花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

「キプロス」「マルタ」の旅(2)

2015年11月28日 | 海外旅行「地中海地域」キプロス、マルタ
≪帰国した日≫

一昨日の夜に「キプロス・マルタ9日間の旅」を終えて「成田空港」に帰国したが、すでに時間的に「新千歳空港」に飛ぶ飛行機が無いため、「成田ビューホテル」に一泊して昨日9時の飛行機で帰宅した。
私にとっては1日多い10日間の旅になった。

以前はずっと「日航成田ホテル」を前後泊に利用していたが、その内に朝食の質が下がった様に感じたので、この1年間ほどはこちらのホテルを利用している。
温泉があるので、ゆっくりと帰国した気分を味わえた。

昨日は11時前に「新千歳空港」に着くと、一面が銀世界で気温は1℃。太陽が出ていたが寒いこと!
何でもこの時期の60cm以上の降雪は62年ぶりとか…。
JRで我が町の駅に降り、家まで5分歩いたのだが、道路は除雪車が入っていないためにグサグサ状態。今回はリュックサックの代わりにキャリーバックを持って行ったのだが、小さい車輪が雪に埋まって回らないため、腕で引っ張って帰った。
雪道ではスーツケースも同様に重みで埋まって動かなくなるのだが、今回は「成田空港」で宅配便として預けて来たので良かった。(届くのは2日後だが)

家に着いて見ると玄関先は綺麗に除雪されていた。
隣家の方がしてくれたらしいので、早速手荷物で持ち帰った「ハーフワイン」と「ワイン入りチョコレート」を土産に挨拶に行った。冬場でもこうした近所の方たちのお陰で、私も旅行に出られるので感謝している。

14時頃、今夜の食材の買い出しに久し振りで車を運転した。
今冬初めての雪道の運転だったが、新品のスタッドレスタイヤなのでブレーキが良く効く。
あちこちで除雪車が除雪をしていた。
色々な野菜と数種類の刺身、伯母に「飲むヨーグルト」を買って、帰りしな伯母の施設に寄った。

伯母は「疲れているのにこんなに早く来てくれて有難う!」と私の手を握り締めた。
私の留守中、血圧が高めになったので薬を1つ増やしたという報告が看護婦からあった。伯母の体調は心配する程ではなかったので良かった。
10日分の多い洗濯物を預かって帰宅した。

早めの夕食には「生散らし寿司」と「ポテトサラダ」を作り、行く前に漬け込んだ「赤カブの甘酢漬け」などを食べ、正に帰国気分を味わった。

23時頃までVTRに録って置いた「韓国ドラマ」と「ニュース」を早送りで見てから寝た。
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「キプロス」「マルタ」の旅(1)

2015年11月17日 | 海外旅行「地中海地域」キプロス、マルタ
いよいよ明日18日、地中海に浮かぶ小さな共和国「キプロス」と「マルタ」に旅行に出かける。
一昨日のパリで「同時多発無差別テロ」が起きた事で、世界中、安全な場所はなくなってしまった様だ。本当に嘆かわしいし、犠牲となった多くの人達を思うと、旅行を楽しむ気分もなくなってしまう。
しかし、テロ加害者は、多くの人達が恐怖に駆られて家から出なくなることを期待していると思うので、予定通り、出かけて来たい。何かあれば、その時に対処したい。

地中海の要所にあって1500kmも離れている「キプロス」と「マルタ」には、紀元前からの歴史があり、ギリシャやトルコの影響を強く受けて来た国だ。
気候は最高気温が21度位らしいから、旅には快適だろう。
青い海と空、美味しい海産物を食べながら、5つの「世界遺産」を観光し、楽しんで来る積もりだ。

帰国は26日夜なので、私は成田のホテルに1泊して27日に帰宅する予定だ。
それまでブログを休むので、どうか宜しく。

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預金の「くじ」に当選

2015年11月14日 | 暮らしと経済・経済生活
退職以来ずっと年金は郵貯銀行の普通貯金口座で受け取って来た。
ある時、JAバンクで年金を受け取っている人に限り、通常より少し高い金利の定期預金が特別に設定されていることを知った。
早速JAバンクの窓口に必要な書類を持って行って、年金受け取りの変更手続きをした。簡単だった。

ところが昨年春に、JAで年金を受け取っている人ができる「年金定期預金」をしたら「ニッポンの恵み」という「くじ」に応募できることを知った。早速、定期預金を少しして応募した。

その預金の満期が今年6月だったのだが、7月になって当選したという知らせが来た。
プレゼントを選べるというので第1希望に「国産銘柄米15kg」、第2希望に「国産乳製品詰め合わせ」と書いた葉書を送っておいた。
過日、「国産乳製品詰め合わせ」が送られて来た。送料も入れて8000円相当と言うだけあって充実した詰め合わせだった。量が多いので、仲間や娘、従姉、友人にもお裾分けした。

所がである。別の預金をした事を忘れていたのだが、今回、9月末までに満期になる定期預金の「くじ」に当選したという葉書が来たのである。
驚いた。パンフレットを良く見たら、当選確率は5%らしい。私ってこんなにくじに強かったかなと不思議だった。
今日、希望を書いた葉書を出そうと思う。
プレゼントは「牛肉」や「茶」「加工肉」「梅干」「スープ」などもあるが、今回の第1希望は「全農ブランド詰め合わせ」にした。どんなものが来るか今から楽しみだ。

          



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庭木の冬囲い完了

2015年11月13日 | ガーデニング・家庭菜園
気温が低過ぎたり雨が降ったりで中断していた庭木の冬囲いを、昨日完了させた。
前庭の薔薇、ツツジ類、東側に植えてあるブルーベリーに竹を立てて、それを縄で縛ったものが80本できたが、玄関先通路に面しているその内の14本には、さらにその外側を麻布で巻きつけた。
そこは通路の除雪のために、場合によっては1.8~2mの高さの雪が積もる所だからだ。



今回は新しい縄を全く使わず、数年間使って来た縄で全てを間に合わせた。
長さがまちまちなので、手にした長さの縄が何処に適当かを判断しながら使って行った。
これって「認知症」の予防になるかも知れないなと考えたりした。

手袋をはいていては縛る作業などができないので、気がついたら薔薇の棘が何箇所にも刺さっていたりした。
棘は家に入ってから拡大鏡で確認して、毛抜きで抜いた。
また、木に縄を二重に巻いてから力を入れて左右に引っ張り締めるため、両腕の肘の下の筋肉が痛んだので、ずっと湿布を張っている。
でも、これでいつ大雪が降っても安心でいられる。



後は菊の始末や冬に備えたコンポストの設置と聖護院大根の漬物を漬ける仕事がある。
それらを済ませたら、次の旅行に出かける支度に取り掛かろうと思っている所だ。
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巨大文字の民話で大笑い

2015年11月12日 | 高齢期の生活全般

私が持っている古い「世界美術全集」を処分しようと考えていたが、その前に伯母にも見せてからと思い、過日、数冊を持って行った。
伯母は随分前に一度だけ伯父とヨーロッパ旅行をした事があるので、「ゴッホ」や「セザンヌ」などの画集に興味を持つのではないかと思ったのだ。
「晩鐘」で有名な「ミレー」の作品では、働く農民を沢山描いている。
当時の画家は、王侯貴族の肖像画などを描いて収入を得ていたので、「ミレー」が農民を描いても少しも売れなかったに違いない。でも「ミレー」は、一生懸命働いて堅実な生活を送る農民の姿に惹かれたんだね、などと説明しながら農作業をして来た伯母に見てもらった。
伯母は「この絵は知っているよ。」と言いながら見ていた。
画集なので、小さな文字を読めなくても、何とか見えるようだった。

一昨日、施設に行くと、看護師さんから「部屋にある美術の本が要らないのなら『ディサービス』で来る人達に見せたいけど…」と言われた。
昨日は伯母の施設の入居費用を払うため、銀行で貯金を下ろして施設に行ったので、ついでに「ロートレック」や「ゴッホ」「ゴーギャン」の「美術全集」を3冊届けた。
大判で重い本なので、これからは行く度に数冊ずつ持参することにしようと思っている。

ところで昨日は伯母の部屋に行くと、丁度、図書館から借りた「巨大文字の民話」を伯母が見ていた。
どうかと聞くと、「東北地方の方言で書いてあるので、言葉が良く分からない。」という。方言の下に注釈が入っているが、小さくて見えないようだ。
そこで私が伯母の耳元で声を出して、方言の注釈もしながら「屁っこき嫁さん」という話を読んだ。
面白おかしく書いてあり、独特の方言の言い回しにも味があって、読んでいる間中、伯母は大きな声を出して笑い続けた。
そして「一人で部屋にいると笑うことなどないのに、この本はいいね~。」としみじみ言った。
私は「伯母さんも声を出して読んだらいいよ。」と言った。

この「巨大文字の本」は図書館の本棚1つにびっしりとあるので、また適当なのを借りて来て、時々は読み聞かせをして伯母を楽しませたいと思った出来事だった。  

  
                         

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図書館で巨大文字の本を発見

2015年11月10日 | 高齢期の生活全般

今日は朝から雨。そのために気温が上がらず、最高気温は6度だった。
庭仕事ができないのでその他の用事を足すことにした。

先ず、歯を詰めた金属が先日寝ていた時に取れたので、歯科に行って直して貰った。
次に借りていた本数冊を図書館に返却に行って、新たな本を借りて来た。
その時、文庫の書棚の隣に22ビットの巨大文字で印刷された小説や民話を発見した。
視力が0.1しかない伯母にも読めるかも知れないと考え、適当に3冊選んだ。

それから「蜜柑」1袋と「飲むヨーグルト」を持って伯母の所に行った。
本を渡すと「こんなに大きな文字なら、読めるかも知れない。」と喜んでくれた。私からは「目が疲れるほど詠んだら駄目だよ。」と一言いった。

今日の伯母は、1月程前に入所して来た人の話をしていた。
90歳の女性で息子が3人いて、孫達も沢山いるらしいけど、誰も会いに来てくれないのだとか。ずっとそうなので特に寂しくは感じないと言っている。
この所随分寒くなったが、その人は温かい下着や上着の着替えが無いので困っているそうだ。また認知症らしく、物忘れをする人だとも…。
花が好きだと言うので、伯母の部屋にあるアザレアの花を見に来た時に「蜜柑」を上げたら、「今年初めて食べる。」と話したそうだ。
伯母は、「その人の事を考えたら、自分は何て幸せなのだろうかと思う。お陰さまで本当に感謝している。」と話した。
私は「ここは老健施設だから、認知症の人や伯母さんの様に耳や目が悪い人、車椅子の人、内臓の病気などで病院から退院して来たばかりの人など、色々な人がいるんだよ。でも家庭の状況は様々なんだよ。」と話したら、納得した様だった。
最後に「伯母さんは家族を亡くしてしまったけれど、農家の嫁として一生懸命働き続け、伯父の介護も自宅でしたから、そのご褒美で今の暮らしがあるように思うよ。」と話した。

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タイヤを交換してもらう

2015年11月09日 | 日記
いつ雪が降ってもおかしくない時期になった。今朝は晴天で昨日よりも温かかったので、タイヤ交換をしてもらうことにした。
まず物置の自転車などを外に出し、奥にしまってあった新品のホイールが付いている冬タイヤを1本ずつ車の後部に積んだ。年々、この作業が重く感じられる様になって来て、もう数年前まで初春と晩秋の年2回、自分でしていた交換は無理だと悟る。
ついでに冬用のワイパーも換えてもらうことにした。

この時期は誰もが交換するので、下手したら長時間待つ事になりかねない。それが嫌なので、いつも利用している自動車メンテナンス専門店の開店20分前に行ったら私が1番だった。そこは同時に4箇所で交換作業をするので、4番目までなら良かったのだが…。

店内で待っている間に、入り口に展示していた運転席の「フロアーマット」が目に付いた。
先日まで農園に通っていたので、どうしても靴に付いた泥や小石で運転席の床が汚れてしまう。それにこれから雪道になると、靴に付いた雪を持ち込むことにもなる。新車をあまり汚したくないと考えてゴム製のマットを買った。

20分で作業が終ったので、近くの「ホームセンター」に立ち寄った。
春から沢山販売されていた花木の残りが特売されていた。「新潟の香り椿」が目に付いた。
既に家には3鉢あるのだが、蕾が膨らんで来たら施設の伯母の部屋に持って行って上げようと思いつき、結局1株購入してしまった。半額だった。

帰宅後、また重たい思いをして夏タイヤを物置に保管した。
30分休憩してから、薔薇の冬囲い作業を開始した。今日は3時間したので、ほぼ85%程度完成に近づけた。

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友人に会いに札幌へ

2015年11月07日 | 高齢期の生活全般
今朝の気温は4度。最高気温も6度程度という中、今日は5ヶ月振りに旧知の友人に会うために札幌に向かった。
11時過ぎに国道を走ったが、車が混んでいた。
待ち合わせの回転すし店に着くと、友人は既に来ていて待っていてくれた。

この友人との出会いは、半世紀も前の中学時代だった。当時の高校は小学区制だったので、高校も同じ高校の同級生として3年間過した。
彼女は小説が好きな文学少女で、私も多少なりともその影響を受けた。
お陰で私が高校時代から貰っていた日本育英会の奨学金で、集英社の本だったと思うが「日本文学全集」と「世界文学全集」を毎月予約して置いたのを読み、その感想を話し合ったりしていた。
高校卒業後はそれぞれ異なる道に進んだが、その後も度々会っていた。

今日の私はいつもの様に我が家にある野菜で「浅漬け」と「ナマス」をつくり、収穫した「じゃが芋」と買い置きしてあった駄菓子、瓶入りの「ローズヒップジャム」などを持って行った。
彼女は私のために「お饅頭」を用意してくれていた。

お寿司を食べながら、家族の事、旅行の報告、健康の状況など、色々話した。身に詰まされる深刻な話も聞かされたが、それには私の意見を伝えた。
旧知の友は、ある意味で私の人生の一部になっているので、これからもこの友人との交流を何時までも大切にしたいと思っている。

帰宅後気温が低いので、僅かだが過日収穫して乾燥させた「小豆」を室内に持ち込み、鞘から出した。
赤い色の「小豆」が乾燥した鞘からこぼれる様に出てくるのは感動的だった。
最終的に計ったら、1kg強の「小豆」が採れた。これで「汁粉」や「赤飯」を何回か作りたい。



                   
                    (タライの中で半分鞘から出した所)
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庭の冬支度は、まだ未完成

2015年11月06日 | ガーデニング・家庭菜園
10月末から11月の初めの時期は、毎年、11月3日以降は閉鎖される菜園の片付けと、冬の間積雪で折れないようにする薔薇の雪囲いで多忙だ。
今年は菜園の片付けは終えたものの、庭の薔薇の方は晴天が続き、花が沢山咲いていたので、花を処分するのが忍びなくて取りかかるのが遅くなってしまった。
何時までも放置できないので、3~4日前に薔薇の花や蕾が付いている枝を切り取り、1本1本棘を取って近所数軒に差し上げた。
我が家の玄関にも飾った。「マルメロ」は仲間が持って来てくれたものだ。

 

                

しかし、一昨日、札幌から従姉が初めて手伝いに来てくれたので、私が薔薇の茎をまとめて縄で縛り終えたのから順に、従姉には補強の竹を3本ずつ立て、上をビニールテープで縛って貰った。
日が暮れる前までに二人でようやく竹をほとんど立てる所までは済ませられた。写真は今の段階の庭だ。



この後、竹が倒れないように巻きつけながら紐を掛けたり、また特に積雪量が多くなる通路横の薔薇には竹の外側を麻布で巻いたりしなければならない。
昨年は11月9日にメキシコに出かけたので急いで雪囲いを済ませたのだが、今年は当面急がなければならない訳が無いので、後2~3日はかかるだろうと思っている。

    
   (今が最高に美しい「ドウダンツツジ」)   (「オステオスペルマム」別名「ディモルフォセカ」)

昨日は満開の菊を数種切り、施設の伯母の部屋に飾って来た。
室内の湿度計を見たら50%しかなく乾燥しているので、植物を置くことは乾燥を防ぐ事にもなるし、空気を清浄化もできるので良いのではと思う。
何よりも生きている植物は、伯母の癒しにもなりそうだ。


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ある日の「薩摩芋だんご」の朝食

2015年11月03日 | 医療・健康・食生活・衣生活
大きい薩摩芋があったので「じゃが芋団子」ならぬ「薩摩芋団子」を作ることにした。
作り方は①芋をゆでてマッシャーで潰し、芋のおよそ1/4量の澱粉と水を少量加え、バター、塩、胡椒を適量加えて良く混ぜる。
 (じゃが芋の時は、砂糖を少し入れるが、今回は薩摩芋の自然な甘さを生かした)
      ②ビニール袋に入れて、形を棒状にする。そのまま冷蔵庫で保管すると3~4日持つ。
      ③袋から取り出して、適当な厚さに切り、フライパンで中~弱火で蓋をして焼く。
塩味を薄くしたので、今回はトマトケチャップをつけて食べた。

フライパンの空き部分で目玉焼きや庭のピーマン、シシトウなども一緒に焼いて作った。
写真の瓶入りのは、仲間から貰った「ピクルス」だ。ミニトマトや隠元豆、人参も入っている。美味しい。
漬物は自家製大根で作った「浅漬け」である。

          
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「イラン」の旅(余録)

2015年11月02日 | 海外旅行「中近東Ⅰ」イラン
≪働く女性をほとんど見かけなかったが、現実は…≫

今まで訪れたイスラム教系の国々では、女性は男性の庇護の下、深窓の奥でひっそりと家事と育児、年寄りの世話をしている姿が見て取れた。
町に出る際は、家族以外の男性の目を避けるために「スカーフ」と「外套」や長い「チャドル」を身にまとって、顔だけ、あるいは目だけ、中には目も網で覆った姿で歩かねばならないから、自ずと社会的な役割を果たす事は難しい。
それに比べ男性は、短パン以外なら上は半袖シャツ1枚の涼しい快適な服装をしている人が大半だった。(最初に入ったレストランで「水タバコ」を吸っていた男性の一人は、何と下着姿だった)

     

次の話は専属のスルーガイド氏から聞いた話である。
『バスの座席は前が男性、後ろが女性だ。
プールは男女別に作られていて、女性は水着なら泳げる。しかし、気温が50度を超える真夏、北の「カスピ海」に面した町の海水浴場が賑わうが、そこでは海の中にカーテンが張られて、遊泳場所が男女別に分かれている。しかもそこでも女性は、服を着て泳がなければならない。』
『TVドラマでは、最近韓国ドラマが増えているが、男女が接近する場面はカットされている。』
『また、イランの女子サッカーチームは「スカーフ」をして競技に出る。』
街中には「宗教警察」がいて、歩いている女性の中に「スカーフ」から髪が1本出ていても取り締まる。』

『最近は情報がどんどん入って来る様になって、今までの考え方が急に違って来た。
「楽で高給な仕事」を求める若者が増えた。現実にはそんな仕事は無いから、無職の若者が増えて、親に金をせびる。
昔は父親が絶対だったが、子どもの言いなりになる親が増えた。そうでない場合は親子喧嘩が始る。
そんな訳で40~50代の親世代とその子どもに、断絶が生じている。』

『結局、男性1人の経済力では家族の生活を支えられないから、ここ20年で働く女性も増えて来た。現在の大学生の65%が女性、35%が男性だ。』
『経済力を持った女性は、何か問題があると離婚したがる。
30年前までは、25歳までに女性は結婚していた。今は、30歳過ぎた未婚の女性や40歳以上の未婚の男性が沢山いる。
未婚女性の理想の男性は、車を持ち、高給を取り、背が高く、親が居ない男性だというが、そんな男性は現実はいないので、結婚できないのだ。』

ガイド氏の説明を聞いていて、女性の方が大学進学率がかけ離れて高いというのも信じ難かったし、実際に私が働く女性を見かけたのは「テヘラン空港」の案内係りと個人経営の小さなレストランの女主人の2人だけだったので、実はどうなのかを知る事はできなかった。しかし、話の内容からは、今の日本の現実を「イラン」も追って来ている様に私には思えた。

これから高等教育を受ける女性が徐々に社会的な役割を果たし始めると、男女の関係に変化が現れるに違いない。そして時間がかかるかも知れないが、多くの女性が経済的に自立するようになると、今までの固定化された閉鎖的な女性の生き方は変わり、やがて社会そのものも変化して行くだろうと思った。

今回の「イラン」は情報が少ない国だったが、思い切って行って本当に良かったと思っている。できればいつかもう一度行って見たい国だと思っている。
長い報告記事になったが、庭仕事をしながらやっと書き終えて安堵している。
ブログ上で共に旅をしてくれた方々は「イラン」という国をどの様に感じただろうか。
                               (完)



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「イラン」の旅(16)

2015年11月01日 | 海外旅行「中近東Ⅰ」イラン
≪最終日は首都「テヘラン」へ、そして帰国≫

①「アブヤーネ村」散策

「イスファハン」から「テヘラン」までは、北へ450kmもある。朝ホテルを出たバスは、途中で東に入り、小さな田舎の「アブヤーネ村」に寄った。
ガイド氏の説明では、この村には古くから小学校があり、教育が熱心に行われて来た。そのためか医者や政治家を多く輩出している事で有名だそうだ。言葉は独特な言語を使うようだ。

村は山の裾野にへばりつくように建てられていた。この地域の鉄分が多く含む土を固めた泥壁で作っているので、どの家もその壁土が酸化してピンク色で美しい。



バスを降りると間も無く小学校があった。道の下には山からの水が流れていた。

 

16歳だという少女達が、賑やかに傍を通った。口々に私達に写真を写してくれと言う。引率教師に撮影の許可を貰って写させて貰った。どの生徒の顔も溌剌としていて美しかった。



        

村の中に入って行くと、老人が干した林檎やイチジク、木の実のジャムなどを売っている。
女性は約束したように綺麗な花柄のスカーフを被っている。男性は幅広のズボンを着ている。これがこの村の民族衣装なのだとか。
ある高齢女性二人が干し果物を売っていたので、近づいてスカーフを見せてもらった。
私達が日本人だと知ると、二人とも、「このスカーフは、日本製だよ。」と縁に織られている字を見せた。確かに「made in Japan」と織り込まれていた。こんな所で日本に出会えたことは何という偶然の巡り合わせかと驚き、声を出して一緒に笑った。

 

ドアの左右に付けられた金具の形が違う。ガイド氏の説明では、男女で鳴らす金具が決められている。
男性の訪問者が鳴らす右の重い金具が出す音と、女性の訪問者が鳴らす左の軽い金具が出す音が違うので、家の中から音を聞いて、来訪者が男性か女性かを知るのだそうだ。イスラムの世界ならではだが、なかなか良く考えられていると思った。



         

②世界遺産「フィーン庭園」

「カシャーン」という町の郊外にこの庭園はある。アッパース一世の命で造成されたもので、ペルシャ式庭園として2011年に世界遺産に登録された。

 

庭園の横の建物には、かって「ガージャール朝」時代に活躍した宰相「アミーレ・キャビール」が処刑された場所があり、人形を使ってその時の様子を伝えていた。

          

16時半過ぎに全ての観光が終って、バスで一路「テヘラン」を目指した。
やがて夕日が落ちて夕闇が迫り、空の色が変わっていった。その空を見ながら「イラン」の旅行が無事に終れそうな事に感謝した。



「テヘラン空港」22;20発の「ドーハ」行きカタール航空に乗り、「ドーハ」で成田行きに乗り換え、10時間5分かかって予定通り17;55に帰国した。
座席の前にある液晶パネルで飛行ルートを見ると、「ドーハ」→「イスタンブール」→「北京」→「ソウル」→「成田」とほぼ同緯度の所を最短距離で飛行した。

          

中国の西部は真っ白い雪原だった。日本海上空は厚い雲に覆われていて下は見えない。この雲が日本に雨を降らせるのだと思った。
そして成田空港に近づくと、下に緑の大地が見えた。日本は素晴らしい国だと思った。

機内は往路とは異なり満席に近く窮屈だったが、疲れていたのでぐっすり寝られた。
私はその夜の内に「新千歳空港」に戻ることができ、久し振りに家のベッドでぐっすりと寝た。





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