花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

中国「武陵源」の旅(2)

2012年05月31日 | 海外旅行「中国Ⅲ」西安、シルクロード、七彩山・武陵源
先ず今回の旅を一言でいうなら、「大満足した」旅だったといえる。
何故かというと、中3日間の観光は、毎日、自分自身の足と目で大自然を満喫したからなのだ。
足腰が痛くなり、持参した湿布を貼りながら皆に着いていった旅だったが、登山と同じで達成感や充足感が大きかったからだろうと思う。
去年の「黄山」も感動したが、「武陵源」も自分がこの地球に生きている人間の一人であることを本当に嬉しく思った場所だった。
また私は映画「アバター」を見ていないが、実は「アバター」の撮影に使われた場所でもあったのだ。
中国の奥地とは言え隣国なので、5日間という日程も良かったし、日本との時差がほとんどない国なので、足腰の筋肉痛が取れれば体調は元通りなのだ。

《観光初日ー張家界から武陵源の①『索渓峪(さくけいよく)自然保護区』の絶景観光》
ホテルは3泊共、武陵源観光の拠点の町、湖南省「張家界」だった。下にK旅行社のガイドブックから武陵源の地図を転載する。

 

朝、8時半にホテルをバスで出ると30分程で世界自然遺産、武陵源の入り口の1つ『索渓峪』に着いた。
緩い傾斜路を上った先の急な石段を20分程登ると、『索渓峪』の中にある『宝峰湖』を遊覧する船の発着場所に着いた。
(2人の男性がかごに客を乗せて登るかごかき屋さんがいて、太りぎみの女性や高齢の男性が乗っていた。現地ガイドは、前交渉の値段の他に目的地に着いてから高額なチップを要求されるトラブルが多いと教えてくれた)
金曜日だったので、大勢の韓国人と中国人のツアーグループが来ていて発着場所は大混雑していたが、私たちのグループだけで一つの船に乗り込んでゆったりと山間の『宝峰湖』を往復遊覧した。

面白い事に、この険しい山岳地帯に住むという17の少数民族の内、『索渓峪』近辺で暮らす「土家(ドウチャ)族」の男女が数箇所の小屋の前で待っていて、遊覧船が近づくと歌を唄って迎えてくれるのだ。
昔は彼らには文字がなかったので、全て歌で生活習慣なを伝えたという。また、男女の恋愛も歌を交わすこから始まったという。
山間で遠い距離であっても良く声が届くように、男女とも音程の高い声を響かせて歌を歌うのである。歌はゆったりとした節回しなので聴いていて癒され、中々興味深い歓迎方法だと感心した。

峡谷の湖は深い新緑に包まれ、濃霧も立ち込めていてひっそりと静まり返り、都会の喧騒や現代社会のストレスを忘れさせてくれる場所だった。

  

   

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今朝の庭(2)

2012年05月30日 | ガーデニング・家庭菜園
28日夜、無事に予定通り帰国した。5日間いなかった間は気温が低く風が強かったらしいが、庭の植物は結構生育していた。
出かける前日、薔薇に油虫の予防のために木酢液をかけて行ったのだが、見ると何と油虫がびっしりと付いているではないか。
油虫は成虫の体内にすでに成虫と同じ形をした子どもの虫が沢山居て、その子どもの体内にもまた孫の虫が存在するらしいのだ。放置すると大変なことになるので、取りあえず翌日は早朝から起きて油虫退治をした。手袋をはいた指でつぶすのだ。初めの頃は嫌だったが、最近ではプチッと潰れる微妙な感触が気分いい。その後、農薬のオルトランを根元に散布した。これだけで2時間かかった。
それから雑草取りをした。やっている間に旅の疲れがどっと出て来て、腰も痛くなった。

昨日は午前中は庭仕事、午後からは気分転換にスーパーに出かけて食料品を買ってきた。久しぶりで味噌汁を作り、寿司を食べた。

下は今朝、庭を見回りながら撮ったつつじなどの写真である。これから初夏に向かって我が家の庭も一段と賑やかになりそうだ。

 ①レンゲつつじ                     ②琉球つつじ
  

 ③サラサドウダンつつじ              ④エクスバリューつつじ
  

 ⑤宿根かすみ草                   ⑥二ゲラ
              

           ⑦けまん草(鯛つり草)
           

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中国「武陵源」の旅(1)

2012年05月23日 | 海外旅行「中国Ⅲ」西安、シルクロード、七彩山・武陵源
昨年、ゴールデンウイークに娘とツアーに参加して行った中国の世界遺産「黄山」の景観が想像以上に素晴らしかったので、次はやはり世界遺産の「武陵源」に行きたいと思う様になった。
それで庭仕事や農園の植え付け作業を終えたこの時期を選び、24~28日の5日間、ツアーに1人で参加する事にした。
旅行社は、毎回参加しているK社だ。そのパンフレットから今回の旅の概要と日程を拝借した。

1、旅の概要 
「武陵源」のある張家界が知られるようになったのは、「武陵源」がユネスコの世界遺産になった1992年12月以降の事だというから、まだそれ程多くの人には知られていないのではないだろうか。
古生代以降に繰り返された地殻変動でできた台地が、長い年月風雨にさらされ、侵食されてできた独特の地形が広がっているという。
そんな大変起伏に富んだ地形にエレベーターやロープウエイが建設されていて、「黄山」よりも比較的無理せずに頂上に上がれるという。 
          
           

2、日 程  
成田空港13:50発の中国東方航空で3時間25分かけて上海空港に行き、19:10発の国内線に乗り換えて2時間10分かけて1100km西南西にある湖南省の張家界空港に向かう予定だ。ホテルに着くのは深夜になる。しかし、それだけの苦労をしないと行かれない場所なのだから仕方がない。
南米と違って日本と中国の時差はわずかー1時間なので、体の負担は小さい筈だ。 


今回は「黄山」の時よりも55日遅いので、北国に住み、暑さに慣れていない私には、気温がかなり高いのではと心配だ。
夏服を中心に、しかし高山では気温が低いことも考えられるので、寒さ対策も考えて用意した衣類をカバンに詰め、登山用のステッキを持って行って来る事にする。(先程添乗員より電話があり、最高気温は29℃あると聞き、不安が高まっている)
また詳しくは帰国後に。
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今朝の庭(1)

2012年05月22日 | ガーデニング・家庭菜園
5月も下旬になると、庭に新緑の葉と待ち望んだ花が次々と見られ、朝の見回りが実に楽しい。
しかし今朝は、薔薇の柔らかな新芽に油虫、りんごの花に小さな毛虫を発見した。
小さな虫たちもこの季節を心待ちにしていたであろうが、私は黙って見過ごせない。これから植物を守るために、虫や病気との戦いが始まる。

 ①ラミウム                  ②5寸あやめ            ③翁草
   

 ④ニーレンベルギア(銀盃草)          ⑤どうだんつつじ
  

 ⑥リンゴ・アルプス乙女
  

 
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遅咲きチューリップ

2012年05月21日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝は首都圏で金環日食が見えたそうだが、私の所は朝から雲が厚く、まだ全く太陽は出ていない。しかし8時過ぎに外へ出たら気温が低くなった様に感じた。次の金環日食は18年後で、北海道で最も良い金環日食が見られるとの事。18年後ならと自分の年齢を計算して見た。果たしてどうだろうか?

さて、水仙やチューリップは、雪解けが待ちきれなかったように顔を出し、春一番に蕾を膨らませて開花する春を告げる花だが、花が駄目になるのもまた早い。
ところが水仙もチューリップも遅咲きの品種があるので、普通種と晩生種の両方を植えておくと長い間楽しめるという訳だ。

水仙では前に掲載した「口紅水仙」がこのタイプだが、チューリップでは「変化咲き」の品種などに晩生が多いと思われる。
残念なことに球根を植えっぱなしにして置くと、翌年にはいつの間にか花数が減ってしまう品種が多いのも晩生種の特徴かも知れない。
(本では、チューリップはウイルス病に弱いので、毎年秋に新しい球根を求めるべきだと書いてあるが、私は1度買った球根は数年間咲かせたいと思うタイプだ)

写真は、春一番に咲く普通種は終わったのに、庭で今を盛りに咲いていて、私の経験上、晩生種だと思うチューリップである。

ア、ユリ咲き
   

イ、薔薇咲き                             ウ、フリンジ咲き
    

エ、その他 (この品種は花が小さく、咲き始めてから少しずつ白色部分が黄色に変わる面白いタイプである)
      
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やっと庭に春が(5)

2012年05月19日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝6時前の気温は10℃、最高気温は15℃の予報。大分暖かくなった。
今日は庭に咲いている白い色の花を集めてみた。
色々な色彩の花が咲き出すと庭の統一性が弱まるが、白色の花が仲立ちをしてくれて何とか調和できる様に思う。
また白色の花は、遠くから見てもまるで浮き立つように一番太陽の下で輝いて見える。
それで昨年からは、チューリップや水仙に始まって白色に咲く花を少し増やして見たのだ。その花々である。

 ①クリスマスローズ                ②ラグラス(先日植えた新顔)
  

 ③八重咲きチューリップ        ④遅咲きチューリップ(百合咲き・マリリン)   ⑤プリムラ
   

 ⑥赤色口紅水仙            ⑦白色水仙
  
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札幌の梅林

2012年05月17日 | 日記
今日は好天になったので、午後から近所の高齢ご夫婦を誘い、車で札幌の平岡公園梅林に出かけた。
平日なので人出は少ないのではと予想していたが、何と駐車場はぎっしり。よく見ると「〇〇高齢者施設」とか「〇〇社会福祉施設」「〇〇学園」と書いてあるマイクロバスが何台も停まっているのだ。
私の車は丘陵地にある公園からかなり下った所に作られた臨時駐車場に停め、そこから傾斜のある遊歩道を10分程登って、梅林に着いた。
大勢の人で賑わっていたが、やはり車椅子の人と介助の人、高齢者のグループが多かった。
梅の木は桜の木に比べて低いので、車椅子に乗っていても花を間近に見て楽しむことができるのだろうと思った。
入園料は無料なので、維持管理費は札幌市が予算化しているのだろうが、短期間とはいえ、毎年こんなに多くの市民が憩える公園は価値があると実感した。
ご夫婦もカメラを持参していたので、互いに梅をバックに撮りあい、良い記念になった。
帰りには「自分達ではなかなか行けないのに、誘ってくれたお陰で梅の花が見られた」と感謝された。

   

   

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やっと庭に春が(4)

2012年05月15日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝の気温は9℃と昨日よりも5℃も高いが、曇っていて午後には雨が降り出すそうだ。
野菜の種を蒔き、トマトやピーマン、長ネギなどの苗を植えたので、今日の雨は数日続いた強風ですっかり乾いた大地を潤してくれそうだ。
下の写真は6時に庭に出て撮ったものである。

①長ネギの苗(一昨日植えた) ②やっと発芽したスナップえんどう(種は4月27日に蒔いた) 

   

③芝桜(良い香りを振り撒いている) ④可愛らしい五寸あやめ

           

⑤遅咲き水仙(口紅水仙?) ⑥遅咲きチューリップと満開のムスカリ(ムスカリは毎年困るほど増える) 

  

⑦黒船つつじ(雪の重みで枝が折れ、残念だ)   ⑧金子玄海つつじ

         
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伯母の野菜つくりを手伝う

2012年05月13日 | 高齢期の生活全般
先月末にインフルエンザにかかったというので伯母の所に行くのを遠慮していたが、もうそろそろ全快したのではと、一昨日暫くぶりに行って来た。
朝電話をして必要なものはないか尋ねたら、種芋を買ってきて欲しいと言う。
去年も芋や野菜の植え付けを手伝ったので、化成肥料2種(野菜用と芋用)、米ぬか、私のところにある葉物野菜の余り種を見繕い、長靴やホウなどを積んだ。種芋は途中の町で買い求めて行った。また、蕗の煮しめ、家にあったレタスやとまと、きゅうり、玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモなども持参した。

豪雪だった岩見沢市に入ると、広い雪捨て場にはまだ積み上げられて捨てられた雪が7~8mの高さで残っていた。
伯母の施設(高齢者専用住宅)の向かいの家を見ると、大きな車庫が雪の重みに耐え切れずにつぶれていた。幸い車は入っていない時だったとか。豪雪の怪力を思った。

ところで伯母は、建設後まだ何も植えていなかった施設の庭の一部を4年前から友人と2人で借りて、そこに花や野菜を植えて来た。私も家の庭から球根類や宿根草を何種類も車で運んで庭つくりに協力して来たのだ。

家を出てから1時間後に着いた時、冷たい強風が吹きつける中で、すでに伯母は施設の庭先に出て私を待っていた。
93歳の腰が曲がった伯母が畑を耕すのは無理なので、私がスコップで耕して畝を作り溝をあけて、そこに伯母が肥料を入れて、キタアカリの種芋を1kgと夏大根、春菊、小松菜の種を蒔いた。
この時期を外すと生育に影響が出るので、伯母は今日植え付けができたことをとても喜んでいた。
「来年はもう無理かも知れない。」と伯母が言ったので、「同じような作業なら、来年も手伝うよ。」といって励ました。
夕方、いつものようにお礼の電話が入った。
自分で育てた野菜や芋を、毎日自分で料理して食べようとする気持ちを持ち続ける限り、伯母はこれからも元気でいられるのではと私は思っているのだ。

             
                (今朝は6℃しかなかったが、晴れたので午後は12℃位になってくれるかも知れない)
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ジャムの木二種類

2012年05月12日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝の気温は4℃、最高気温も8℃の予報だ。肌寒い!
狭い庭だが、実をジャムにもできる木を数種類植えてあるが、気がつくといつの間にか「ユスラ梅」と「ハスカップ(和名・クロコスミノ)」の木に花が咲いていた。調べると昨年より1週間早い開花だ。
どちらも小さく、おまけにハスカップの花色は目立たないが可憐だ。
伊豆の花さんに見習って、花をアップした写真を撮って見た。
この後多分7月末に「ユスラ梅」①には赤紫の甘酸っぱい実が、「ハスカップ」②には米粒を大きくしたような形の甘酸っぱい黒色の実がなる筈だ。

 ① 

        ② 

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大花の延齢草(オオバナノエンレイソウ)

2012年05月09日 | 日記
昨日、晴天だったので、札幌から5カ月ぶりに従妹が来宅した。一緒にパークゴルフをするためだ。
パークゴルフ場に行く途中で明るい林の中に白い物が沢山見えた。車を止めて林に近づいて行くと、「大花の延齢草」が群生しているではないか。アスファルト道路の直ぐ傍にこんな場所があるなんて知らなかった。
林に踏み入ると何か静寂で、特別な雰囲気が漂っているように感じて写真に撮った。

   

調べたら、この花は東北、北海道の低地や明るい広葉樹林に自生していて、種類は数種類あるとか。今回出会ったのは花弁が3枚で花の大きさは5cm近くもあった。
「延齢草」という良い名前なので何か良いことがありそうだと思ったが、その後した今年初めてのパークゴルフの成績は散々だった。もっと努力が必要なので、そのための年月を延ばしてくれるということかな。

傍に群生していた白い小さな花は「ニリンソウ」だと思う。花が茎の先に1~3個付くけれど2個のことが多いのでこう呼ばれるようになったらしい。
この花も明るい林の下を好み、地下茎で増えるという。
昨日は良い場所を見つけた。

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やっと庭に春が(3)

2012年05月08日 | ガーデニング・家庭菜園
昨日は曇りで最高気温が14度しかなく寒い一日だったが、今朝は8度と冷えたが、太陽が出て来たので暖かくなりそうだ。
庭も緑が多くなって来たし、チューリップ、芝桜が咲き出した。
今朝の庭の様子である。

  

  

  
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やっと庭に春が(2)

2012年05月06日 | ガーデニング・家庭菜園
2日間程気温が高く雨も降ったので、近所の蝦夷山桜が満開になった。多分明日当たりからは散り始めるだろう。花の命は短いけれど、ちゃんと葉を出し、栄養分を蓄え、実をつけて、また来年の準備をするのだから立派だ。私も季節に応じた植物の前向きな健気さを学びたい。


  

黄色の水仙は満開で、白い水仙も開花した。種類は違っても、それぞれに良いなと思う。隣家との境に列植している水仙は今年かなり花数が増えたが、花はみんな隣家の方を向いていて「見て!見て!」と隣の人に言っているようだ。(東側の場所なので、丁度朝日に向かっているのだが)

  

        

クリスマスローズが、今年は花をたくさん付けた。分厚く重い雪の下でじっと春を待ち望んでいたと思うと可愛らしい。カタクリが黄色い花を付けた。この花もうつむいていて、咲いたことを恥らっているみたいだ。

    

ムスカリが日々生育している。この花の旺盛な繁殖力に比べ、近年の人間は負けるしかない。近所ではシラネアオイも満開だった。

    

このように庭に彩が戻って来て、毎朝庭に出て見るのが本当に楽しい。 
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やっと庭に春が(1)

2012年05月04日 | ガーデニング・家庭菜園
雪融けと共に長かった冬が去り、私の庭にも待ちに待った春が来た!
昨日夕方から雨が降り続いているが、その前にと一昨日までに小蕪、春菊、水菜、ホーレンソウ、小松菜、二十日大根の種をほんの少しずつ蒔き、消毒をした薔薇に支えを少し立てた。今日も一日雨らしい。

庭に真っ先に咲いたのはクロッカスだったが、その花が散るのと引き換えに黄色や白の水仙が咲きだした。
水仙は春を告げる花だし、花持ちが良いので何種類か植えてある。真っ白のは、少し遅れて咲きだす。

  

どこからか良いにおいが漂って来るなと思ったら、ヒヤシンスが徐々に開花して来ていた。庭中漂う香りが好きで、今では庭のあちこちに数本づつ植えてあるのだ。そして1本の花を構成する小さな花数が毎日徐々に増えていくのを見るのも楽しい。

       

足元の仕切りブロックのヘリに列植してあるプリムラが、白と赤紫の花をいっぱい付けている。

       

庭木では蝦夷紫つつじが真っ先に開花し、北国の春を告げる。桜はこの木の後だ。
ふと見ると、いつの間にかムスカリが青い花を立ち上げた。
先日、深い雪の下で枯れた枝を切り消毒をしたばかりの薔薇にも、今年の新芽が出て来た。今年はうまく沢山の薔薇を咲かせてくれるだろうか。

   
札幌の桜は2日前に開花したとか。今見たら、近所の蝦夷山桜が開花し始めている。北国はこれからが心踊る本格的な春なのだ。
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南米の世界遺産を巡る(15)

2012年05月03日 | 海外旅行「南アメリカ」ペルー・イグアスの滝(ブラジル側、アルゼンチン側)

≪日本人移民と日本のペルー援助≫
夕食を食べてからリマの飛行場に行き、翌日早朝に発つラン航空でリマ⇒ロスアンゼルス⇒成田、そして私は新千歳と乗り継ぎ、帰宅した。帰路も長い長い時間だった。(スーツケースは昨日修理が終わって送り返された。鍵も新しくなり、すごく良くなっていた)



最後にやはりこれは書いておきたいと思った事がある。それはペルーへの「日本人移民」の事だ。
クスコとリマのガイドが概略を話していたので、帰国後調べて見た。知らなかった事だったのでとてもショックだった。

次の文の多くは細谷広美編集「ペルーを知るための66章」明石書店を参考にしている。

かってペルーでも、アフリカからの黒人奴隷を、海岸地帯(コスタ)の漁業やオアシス農園の労働力不足を補うために使って来ていたが、1854年に「奴隷解放令」が発布されてからは禁止になった。
ペルーはその後の労働力をヨーロッパからの移民に期待したが、彼らは広大な農地があるアメリカやブラジル、アルゼンチンなどに行ってしまったため、1849年「中国人法」を制定した。これにより1874年までに「契約労働者」として10万人にものぼる中国人が来たという
中には人身売買同然でやって来た中国人達も多かったらしい。彼らは「クーリー(苦力)」と呼ばれ、コスタの農園で輸出用の綿花、砂糖の栽培、グアノ(海鳥の糞を集めたもの)採掘、鉄道敷設などで奴隷同様に働いた。しかし中国移民も1874年に中止された

いよいよ1899年(明治32)、「苦力」だった中国人に変わる「日本人契約農民労働者」の導入が始まった
3万3千人の日本人が沖縄、山口、福岡、福井などからペルーに渡ったが、初めは予想とは全く異なり、奴隷かそれ以下の状況で働らかせられたようだ。
しかし中には真面目に働き、リマなどの都市部で日用雑貨品店や理髪店をしたり、行商人などをして成功する人も出、花嫁を日本から呼び寄せる「写真(見合い)結婚」をした男性も沢山いたらしい。
また農村では、日本人同士が集団で助け合って困難を乗り越えようとし、1909年には「日本人学校」が作られた。また1912年には「日本人協会」を設立している。
ところが国際情勢が緊張して来た1941年、40年以上続いた「日本人契約農民労働者」は廃止された。

1941年12月、第二次世界大戦が始まると、ペルーは親米政策を取り、排日的な政策を実行して行った。
日本語新聞社閉鎖、日本人の資産凍結、集会禁止、日本との国交断絶の上、2000人の日本人を米国に強制連行して「日系人強制収容キャンプ」に送ったのだ。(1988年、米国は11万人の日系人強制収容を謝罪し、翌年より(米国以外の日系人収容者には1996年より)補償を始めている)

人口過多だった日本の貧しい農村から、国の宣伝、誘いに乗り、遠いペルーまで行って辛酸をなめた多くの人達の事を考えると、戦前、中国東北部に開拓民として渡った人々に重なり、私は胸が痛くなるのである。

1990年、日系人のフジモリ氏が大統領になると、日本政府のペルー援助は拍車がかかったという。ODA白書などから作成された前掲書の資料から掲載する。
1990年迄の累計では、①日本からの有償資金 538.51億円 ②無償資金 208.25億円 ③技術協力 282.51億円
1991~2000年の合計額では、①4046.9億円 ②533.86億円 ③390.27億円
その後、フジモリ大統領は不正蓄財疑惑を追及されて、一時日本に居たこともあるが、辞職した。

こんなに多額の国の資金が、ODA関連とは言え1つの国に流れた事を、国民の1人として私自身調べるまで知る由も無かったのだ。ペルー人が思うフジモリ氏は、私たち日本人が描いている彼とは随分違うようだ。



今回の旅行を振り返ると、観光ポイント間の移動距離も時間も長過ぎ、遅くにホテルに着き早朝に出発するという毎日だったし、おまけに南米は日本との気候の違いや時差も大きいので、本当に疲れ果てた。
旅行中、油っぽい食事を控えたために私自身の体力が落ちたのだろうか、帰りの飛行機で咳き込む人が傍に居たためもあって、喉がひりひり痛む風邪をひいた。帰国後2週間になるが、時差ボケや体調はまだ完全には回復していない。

  

しかし「イグアスの滝」「マチュピチュ」「クスコ」での観光は感動的で、私の海外旅行体験中、その充実度は3本の指に数えられる旅だった。
また、この大変なコースにもかかわらず、参加者の1/3が60~70歳代の1人参加の女性だった事は正直なところ驚きだった。私自身も行く前は体力的に不安で一杯だったが、何とか行って来られた事で自信が付いた。
それで今までは「無理だろう」と思っていた所にも「そのうち機会があれば、行って見ようかな」と選択範囲が広がり、前向きになれた様に思う。
リマからロスアンゼルスに飛んだ時も窓側席に座る事ができ、下を見ながら「今度は中米に行きたいな」と思った。

やっと完成に漕ぎつけた。結果的に長文となった記事にお付き合い下さった方々と、コメントを下さった方々に感謝します。
私なりに500枚の写真から掲載する写真を選択し、数冊の本も読んで書いた記事だったが、いかがだっただろうか。 (完)

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