花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病を持ちながら伯母の介護をし、夏場はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

「ウズベキスタンの旅」(6)

2014年05月31日 | 海外旅行「中央アジア」
≪西部都市ヒヴァの観光≫(1)

「タシケント」を1日観光した後、タシケント空港に行き、18;40発の国内線で「タシケント」から750km西の「ウルゲンチ」迄2時間半飛んだ。さらにそこからバスで南西に35kmの距離を1時間半走り、隣国「トルクメニスタン」との国境に近い「ヒヴァ」のホテルに夜の22時過ぎに入った。

「ヒヴァ」は、古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の出入り口として、また周囲が砂漠なのに、肥沃な川のデルタ地帯にあったため、4000~5000年以上も前から近郊には人が住み、農業を行っていたことが知られている。
そして17世紀に「ヒヴァ」は、年間300日が晴れるという太陽の州「ホラムズ州」の中心地となり、街をぐるりと「城壁」で囲ったのだ。
イスラム教の中心地ともなった「ヒヴァ」には、城壁内に20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなどが残されている。

1990年に『ヒヴァ旧市街』は世界遺産に指定された。
旧市街を取り囲む「城壁」の高さは8m、厚さ6m、長さ2.3kmあり、東西南北に4つの門がある。泊まったホテルは、その内の「西門(オタ・ダルヴァザ門)」の前方にあった。

朝食を早めに済ませ、旅友と一緒に西門周辺を30分程散策した。気温がまだ高くないので気持の良い散歩ができた。
西門の横に「0」を発見した数学者「ムハンマド・アル・ホレズミ」の大きな像があった。彼の偉業は、この国の誇りなのだろう。
城壁に沿って南に回ると、未完成のままになっている「カルタ・ミナル」が見えた。このミナルは青い彩釉で焼かれたタイルで覆われた美しいもので、1852年に工事が始まったが、ハンが1855年にペルシャとの戦争で死亡したために中断されたままになっている。現在は26mの高さだがmもしも完成すれば70m以上の高さになっていたと推察されている。
早朝なのに既に高齢の女性が、竹箒で掃除をしていた。

   

その日は、ホテルから徒歩で「旧市街」観光に出かけた。
西門の前には、観光客や子ども達が沢山いた。中に入ると、初めにガイドがモザイクタイルでできた「案内図」を見ながら旧市街の説明があった。













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「ウズベキスタンの旅」(5)

2014年05月29日 | 海外旅行「中央アジア」
≪タシケント観光≫(2)

②「独立(ムスタキリク)広場」
私たちはバスから降りて地下鉄に乗り換え、4駅乗って「ムタキリク・マイダニ駅」で下車した。地下鉄の深さや建築の芸術性は、以前経験したモスクワのものとは比較にならないが、ここのホームも天井が高く、美的にも駅ごとに力を入れて造ってあった。
それにガイドからこの国の若者は皆、高齢者に席を譲ると聞いていたが、その通りだった。私は席を譲ってくれた女性に、いつも持ち歩いている半完成の折ズルを目の前で完成させて渡したら喜んでくれた。
それを見ていたグループの女性が、「今度は私も真似させてもらうね。」と言っていた。

駅を出ると、もうそこが市の中心の「独立広場」だった。広い公園にコウノトリを飾ったモニュメントが造ってあった。

また奥に進むと噴水の向こうに「母子像」のモニュメントがあった。ガイドの説明では、ソ連時代にはレーニン像が建てられていたが、今は国を産み出した大地を現す母と、生まれて間もない若い国を現す子どもの像に変わったという。
この日の気温は37℃あって、雲ひとつ無い青空から射す光が目に痛い位だった。

  

③「ナヴォイ・オペラ・バレー劇場」
「独立広場」から8分程歩き、「ナヴォイ・オペラ・バレー劇場」が建つ「ナヴォイ公園」に行った。
1947年に完成したこの劇場は収容人数1500人、レーニン廟の設計者シューセフが設計を手がけた劇場だが、日本人捕虜達が強制労働によって建設したものだ。1966年の大地震で街の建物の大半が壊滅した時にもこの劇場の被害は少なく、人々は「日本人の優秀さと勤勉さによって建てられた結果だ」と評価したという。

(5月30日付けの朝日新聞「世界発」に「名劇場の陰 抑留の歴史」が掲載された。それに寄れば、このレンガ造りの劇場建設には約400人の日本人抑留者が携わったらしい。現在東京に住む帰還した元抑留者の話では、日本人の働きぶりは評判になり、魚の干物、ウオッカなどの差し入れや結婚の申し出まであったという)



④「ウズベキスタン歴史博物館」
また歩いて直ぐの所にある「歴史博物館」に行った。館内は撮影禁止だった。
ここには石器時代から現代までの歴史が展示されていて、小学生の団体も教師に引率されて見学に来ていた。
2階はガイドが説明してくれたが、3階の帝政ロシアが征服してから現代までの歴史展示は、自由参観だった。ロシアが行った政府に反対する人々の粛清の写真(並んで絞首刑されていたり、大勢が土中に埋められた写真)には身震いした。

 

④「バラク・ハン・メドレセ」
「メドレセ」は、イスラム教の神学校である。
ここは16世紀にバラク・ハンが建て、中央アジアのイスラームの本庁だった所だが、2007年から学生用の部屋には土産物屋が入っている。
モザイクタイルが美しい部屋で、土産物屋の店員が陶器の絵付けをし、色々な土産物が売られていた。
屋外の草原で、子どもを遊ばせている女性を見かけた。

 

 

⑤「クカルダシュ・メドレセ」
16世紀にタシケントを支配していた大臣が、街の中心部に建てた神学校だ。モスクと神学校は6~7m高くなった場所に建てられていた。
ロシア帝国が支配する前は、罪人や不貞を犯したとされた女性がミナレットから投げ落とされたらしい。

 

 

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「ウズベキスタンの旅」(4)

2014年05月28日 | 海外旅行「中央アジア」
≪タシケント観光≫(1)

「タシケント」のホテルで1泊後、翌朝食事を早めに済ませて友人とホテルの近くを散歩した。
ホテルの前は樹木が生い茂る広い公園になっていて、公園を抜けると、幅が広い幹線道路があり、一角に銀行が立ち並んでいた。
道路を渡るとスーパーマーケットや洋品店があり、「KAPAOKE」(カラオケ)店もあった。(キリル文字では、Pは英語のR、Yは英語のUと同じである)
カラオケ店の裏には、ソ連時代に建てられたと思われる7階建て程の古いアパートがあった。

 

 

ホテルに戻ると、バスが来ていて、運転手がスーツケースを積んでいた。バスは40人乗りで運転席が1階、客席が2階と分かれている珍しいバスだった。窓ガラスも綺麗に拭かれていて気持ち良かった。



いよいよ首都「タシケント」市内の観光に出発した。
この町の人口は250万人。この日の気温は予想より高い37℃だったが、「大陸性気候」なので7月には45~48℃にもなり、冬は-25℃に下がるという厳しい土地だ。
古くからシルクロードのオアシスとして色々な民族が行き交ったために、現在も多民族国家である。

1865年から帝政ロシアに支配され、ロシア人の入植が続いた。
1966年に起きた大地震で古い城壁やロシア人街とウズベク人街との境界も崩れ去った。
その後、ソ連から3万人以上の労働者が送り込まれて、町の復興に当たった。1977年には地下鉄を建設している。

①「日本人墓地」
バスで先ず向かったのは「日本人墓地」だった。
ソ連の領土だった第二次世界大戦後、ソ連の捕虜となり、タシケントに送られて強制労働させられ亡くなった日本人79名が、ムスリムの墓地の奥に眠っていた。
亡くなった人は福島県の出身者が多かったのか、墓地内に1990年5月に建てられた慰霊碑があり、その表には「永遠の平和と友好 不戦の誓いの碑」「碑建立実効委員会、日ソ親善協会福島県支部」、その裏側にはここに眠っている人たちの名前が刻まれていた。

(5月30日付けの朝日新聞「世界発」の記事によると、厚生労働省の資料では旧ソ連での抑留者は約561,000人。その内約23,
000人がウズベキスタンに連行され、運河やダム、水力発電所、劇場建設の他、炭鉱や農業にも従事したという。約900人が死亡した。ウズベキスタン国内には13の日本人墓地があると書いてあった)



  (小さい画像は、クリックすると拡大します)

現在墓地を管理してくれている「Xyppam」(フラム)さんの祖父が、日本人墓地の造成に尽力し、できてからは家族で代々管理しているという。私たちは手を合わせてからそれぞれ感謝の印に彼に寸志を渡した。私は握手後、一緒に写真を撮り、サインをしてもらった。
私にとっては、26年前に「ハバロフスク日本人墓地」を訪れて以来の旧ソ連領にある日本人墓地参拝だった。



現地ガイドの説明では、この国の墓は個人々々に造られ、墓石に生前の写真を参考に肖像を刻む習慣があるそうだ。隣の墓地には亡くなった人の顔や全身を刻んだ墓石が多かった。



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「ウズベキスタンの旅」(3)

2014年05月27日 | 海外旅行「中央アジア」
≪出国時の税関の指紋認証制度≫ 

成田空港では、今回も出国時はとても混雑していた。
先ず「安全検査」を受けた。ここでは幾つもの列ができていたが、混んでいて15分程かかった。
「安全検査」が終ると、下の階に下りて税関の出国審査がある。搭乗券とパスポートを提示して、出国の許可印を押してもらうのだ。10列ほどの列ができていたが、どれも長い。並ぶと15分以上はかかるだろう。

そこで今回、思い切ってTVで知った「指紋認証制度」の登録申請をすることにした。
右端の奥に申請場所があり、申請用紙を貰って、氏名、パスポートNO、住所、電話番号などを書き込んだ。書いて出すと、両手の人差し指を機械に置くように言われた。指紋の写真を撮られたようだ。

これで全て終了し、パスポートの最終ページにNO入りの許可印が押され、渡された。
許可までにかかった時間は5~6分だった。

ほとんど誰もいない指紋を登録している人用の通路に入り、パスポートの写真欄を真ん中に伏せ、登録した人差し指を支持された場所に置いて待つこと10秒程。通路の扉が開いた。すっと通り抜けてそれで終りだった。

もう登録してあるので、今のパスポートの有効期限が切れる前日まで有効で、今後は並ばずに税関を通過できることになったのだ。
もしパスポートに出国印を押印したければ、通過後に申し入れることができるらしい。次回からは押印してもらうことにしよう。

 
  (今年の「さらさどうだんツツジ」の花は、数が多く大きい)
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宿根草が咲き出した

2014年05月27日 | ガーデニング
今庭では、「水仙」や「早咲きチューリップ」「翁草」早咲きの「ツツジ」の花は終わり、「遅咲きのチューリップ」数種と各種の宿根草、「どうだんツツジ」「さらさどうだんツツジ」が開花していて賑やかである。


(刺し芽で冬越しさせて増やした「オステオスペルマム」)


(3年前に近所の高齢女性宅の草取りを手伝った時に分けてくれた「ニゲラ」)   

 
(「ジャーマンアイリス」はもう少しで開花)       (銀盃草)


(「さらさどうだんツツジ」)


(「さらさどうだんツツジ・赤」)


(「宿根カスミソウ」)

 
(「ブルーベリー」の白い花が沢山咲いた)


(「蓮華ツツジ」の大きい蕾は、間も無く開花しそう)
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「ウズベキスタンの旅」(2)

2014年05月25日 | 海外旅行「中央アジア」
「ウズベキスタン」から23日、予定通り帰国した。
航空機は、今年4月から日本の成田空港と「ウズベキスタン」の首都「タシケント」間に「ウズベキスタン航空」の直行便が飛んだので、今回はその飛行機で往復した。
行きも帰りも300人乗りの機内に乗客は2/5程度で、このままだと直行便は無くなるのではと心配した程だった。お陰で私は、往復共両側が空席で、しっかり休むことができた。
行きは「タシケント」迄9時間半、帰りは「成田」迄7時間50分と、ヨーロッパに行くよりも近かった。

成田を10;26に発った行きの飛行機は、「韓国」と「中国」の上空を横切る様に飛んで、中国の遥か西域にある「ウズベキスタン」を目指すルートを飛んだ。
(写真は、座席前のTV画面を写したもの)



手前の隣国「キリギス」上空から下を見ると、広大な砂漠とまだ雪を抱いている山脈、そして大きな湖(イシク湖?)が見えた。それは、私が今まで余り見た事が無い光景だった。







機内食は美味しかった。



15;55に「タシケント」に着いたが、気温は32℃で、13度程度の北海道から行った私には、「ウズベキスタン」はやはり真夏の国だった。

しかし、翌日移動して行った西部の「ウルゲンチ」「ヒヴァ」では、最高気温が37~38度と暑く、さらに私の体には応えた。ミネラルウオーターを結構飲んだが、体の渇きは最高潮に達した。
6日目朝から腸を壊し、ほぼ2日間絶食して主治医が処方してくれた下痢止め薬を飲んだ。
最後の日にようやく回復し、元気で帰国することができた。ひょっとして熱中症だったのかも知れない。

ホテルに向かう貸切バス内でスルーガイドの女性が「ドル」を現地通貨「スム」に両替してくれた。換算すると、1000スム=45.6円になった。

夕食を食べにレストランに寄った。初めて食べた「ウズベキスタン料理」はまあまあの味だった。
私はアルコールは飲まないが、このレストランのビールは7000スム(320円)、ワインは6000スム(274円)だった様だ。



「ウズベキスタン」は国土の60%が砂漠の国なので、移動は国内線の飛行機で2回、高速鉄道で1回半日、長距離バスで1日という具合だった。

新千歳空港に帰って見ると13度しかない。帰宅後、寒いのでストーブを点けた。
聞くと、留守中、ずっと天候が悪かったらしく、チューリップがまだ咲いていたので驚いた。
昨日は、朝10度の外に出て3時間、庭の草取りをした。

今朝、ようやく少し温かくなったので、半日掛かりで「隠元豆」の種蒔きをしたり、薔薇に支えをしたりした。
旅行前に庭の畑を手伝った近所の家に行き、草取りと発芽していた野菜を間引いたりもして来た。
早く温かな日が続いて欲しい。「ウズベキスタン」との気温差に、また体が慣れない。

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次々と開花

2014年05月15日 | ガーデニング
昨夕、2~3分間雨が降ったお陰で、乾き切った土が少し湿った。植物には恵みの雨である。
今朝の庭で開花したのを写した。


(三兄弟の水仙)                   (口紅水仙)


(花ニラ)


                           (アルプス乙女林檎)
 

(アスパラガス)
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「ウズベキスタンの旅」(1)

2014年05月14日 | 海外旅行「中央アジア」
一昨日、昨日と農園に出かけ、「ミニ牛蒡」「小蕪」の種を蒔き、じゃが芋「ノーザンルビー」を植えた。これで今の時期に予定していた農園の植え付けはほぼ済んだ。(豆類は帰国後に種を蒔くつもりだ)
半年間室内で寒さを凌ぎながら花を楽しませてくれた幾つもの「アザレア」や「椿」を、長期の留守でも乾燥しないように鉢から出して、東側の窓下に植え終った。(花が済んだものから順番に剪定して、この状態でいつも10月になるまで置いて置くのだが)



種から育てていた「ミニトマト」などの苗はまだ小さいが、乾燥しないように今日、庭に仮植えするつもりだ。

それで5月16日(金)から8日間の予定で「ウズベキスタン」に旅行して来る。
成田空港のツアーの集合時間が早いので、今回も家を15日の午後に出て、成田のホテルで前泊する。
もう大雪の心配が無くなったので、新千歳空港での航空機の遅れや休止を心配しなくても良くなり、気分的には大分軽い。

「ウズベキスタン」は、かって「ローマ」や「カイロ」と「中国」「日本」を結んで交易をする「シルクロード」の中継地として2000年以上前から栄えた歴史のある国だ。位置は北を「カザフスタン」、南西を「トルクメニスタン」に挟まれ、南部の国境の一部分が「アフガニスタン」の北と接している。



1867年にロシアの一部になったが、1991年に独立を果たした。
日本の1.2倍の面積を有し、人口は2780万人、首都は「タシケント」である。
宗教は、大半がイスラム教スンニ派だという。
入国にはビザが必要だったが、旅行社が団体旅行としてまとめて取ってくれた。

一応、3~6月は春の旅行のベストシーズンらしいが、最高気温は30度近くになるという。2月にインドに行った時と似た様な気候なので、服装は夏服。紫外線が強いので帽子、サングラス、日焼け止めクリームなどの対策を怠らないつもりである。

今回は4つの世界遺産を中心とした観光になるが、イスラム様式の素晴らしい建築を沢山見られると思う。
何分にも体調管理を第一に、迷子になどならないように気をつけて楽しんで来たい。


   (旅行社のパンフレットから転載)

帰国は23日(金)、成田から羽田に行き、羽田発新千歳空港行きに搭乗して、帰宅すると夕刻になる予定。

今日庭で咲いている「三寸あやめ」と「金子玄海つつじ」だ。帰宅して見る変化した庭が楽しみだ。

 
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並んだ並んだ、赤白…

2014年05月13日 | ガーデニング
2~3日、強風が吹き荒れて土も花木も乾き切っていたが、昨夜、ほんの少し雨が降ったらしい。
今日は朝から曇っていて、植物も一息付けそうに見える。

庭の縁石や歩道に面した低い塀に沿って植えた球根が開花して、チューリップが並んで咲いている。

昨日は近所の特別養護老人ホームの入所者が、車椅子を押されながら数人通りかかったので、「どうぞ敷地内に入って見て下さい。」と声を掛けた。
各々、自分が好きなチューリップはこれだとか、良く色々集めましたねとか、手入れが大変でしょうなどと言いながら、庭を眺めて行ってくれた。
「6月末には薔薇も咲きだすので、これからもどうぞ立ち寄って見て下さい。」と言って見送った。

 

  
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市民農園が開園する

2014年05月11日 | 家庭菜園・市民農園
昨日は風が強かったが、やっと市民農園が使用できるようになった。
朝8時半に車に種芋や長葱の苗、それと各種の種を持ち、石灰、化成肥料、鶏糞、新しく買った鍬やホウ、スコップ、竹の棒、包丁などを積んで農園に向かった。

先ず私が借りた間口6m×奥行き8mの15坪(50㎡)の広さの畑を田の字型に4つに分けた。その方が来年以降も輪作し易いと考えた。
昨年カボチャを植えた場所に、トウモロコシ「ピーターコーン」の種を蒔いた。

それから、昨年トウモロコシを植えた場所にじゃが芋を植えることにし、買って来た「トウヤ」2kg「キタアカリ」1kg、「シャドウクイーン」1kgを植えたら7筋もできてしまった。予め土を盛る早期培土を行った。この時、鍬が役立った。

次に芋の隣の通路側に長葱「元蔵」の苗を植えた。深さ25cmの植え穴を掘る時も鍬が実に役立った。
最後に夏大根、アスパラナ、青梗菜の種を蒔いた。

明日は短い牛蒡と小蕪の種を蒔きたいと思っている。
当地で郭公が鳴き出す5月下旬には、枝豆と小豆を少し蒔く予定だ。
市民農園では今年は110人程の人が借りたらしい。昨年よりもかなり増えた。
昨日も私が作業をしていたら、初めて野菜を植えるという若い男性が来て、じゃが芋の植え方を教えて欲しいと頼まれた。
その内、菜園仲間もできそうである。

 (写真は、種蒔きが済んだ私の農園の昨日の様子だ。手前がじゃが芋を植えて培土をした場所。現在緑色なのは、植えた長葱の苗だけだ)

 

 
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高齢者家庭の畑作りを手伝う

2014年05月09日 | 日記

(隣家の桜に葉が出て来た)

近所に、昨年、我が家の菜園の収穫物を色々届けた80歳代の高齢者家庭がある。
聞くところ、家の裏に畑があるが、草畑にしているという。
そこで今年は、お節介な私が手伝いを申し出た。

昨日、9時半にその家に行った。土を起こすことからするのだと思っていたら、すでに石灰を入れ、義弟に起こしてもらったという。
奥さんが種を用意してあったのを受け取り、先ず、堆肥と化成肥料をやって植え筋を切り「さやえんどう」を蒔いた。
次は「春大根」「小松菜」「春菊」「アスパラ菜」「春菊」「大根菜」などの葉物の種を数種類蒔いた。

それから家に買ってあった「長葱」の苗と「じゃが芋」の種芋3個、「大玉トマト」2株だ。
トマトを植えてからビニールマルチをしたり、竹で支えを立てたりするのは奥さんと2人でした。
2時間弱の時間がかかったが、菜園らしくなった。

形や大きさが不揃いでも、自家製の無農薬野菜を沢山、美味しく食べて、まだまだ元気で生活して欲しい。
余った種を頂いたが、私の庭にはもう蒔く場所はない。

郭公が鳴き出す「隠元豆」を植える時期が来たら、それも手伝いたいと言ってある。



今日は雨模様だが、家にあった「ホウレンソウ」と「青梗菜」の種を持って、昨日の高齢者家庭に出かけた。
起こしていない庭の場所をスコップで少し起こし、2種類の種を蒔いた。

奥さんが出て来て、「昨日は有難う。今朝も窓から畑を見ると、その内、芽が出て育つと思えばとても嬉しくなる。」と言っていた。私は「少しでもお役に立てて、私も嬉しいです。」と答えた。

帰りに珍しい「プリムラ」があり、大分増えていたので3株貰った。
帰宅して早速植えていたら、雨が降って来て濡れてしまった。しかし、蒔いて来た種にとっては、恵みの雨だ。

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宿根草の苗を買う

2014年05月08日 | ガーデニング
ここ2年程利用している個人の農家の苗市がやっと始まったので、昨日、買いに行った。
「オステオスペルマム」は200円だったが、その他の花の苗はどれも50円と安いので数種類を求めた。宿根草は増えるので、どれも1株ずつにした。
薔薇の木の間に植えるつもりなので、花の色はブルーやパープル、ホワイトの花が咲く引き立て役の色にした。

      

レジの横にじゃが芋「洞爺」の種芋があったのでそれを3kgと、私が育てているトマトの苗は皆中玉なので、大玉「桃太郎」の苗2つもついでに買った。
昨日、今日と大気が不安定で強い風が吹いているので、明日にでも庭に植えようと思う。

じゃが芋は今朝から陽光に当てている。芽が出てから10日に開園する市民農園に植えつけるつもりだ。
この様に、開花した時の庭の様子を想像しながら、あれこれ計画して種を蒔き、苗を買って来て植えるのが実に楽しい。
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花の支え

2014年05月06日 | ガーデニング
昨日、冷たい寒風が吹きすさんだが、薔薇の新芽が出て来たので、幾つか例年通りの支えを立てた。

支えと言ってもその購入に余り費用を掛けたくなかった。
それで数年前に廃材を拾って手製でトレリスを幾つも作った。



それと農協の資財店で見つけたU字型鉄棒2個を組み合わせるものだ。高さが3種類ほどあって価格が安い。
2種類とも雪が積もる冬は外して、軒下に置いておく事ができる点も良いと思っている。

また、前にも車庫の支柱1本に「クレマチス」を這わせたのだが、鉄柱が夏はかなり熱くなるので、巻いた弦や葉、花には良くないと考えた。
それで今回、ホームセンターに行って金網を買って来て取り付けた。大した隙間はできないが、無いよりは良いのではと思っている。
後は新しく植えたジャックマニー系のクレマチスが伸びて上手く巻きつき、花を咲かせるのを待つことにする。

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色付き始めたチューリップ

2014年05月05日 | ガーデニング
今朝の最低気温は5℃なかったらしい。9時現在13℃まで上がったが風が冷たい。
隣家の桜は7分咲き位になった。満開よりも、今日当たりの咲き方が私は好きだ。



チューリップが色付き始めた。以前はもっと色々な色のチューリップを植えてあったが、色が多いと統一感が低下するので、随分球根を掘り上げてしまい、現在はこの色を多く残してある。



プリムラは地面に近いためか、多様な色でも余り雰囲気に影響を与えないように思う。
先日他で増えた3色を50cmの高さの塀の上の隙間に移植して見た。プリムラは毎年増えるので、今後もあちこちに株分けしながら楽しむことにしたい。



また、今まで枯れ枝状態で冬越ししたクレマチスに、ようやく今年の新芽が幾つか出始めた。また美しい花が見られると思うと嬉しい。
薔薇にも次々と新芽、新葉が出て来た。当地の薔薇の開花は6月末頃になるが、楽しみだ。



数年前に近所から貰った片栗の黄花が、今年もうつむき加減に咲いた。清楚な風情の高山植物なので、大切に増やしたい。
ボタンもようやく蕾が分かる様に膨らんで来た。豪華な花が咲くのが待ち遠しい。

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水仙いろいろ

2014年05月04日 | ガーデニング
昨夜、久々に待望の雨が降ったので、今朝は水遣りをしなくて済んだ。
隣家の蝦夷山桜と思われる蕾が開花し、今朝見ると4分咲き位になった。



庭の宿根草が次々と開花し、今朝は芝桜が5分咲きで良い香りを放っている。



毎年秋に球根を求めて植えて来た水仙が、自己主張するように咲いている。
毎年増殖して増え過ぎた球根を掘り上げてコンポストに入れても、水仙のは強くてなかなか腐食してくれない。





こうして庭の草花を見ていると、寒い寒いと震えていた1~2ヶ月前がうその様に思われる。
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