花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

住まいの備え

2011年03月26日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
大震災が起るたびに普段からの備えが重要であると警告される。
今までの日本人にとって、最も新しい記憶は、阪神淡路大震災の時の惨事だった。
私も6年前に家を新築することにした時、1番に火災や震災の備えを考えた。

先ず家造りに生かした教訓は、①単純な形、軽い屋根、構造上で地震に強い家にする。②できるだけ各室に2か所の出入り口を付ける。③2階からも外に逃げられる。④寝室の収納は作り付けにして、家具の転倒による事故を防ぐ。電燈は天井に貼り付ける形の物にする。
⑤エネルギー源を1つだけにしない。安全のために炎が出ない電気暖房にしたが、調理台はガスにした。電磁調理器の電磁波が心配されたし、いざという時には引いてあるガスも暖房にできるからだ。

しかし、家を建てる地盤そのものが弱かったら困るので、⑥地盤を調べ、対策をする。
先ず、盛り土をして作った分譲地は避けた。浸水した歴史がないかどうかも自治体に問い合わせて確かめた。また、北海道の地質について書かれている本を読んで、道央圏の地質を調べた。
建築する際は、地質調査をし、必要な杭を必要量打ってもらった。勿論、基礎もしっかりとしてもらった。
(そしてお金はかかったが、外部の検査機関を入れて、建設途中に検査をしてもらった)

こうした事から考えると、今回TVに映される町ぐるみの大変な被害状況を見て、何故、海に面した低地なのに、多くの人が住む町を拡大し続けたのかが不思議なのである。
私の知識では、自治体は5年ごとに土地利用を見直し、市街化区域、市街化調整区域、準工業区域、工業区域などと設定し直しているはずではないのか。
今回、避難場所に指定されていた建物でも、多くの死亡者が出ている事を見る必要があると思う。
今後の町の再建に当たっては、津波の被害の出ないより高地を市街化区域に指定していくことを望みたい。
高い丈夫な防波堤で町全体を取り囲むことは難しいし、今回、防波堤があったがために、引き波が出ていけなかった町もあるらしいからだ。

イタリアは、北部はヨーロッパ大陸に繋がっているが、他は地中海に突き出た国であり、島国の日本列島に似ている。
しかし、一部の港湾都市を除いて、沢山の町や村が海辺から離れた高地に造られている。鉄道の線路もしかりだ。
だから行って見ると狭い斜面に寄り添うようにして家を建てて人々が暮らしている。高台の建物への行き来は不便で大変だし、漁師は毎度、海辺まで下りなければならないが、数千年の歴史で受けた経験を、きっと生かした生活をしているのだろうと思う。去年行ったシチリア島でもそうだった。
勿論、建築資材の多くは石材なので、低地に住んだとしても、津波に襲われた場合は、木造住宅程には破壊されないのだが。
(木の比重は0.38だというから、水が来れば日本の木造住宅は、今回の様に皆、土台から浮き上がってしまうのだ)

今回の東日本大震災による未曾有の大惨事から得た教訓を、被災地は勿論の事、私たちは決して無駄にしてはならないと思っている。


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野菜類等の放射能汚染について

2011年03月24日 | 医療・健康・食生活・衣生活
一昨日、福島県等で基準値を超えて放射能で汚染された野菜が見つかったという報道があった。
しかし政府は、「汚染されたホウレンソウを1日に100g程度1年間食べ続けたとしても、健康上問題は生じないので、冷静に判断するように。」と繰り返し国民に訴えた。
このニュースを聞いて私は、ホウレンソウが汚染されたなら、他の野菜類も汚染されているに違いないし、普通の人は1日250~300gの野菜を食べているので、政府の試算は余りにも低すぎると思っていた。

所が昨日になると「福島県で生産されたほうれんそうや小松菜、キャベツなどは食べてはいけない。これに蕪、原乳を加えて出荷停止にする。同じく茨城産、栃木産、群馬産のホウレンソウやかき菜も出荷停止にする。」という方針に変わった。
そしてこの段階でも政府は、「基準値を超えたホウレンソウを1日100g程度10日間食べ続けたとしても、健康には影響は出ないから安心してください。」と言うのだ。もし一般的な人が摂取量に近い300g程度の葉菜類を毎日食べたら、一体どうなるのかをなぜ言わないのだろうか。

また、「福島産のすべての露地野菜と千葉旭市産の春菊は出荷自粛せよ。」という指針だ。
そして合わせて「基準値を超えていない野菜、すでに流通しているもの、農家による自家消費も飲食禁止」だという。(今朝の新聞では、ビニールハウスの野菜も汚染されていたので、露地栽培と同じ取扱いにしたという)
このニュースの後で、NHKの解説員は、「体内に入れていい放射性物質はありませんから。」と付け加えた。これが正しい言い方だと私は思った。

伯母の部屋でこのニュースを聞いて帰宅してから、冷蔵庫に残っていたホウレンソウを確かめた。群馬産だった。
捨てたレシートをごみ箱から拾って、いつ買ったのかを確かめた。15日だった。すると逆算して群馬を出た日は多分12~14日だろう。
大震災が発生した後の新聞は全部取ってあるので、取り出して調べた。
福島第一原発の1号機が爆発して建屋が破壊したのは12日15時30分だった。また、4号機が火災を起こして炎上したのは15日だったから、もしも最初の1号機の事故による放射能の飛散が原因なら、これは汚染されているかも知れない。
すでに1袋は食べてしまったのだが、これは捨てる決心をした。
                              
普段私は、生ごみは全部、庭のコンポストに入れて堆肥を作っているのだが、少量でもセシウムなどに汚染されていたらその半減期は30年、完全になくなるまで100年近くもかかるらしい。庭の土壌を汚染するような堆肥は作りたくないので、コンポストには入れられない。
私の市では、現在生ごみを埋め立てているが、それに出すことにするしかない。

今朝になって汚染地域の膨大な汚染野菜や汚染原乳の処分の仕方が、急に気になって来た。
焼却処分なら、大気中に放射性物質が拡散するのではないだろうか。埋めても土壌を汚染するし、海に捨てたら海水を汚染する。一体、国はどの様な処分方法をJAや農家、酪農家に指示するのだろうか。
今朝の新聞には、放射物質で汚染された土壌は、入れ替えないと農業ができないとも書いてあった。

そして未だに、放射性物質がどこから漏れているかの特定がされていないというのだ。だから漏えいをストップさせることも、当面、考えられないので、汚染の垂れ流し状態は今後も続き、汚染地域も拡大して行くに違いないのだ。農業や酪農業で生活をしている人たちの心情を考えると実に切ない。
また今後、品薄や価格高騰が起きれば被害は全国に及ぶのだ。

放射性物質を避けるために野菜や乳製品は選んで食べれば良いが、水道水の放射性物質による汚染は深刻だ。
乳児には汚染された水を飲ませないようにという国の指示が出てから、東京都を中心とした地域でミネラルウオーターを買う人たちが殺到し、今日は乳児のいる家庭に自治体が数本のミネラルウオーターを配布することになった。
私の予想では、この先、水源地の放射性物質による汚染はさらに広がって行くに違いないのだ。周辺地域住民の不安は、いつに成ったら解消されるのだろうか。

とうとう11日の津波に端を発した福島第一原発の事故による重大な影響は、こうして際限なく広がり、そのつけは今後、数十年以上も続く事になった。
国民の1人として、毎日のニュースを注目して行きたい。
(この原発の建設時、最大でも高さ7mの津波を想定したと言うが、今回は14mを越えた津波だったという。想定の根拠も今後厳しく問われるべきだろうし、また電源が海側に造られていて、しかもそれが破壊された時の次の電源を考えていなかった事も私には驚きだった。全く人命を軽視していたのだと思う)

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女性の性は悲しい

2011年03月18日 | 医療・健康・食生活・衣生活
今朝のニュースで、大震災の避難所では昨夜から雪が降った所もあり、暖房用の灯油が足りなくて寒さに震えている事、トイレの水が不足して不衛生になっている事、トイレットペーパーや乳幼児のおむつ、高齢者や病人のおむつが不足している事に加えて、女性の生理用品が無くて困っている事が初めて伝えられた。
それでかって読んだ本の記述を思い出した。

確か「悲しみを松花江に流して」というタイトルの本だったと思う。
第二次世界大戦が終わった中国から、すぐに日本に帰れなかった従軍看護婦が、数年間、毛沢東が率いる共産党の病院の看護婦になって働き、その後日本に帰国してから著者に話した話である。
終戦が予想され、中国東北地方のある日本軍の病院を閉鎖するに当たって、集まった職員を前に院長が「今から病院を閉鎖する。君たちの勤務は終わった。院内に残っている好きなものを持って行っても良い。」と言った途端、衛生兵も看護婦も地下の物品庫に飛んで行ったそうである。
衛生兵たちは大半が高価な麻薬を掴んだそうだが、看護婦たちは嵩張る脱脂綿を両手一杯に抱えたというのだ。
私の記憶に残っているこの話は、性成熟期の女性にとって生理用品がどれだけ貴重かを物語っている。
こんな緊急時には、女性であることが本当に悲しく辛い事になりやすいのだと男性たちには分かって欲しいのだ。

同様に乳幼児、高齢者、病人のおむつも緊急性を要する。
それと大勢が共同生活をする上で、最低の衛生状態を保つには、洗顔や手洗い用の水、石鹸、消毒用アルコールなどや洗剤が必要だし、1日も早く、清潔な衣類に着替えたり、体を拭いたりすることができることを祈りたい。
大きな体育館の冷たい床に、すし詰め状態で暮らさざるを得ない人々の辛さとストレスが案じられてならない。
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取り敢えず簡易懐炉を届けられないだろうか

2011年03月16日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
今朝起きてラジオを入れたら、福島第一原発4号機から炎が30分程上がっていたというニュースが飛び込んで来た。昨日と同じ状態らしい。
一体、使用済み核燃料の保管庫に何が起きているのだろうか。放射線量が強く、近づけないという。大変な状況に突入しているのではないだろうか。

昨夜の内に私の所でも新雪が降った。今朝は東北地方では零下の寒さだそうである。暖房が十分でない避難場所で、多くの人が寒さで震えている事だろう。
避難所までの道路が通れないため、灯油、ガソリンが不足しているという。
避難所の高齢者や防寒着が不十分な人達には、取り敢えず簡易カイロを直ぐにでも届けられないかともどかしい。
私は山や旅行に行く時、よく持参して使う事もある。1個あると1日近く温まる事ができる便利グッズだ。

また昨日は、漏れた放射線に被曝しても健康に被害を及ぼす量には程遠いから、心配しない様にという情報が何度もあった。
しかし、瞬時の被曝になる医療用レントゲン検査などと比較するのは、全くのごまかしにつながるのではないかと思う。
それなら何故、屋内退避を命じているのだろうか。
人々は、平常は外出したり、農業や漁業、建設、運搬他の仕事などをするために長時間外にいる人も多いのである。
僅か1時間の被曝量だけを比較して、だから安全だとは言えない筈である。
その証拠に、福島原発で危険な作業に当たっている人は、短時間ずつ交代で作業をするようにしていることからも伺える。

新聞には、旧ソヴィエトのチェルノヴィリ原発と福島原発の比較を表にして載せている。
それを見ると、チェルノヴィリは出力100万KWの原発が1基だけだったが、福島は複数の原子炉があり、6号機1つだけでも110万KWのものだという。
この先もっと事態が深刻になってくれば、チェルノヴィリの被害に次第に近づいて行くのではないかと本当に心配だ。
ドイツやスイスでは、今回の日本の事故を知って原発建設を凍結する方針を出したらしい。

兎に角、情報隠しが見え見えの東電には正確な情報を求めたいし、国には具体的な救助と支援が早く行き届くようにして欲しい。
我が家にはファックスがないので、ここに書くしかできないのが悲しい。


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原子力発電について改めて考える

2011年03月14日 | 医療・健康・食生活・衣生活
何時の間にこんなに多くの原子力発電所が、地震国日本のあちこちにできてしまっていたのだろうか。

今思えば、原子力発電所を日本に建設するかどうかについて賛否両論がぶつかっていた頃、私自身は反対論者だった。
まず安全性に対して絶対という事はないと思っていたし、もし、事故が起きれば大惨事を招くと思ったからだ。
それと発電に使用した使用済み核燃料を安全に処理することが極めて難しく、その処理を遠いフランスに頼らざるを得ないと言われていた。
当然、それには多額の費用がかかり、決して安い電力供給にはつながらないばかりか、もし船で運ぶ途中の洋上で何か突発的な事故が起これば、これも大変な問題を世界中に与えかねないと思ったからだった。
しかし、当時の政府と電力会社は、1部の国民の不安に対して、「日本では、決してチェルノブィリの様な事故を起こさないように、きちんと安全に管理する技術があるから大丈夫だ」として、原子力発電所を作ってしまったのだ。

今回の異常事態の発生は、私だけではなく、多くの国民が予想していたと思う。
実際に今回、異常事態が起きて見て、初めて、人間の技術では原子力発電を簡単には制御できるものではないという事が分かったのである。
政府や東電は、「今回は想定外の地震が起きたから」と言い訳するのだろうが、放射線が漏れた場合の人体に与える大きな影響を考えると、そんな言い逃れを決して許してはいけない。
ただ、今まで国民があまり詳しく知らされていなかった原発の構造や制御方法を、図らずも今回の事故により、初めて国民が情報として共有する事になった点は、遅過ぎたとはいえ良かったと思う。

今日は、福島第一原発の1号炉に続いて3号炉でも水蒸気爆発が起こり、建屋が破壊され、11人の怪我人が出たと報じられている。
そして今、2号炉の他、第二原発の複数の炉も問題となって来ているのだ。
もしこの先、原子炉に決定的な破壊が起きたら、どういう状況が生じるのだろうか。考えるだけでも恐ろしいが、私はそれを完全に否定することができない状況になって来ていると思っている。

現在、半径20km以内に住む人たちはその外側に避難させられているが、低用量の放射線の被曝を受けた人も出ているらしいし、何時まで不自由な生活を強要されるのかと不安に陥っているに違いない。中には地震と津波で怪我をしたり、体調を崩している被災者も多い筈だ。

昨夜は政府が旗を振って節電を訴えた。私は普段から節電生活をしているのでそれを続けるが、一体誰が今日の事態を引き起こしたのかを厳しく問われるべきだと思う。
日本にはもう原子力発電所はいらないのだと、改めてもう一度はっきりと私は意思表示したい。

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東日本大震災から3日目のTVを見て

2011年03月13日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
起きている間は、ほとんどTVを点けっ放しの2日間が続いた。
青森、岩手、宮城、福島の被災地では、次々と目を覆いたくなる惨状が映し出されている。
死亡者、行方不明者の数が、想像できない位の数字にどんどん増えていて、自分だったらと思うと本当に切ない思いに駆られる。
オーストラリアで測定したデーターを分析したら、今回の地震のマグニチュードは8.8よりも強い9.0だったとまた訂正された。
ある研究者はTVで、9.0は1000年に1度の強さの震度で、全く予想していなかったと言っていた。

心配した福島第1原発は、昨日の水蒸気爆発による建屋の倒壊後、本日、禁じ手の海水を注入して炉心を冷やし出してから、温度は不安定ながらも低下しだしたというが、避難をした人の中に被爆したらしい人が見つかったらしい。かなり離れた場所の女川原発周辺の放射能測定値が、上がったという報道もあった。
これで安心できると良いのだが、どうだろうか。まだまだ私は心配している。

菅総理が自衛隊の出動数を10万人に増やしたが、TVで被災状況を見たら、もっと必要なのではないかと思う。
69か国から緊急援助隊が救助犬と共にやってくるらしい。
現時点で瓦礫の下の生存者を救出するには、救助犬の臭覚に頼る捜索が1番効果的なのだそうだ。
国内の米軍も、青森の三沢基地を拠点として、救難援助に当たる事になったらしい。これは全く日米安保条約上、当然の事だし、我が国が米軍に毎年膨大な予算を支出している事からも、決して遠慮するべきではない。
これから被災地には様々な団体や個人が支援に入るだろうが、TVではその人たちが組織的に活動できる体制作りを急ぐことが必要だと言っていた。私も本当にそうだと思う。

経済産業大臣が記者会見で、原発の作動停止によって供給電力が低下するので、企業、国民に消費電力の節約を協力して欲しいと訴えた。
国民の誰でもができる事なので、普段から節電に励んでいる私も、更なる節電を実行したい。

避難している人たちは、水、食料、暖房用の灯油、薬品、情報が不足しているという。
近隣の県や東京都から、ガスや灯油を何故供給できないのだろうかと思う。道路が塞がっているのなら、空輸してでも早くに供給して欲しいものだ。
今回、固定電話が繋がらなかったり、携帯電話が役に立たない状況が起きたが、緊急時の対策をもっと取って欲しい。肝心な時に役立たない電話は価値がないのも同然だ。(私の場合、NTTの回線同士はかかったが、私の電話からAUの電話や携帯には今朝まで繋がらなかった。いわき市小名浜に親戚がいるが、安否はまだ分かっていない)

家族や家を失った人達の悲嘆は如何ばかりかと想像するが、今や仮設住宅の建設が緊急課題だし、同時に早急に公営住宅を大量に建設する予算を立てるべきだと思う。

1つ嬉しいニュースがあった。15km沖の洋上で自宅の屋根につかまって漂流していた60歳の男性が救助されたというのだ。残念ながら彼の妻はいなくなったらしい。まだまだ生存者を救助できるのではと期待が出て来た。
まるで傍観者のようで申し訳ないが、私ももっと若くて元気な人間なら現地に飛んで行って瓦礫の一つも片づけたいという気持ちはあるが、それは無理なので、被災者に心を寄せ、できる事をして行きたいと思う。








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東日本大震災の発生から1日

2011年03月12日 | 社会・事件・ニュース
昨日の今頃(私の所では14時46分頃)、大きく横揺れする地震が起きた。
時間はいつもの3倍くらい、3分間も揺れただろうか。
こんなに大きな揺れ方なら、最近言われ出した長振動地震の被害が起きないかなと心配になってTVを付けた。
するとすでに津波の警戒警報が東北の海岸に出されていた。予想震源地は東北沖でマグニチュードは8.4と出た。
さらに見ていると、津波警報の場所が海岸線上にどんどん広がって行き、とうとう北は北海道釧路から根室まで、南も九州、沖縄迄伸びた。

そうして30分も経ったころ、宮城県、福島県の太平洋岸に押し寄せて来た今まで見たことが無い津波の実況映像が写った。
スマトラ沖地震の津波よりも巨大な海水のうねりが、まるで生き物のように防波堤を越えて海から陸地へ、建物が立ち並ぶ都市を飲み込み、春の植えつけの準備をした農地へ、立ち並ぶビニールハウスも飲み込み、車を押し流し、内陸へ進んで行く。津波のエネルギーの強大さを、現実のものとして初めて見た。
チャンネルをどこに変えても、報道するアナウンサーの表情は緊張で張りつめていた。
多くの漁船が、陸地に押しやられて転覆したり、ぶつかり合ったりしている。
1度、津波に飲まれて内陸に押し流された建物や瓦礫、そして車が、波が引くのに合わせて今度は海の方向に引っ張られ、流されて行く。
家の中には逃げ遅れた人がいるのに違いない。津波に翻弄される車には、人が乗っていることだろうと、画面を見ていて気が気でない。でも私にはどうすることもできないのだ。
やがて最初に発表したマグニチュードが8.8と訂正され、日本にとって未だ経験したことが無い強さの地震であり、それによる津波だと説明された。
「津波は何度も来るので、海岸には決して近づかずに高台へ避難してください。」とアナウンサーがひたすら繰り返す。
TVに次々と写しだされる被災地のすざまじさ。炎上する石油備蓄基地、ストップした交通網や空の便。映画「2012」を思い出した。

今朝の新聞で、幾つかの海辺の町が壊滅的な被害を受けたと知った。死者、行方不明者も1000人の見込みだ。
新聞によると、マグニチュード8.8とは関東大震災の約30倍、阪神大震災の約1000倍にも相当する強さだという。
先程のニュースでは、死者、行方不明者は、もっともっと膨らむことが予想されている。

昨日から原子力発電所の被害について心配されていたが、政府は昨夜9時23分に原発の半径3km以内の住民には避難指示を、3~10km以内の住民には、家から出ないようにという屋内待機の指示を出した。
今朝までは放射能漏れは確認されていないという事だったが、総理大臣がヘリコプターで空から視察する一方で、福島第一原子力発電所で炉心が露出し、セシウムが検出されたというニュースが飛び込んで来た。
この先、どうなるのか心配だ。
今まで政府と電力会社は、「日本の原発では、ロシアのチェルノヴイリの様な事故は決して起こらない。」と言い続けて来たのだが、「想定外」の地震だから予想できない事態が起きたのだと弁明でもする積りなのだろうか。
福島の人達は日常生活ができなくなってしまう訳で、本当に気の毒だし、もし放射能が漏れ出すことがあったなら、どうせよと国は言うのだろうか。近くに原発が存在する恐怖を、本当にひしひしと感じているに違いないと思う。

家族や大切な人々、また多くの地域の人々、そして家屋や貴重な財産を無くした方々の悲しみと絶望感、今後も続く苦しみは、申し訳ないが私には想像し、心を傷めることしかできない。
韓国やNZ、アメリカなどから緊急援助隊が来るというニュースも報じられた。一刻も早く生存者を救出し、その後、かなり時間がかかるかも知れないが、1日も早く復旧されることを祈りたい。
プレートが重なるすぐ傍に位置する日本列島、しかも至る所に活断層を抱えた島国に住む私たちは、この大震災の経験を無駄にしないために、どの様な教訓を学んで行くべきなのだろうか。






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専業主婦の年金問題について考える

2011年03月11日 | 暮らしと経済・経済生活
専業主婦の年金問題で国会が紛糾している。私も色々と考える所がある。
現行制度では、サラリーマンと結婚している年収130万円未満の「税法上の専業主婦」だけが、1円も保険料を支払わなくとも、老後、ただで国民年金から基礎年金として毎月6.6万円を受け取る権利がある「第3号被保険者」なのだ。
ただし夫が失業や退職するなどして、共済組合年金、厚生年金を脱退した場合、その権利が失われる。

権利を失った妻が国民年金保険に新たに加入して、保険料を毎月1.5万円払えば、将来は第1号保険者になって毎月6.6万円の基礎年金受給権が死ぬまで得られるのだが、手続きが遅れた場合、2年間に遡って保険料を支払えば、2年前から国民年金保険の保険者になったと見なされた。

所が国が調べた所、新たに国民年金保険への手続きを怠っている主婦が沢山いる事が分かった。
国は専業主婦の低年金や無年金を防ごうと、2年分だけ保険料を納めれば、それ以前も納めたと見なす救済策を昨年12月15日に厚労省課長通知で出したのだが、きちんと切り替え手続きをして保険料を納めて来た専業主婦が損をすることになったのだから、公平さが失われると問題になった。

また、もう一つは、国民年金の原資から甚大な負担をする事になる救済策が、厚労大臣も知らぬ間に課長通知で済まされた事も大きな問題になっているのだ。
第3号被保険者を認める現行の国民年金が不公平な制度だと問題になってから日本年金機構が昨年1月に調べて見たら、第3号被保険者の配偶者がサラリーマンでない人が何と103万人もいた。
そのうち何ら手続きをせずに記録が誤ったまま、すでに厚生年金や共済年金の主婦年金を受け取っている人(過払いされている人)が13万人もいるそうなのだ。(3月11日朝日新聞) その人達に過払い分の返納をさせるかどうかも、今問題になっている。


かって国の景気が良く、企業の厚生年金や公務員の共済年金が潤沢だった時代に、それらの組合員の妻のうち、専業主婦の面倒も見ようと1986年(昭和61年)4月に始まった制度が第3号被保険者制度であり、こうして年収130万円以下の収入の主婦が優遇される制度ができたのである。しかしこの制度は、現在の国民年金財政を考えると、当然、将来に大きな負担をかけることにもなるのだ。

この優遇制度によってサラリーマンの主婦は、働いても給与が130万円以上になると夫の被扶養から外され、健康保険にも個人として加入しなければならなくなるからと、自ら働き方を枠づけして来た。これは結果的に専業主婦が労働市場に出る場合の足かせに成った。それを大きく見ると、憲法で定める国民の労働の義務、納税の義務を負わず、企業戦士たる夫たちの内助の功の役割だけを妻に期待し、結婚後の女性の社会進出を妨げた。(日本の女性の年齢階層別労働力率を見ると、30~44歳で下がるM字型で、欧米諸国と異なっている)
そればかりか、社会的経済的な自立を目指して働く女性の男女の雇用の均等を妨げ、保育所の整備などの社会的な支援策を軽視させて来たことにもつながった。
また労働市場から見ると、極めて安上りのパート労働者が大量に提供される事で、男女の雇用労働者全体の賃金水準を低く保ち、企業側の利潤を高める役割を果たして来たのではないだろうか。(2009年配偶者がいる働く女性の60%が非正規雇用者である。また働く女性の平均賃金は男性の67.8%に留まっていて、欧米先進国よりかなり低い)

では、専業主婦の基礎年金の財源は、どう負担されているのだろうか。
サラリーマンの中には、夫が妻の保険料も払っていると勘違いしている人が多いらしいが、実は保険料を支払っている働く独身男性と働く女性、そして国庫が負担しているのだ。
フルタイム等で働き、男性の雇用労働者と同等か、被扶養者がいないということでそれ以上の納税をし、健康保険税も年金保険料もきっちり払っていて、さらに家事、育児、介護などの主婦としての役割を果たしている共働き女性には、1円の支援も無いのは片手落ちと言うべきではないだろうか。

国勢調査によると、働く夫と専業主婦と未婚の子供で構成される「核家族」は、日本全体の世帯の30%になったという。サラリーマンの専業主婦だけを優遇する年金制度は、根本から見直す時期に来ているのではないだろうか。
これからの家族は、基本的に共働きをして家計を支え、夫婦で協力して子供を育てる家族になって行くに違いない。そうした家族を支える社会を実現し、年金も将来的には1人1年金として、加入期間が20年にならなければ払い損になって年金が貰えないと言うのではなく、加入して払った期間に応じた給付を実現させたらどうだろうか。
近年激増している非正規雇用で働かざるを得ない多くの人々が、将来、生活保護世帯とならないための対策こそ、早急に考えて欲しいものだと思うのである。








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イエメン共和国という国

2011年03月07日 | 社会・事件・ニュース
少し前になるが、JICA青年海外協力隊派遣者の報告会が近くであったので出かけた。
その時JICAの一員としてイエメン共和国に派遣され、2年間幼稚園に在籍して幼児指導技術を向上させて来た札幌市出身の中尾美奈さんの報告を聞いた。
今年に入ってから、中東、北アフリカで歴史上初めてという武器を持たない市民が中心の民主化革命が起きていて、世界の目がこの地域に集まっているので、その日は遠い国で働いた彼女の話を興味深く聞くことができた。

以下が彼女の話の中で、イエメンという国について私の心に残った事である。


『イエメンは中東の最貧国で、首都サナアは標高2300mの高原にある。石油は少ししか取れないので、国際支援に頼って経済を維持している。』
『99%の国民がイスラム教を信仰していて、女性はいつも家の中にいて、家族以外の男性の前では黒い布で顔を隠さなければならない。女学生は白い布を巻く。また女性を写真に写してはいけない。
男性は白色のソープ(長着)を着て、腹部に月型の短刀・ジャンビーアを差している。
バス、買い物、結婚式等では、男女は席を別にしなければならない。例えば男性ばかりが乗っていたバスに女性が乗ってくると、片側の席の男性は皆立って、そこに女性を座らせる。
宗教警察といわれる人がいて、宗教の戒律を守らない人を検挙しているようだった。』
彼女自身も自分を守るために日常的に黒い服装をして、黒布で顔を隠して外を歩いたそうである。

『彼女がいた2007~2009年には、インフレでガス代やパン代が次第に高騰し、生活苦が高まって行っていた。』
『学校の建物は、午前中は中学生が、午後は小学生が使うが、椅子や机は同じなので、高さが合わないという問題があった。』
『幼稚園は朝7時半から12時15分まで行われるが、当初子供たちは椅子に座って黒板を見て勉強をするだけだった。
彼女が赴任してからは製作、絵画、外遊び、歌、運動などを取り入れた指導を実践し、子供の発達を促した。道具を片づけること、ごみを散らかさない事も少しずつ教えて行った。(イエメンでは、道にごみを捨てる風習があるという)
そうした活動によって、イエメンの教師たちの意識と指導法が変わって行った。当初は親たちも勉強せずに遊ばせる様に見える指導に反対していたが、運動能力が発達し、手先も器用になった子供を見て、徐々に理解されて行った。』
『たまたま任期の終わりの70日間、インフルエンザが流行って休園になった時間を使って、彼女はイエメンにとっては初めてとなった幼児教育指導本を作り、首都の全幼稚園と第二、第三の都市の幼稚園に配布した。それにより彼女が帰国後、イエメン全土にその本に基づく指導が広まって行った。』

以上の報告を聞いて、イスラム圏の国に対する理解が少し深まったし、中東の人々の暮らしの一端を知れた。
1時間の報告を受けて、女性一人でイエメンの首都サナアに行った彼女の情熱と粘り強い努力には本当に感服させられたし、日本が援助できるのはお金だけではないと改めて知らされた良い報告会だった。

     窓辺の花 
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