薩摩芋、山芋、ゴボウ、葡萄(赤ワイン)、緑茶などです。 

 私は最近、ゴボウの灰汁の正体がポリフェノールだと知り、以前のように何度も水を換えて晒すという事を止めました。そんなゴボウを入れた料理を作ると、前よりはずっと味と香りが引き立つ美味しい料理になるのです。
チョコレートも砂糖の少ないブラックチョコレートを、少しだけ食べます。勿論、ワインは赤ワインにしています。
 でも、緑茶に含まれるポリフェノールを必要量採るには、毎日7~8杯ものお茶を飲む必要があるようで、これはやっていません。
 いずれにしても、色々な食品にポリフェノールが含まれるのは嬉しい事ですね。

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ステンドグラス作りの体験をしました

2007年03月14日 | 日記
 今日は市の広報誌で知った「ステンドグラス作りの体験講習」に出掛けました。
 講習は、いつもの受講生が作業している教室の片隅で行われました。
 今日の体験講習は、私を含めた3人が受けましたが、それぞれ希望の作品が違い、私は窓飾り(ウインド ペンダント)の百合の花、お隣さんは窓飾りの薔薇の花、もう一人は差し込み式フットライトでした。

 まず、指導する主催者より、デザイン通りにカットされた色ガラス一式を渡されました。
 その一片ずつに銅のコパテープを巻いて行きます。終わったら両面を木べらでこすって、テープをガラスに密着させます。
 次に半田ごてでコパテープの上をなぞりながら、ガラス同士を銅で半田付けし、表側の半田を盛り上げました。その後、水洗いしてから、ブラックパティーナで黒くしました。最後に裏側に鎖を半田付けして完成しました。

  

 今までステンドグラスは、外国の協会や知人の開いた展示会で見た事はありましたが、作り方は全く知りませんでした。
今回、初めて習ってみて、その基本の作業を知りました。
 (協会にあるような大型のステンドグラスになると、重くなるため、このやり方では駄目だそうです。私が想像していた様に、金属製の枠を作り、それにガラスをはめ込むのだとか)
 講師の説明によると、一番大変な作業は、デザインを決めて型紙を起こし、何十枚、何百枚もの型紙通りのガラスを切り取る事だそうです。今日の体験組にはこの作業がなかったので、僅か1時間半で作ることができたのです。 

 久し振りに集中して作業をしたので、私は少々疲れましたが、作品は百合の花柄の春らしい作品に仕上がり、満足しました。

 入り口近くのテーブルでは6人の教室の方が作業中で、それぞれフロアスタンドやウォールライト等、高度な作品を作っていました。10年以上続けている人の作品は、デザインが見事で、型紙も実に細かく、さすがだと思いました。
 一番気になる費用について聞きましたら、ある人は、これまでに数十万円かかったと答えてくれました。贅沢ですが豪華な趣味と言える様です。それに、ウイークディの昼間にやっている方達なので、経済的に裕福な専業主婦達なのかも知れないなと勝手に想像しました。
 「作品を売却すれば材料費を取り戻す事ができるのでは?」と聞きましたら、「時間と熱意を掛けて作ったら、人には渡せないですよ」とみんなで答えてくれました。多分そうなのだろうと思いました。
 ステンドグラス作りは、こつこつと根気強く取り組む仕事なので、根気がない私には無理かも知れないなと思いながら帰りました。

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南瓜入りお汁粉の効能について

2007年03月07日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 私は戦前生まれのせいか、餅類が好きなのです。空腹時に食品スーパーを覗くと、つい餡餅類を買ってしまいます。いつ食べても美味しいと思います。
 今朝は、南瓜入りのお汁粉を作って食べました。
 今の時期なので、南瓜はメキシコからの輸入物ですが、結構、ホクホクしていて美味しいのです。

 南瓜には血圧を下げるカリウム、皮膚や粘膜の抵抗力を強めるカロテン、ストレスに対する抵抗力を高めるビタミンCが多く含まれています。南瓜のビタミンCは茹でてもほとんど損失しません。芋と同じで、澱粉に包まれているからだと思います。(ビタミンC含有量は、西洋南瓜の方が日本南瓜の3倍近くあります。また、戦後の代用食として、芋や南瓜を沢山食べさせられた時は、手の平や顔が黄色くなった子どもが沢山いたのを思い出します。)

 小豆は豆から煮るのは面倒なので、私は最近、水煮して砂糖味をつけてある缶詰を愛用しています。(昔の様なストーブが無くなってからは、煮豆のように、長時間、弱火で煮る料理ができ難くなりましたね。)
 小豆には、大豆の半分ほどですが、ビタミンB1、B2が含まれ、炭水化物の代謝を促し、神経系統の安定に役立つと言われます。煮た小豆には繊維も多いですから、繊維不足の現代では腸の調子を整えてくれる効果も期待できます。

 餅と蔗糖と小豆の主成分は、体温保持、及び、活動のエネルギー源となる糖質です。(低カロリー食のために私は、砂糖をほとんど加えないこと、餅を食べ過ぎない様に注意しています。)
 ですから日本では、一年で一番昼の時間が短い冬至の日に、厳しい冬に備えて、冬至南瓜を食べる習慣があるのだと思います。
 (但し南瓜は、時期が来ると腐りやすいという欠点がありますが、南瓜を適当な大きさに切って、軽く茹でてから冷凍すると良いです。勿論、こうして作った冷凍南瓜も売っていますが…)
 
 こんなに栄養的にも良く、美味しい食物を、冬至だけに限るのは勿体ない。今頃は、年中スーパーにある伸し餅と小豆の缶詰、南瓜で簡単に作れるのですから、私は、これからも時々、南瓜入りお汁粉を食べて行きたいと思います。
 

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私の愛用する?薬のこと

2007年03月05日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 私が普段服用している薬は、高血圧と中性脂肪、心筋梗塞を抑える薬、3種類です。もう飲み出してから10年以上になります。
 一度、職場で心臓が痛くなって倒れた事があった時には、ニトログリセリンの携帯を指示されました。それ以来何年かは、山歩きをする時にも、必ずニトログリセリンを携帯して行っていましたが、今は持って行きません。

 3年前、値段の安いジェネリックに変えて貰っていましたが、去年引っ越してから通うようになった今の病院では、ジェネリックを一切認めていなかったのです。それで医院長が読んでくれるという投書を書きました。
 「今まで他の病院で出して貰ったジェネリックで、私は何の問題も無かったのに、ここへ来たら認められず、薬代が凄く高くなりました。私は年金生活で収入は決まっていますから、このまま高い薬を死ぬまで飲むとすれば、生活に影響があります。また、ジェネリックは、国の医療保険の赤字を少しでも改善する事ができるのに、何故、この病院はジェネリックを認めないのですか、その訳を説明して下さい。善処を期待します。」というような事を書きました。
 次に病院に行ったら、20種類ほどの薬のジェネリックを認めたという掲示がありました。私が飲んでいるのでは、3つの内1つが該当したので、早速変えて貰いました。今は、他の2つも早く認めて欲しいと思っています。

 先日、2ヶ月振りで病院に行ったら、貼りだした紙が一枚増えていました。
 見ると、更に10数種類のジェネリック薬を認めたとして、「希望する人は医師に相談して下さい」と書いてありました。 隣の席の人が一生懸命それを見ているので、説明して上げました。するとその人は、薬手帳を出して調べました。2種類の薬が該当していました。私は先に帰って来ましたが、多分、その人は、医師に相談したと思います。


  

 一年前から愛用?するようになったのは頻尿の薬です。
 医者に言わせると、私の場合は神経的な頻尿の様で、一番困るのは、旅行で観光地に行った時、女性のトイレは列をなしているという時です。
 今まで私は、ずっと、買い物に行っても、旅に出ても、必ずトイレの場所を確認しておかなければ安心できなかったのですが、一年半ほど前、90歳の伯父がトイレに間に合わず、粗相をしてしまう様になり、それに対して薬が処方されたのを知ったのです。ひょっとして私にも、適当な薬が有るかも知れない、そう思って泌尿器科を訪ねたら、あったのです。

 それ以来、普段は飲んでいませんが、旅行には携帯しています。気持ちの持ち方かも知れませんが、自分では効いていると思っています。因みに私の場合は、朝1錠だけ飲みます。

 (一緒に外国に旅行した友達が、私よりひどい切迫性の頻尿でした。薬の事を話したら、血圧の薬を飲んでいるので他のは飲みたくないと言われました。仕方なく、総合ビタミン剤だと偽って一つ渡して彼女の様子を見ていたら、すごく調子が良いのです。結局友達は、その旅行中、トイレで切なくなる事は一度も無かったのですが、今でもビタミン剤を飲んだと思っています。)


 ついでなので、もう少し書きます。それは脱毛の薬です。
 どうした訳か、昨年の秋から、結構、毎日、頭髪が沢山抜けるのに気がついたのです。理由も分からず、放置していたのですが、二ヶ月前に、別な事で皮膚科を受診した時、医者に聞いて見ました。すると、脱毛の薬があったのですよ。

 早速、朝夕、振りかけてマッサージしていた所、2週間でほとんど脱毛しなくなりました。
 これは凄いと感動し、次に行った時、「良く効きました。」と言ったら、医者は「薬のせいではなく、丁度、脱毛が治まる時期だったのかも知れないですよ。」なんて言うのです。でも、また、薬を出して貰いました。
 所が、油断して塗るのを止めたら髪が抜けてくるのです。付けると止まる。本質的な治療にはなっていない様なのです。それで今は、どうしたら良いのか悩んでいます。(悩むのも頭髪には良くないみたいですが…)

 先日、皮膚科に行った時、「顔の染みも何とかなりませんか」と言って見ました。すると「年相応だと思いますよ」と言われてしまったのです。
 ここでひるんではいけないと思って、「山登り、パークゴルフに、庭仕事、極めつけはハワイ旅行と続けたので、今年は特にひどくなりました。」と言ったのです。そうしたら「ビタミンC入り化粧水の見本があるので、使ってみて下さい」と、小さな容器の薬をくれました。
 わくわくしながら3~4日付けたら、顔が痒くなって来たのです。考えたら、シミは自分自身には辛くない。見た人が、「ひどい顔だ」と思うだけです。痒いのは自分が辛い。もう、つけていません。
 悔しいけれど、やっぱり年相応だと思った方が良いのかも知れませんね。

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《11》 忘れられないトイレ事情

2007年03月02日 | 海外旅行 色々
 この30年近い旅行体験で、未だに忘れられないトイレ事情と子どもの頃の切ない思い出を書いてみます。

 まず、当時はトイレットペーパーが設置されているトイレはとても少なかったです。当時日本では、第一次オイルショックが納まり、すでにどこの家庭でも、真っ白くて柔らかいトイレットペーパーを使っていましたが、そんな日本がその頃はまだ特殊な国で、外国で見たトイレットペーパーは、どれも薄くて硬く、幅も狭く、茶色をした再生紙が多かったです。パリのエアーフランス本社に設置されていたトイレットペーパーも、まるでハトロン紙の様でした。

 ソ連ではもっと厚くて硬い、丁度、今のハンドペーパーの様な感触の茶色い紙が使われていました。
 モスクワ郊外の「黄金の環」地域に観光に行った時のレストランのトイレは、隣との仕切は辛うじてあるけれど、入り口にはドアに変わるカーテンの様な物も何もないので正に丸見えでした。本当に驚きました。

 中国の西安から70km離れた興平市にある楊貴妃の墓に行った時、その傍にあったトイレにも仰天しました。穴を掘って作ったトイレなのですが、ここでは隣との仕切は申し訳程度の物で、高さは50~60cmしかなく、女性がしゃがんでも隣同士顔を見ながら会話ができるというトイレでした。
 ガイドブックには、「中国人にとっては、排泄行為というのは全ての人間の必然的な行為だから、恥ずかしいなどという考え方はしないのだ」と、書いてありました。でも、文化の違う私達は、恥ずかしくて使うのをためらわずにはいられませんでした。

 インドやトルコのホテル、レストランのトイレは、ほとんど立派な水洗式でしたが、決まって内部の後ろか横に低い水道があり、傍に小さな水入れが置いてありました。使った後は水を汲んで流すという昔ながらの使い方が、今も受け継がれているようでした。

 オランダに行った時、レストランのトイレを使ったツアー仲間の男性は、トイレの座面が高すぎて座り難いし、男性の小用トイレには届かないので困ったと言っていました。私は見なかったので確かめませんでしたが、確かに女性用も結構な高さがありました。それはオランダ人が世界一の身長の人達で、当時の平均身長も、女性で165cm、男性で175cmあったという所から来ているのでしょう。
 私は特に洗面台が高すぎて困りました。顔を洗おうとすると水が腕を伝って下がって来てしまうのです。
 (酪農家で会った小学校低学年の女児は、二人とも私より大きかったです。町を歩いていると、日本人はまるでこどもの様に見えました)

 

  このトイレは、ローマのテルミノ駅傍の私達が泊まった古いホテルの物です。しっかりした陶器製で作られていました。
 四角っぽい形も良いですが、私が一番気に入ったのは、トイレットペーパーと洗浄ブラシがコンパクトなセットになっていて、持ち運びや移動ができる事でした。日本でもこの様なデザインの物があると良いと思いました。

 水洗トイレの水の流し方も色々ありますね。足下のボタンを踏むもの、背中側の壁にボタンがある物、上からぶら下がっている紐を引っ張るものなどです。トイレに入ったらいつも、そこはどのような仕掛けになっているトイレなのか、興味が湧きます。

 (水洗トイレの紀元は、日本でも外国でも、その昔、小さな小川に板を渡して用を足した「川屋」の様です。やがてそこに囲い を作ったり、家の中に水を引き込んでトイレにしたりと発達したのですね。アテネやトルコの紀元前の遺跡にも見られますから。
 また、中国などでは、家畜小屋の隣に厠を作り、排泄物は家畜小屋に流れていく仕掛けにしてあったらしいです。ブリューゲルの絵にも、魚を人間の排泄物の餌で飼う池が描かれています。そうやって育てた家畜や魚を家族は食べたのでしょうか。それとも、それを知らない遠くの村に売りに行ったのかも知れませんね。

 思い出すと、私が子どもの頃は、日本の農家にも畑に排泄物を溜めておく大きな穴がありました。
 今になれば笑い話ですが、実は私が子どもの頃、その中に一度落ちた事があり、見つけた叔父が潅漑溝に連れて行って洗ってくれました。化学肥料が使われ出してからは人糞は使われなくなったのですが、別の問題が起きて来ましたね。

 明治時代に絵柄が付けられたトイレがあったという記事を読みました。きん隠しの外側に立派な花の絵が描いてあるのですが、使用した人はどうやって全体を鑑賞したのかなと不思議に思いました。)




 今し方、上の記事を読んだある人から、アドバイスのメールが来ましたので、早速、下に掲載させていただきます。有り難うございました。

  『ところで、トイレの話ですが、インドやトルコでトイレ内に水道やコップが置いてあるのは、水を汲んで流すためではなく、おし尻を洗うためです。だから、水洗トイレでも別に水道が付いています。
 彼らは紙は使いません。便をした後は、水で洗います。紙を使うのは野蛮な外国人で、水で洗う方がきれいだと信じています。 インドの場合、その時に使うのは左手で、左手は不浄の手。そして、食事に使うのは右手。スプーンやフォークを使うのは、野蛮な外国人で、手で食べるのが正式です。手でも味わって食べると、なお美味しいそうです。
 日本のきんかくしが無い形のトイレ(インデァン式)だと、便器に向かう時、日本と逆方向(穴のある方にお尻を向ける)になるのも興味深いですね。』

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