花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病があるが伯母の介護をし、春~秋はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

「2度目のオーストラリアの旅」(13)

2017年12月14日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「エアーズロック」(ウルル)観光後、帰国≫(2)
登山が中止になったので、ガイドと一緒に「エアーズロック」のハイキングに向った。
真近で見ると、様々な場面が見られた。その幾つかを写真で紹介する。



       
     (大きな洞窟と、その天井に描かれた壁画)


 (ほとんど雨が降らないのに、年中、水が枯れない池)



 

      
       (ウエーブ状の壁面)

登山しなくても太古の歴史を伝える箇所を見たり、ガイドから言い伝えられている物語を聞いて、十分に楽しみ満足できた。

全ての観光が終了し、10時過ぎにホテルに戻った。
11時にホテルから空港に向かい、12時35分発の「アリススプリングス」行きに乗った。そこで「シドニー」行きの出発を待ち、「シドニー」で乗り継ぎ、21時35分発で「羽田空港」に向った。予定より少し早く約9時間で日本に到着。私はその後、「新千歳空港」に戻った。

予想よりも空港近辺の雪は少なかったが、気温が-3℃だったので「エアーズロック」とは40℃差。
帰宅したら居間は8℃しかなく、冷え切っていた建物の構造体を温めるのに2日かかった。
十分に室内が暖かくなった頃、「ショートスティ」の施設に伯母を迎えに行った。久し振りの再開は嬉しかった。

1回目の「オーストラリア」が「シドニー」や「ゴールドコースト」など東海岸の観光だったのに比べると、2回目の今回は移動時間が長かったとは言え、地球の神秘に触れる事ができ、内容的に充実していた様に思う。
今は何日もかかった旅行記が、やっと完成してホッとしている。             (完  成)
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「2度目のオーストラリアの旅」(12)

2017年12月13日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「エアーズロック」(ウルル)観光≫(1)
翌日は早朝にモーニングコールがあり、4時50分、まだ暗い内にバスで「エアーズロック」の朝日鑑賞に向った。
昨日午後は37℃もあったが、朝は嘘の様に涼しく18℃程度だった。これが砂漠の気候の特徴なのだろう。
昨日の夕日鑑賞とは反対の場所に階段状の観賞場所が用意されていたが、ここも既に様々な国の観光客で賑わっていた。
砂漠の真ん中にどっしりと構えた「エアーズロック」の背後に朝日が登り始めた。
そして5時45分から6時迄、そこにいる大勢の人達と一緒に、岩山の色が少しずつ変っていく姿を眺めた。神秘的だった。

           


朝日が昇った後「エアーズロック」の北側を通り、バスに戻った。その時見た側面の姿も素敵だった。



         

ガイドと一緒に、東側の登山口に様子を見に行った所「登山禁止」になっていて、ロープが張られていた。
すぐ横に「あなたの安全のために」という説明の英語の看板が立てられていた。
【入山禁止】
「3~11月は午後5時~午前7時」「12~4月は午後5時~午前6時半」
「午前8時以降は、気温の予報が36℃かそれ以上の時。12~2月の夏季間」
そしてその下に、さらに絵と説明で8項目の登山禁止措置を取る条件が示されていた。
「頂上の風速が25km以上の時」「頂上が雲で覆われている時」
「3時間以内に20%以上の降雨の可能性がある時」「気温が36℃か、それ以上の時」
「岩山の表面が20%以上水で濡れている時」「救急車が来ている時」
「3時間以内に雷雨になる可能性が5%以上ある時」「民族的文化的理由で所有者から求められた時」
最後に、「これらの細則に明らかに反する場合は、罰金を科す」とあった。(和訳は筆者)

さらに横に英語と日本語の立て看板があり、そこには「アナング族(先住民アボリジニの事)の神聖な『ウルル』に登らないで下さい」と書かれていた。
その理由として「登山は危険で、これまでに多くの方が登山中に亡くなったり怪我をして来ました」「本来するべき事は、万物に耳を傾けることです」とあった。

正直な所、登ろうか、止めようかと迷っていた私は、「登山禁止」が取られていたことで結論が出、気持ちが決まり軽くなった。
眼前に登山路を見ると、固い岩肌には持って来た杖は役に立たず、本当に危険だという事も良く分かったし、2年後から登山することができなくなるのは、良いことだと納得もできた。


              
                    



資料によると、かってこの地域を自由に使って来たが、1985年、オーストラリア政府は先住民「アナング」の人々の土地であることを正式に認めた。同時に政府が彼等からこの地域を借りるという協定を結んだのだ。
その結果彼等は、公園入場料の25%と年間使用料15万$を受け取る事となった。
しかし、別な資料によると、年間50万人以上の観光客が来るため、働かなくても大きなお金が手に入る結果となり、中には賭博や麻薬、暴力に走る若い人達の存在が問題になっているという。

現在公園は、オーストラリア自然保存局(ANCA)とアナングの人々の共同管理がなされ、世界遺産に登録されている。


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「2度目のオーストラリアの旅」(11)

2017年12月11日 | 海外旅行「オセアニア」
≪7日目は「エアーズロック」空港へ飛行後、「カタジュタ」ハイク≫
朝7時半にホテルを出て空港に向かった。「メルボルン」発9時半の国内線で内陸部の「アリス スプリングス」まで1時間20分で到着。そこは時差が-1時間35分なので時計を戻した。昼食は弁当だった。「アリススプリングス」発13時45分の飛行機に乗り継ぎ「エアーズロック」に14時35分に着く。気温は37℃、猛烈な暑さだ。

まず宿泊するホテル「エアーズロックリゾート」の「セイルズ イン ザ デザート」に着き、大きな荷物を置いてハイキングの準備をした。水を1本貰い、50km離れた「カタジュタ国立公園」へ向った。
15時35分、2.2kmのほぼ平坦な「風の谷」の道を出発し、往復約1時間のハイキングをした。バスにも水が積んであり、ペットボトルの水が減ると足してくれた。その時間は、「風の谷」の名前に反して風はほとんど無く、私達は15分置きに水を飲むように指示された。

35k㎡の大地に広がる「カタジュタ」もかっては「エアーズロック」の様な一枚岩だったそうだが、風雨にさらされている内に36個の岩に分かれてしまったのだそうだ。一番高い岩は546mもある。
ここもアボリジニーの「ビチャンチャチャラ族」の聖地で、天地創造の時代からの物語が伝えられていた。特に男性の聖地である東側地区には、アボリジニーの女性も入られないそうだ。
鉄分の多い砂岩が酸化して赤色になった「カタジュタ」の景色は独特だった。



            

その後、「エアーズロック」に戻り、「エアーズロック」(アボリジニーの言葉では「ウルル」)の夕日鑑賞場所に行った。
この岩山は、周囲9.4km、高さ348mある世界最大の一枚岩の山だ。しかも目にできる地上部分は全体の10%に過ぎないというのだから驚く。
この岩は、今から6億年以上前に海底に堆積した花崗岩質の砂岩層が、造山運動で隆起した後、浸食と風化で表面の固い部分が残ったものだと考えられているそうだ。何という地球の現実だろうか。

観賞場所は、既に多くの人達で賑わっていた。グループごとにテーブルが用意されていて、「スパークリングワイン」や「オレンジジュース」またチーズやキューリ、人参をスティック状に切った「スティックサラダ」「チーズ」「ポテトチップス」などが並んでいた。
そして張られたロープの内側から数百m先に見える「エアーズロック」が、日没と共に刻々と色を変えていく様子を鑑賞しながら写真を写した。凄い迫力と存在感を感じた。
バスに戻ったのは19時40分だった。


  (日没前に友人の持つワイングラス越しに写した)

  (日没後の姿)


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「2度目のオーストラリアの旅」(10)

2017年12月11日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「グレートオッシャンロード」観光≫

旅の6日目は、「オーストラリア」大陸の東南端、「メルボルン」から235kmの距離を「グレートオーシャンロード」と名付けている海岸線に沿って、片道3時間半バスが走った。
この海岸は、かってオーストラリア大陸と南極大陸が一つの大陸だったのが、今から5000万年前頃、二つの大陸が徐々に離れ、オーストラリア大陸が北へ移動した時にできた時の裂け目を今に伝える海岸なのだ。
現在の位置に落ち着く迄移動したオーストラリア大陸は、徐々に乾燥が進んで砂漠化し、乾燥に強い「ユーカリ」などの樹木が茂る大地になったと言われている。
晴天だったので真っ青な海と空、陸側には「ユーカリ」の林が続いていた。



ある場所に真っ黒い「ユーカリ」の林があった。ガイドが「油分が30%と多いユーカリは、常に油の多い水蒸気を蒸散している。気温が高い時に葉が触れ合うと、発火して森林火災が起きる。しかしユーカリは根まで燃える事はなく、やがて根元から新芽が出て来て、若木が立ち並ぶのです。」と説明してくれた。「コアラ」は消化しにくいこの葉や茎を消化するために、1日13時間も眠っているのだそうだ。また子供は暫くの間、母親が腸で消化して作った独特の乳液を食用にするのだとか…。



目的の観光場所「12人の使徒奇岩」に行く途中の「ケネットリバー」で、野性の「コアラ」探しをした。
背が高い「ユーカリ」の並木が道の両側を埋めていた。
先ず綺麗な色の「インコ」を発見。探すと他の木枝にも止まっていた。新しいカメラはズームが効くので拡大して撮れた。
誰かが「コアラ」を見つけた。木のかなり高い場所の枝にしがみ付いていた。これも拡大して撮った。

  



                

最後にバスが止まった所は「12人の使徒奇岩」がある場所だった。
キリスト教で最初の信者12人が、キリストの使徒となって布教したという話に因み名付けられていた。
美しい海岸だったが、狭い遊歩道には観光客がぶつかり合うほど多くいて、写真撮影もままならなかった。





またバスで20分程走った場所に、美しい入り江「ロック・アード・ゴージ」があった。小高い駐車場から木製の階段を海岸まで78段降りると、静かな美しい入り江で多くの観光客がはしゃいでいた。
この沖合いで1878年6月1日ヨーロッパの移民船が座礁して沈没、若い2人だけが助かったそうだ。



帰路、内陸の道を通り「メルボルン」に帰ったが、途中で広大な牧草地で草を食みながらのびのびと飼育されている「オージービーフ」の牛を見た。

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「2度目のオーストラリアの旅」(9)

2017年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」
≪5日目は「メルボルン」へ≫
早朝ホテルを出て、パース空港から8時発の「メルボルン」行きに搭乗。3時間35分の飛行で14時35分に東南の海岸にある街「メルボルン」に着いた。
時差が+3時間なので、時計を3時間早めた。

「メルボルン」は「オーストラリア」第二の都市だ。庭園が450もあり、「庭園都市」とも呼ばれる。

①「キャプテン・クックの家」
市内はバスからの窓外観光だったが、「キャプテン・クックの家」を見学した。
この家は「キャプテン・クック」が生まれたイギリスヨークシャーの木造の家を移築したもので、19世紀の生活様式が分かる。(家の管理状態が悪く埃が積もり、乱雑だった。2階に資料室があった)
庭に身長が191cmあったという彼の等身大の銅像が立てられていた。また19世紀のイギリスの家庭では、庭にハーブや野菜を植えて自家用にしていたというが、その様な庭も作られていた。

 

 



「キャプテン・クック」の本名は「ジェームス・クック」(1728・10・27~1979・2・14)彼はイギリスの航海士であり探検家、測量士だった。
1770年4月20日「エンデバー号」で航海中に「オーストラリア」の南東海岸に到着し、アボリジニーとも接触した。
1772年軍艦「レゾリューション号」で航海、8月22日「オーストラリア」東岸の英国領有を宣言した。またこの航海では、船員に柑橘類、キャベツの酢漬け「ザワークラフト」「トモシリソウ」(ニュージーランドホウレン草の事)などを食べさせ、世界で初めて壊血病による死者を0にしたという。
1973年1月には、ヨーロッパ人として初めて南極圏にも突入したが、気候的に人間が住めないと判断して引き返している。
1779年の航海で、2月14日、ハワイ島「ケアラケクア湾」で先住民との諍いが起き、その最中に殺された。50歳だった。
彼は6人の子どもを設けたが、孫は一人も生まれなかったため子孫はいない。

彼の死後、1778年、イギリス最初の流刑者が「シドニー湾」に到着し入植が始り、今に至っている。
この背景には、アメリカの「独立戦争」があり、流刑地を失ったイギリスが新たな場所を「オーストラリア」に求めたのだ。
2013年3月の人口は2294万人で、欧州系が大半を占めるが、中東系、アジア系も多い。人口の85%以上が、海岸線から100km以内に住んでいる。




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「2度目のオーストラリアの旅」(8)

2017年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「ピナクルズ」の夕日鑑賞≫

「ワイルドライフ・パーク」を40分程見学した後、一路「ピナクルズ」を目指した。
途中、「塩の山」を見た。地中から次々と塩が吹き上がって来て、畑や林を浸食して行くのだと言う。農地を失った農民もいるらしい。植林をすればいいのかどうか私には分からなかった。



やがて、バスが止まり、低い潅木林の中を歩いて行くと、突然背が低い石の林が現れた。「ピナクルズ」だ。
赤い夕日に染まった赤い景色だった。「荒野の墓標」と言われているらしいが、それがピッタリ来る景色だった。
この景観は、数万年前、この地域が海底だった時、細かく削られた貝殻などが堆積して石灰岩層が作られていた。やがて陸地となり、長い年月の自然の風雨で浸食されて今の景観が生まれたという。つまり、今も刻一刻と形を変えて行っている訳だ。

さらに砂地を先に進むと、少し背が高かったり、台座の様になっていたりと面白い景観が広がっていて、観光客も多くいた。
写真を撮っている間に、夕日が勢いを増して沈んで行った。空の雲が夕焼けに染まった。
真っ暗くならない内にバスに急いだ。







          

3時間かけて「パース」に戻る途中の「ピナクルズ・モーテル」で、夕食を食べた。メニューは「カボチャのスープ」「ステーキ」「ヨーグルトケーキ」だったが、スープがぬるくて不味かった。
そこを出発して間も無く、人工的な明かりが無い場所でバスから降りて、星空を仰いだ。無数の南半球の星々が美しく輝いていた。うっすらと「天の川」も見えたが、時期的に「南十字星」は見えなかった。

前に「シドニー」で三日月を見た時、北半球と南半球とでは三日月の見え方(形)が同じなのかどうなのか、疑問が湧いた事があった。今回ガイドに聞いてみると、「北半球で右端に見える三日月は、赤道付近では下に寝ているように見え、その時南半球では左端に見えるのです。」と教えてくれた。

翌朝は3泊した「パース」から「メルボルン」に戻る。朝早いので、スーツケースを整理して早々に寝た。
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「2度目のオーストラリアの旅」(7)

2017年12月03日 | 海外旅行「オセアニア」
≪動物園で固有種を見学≫

自由行動から戻り、ホテルのレストランで昼食を食べた後、「パース」の北北東に195km離れた「ナンバング国立公園」まで片道3時間かけて行ったが、その途中で「ジャカランタ並木」で下車して鑑賞した。大分前に「南アフリカ共和国」でも見かけた。
「ジャカランタ」の紫色の花は、北海道で5月中旬に咲く「ライラック」(別名リラ)の花に雰囲気が似ている。晴天だったが、私は午前中の疲れから並木の入り口までしか行かなかった。



次に「カバーサム・ワイルドライフ・パーク」で下車して「カンガルー」や「コアラ」「エミュー」「ディンゴ」など、固有種を飼育している施設を見学した。案内してくれたのは、素敵な女性だった。

まず「カンガルー園」に入ったが、草原でのびのびと飼育されていた。
ガイドの女性がペット状の餌をくれたが、ほとんどが寝そべってリラックスしていて、どうやらお腹が一杯らしく食べようとしてくれない。残念だった。



 

                       
   
次に「コアラ園」では、係りの男性が1匹の大きな「コアラ」を奥から連れて来て木に掴らせ、一人ひとりにコアラとの写真を撮らせてくれた。
「コアラ」の指は片手に5本ずつあるが、その内の2本が人間の親指に当たる角度で付いていて、指先の大きな爪でユーカリの木にしがみ付けるようになっている。「コアラ」はその状態で1日13時間も毒性のあるユーカリの葉を消化するために眠っているのだという。

次に「ウオンバット舎」に行った。ここでも奥から連れて来た「ウオンバット」を飼育員が抱き、私達はその隣に座って写真を撮った。触っていいのは小さな足の膝に当たる所だけだった。私は初めて見た。
土に穴を掘って生活する夜行性で、お腹の袋は後ろ向きに付いている。草食で雄より雌の方が大きい。
   
 

「エミュー」は、卵生で「カンガルー」に次ぐ大きさ(体高1.6~2m体重40~60kg)の飛べない鳥だ。翼はあるが小さくて外部からは分からない。
雌は1度に10~30個の卵を産むと何処かへ行ってしまう。卵が孵化するまでの2~3ヶ月間、雄が飲まず食わずで温める。孵化後も雄がヒナの世話をするという珍しい習性の鳥だそうだ。

「ディンゴ」は犬にそっくりだが、インド系のアジア狼だ。自然界では純粋種は絶滅し、現在は雑種だけが残っていると言う。鳴き声を聞いたが、狼に良く似ていた。

 

この他にも、多様な鳥類やトカゲなどが飼育されていた。





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「2度目のオーストラリアの旅」(6)

2017年12月02日 | 海外旅行「オセアニア」
≪4日目の午前中は自由行動≫

ホテルが「パース」の街中にあったので、午前中の自由行動時間には駅の北側にある「西オーストラリア美術館」に行く事にした。
9時過ぎにホテルを出、ぶらぶら歩いて15分程すると美術館に着いた。しかし何と開館は10時からとあったので、少し前庭で待った。前庭には小さめの向日葵が咲き誇っていた。
美術館の入館料は無料。ただし、寄付箱が置いてあったので、持っていた小銭を入れた。
作品では、この地域に古くから居住している「アボリジニー」の画家の作品が主に私の目を引いた。点描で彼等の神話や精神世界を書いた独特の作品だった。
フラッシュ無しなら撮影はOKだった。

 

 

      

40分程で出て、街中のスーパーマーケット「WOOLWORTHS」に行った。ここも11時からだということで、3階に行って少し待った。
1階の食料品売り場で、国内生産をしているというチョコレート菓子「チムタム」(価格2.5$)白米1kg(2.3$)、それと隣国「ニュージーランド」産の「マヌカハニー340g」(8.5$)それと伯母にと詰め合わせチョコレート菓子(19$)を求めた。

 

「オーストラリア」ではオリンピックが開催された2000年から、それまで無かった消費税が10%に定められたという。
牛乳、育児用ミルク、パンでは食パンとバターロール、マーガリンなどの生活必需品には軽減税率が適用されているらしいが、私が買った食品には10%が課せられたと思う。伯母用の菓子が輸入品の為か、一番高くついた。
(レシートを確認したら、16%の消費税だった。17年の間に上がったのかもしれない)

「チムタム」は美味しい。白米は日本のよりも粘り気が少ないが味は良かった。
現在日本政府は、輸入白米に関税を7倍以上掛けているので日本国内で買えば高いのだが、現地では安い。味を見たくて自家用に買って来た。
隣国「ニュージーランド」産の「マヌカ・ハニー」は蜂蜜の中でも抗菌力が特に強いと言われているので、これにした。日本国内で求めると高価なので、これも自家用に買って来たものだ。
「オーストラリア」の平均賃金は日本の2倍程度らしく、そのために物価も2倍以上だから、現地で暮らしている人たちには高く感じなくても、外部から行った旅行者には高価になる。
近年、雪が降らない国の「オーストラリア人」が、大勢北海道の「ニセコ」にスキーをしにやって来ている。中には土地や家を買って長期滞在する人達も多いそうだ。日本とオーストラリアの平均賃金や物価を考えたら、彼等にとって日本では半額で生活できるのだから納得できる。
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「2度目のオーストラリアの旅」(5)

2017年11月30日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「ウエーブロック」観光≫

カフェを出て、「ヨーク」の東南東200kmにある「ウエーブロック」に行った。
ここは27億年前にはただの壁状の岩塊だったものが、長年の風雨の浸食を受けてその一部が逆巻く波の様に変化した所だ。
行って見ると高さ約15mの岩が、長さ110mもに渡って立ち上がっていて、その一部が波状になっていた。
岩の下は風音が強いため、先住民達は岩の上の方で暮らしていたというのだ。薪をした時出るタール状の汚物が流れ落ち、岩を汚していた。





上に上って見ると、大きな岩塊である事が分かった。また、下の眺望が良かった。



「ウエーブロック」の端に「河馬のあくび岩」と言われる場所があった。ここは先住民アボリジニーの女性の「産室」だったそうだ。中は狭くごろごろした岩があって座るのにも痛そうだった。



再びバスで30分程行った所で、先住民が住んでいた洞窟(下の写真の中央奥の岩)を見学した。
内部はかなり広く、低い天井の岩に壁画が書かれているのが確認できた。





     
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「2度目のオーストラリアの旅」(4)

2017年11月30日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「パース」から「ヨーク」まで≫

旅の3日目は「パース」のホテルでバイキング式の朝食を食べた。パン、副食、果物など種類が多く、つい食べ過ぎてしまいそうだった。
ウエイトレスが飲み物の注文を取っていたので「紅茶」を頼んだら、素敵なポットに入った「アールグレイ」が「ストレーナー」と共に運ばれて来た。優雅な気分で朝食を終えた。



ホテルを9時に出て、バスは収穫間近い黄金色に輝く広大な小麦畑の中を一路東に向かった。
日本では、「アメリカ」「オーストラリア」「カナダ」から主に小麦粉を輸入している。何故なら、昔から気候風土のためか、日本では最近までたんぱく質含有量が中間のうどんやそうめんに向く小麦しか取れないからだ。それでも小麦の国内自給率は低く(平成28年度は12%)、現在、日本と同じ中間質の小麦粉の多くを「オーストラリア」から輸入している。

途中、「ペットのお墓」で下車し、写真を写してから100年前の面影を残す小さな町「ヨーク」に立ち寄り、100年間変らないというコーヒー店でコーヒーを飲んだ。「コーヒー」「カプチーノ」「紅茶」が、全て4$(384円)だった。



          



その店の筋向いに「生協」のスーパーがあったので、入って見た。
野菜や果物、肉などの生鮮食品が並んでいた。どれも新鮮で、さすが食糧輸出国「オーストラリア」だと思った。
価格は「マッシュルーム」1kgは種類により違うが、17.99~24オーストラリアドルだったので、1730~2304円程度となる。(今回行きに羽田で外貨を買ったら、1オーストラリアドルは96円だった)
また「ピーマン」1kgは8.99$(863円)「トマト中」500gで1.99$(191円)みかん(本日限り)1kg2.99$(287円)だった。林檎はみかんの2倍以上高かった。

「生協」の横で、婦人団体が慈善事業をしていて、手作りらしいクッキーやケーキを売っていた。
その日のバスには「足置き」が無かったので、私達足が短めの女性陣は「生協」で見つけた小型ダンボール箱をそれぞれに貰って足置きにし、凄く楽になった。私は3日間使った後、最後は土産に買った菓子の梱包に役立てた。
        

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「2度目のオーストラリアの旅」(3)

2017年11月28日 | 海外旅行「オセアニア」
≪「オーストラリア」の固有動植物≫

「パース」は「西オーストラリア州」の州都で、市街地には高層ビル群が林立している一方で、緑豊かな沢山の公園もある。「ジャカランタ」の木には紫色の花が咲いていた。

「ワイルドフラワー」と言われる植物は世界に12000種あるらしいが、その内の9000種が「オーストラリア」に自生しているという。
何故なら「オーストラリア大陸」は地球上で最も古い大陸で、初めは数億年前に地球上にあったと考えられている「ゴンドワナ大陸」の東部が南極大陸、オーストラリア大陸、インド亜大陸などに分裂し、数万年前の氷河期が終った後、海面が上がってニューギニア島と分断され、最終的に「オーストラリア大陸」が形成されたと言われている。
その時以来「オーストラリア」はその他の地域と行き来できない孤島になったため、動植物は独自の進化を遂げたと考えられている。調べた所では哺乳類の83%、爬虫類の89%、魚類・昆虫類の90%、両生類の93%が固有種だという。

「キングスパーク」は「パース」の西に位置し、市街地と「スワン川」を見下ろす事ができ、面積は400万㎡もある広大な公園である。



       



今回はその極一部分を散策したに過ぎないが、「コアラ」の食糧である「ユーカリ」や、アフリカ、マダガスカル、オーストラリアに原種がある巨木「バオパブの木」、その他の珍しい「ワイルドフラワー」を多く見かけた。「ワイルドフラワー」の開花期は9~11月なので、丁度間に合った感じだった。
「オウム」も高い枝に止まっていたし「カラス」は日本の「セキレイ」を大きくした様な姿をしていた。
花や木の名前を現地ガイドに教えられたが、余りにも多くて覚えられなかったので、写真の一部を掲載する。



      




           (バオバブの木) 

 
                                 (ユーカリの花)
   

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「2度目のオーストラリアの旅」(2)

2017年11月27日 | 海外旅行「オセアニア」
≪羽田国際空港から「シドニー」経由で「パース」へ≫

今回は前々日に伯母をショートステイに送り、ようやくスーツケースを居間に出して旅支度を開始した。
「オーストラリア」は入国の際、持ち込み荷物の中に「乳製品・缶詰以外の肉と肉製品・生の果物や野菜・ナッツ類・生きている鶏卵や切花、球根・種が入った梅干」は禁止されているし、菓子類も申告が必要なので、私はいつもよりはずっと少なく、要請されたら直ぐに見せられる様に手荷物に「のど飴・チョコレート1枚」を持参しただけだった。
また、出かける日は家の片付けにも時間がかかり、ぐったりと疲れてしまった。

羽田から国際線を利用するのは、今回初めてだった。
ツアーの添乗員から出発の数日前に来た電話で「新千歳で着く「国内線ターミナル」からは、無料の連絡バスがあるので、それで「国際線ターミナル」まで来て下さい。乗り場は8番です。」と聞いていた。

出発した午後、「新千歳空港」の乗り継ぎカウンターでスーツケースを「シドニー」まで預けたので、身軽になった。18時55分にJALで羽田に着いた。
到着後、着いた羽田空港国内線の案内所で無料バス乗り場を再確認し、第1ターミナルに向った。約10分で到着し、団体受付カウンターのK社受付にスムーズに直行する事ができた。

添乗員に初対面してから「カンタス航空」の受付に行き、「羽田」から「シドニー」を経由して「パース」までの航空券を2枚発行してもらった。
それから上の階に上がって椅子を見つけ、家から持参した残りご飯で作ったお握りなどを食べてから「出国ゲート」に行った。

22時発の「カンタス航空」は満席に近かったが、幸いにも通路側の座席を取れた。
飛行後1時間ほどしてペットボトルの水、また間も無くして飲み物と夕食の機内食が出た。夕食は塩味が強くて余り美味しくなかった。

途中、気流のために機体が左右に酷く揺れて目が覚め怖かったが、うつらうつらと眠っている内に朝を迎えていた。
朝食代わりの軽食が出たが、「グラノーラ」と「ヨーグルト」「ケーキ」「飲み物」だけで驚いた。こんな簡素な機内での朝食は初めてだった。

9時間35分後に「シドニー」に到着。「シドニー」は日本との時差が+1時間なので、1時間時計を進ませた。
荷物受け取り後、改めて国内線で「パース」に乗り継ぎをするので、20分近く連絡バスに乗り、「国内線ターミナル」に向った。
そこで改めてスーツケースを預け直し、手荷物の安全検査を受け、14時10分発の小型飛行機に乗り継いだ。
「パース」到着は16時5分。日本との時差は-2時間なので、差し引き時計を3時間遅らせた。
いつも時差による時計の時刻合わせには戸惑うが、今回は1つの国なのに日本と比べて東側にある「シドニー」から、逆に西側にある「パース」に行ったので時刻合わせの計算が複雑だった。

「パース」空港からバスに乗り込み、夕刻の町を走って「キングスパーク」に行った。
途中、車窓から町の風景をカメラで写した。

 

           

 

          
「キングスパーク」では、「オーストラリア」大陸に固有の多くの草花と樹木を見て回った。(写真は次回に掲載したい)

「キングスパーク」見学後、市内を車窓観光して夕食のレストランに行った。
最初の食事は「イタリアンレストラン」だった。メニューは「ムール貝」「スパゲティナポリタン」「ナッツが乗ったケーキ」「飲み物」だった。
野菜が全く無かったし、味付けが塩辛かったので少しガッカリした。

 

その後、3泊するホテルに向った。部屋は広く、「スワン川」を臨め、ベッドも大きい部屋だった。
これで大半が移動時間となった旅の2日間が終った。

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「2度目のオーストラリアの旅」(1)

2017年11月26日 | 海外旅行「オセアニア」
暫く留守にしていたが、一昨日、「オーストラリア」へは2回目となる9日間の旅から無事に帰国した。
地球上「オーストラリア」は、日本とは赤道を挟んで丁度反対側に位置するため、11月の中旬は晩春の季節に当たる。それで気候的にもそれ程問題は無いだろうと考えて旅行社に申し込んだのだった。
前回は1月初旬、一応真夏だったが、今回は晩春だからと妙に安心していた。
しかし「オーストラリア」の内陸部、特に「エアーズロック」は、冬の季節以外は昼間かなりの高温になることを十分に承知していなかったのだ。

この時期を選んだのは、丁度庭の木々の冬囲いが済み、農園の収穫作業も終り、漬物用大根を数日干して下漬けした後、本漬けにも間に合う筈だったからだ。
資料では、11月の「エアーズロック」(先住民「アボリジニー」の聖地)の平均最高気温は34℃と出ていたが、最高気温が2℃しかなかった当地から実際に行って見ると、そこは37℃もあった。
そんな中、植物がほとんど生えていないその地域の赤土の大地を、2日に渡って2時間ずつハイキングした。(2日目は午前中だったので、気温は少し低かった)
1日目は午後3時位からだったから、石や岩の多い散策路で照り返しもあって実際には39℃程だったのではないだろうか。
しかし、ともかく水を小まめに飲みながら行って来た。

最後の日、希望者は「エアーズロック」に登ることもできたが、その日は風が強く登山禁止になり、早朝から登山口は閉鎖されていた。
もしも閉鎖されていなければ、2年後には登山が全面禁止となるその山を前にして、きっと私自身はどうするか迷っただろうと思う。
草が1本も生えていないかなり急傾斜の岩山だから、毎年、転倒滑落による怪我人、死亡者が何人も出ているという山だ。
なので正直な所、禁止日でホッとしたという所だった。
(下の写真は、前日の日没直前にツアーで訪れた観賞場所から写した内の一枚だ)



今回は、前回行っていない「西オーストラリア州」の「パース」に3泊して、「ウエーブロック」や「ピナクルズ」「ナンバング国立公園」などを観光したし、「ビクトリア州」の「メルボルン」の市内観光と郊外観光もできたので、まあまあ充実した旅行だったと思っている。
しかし、日本の21倍の面積がある「オーストラリア」を短期間で回るには、航空機が移動手段になる。そのため、早朝に出発したり、ホテルに着く時間が遅くなるなど行動時間と移動時間が長くなり、高齢者には結構過酷な旅だった。

       

もう一つ、強く感じたのは物価の高さだった。500ccの清涼飲料水が1本300~480円、日本ならコンビニで200~300円で買えるサンドイッチが900円、軒並みどの物価も日本の3~5倍もしたからだ。
資料によると最低賃金は日本の140~150%らしいが、それにしても高いと感じた。
今回の旅行社に支払った費用も、1人55万円とやはり高かった。

留守の間、私が住む地域には降雪があったらしいが、帰国の前日、雨が降って溶けてしまったらしい。
しかし、この所の最高気温が氷点下の寒さなので、ほぼ40度近い気温差に震えているし、今日は朝からちらちらと雪が降っているので、除雪用のスコップを出して除雪もした。いよいよ北国には冬が到来したのだ。
昨日、「ショートステイ」から帰宅した伯母には、初めて「湯たんぽ」を入れてあげた。



日本との時差は少ない国だったので、ヨーロッパやアメリカに行ったような時差による体調の乱れは少ない。
これから暇を見ながら、少しずつ旅日記を書きたいと思っている。
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オーストラリアの旅(8)

2009年12月08日 | 海外旅行「オセアニア」
5日目の朝は、(7)に書いたようにビーチサイドで朝食を摂った後、ゴールドコーストの南西方向100kmに位置する「ラミントン国立公園」に2時間半かけて向った。ここは、世界自然遺産に指定されている公園だ。
起点は2箇所あるらしいが、私たちは「オライリーズ」へ行った。

ここは牧畜をしようとオライリー一族が山を買った後、その土地を含む地域が国立公園に指定されたため、今、彼らの子孫がその土地で観光客に野鳥の餌付けなどを無料で行なっているというのだ。
山に沿ってくねくねと曲がった道路を登っていくと、山間に羊の群れや点在する家々が見え、のどかな山岳地帯に入った。
暫く昇ると日が翳る樹林帯に入った。
ガイドが、「この辺がワラビーの生息地域ですから、見逃さないように。」と言ったので、私も必死で車窓の外を探したが、その日はとうとう1頭も発見できず、目だけがひどく疲れた。

標高を1000m程昇った所に、整備された熱帯雨林ウオークができる場所があった。
木道をガイドに付いて歩いて行くと、鳥の声が聞こえた。
「板根」が特徴の珍しい「スオウの木」①が沢山生えていた。私と友人は1月に行った西表島の仲間川で、サシシマスオウの巨木を見ていたので、何か懐かしかった。
ネットで調べると、スオウの木は英名でsapanwoodと呼ばれ、熱帯から亜熱帯に生えるマメ科の小高木である。心材やさやから取れる赤色の色素ブラジリンは、日本ではスオウ色として古くから使われて来たのだという。そういえば私は3月に行った台湾でも見た。
他にも、数本の幹が絡み合って中央の木を締め付け、やがて枯らしてしまう木②など、珍しい熱帯の特徴ある木々が沢山生えていた。

 ① ② ③

野生のキブツカツクリ(雑木を集めて大きな塚を作り、その中に卵を生む鳥)が歩き回っていたが、早すぎて上手くピントを合わせられなかった。③
暫く散策すると、立派なつり橋があった。1度に6人までと人数制限された橋を渡っていくと、15m下に熱帯雨林の木々が茂っていた。④⑤

 ④ ⑤

散策の後、野鳥の餌付けができる場所に行った。⑥
管理人が1人に1つづつ、中央に餌を入れた金属製の盆を渡してくれた。
するとすかさずオームに似た赤や緑の美しい鳥が何羽も飛んで来て、盆にとまり、餌をついばむのだ。
頭が赤で身体が緑色の鳥はキンショウジョウインコの雄、頭が緑色で胸が赤色のインコはその雌、鮮やかな青色と赤色が混じった鳥はクリムゾンロゼーラで、別名アカクサインコともいうそうだ。
鳥は頭や肩、腕にお構いなくとまるので、帽子を被っていなかった人の中には髪に糞をされた人もいた。
鳥の足の爪は結構鋭かったが、7~8分、互いに写真を取り合って楽しい一時を過ごした。⑦

 ⑥ ⑦

最後の夜となったその日の夕食は、ホテルのレストランで海鮮料理だった。⑧
豪華な海の幸や果物、デザートなどをビュッフェスタイルでたっぷり味わいながら、ツアー仲間との最後の交流を存分に楽しんだ。                   
            ⑧

翌朝は4時に起きて、明るくなった5時にホテルを出、ブリスベン空港から8;50発の飛行機で帰国の途に着いた。
成田空港には9時間20分後の17;10分に到着。
私と友人は成田発19;55に乗り継ぎ、帰宅したら23時に近かった。
疲れが溜まっていたのか、私は1日中機内で、食事時間以外ずっと寝ていた。

今回は正味4日間のオーストラリア旅行だったが、今まで知らなかったオーストラリアの雰囲気をたっぷり味わえた本当に楽しい旅になった。円高のせいなのか、今回のホテル、食事はとても良かった。
海外は初めてだった友人も、十分に満足したようで嬉しかった。

ただ一つ不満を言えば、ガイド料やバスの使用料を支払っている貴重な時間の中で、毎日1回は旅行会社が提携していると思われるお土産屋に、結構な時間、連れて行かれたことだ。
その時間を、シドニーなら水族館に行くとか、ブリスベンならシティホールで下車して館内にある美術館や博物館を見たり、ブリスベン川で市民の足だというフェリーに乗るなど、もっと観光に有効活用して欲しかった。
確かにお土産を買う目的の人もいると思うが、そういう人にはその日の観光を終えた後で案内するべきなのではと思ったのだ。
今後のためにも日本の主催旅行社には、現地の旅行会社に日程を丸投げせずに、もう少し客の立場に立って考えてもらいたいところだと思った。

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オーストラリアの旅(7)

2009年12月07日 | 海外旅行「オセアニア」
牧場滞在の後、バスでゴールドコーストに向った。
まずガイドブックにも載っているカンガルー皮の加工工房に連れて行かれた。
数人の人がカンガルーやダチョウの皮(オーストリッチ)のバックを買い求めたが、私は何も買わなかった。行く先々で買い物をしていたら、家中、物で溢れてしまうからだ。
しかし、広い土地があるなら、そこでダチョウを飼って排泄物は野菜作りの有機肥料にし、皮は取って商売をするなどというのはどうかなと思った。

ゴールドコーストは、オーストラリア大陸の東側海岸線の中ほどにある60kmも続くビーチで、別名「サーファーズパラダイス」とも呼ばれている町だ。
雨が少なく、1年で300日は晴れているらしい。
ガイドは、周辺の海や河口には鮫がいて、海には遊泳が許可されている場所だけで、時間を守って入ると話した。
監視人がいる台が設けられていた。カイトサーフィンを楽しむ人が多いそうだ。

翌日の朝食は、ビーチサイドにある監視人たちの宿泊所のレストランだったが、食事の後、私たちは裸足になってビーチを歩いた。砂が細かく、柔らかだった。
ビーチでは、カヌーの競技が行なわれていた。①
またビーチから町を見ると、まるで砂上の楼閣のように見えた。②
若者達が水着、裸足のスタイルで町を歩いていたのに驚いたし、スーパーマーケットで体格の良い女の子がビキニスタイルで買い物をしていたのにも仰天させられた。

 ① ②

地上230mの「Q1タワー」に昇った時、展望台から見たゴールドコーストは、幾筋もの用水路が張りめぐらされ、そこをモーターボートが行き来する美しい水の都だった。③
鮫が入り込むのか、素晴らしいビーチがあるのにプールのある家やコンドミニアムらしい建物が眼下に多く見えた。④

 ③ ④

ガイドの話によると、捕れた鮫はフカヒレとして中国に輸出され、肉はフライにして食べる。鮫の肝油はサプリメントとして、その多くはイギリスに輸出されるそうだ。
それを聞いて私は、緯度が高くて紫外線が少なく、そのために骨の形成不全になりやすいイギリス人がお得意様なんだと納得できた。
また伸縮性がある独特な鮫の皮膚は、イアンソープ選手の水着のデザインのモデルになったのだ。
ガイドがこの話をした途端、ドライバーが口を開いた。「このバスにも彼が乗ったことがある」と。

私たちの部屋は、レジャーランドとビーチが見える15階だった。⑤⑥
レジャーランドでは、夜遅くまでネオンサインが輝き、バンジージャンプなどに興じる若者達で賑わっていた。
鯨やイルカも来るというこの町に、2日間しかいられないのが残念だった。

 ⑤ ⑥

その夜、オプショナルで「土蛍洞窟ツアー」があった。
私は6年前ニュージーランドで、水が流れる洞窟をボートに乗って下りながら、天井に満天の星空のように輝く土蛍を見た事があったので、ホテルで洗濯をしていた。
10時半頃帰って来た友人は、真っ暗い洞窟を探検しながら、珍しい土蛍を見たことに大感激していた。






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