花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

バルカン地方の旅(4) クロアチア②

2009年09月30日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅢ」スロベニア,クロアチア,ボスニア,モンテネグロ

昼食後、陽射しが強く、気温も28度の中を、現地ガイドに案内されて港町ザダールの旧市街と海岸を見学した。
ザダールは、紀元前9世紀にイリュリア人が住み着いていたが、200年もの戦いの末、ローマが紀元1世紀に支配権を握った町である。そのため海に突き出た半島の旧市街には、ローマ時代の広場フォロ、ローマ神殿跡、市場などが残っている。

①は珍しい円形状の「聖ドナット教会」。800年代にフォロの上に建てられたものだという。イタリアのローマにある「パンテオン」という古く素晴らしい教会もドーム状だ。
写真で見るように、ローマ時代、遺跡に使われていた大きい大理石が無造作に放置されていたのには驚いた。これらは後で建てられた教会などに使われること無く残されたローマの神殿や広場の基石なのだそうだ。
②は唯一残るローマ時代そのままに1本だけ立つ「恥の柱」である。当時、罪人が縛り付けられて晒された柱だ。
また当時、水は40km離れた湖から水道橋で引かれていたのだと言う。

現在、ザダール海峡を臨む海辺には大きな円形の太陽光発電装置が取り付けられて、市民の憩いの砂浜になっていた。③

 ① ② ③ 

ザダールを見学後、私たちはバスで3時間走って、さらに南の世界遺産・古都トロギールに行き、着くとその日はホテルに入った。

翌朝2時間が古都の観光だった。
トロギールの世界遺産は南北300m×東西500mしかない小島だが、北にある小さな橋と南にある大きい橋で町と繋がっていた。
この町には古くからイリュリア人が住んでいたが、紀元2~3世紀にギリシャの植民都市として発達し、その後はローマ人が住み着いたという。写真④は北門に通じる入り口の小橋を写した。
トロギールでまず目を引かれるのが、高さ47mの鐘楼がある聖ロブロ大聖堂だ。⑤
教会はロマネスク様式だが、鐘楼はヴェネチアが支配する14~15世紀に立てられたのでゴシック様式になっている。
特に正面入り口左右にあるライオン(ヴェネチアのシンボル)とその上のアダムとイヴの彫刻が有名らしい。また上にはキリストの生涯が彫刻されている。⑥
教会前の広場には15世紀に建てられた市庁舎(写真左)と時計塔がある。⑦
その横には柱と屋根だけの建物ロッジアがある。ここは裁判所として使われていたという。
北門を出た所にも同じようなロッジアがあるが、ここは税関だったらしい。⑧
私は一時、古代から中世にかけてここに住んだ人たちの生活と賑わいを想像した。

広場の奥にアイスクリーム屋さんがあったので買って、広場に張られたテントの下の共同飲食所(テラス?)で食べて見た。6kuna(120円)だったが美味しかった。
そこでは地元のサラリーマン風な人たちも数人、コーヒーとトーストを食べながら新聞を読んでいた。
気候が良いためか、一寸したスペースがあればすぐそこに椅子とテーブルをおいて外の客席を作ってしまうし、客も通りでの飲食を楽しんでいるのにはいつも驚かされる。

 ④ ⑤ 

 ⑥ ⑦ ⑧







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バルカン地方の旅(3) クロアチア①

2009年09月29日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅢ」スロベニア,クロアチア,ボスニア,モンテネグロ

たった今、89歳の伯母から電話があった。「恐ろしい国に行ったので心配していた。無事に帰って来て良かったね。」と言われた。

ポストイナ鍾乳洞見学後、バスは一路、クロアチアの港町オパティアを目指した。
1時間程して国境が近づくと、添乗員から絶対にカメラを向けないようにと言う注意があった。
先ず日本の高速道路の料金所に似た作りになっているスロヴェニアの国境に着くと、バスの運転手と添乗員が降りて乗員の名簿とパスポートナンバーを書いた書類を出入国管理事務所に提出しに行った。
しばらくして男性管理員が1人、バス内に乗りこんで来た。私達1人々々にパスポートの提出を求め、確認後、出国の印を押した。
着いてから済むまで30分位かかった。
それから100m程バスが進むと、今度は同じ様なクロアチアの出入国管理事務所があって、また運転手と添乗員が名簿を出しに行った。今回は10分程で2人が戻り、バスはそのままクロアチアに入国して走り始めた。

間もなく行く手右側にアドリア海が見えて来た。海沿いの町オパティアがその日の宿泊地だ。
ホテルは海岸沿いにあったので、夕食後、添乗員が教えてくれたスーパーマーケット「konzumu」に行くことにした。
夕暮れとはいえ、気温はまだ25度くらいあり、多くの人が散策をしていた。
海辺でアコーディオンを弾きながら歌っている男性がいたが、前に置いてあるボールにはさっぱりお金が入っていないようだった。
5分も歩くとその店があった。クロアチアのお金クーナ(5000円=248.5kunaだから、1クーナは約20円)で、桃2個5、48クーナ、チョコレート1枚(200g)8クーナで買って戻った。

翌朝、食事を早めに済ませ、集合時間の前に娘と一緒にホテルから見える教会に行って見ることにした。
坂道を5分も歩くと着いた。
海沿いの高台に大きな聖マリア教会が聳えていた。①
7時半に教会の扉が開いたので入ってみると、内部は輝くようなあかね色のレンガを積み重ねた見たことの無い様な清楚な雰囲気に溢れた教会だった。
正面の祭壇上部には金属製のキリスト像②が下げてあり、横奥には可憐なマリア像③が置かれていた。
私達以外は誰も行かなかったが、私は何かすごく得をした気持ちになってバスに乗ったのだった。

 ① ② ③

バスは8時に一路ザダールに向って出発し、アドリア海沿いを南下した。私は海の向こうにイタリアを想像した。

クロアチアの正式名はクロアチア共和国、面積は57,000k㎡、人口470万人、首都ザグレブである。
添乗員の説明では、平均月収は7,500クーナ(約15万円)、失業率は12~15%だそうだが冬季は25%にもなるという。
海岸線が長いので古くから海運業、貿易業が盛んだったが、耕作できる平地は少ないという。
バスが進むに連れ、左側に海の近くにそそり立つ石灰岩が露出した山脈が見えて来た。④
ある所では深い入り江の傍まで接近しているのだ。ここには珍しく耕作地も見られた。⑤
この山脈がディナルアルプスである。
この高い山脈の稜線が隣国ボスニアヘルツェゴビナとの国境になっていると言う。
本当に平地が少なく、山には限られた植物しか生えていない。これでは農業はできないとつくづく同情させられたし、悲しくなった。
さらに南に行くと幾つか港町が続いた。⑥ 海を見て少しホットさせられた。
バスは4時間半かけてダルマチア地方の都市、ザダールに着いた。
(④~⑥は走っているバスの中から撮影したので、ぼけていたりガラスが反射したりしているが悪しからず)

 ④ ⑤ 

 ⑥


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バルカン地方の旅(2) スロヴェニア②

2009年09月28日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅢ」スロベニア,クロアチア,ボスニア,モンテネグロ

改めてスロヴェニアの国を概観すると、正式国名スロヴェニア共和国、面積は2万k㎡で日本の四国よりも少し狭い、人口200万人、1991年独立、1992年国連加盟、人口の80%がスロバキア人で農業、漁業が盛ん、鉱物資源が多く、旧ユーゴの中では最も豊かな国である。

昼食後、ブレッドからバスで南西方向へ1時間半走り、ポストイナという町の鍾乳洞見学に向った。
この鍾乳洞は全長27kmもあり、ヨーロッパ最大の規模だという。
見学者は狭い地底を「インディジョーンズ」のように猛スピードで走るトロッコ列車に乗って移動しながら見学した後、2km位を歩いても見学し、又トロッコ列車で戻るというようになっていた。
そのスケールの大きさと鍾乳石が作り出す景観の素晴らしさは、今まで見た事がなく、言葉では言い表すことができない。
フラッシュ撮影が禁止されていたので、目に焼き付けるしかなかった。写真①
気温は年中8℃だそうで、1時間半いたら身体も冷えた。



最終日、スロヴェニアの首都リュブリャナで、オプショナルツアーに参加せずに、午後1時まで自由行動をした。
ホテルから町の中心街までバスに乗ったが、料金は片道1ユーロ、2輌が連結したような大型のバスは珍しかった。
この町は500年に渡り神聖ローマ帝国の支配下にあったが、その後、隣国オーストリア帝国に組み込まれた歴史を持つだけに、ルネッサンスやバロックなどの芸術の息吹が感じられた。
最も有名なリュブリャナ大聖堂には塔が2つある。9時に訪れた時はミサの最中だったので、後で再度行って見学して来た。聖堂の天井部分のつくりと絵は素晴らしかった。② 
また入り口の青銅?の扉には意味の有る彫刻がなされていた。③

 ②  ③

また3本の橋が放射状にかかっている「3本橋」も珍しい。中央が車道で両端が歩道だ。④ 広場の向こうにはモダンな外観のフランシスコ教会が佇む。
町の中心にある国会議事堂にも行ってみた。近代的な建築だが、入り口の多くの人が繋がっている彫刻に引き付けられた。⑤

 ④ ⑤

この他、往復3ユーロの近代的なフニクラに乗り、リュブリャナ城にも行ってみた。塔に登るには一般は3.5ユーロだが、私はシニア料金2ユーロで登った。上からの展望も良かった。
青空市を覗くと、新鮮な果物や野菜等が実に豊富なのに驚いた。⑥⑦
ちなみに青葡萄、桃ネクターは1kg1.4ユーロ(189円)、大粒の葡萄は3ユーロ(405円)、トマト、じゃが芋は1kg0.8ユーロ(108円)、ピーマン1kg1.5ユーロ(203円)だった。 
最後にデパートの食品売り場も覗いたが、やはり品物が豊富で清潔感に溢れていた。

 ⑥ ⑦


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バルカン地方の旅(1) スロヴェニア①

2009年09月27日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅢ」スロベニア,クロアチア,ボスニア,モンテネグロ

この度9月17日から25日までの9日間、スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロのバルカン地方4カ国を旅して来た。
25日、フランクフルトから11時間15分、狭いエコノミー席で過ごして成田に着いたのは15時10分だった。私はさらに4時間近く成田で待って、19時発で新千歳空港まで戻ったので、帰宅したら22時になっていた。
長旅でやはり疲れたし、体が7時間の時差に慣れた所だったので、夜中に目が覚めたりして昨日は1日ボーッとしていた。
これから各国で見て来た主なものを思い出しながら記事にしたい。

まず今回訪れたバルカン地方3カ国の簡単な地図(写真①)である。この地図にないモンテネグロは、クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナの南に接して位置する国である。

  ①

 いずれもイタリア半島とはアドリア海を挟んで東に位置し、1990年代初めまではユーゴスラビア共和国の1部だったらしいが、ユーゴスラビアが崩壊後、1991年から94年辺りまでの内戦を経て独立した国々なのである。内戦により国境近くにはまだ地雷が残っていて、各国政府がいまだ除去に努めていると聞くが、今は落ち着いていた。
日本からの直行便はないので、この地方の情報は少ないが、クロアチアはサッカーワールドカップで日本に馴染みとなり徐々に知られるようになったのではないだろうか。
旅行中、私たちのグループは日本人グループ1つと出会ったが、他は皆ヨーロッパからの観光客だった。
なお外務省渡航情報によると、クロアチアへの日本からの渡航者は2003年16,000人だったが、2005年には33,000人と大幅に増えているそうだ。

私たちは17日、全日空機で成田から12時間20分飛んでまずパリに行き、そこでアドリアエアーウエイズに乗り換えて1時間45分飛び、スロベニアの首都リュブリャナに下りた。
さらにバスに乗り換えて1時間かけて地方都市ブレッドに着いたのは夜中の1時過ぎだった。(現地は夏時間で日本との時差は7時間)
翌朝、6時半起床。朝方雨が降ったが、食事を7時に取ってから30分ほどホテル周辺と湖畔を散策した。
オーストリアとの国境に近い町ブレッドの中心は、美しいブレッド湖だ。ここは古くからハプスブルグ家のリゾート地だったと言う。
湖に浮かぶ小さなブレッド島に建つ聖母マリア教会と向こう岸の断崖に聳えるブレッド城が、朝もやに浮かんで絵のような幻想的な美しさを見せていた。
②ホテルの部屋から見た美しい家並み ③朝もやに霞むブレッド城と聖母マリア教会

 ② ③ 

私たちはスーツケースをバスに積み込み、8時半に最初のブレッド観光に出発した。
湖と周辺の環境を保全するためにガソリンを使う船は認められていないため、湖畔からは手漕ぎボート④でブレッド島の教会に行った。湖畔から99段の石段を登ると小さな教会があった。その鐘楼の鐘⑤を鳴らすと幸せになるという言い伝えがあるそうで、皆交代で祭壇の前に下がっているロープを力一杯3回引いた。⑥ 


 ④  ⑤  ⑥ 

手漕ぎボートで島から戻り、バスでブレッド城に行った。
11世紀に建てられたという古城には、今、レストラン、ワインケラー、博物館、グーテンベルグが15世紀に発明した金属製の活版印刷機による印刷屋などが入っていた。印刷屋では、色付き厚紙に日付・名前入りで城の絵柄が入った見学記念カードなどを印刷作成して1000円程で売っていて、何人かが注文していた。
晴れた日に見える裏手からの展望が素晴らしいそうだが、丁度雨後のもやがかかっていて残念だった。⑦⑧

 ⑦  ⑧

  

  

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明日からは旅

2009年09月16日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅢ」スロベニア,クロアチア,ボスニア,モンテネグロ

明日17日より25日まで9日間、旅行に行く事になった。
今回は5連休をはさむので、勤めている娘に誘われて仕方なく行くのだ。
実はこの期間を外すと、同じツアーが10万円も安くなるが、彼女にとってはこの日しか行けないので「子ども孝行」と思って同行する事にしたのである。

行き先も娘の希望で、「クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ」だ。
この地域は今、東京と同じ位の気温らしい。
ただ、ボスニアの一部は治安が心配な場所もあり、地雷が埋まっている危険もあるらしいので、気をつけて行って来たい。

暫く留守になるので、今朝は庭のトマトやほーれんそうを収穫してご近所に届けた。引き続き留守中の収穫もお願いした。
昨日はいつもの事ながら警察署に出向き、留守中の巡回をお願いした。

また、2月の八重山諸島の旅では、親知らずがうずき辛かったので、今回は事前に歯医者に行った。
少し気になっていた犬歯の1本が虫歯になっている事が分かり、一昨日、その神経を取った。私は麻酔が効きにくいそうで、3~4回注射して効いてくるのに25分くらいかかった。
今日はこれから、経過観察と治療で歯医者に行ってくる。
それと長時間の航空機や人ごみの中での新型インフルエンザ感染も心配なので、100円ショップからマスクを買い占めた。(と言っても、3枚入り100円のが3個しか残っていなかったのを全部買ったのである)

明日は1番電車に乗って新千歳空港に行き、7時50分発の成田行きに乗る。そして11時50分発の全日空機でパリに向かい、乗り継いでスロベニアのリュブリャナを目指す。到着は23時だ。時差8時間の筈なので、今回も乗り継ぎ時間を含めてかなりの長旅になりそうだ。
元気で帰って来たら、また報告する予定。それまでブログを休みますが、忘れないで又来てください。



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頂いた魚

2009年09月14日 | 医療・健康・食生活・衣生活
昨夕、ご夫君が釣り好きな近所から、浦河の海で釣ったという魚を頂いた。
大きな目の魚は「ガヤ」と言うそうだ。
今ネットで調べたら、ガヤガヤする位沢山いて、良く釣れるのだそうだ。カサゴ目フサカサゴ科メバル属の魚で、東北以北で釣れる事から別名を「エゾメバル」と呼ぶそうである。胸びれも背びれも硬い骨でできているので、私の華奢な?手には手強い魚である。
右のは小振りのスケトウタラだ。色が透き通る感じなのは新鮮だからかな。

どうして食べようか迷ったが、やはり煮つけが1番手っ取り早いので、両方、鱗、頭、内臓を取り、輪切りにして大き目の鍋で1度に煮付ける事にした。
料理の最中、右手親指をガヤの胸びれの先にある太く尖った骨に刺してしまった。少し血が出て2時間くらい痛んだ。
煮付けは、昨夜と今朝、たっぷり食べた。新鮮な魚は美味しかった。

  
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雨上がりの朝

2009年09月13日 | ガーデニング・家庭菜園
5時半に起きて庭に出た。気温は15度と温かいが、朝方雨が降ったらしい。
いつものように庭を一巡りして植物の様子を観察し、花殻を摘む。
薔薇に水滴が残っている姿を、写真に撮った。

      

        

  
    
 
  
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ホストファミリーをして (2)

2009年09月07日 | 日記
昨日は朝から小雨。
朝食後、雨天で外に出られない時のためにと予め予約をしておいた千歳の麒麟ビール工場に、2人を見学に連れて行った。

行って見ると見学者は私達3人の他に、カナダから旅行に来たという若い○○系カナダ人女性1人がいた。
学生達は見学しながら、お互いに自己紹介し合っていた。
ビールの原料になる大麦を試食したが、スナック菓子のようにとても美味しかった。
30分間、窓越しに近代的な製造工程を見学した後、レストランで試飲をした。
勿論、運転手の私はアルコールは駄目なので、ノンアルコールのビール風清涼飲料を飲んだ。今年4月に発売されたというその飲料水は、味だけでなく、泡までビールそっくりに作られていて驚いた。
おつまみもあり、ビールを美味しく飲む注ぎ方も指導してくれて楽しい一時を過ごせた。

同席したカナダ人は、午後から札幌の朝日ビール工場見学も予約しているのだという。見ると大きなスーツケースを持っているので、「我が家に寄って一緒にランチを食べませんか。それからJR駅まで送るから。」と言って車に誘った。
帰宅する途中、畑に寄って、まだ少し残っていたトーモロコシを収穫した。
帰宅するなり、早速、塩茹でして食べさせた。
彼女達は一様に「美味しい!こんなの初めて!」と感嘆の声を上げた。
トーモロコシは、採ってから時間が経つに連れて急速に味が落ちる事を説明すると、納得していた。

ランチとしてスパゲティミートソースを作って出した。これも「寮のスパゲティとは大違い。」と好評だった。
また、庭からミニトマトを取って来てもらい供したが、「美味しい。」と目を輝かせて食べた。
デザートのキャンベルも、旬なので甘く美味しかった様で、彼女達は十分満足したようだった。

午後は晴れたので、カナダ人を駅に送った後、5km離れたところのいつも空いている無料パークゴルフ場に2人を連れて行った。
彼女達には初めての体験だったようだが、間もなくコツを覚えて楽しんでくれた。

それにしても彼女達が日本語を勉強することの動機は、日本のアニメを見て、とか、ジャニーズに好きな人がいるので、とか聞き、私は「えっ!」と驚いた。
カナダから個人で来日したという女性の目的は、数日後に札幌であるジャニーズ公演のチケットが取れたからなのだという。彼女もまた、昼働き、夜間は大学に通っているという頑張り屋さんらしいが、その来道目的に驚いた。
旅行が好きなので、日本語を学び、関連する仕事に就きたいという韓国の留学生の言葉には、納得できた。
それにしても今回、動機がどうであれ、外国の若者の中に難しい日本語を勉強しようという意思を持って努力する人たちが大勢いるという事を知ったのは収穫だったし、結構意思が通じたのも良い体験だった。

「ここの庭は、宝の庭ですね。」などと言われたので、それぞれにミニトマトと長ネギを土産に持たせた。(昼食は出ないので、インスタントラーメンを具なしで食べる事が多いと言っていた)
夕方、学校まで送ったが、我が家までの距離が自転車で20分弱だという事を知ると、2人共「また来たい。」と言って、帰って行った。






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ホストファミリーをして (1)

2009年09月06日 | 日記
今、2人の留学生を送って来た。少し疲れたが、なかなか良い体験ができた。

昨日、1時に顔合わせがあり、我が家に来る2人と出会って挨拶を交わした。
その後、主催団体の企画によるミニバレーボールの試合があり、ホストファミリー単位で競い合った。
私のグループは1回目で負けたが、その試合を通して学生の性格が分かり面白かった。

3時に家に連れて来て、お茶を飲みながら自己紹介をしてもらい、その後2時間半、韓流ドラマのあれこれの話で盛り上がった。
韓国の学生は、大学を卒業後、3年間働いてお金を貯め、今年、日本語を学びにやって来たという努力家の女性だ。
彼女は小型のノートパソコンを持って来ていて、それに入れてある韓国ドラマの撮影場所に行った時の写真を沢山見せてくれた。日本語も上手で、大抵の意思を現す事ができたし、私の話もほとんど理解できたようだった。
中国の学生は、高校を卒業したばかりの若く純情で明るい女性だった。まだ日本語は初歩的な段階だが、一生懸命話そうと努力していて好感が持てた。

私が夕食の準備をしている時、2人は幼児に言葉を教えるTV番組を見ながら声を合わせていた。とても良い勉強方法だと思った。
夕食後もそれぞれの国の生活事情など、とりとめの無い話を楽しくした後、シャワーを済まさせ、和式の寝具で寝てもらった。
翌朝起きて来た2人は、「日本の布団に寝る事ができて、幸せでした。」と言った。

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明日もボランティア

2009年09月04日 | 日記
明日(土曜)の午後から、明後日(日曜)一杯、1泊2日で、今度は国際交流事業を行なっているある会に協力して、ホームスティのボランティアをすることにした。
日本に来ていて学校の寮で暮らしている留学生に、日本人の家庭生活を体験する機会を提供するというのだ。

私が今度リクエストし、担当することになったのは、韓国と中国から、この春に日本語を学びに来た女子留学生2人だ。
2人の国が異なるので、私が分からない母国語で2人が話すことも無いだろうし、その分、3人の共通する日本語で交流できると思う。(まだ余り話せないかも知れないが‥)
この6~7年、私は色々な韓国ドラマを見てきたので、韓国の人の生活振りについて話し合いたいし、中国には今まで3回、北京、大同、西安、上海などの他、奥地の四川省、雲南省にも行っているので、こちらも色々な話ができるのではと思って希望したのだ。

今回は日本人と同じアジア人同士なので、気持ちの底で通じ合うものもあるのではないかと期待している。
先程、食料品の買出しをして来た。
普段、家庭で食べている献立で良いと言われたので、私の食べている物を作りたいと思っている。
次回の記事では、今回の体験を報告したい。

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今年の収穫

2009年09月01日 | 家庭菜園・市民農園・借り上げ農園
続いた雨が止んだので、30日、総選挙の投票を済ませてから農園で収穫をすることにした。
昼近くに集まり、まずトーモロコシ畑に行った。
ひげ根が枯れて黒くなったトーモロコシ「ピーターコーン」を十数本採り(写真①)、直ぐに友人に茹でて貰って食べた。
今年のは味も悪いだろうと思っていたが、予想外に甘みがある美味しいトーモロコシになっていた。
畑にはまだ熟しきっていないトーモロコシが沢山あるが、この後、順次収穫することにした。

 ①

次いで大豆の所に行った。
普通の青大豆は、ぎっしりと実をつけ、実もかなり十分に入っていたが(写真②)、黒大豆を見て驚いた。
株は元気に育っているが、何と今、花芽がついていて、花はこれからという状態なのだ。
だから当然、さやは一つも見当たらない。(写真③④) 例えこれから開花しても、霜が来る迄のものにならないだろう。
日照率が平年の40%だった影響なのだと思う。
育った枝豆を茎から外して、大鍋で茹でようとしたら、2~3回かかる程大量に採れた。採れたてを茹でてもらって美味しく食べた。

 ②  ③  ④

南瓜も、今咲いている花があった。(写真⑤) 自然受粉させたので、実を結んだ数も少ない。
友人達とは、「来年こそ良い気候になってもらって、じゃが芋も玉葱も枝豆も沢山の収穫を期待したいね。」と話し合った。

 ⑤

 

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