花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病があるが伯母の介護をし、春~秋はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

オーストラリアの旅(1)

2009年11月30日 | 海外旅行「オセアニア」
昼に家を出てJRで新千歳空港に行くと、同行する友人は先に到着していた。
団体受付カウンターでeチケット(全行程のフライトチケット)の写しを受け取り、旅行会社の係りの説明を受けた。
今回私たちの荷物は、真っ直ぐシドニー迄行くというので、ダウンのコートを着て来た友人は、脱いでスーツケースに入れた。
私は向こうが雨なら着られる薄物を上に羽織っていたので、脱いで機内持ち込み手荷物に入れた。
搭乗受付でスーツケースを預け、オーストラリア入国に必要なEATAS取得のコピーとパスポートを提示し、シドニーまでの搭乗券を貰った。
国際線の成田からシドニー迄は、前日、私がネットで座席の予約を済ませてあったので、その搭乗券も渡された。
それからセキュリティチエックを受けて、成田行き飛行機の人になった。

1時間45分で成田到着。
成田でグループ全員が集合し添乗員に会う事になっていたので、国際線受付カウンターに向った。
説明を受けた後、空港の銀行でオーストラリアドルに両替をした。レートは1AUS弗=91.57円だった。

19;55発のJALとジャルウエイズのコードシェア便に乗った。
何とネットで自分で取った席は、「スペシャルエコノミー席」だったのだ。
エコノミー席よりもかなりデラックスでふかふか、フットレストも付いたゆったり座席だったので、9時間半、いつもの機内よりも楽に寝たり、楽しくおしゃべりしたりして過ごせた。他の人も近くにいるかどうか探したが、見当たらなかった。

現地時間7;40にシドニー着。
シドニーは、日本との時差1時間+夏時間1時間の合わせて2時間遅れの時差なので、腕時計を2時間戻した。
荷物を受け取る間に急いで顔を洗って、待っていたバスに乗り、いよいよシドニーの市内観光に出発した。
まだ朝だというのに気温は20度以上あって陽射しが強い。観光している内に次第に陽射しが強まった。
現地ガイドが、オーストラリアは日本の面積の21倍の広さがあるが、南極のオゾン層が薄くなって来ている影響で紫外線が日本の10倍も降り注ぐ。皮膚がん対策に日焼け止めクリーム、帽子は必需品だと説明した。

また、客と店の従業員は対等な立場なので、物を頼む時は「コーヒー、プリーズ」のように丁寧に言うこと、煙草は屋根のある所は禁煙なので、絶対ホテルの部屋では飲まないこと。飲むと罰金だと話した。
ぽい捨ても罰金だし、煙草は1箱1000円もするらしい。

さらにオーストラリアは国内で物の生産をあまりせず、多くの物を輸入に頼っているため、輸入関税と10%の消費税が加わって物価が高いと説明された。
なるほど、その後何度も立ち寄った土産店やスーパーマーケット、コンビニなどで、私は物価高を実感させられた。
チョコレートや菓子類、牛乳を除く飲み物類は日本の1.5~2.5倍もした。
国内生産されている肉、卵、果物は比較的安かったが、こんなに物価が高いなら、給与水準が余程高いのだろうかと思った。
野菜サラダは綺麗に洗った野菜が適量組み合わされて、皿に盛り合わせできる状態でパックされていた。
果物や野菜はkg単位の値段が表示された量り売りだった。

     

    

 


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明日からオーストラリア

2009年11月23日 | 海外旅行「オセアニア」
初め、友人と5月に行く予定だったオーストラリアが、新型インフルエンザが世界的に流行して来て、4月末には飛行場の検疫も強化されたため、キャンセルしていた。
3月にネットで取った入国ビザの有効期限は1年間だし、インフルエンザについても最近、様子や対策が分かって来たので、オーストラリアが真夏になる前に、やはり思い切って行く事にしたのである。
先月末から今月初めまで、私が韓国に行くことになっていたため、オーストラリアへは明日からにしたのだ。
今回は5泊6日でシドニー、ゴールドコースト、ブリスベンを回る基本的なコースである。

日本はこれから冬になるが、南半球のオーストラリアは初夏、ゴールドコーストはすでに最高気温27~28℃になっているという。
明日はまず、30℃も低い北海道新千歳空港から14時に出発して成田に向う。
成田からは19時55分発のシドニー行きに乗り換え、到着予定は翌朝7時40分だ。
そのままホテルには行かず、バスで観光に向うみたいなので、夏の服装の上に重ね着をして出かけるしかないようだ。
こんな事は初めてなので、果たしてどうなるのか興味が湧く。

昨日はマイレージカードが見つからず、2時間も探した。3週間前に置き場所を変えたのが、忘れる原因になったのだ。
いよいよ私も、物忘れでは人に負けなくなって来たので、これからは普段からの対策が必要みたいだ。

今回同行する友人は、この3年間、一緒に畑仕事にいそしんで来た仲間で、今までに国内旅行には何度も同行して、気心も十分にわかっている人だ。しかし、彼女にとって海外は初めてという事なので、どんな旅になるか楽しみなのだ。

帰宅予定は、29日夜。それまでブログを休む。
再開は12月になると思うが、どうかみなさん風邪を引かぬようお元気で。
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伯母を支えて(2)

2009年11月20日 | 高齢期の生活
市の相談員は、もしかの時に相続人になる伯母の兄弟姉妹に、先ず相談するべきだとアドバイスしてくれた。
伯母も納得した。
その後、1番若い80歳代の妹が身元引受人になってくれたと報告があった。
やはりこういう事は、現在だけでなく、もう1歩先を見据えて考える事が必要だったのだ。




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伯母を支えて(1)

2009年11月18日 | 高齢期の生活
実は私が良く行く伯母には、何十年も共に暮らさなかった1人息子(配偶者も子どももいない)がいたのだが、1ヶ月半前に事故で急死してしまったのだ。
伯父が亡くなってからは1人で高齢者用優良賃貸住宅で生活して来た伯母は、強いショックを受けながらも、葬儀やその他の処理をしなければならなかった。
しかし、当然ながら法律的な知識を持ち合わせていないし、行動力もないので、この間、姪の私が色々と手伝ったり、アドバイスをして来た。

先ず出て来た問題は、今まで名義上、その息子が母親の身元引受人だったのだが、いなくなったので誰が替わってするかという事だった。
伯母には兄弟姉妹がいるが、皆、高齢だ。
そこで伯母は私に頼めないだろうかと言って来た。
私は亡くなった伯父方の姪で、伯母とは姻族になる。

悩んだ挙句、私は市の法律相談に出向いて、当番の弁護士に相談した。
すると弁護士は、どんなに金銭出納簿をしっかりつけて誠実に仕事をしても、伯母が死去した時には相続権を持つ人達が絶対にあーだこーだと言い出すから、そんな依頼は受けては駄目だ、とアドバイスされたのだ。

私は伯母に事情を話した。
しかし、それだけでは納得できないだろうと考え、伯母の住む市の法律相談を受けさせに連れて行った。

(つづく)


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韓国の旅(9)

2009年11月15日 | 海外旅行「韓国」
(8)の続きである。

4、ガイドは、最近の40~50代の女性の話題は、お金儲けとプチ整形なのだという。
韓国では今では男女とも就職活動の1巻として、抵抗なく整形手術を受ける人が多いらしい。親が子どもを病院に連れて行く事も多いそうだ。
整形した男女が結婚して、生まれた子どもが親に似ていないと言うことも現実には出てきているようだと言う。

また、日本でも馴染みの韓国の女優が、TVのCMで宣伝している「BBクリーム」(化粧水、乳液、日焼け止め、保湿成分が全部入っているクリームなので、忙しい朝の化粧に良いとヒットしているクリーム)について、韓国では男性も使い出していると聞き驚いた。
ソウルで夜、散歩がてらドラッグストアーに入って見たら、今では多くの会社から10種類以上のBBクリームが製造されて棚に並べられ売られていた。
しかし、バスの中でガイドが良いと言った商品(それは日本円で1600~2000円と決して安くはなかったが)を、免税店で多くの人が1人数個づつ買っていた。
私は、時間がたっぷりある生活をしている身なので、必要ないから買わなかった。

5、私は今回韓国に1年7ヶ月振りに行ったのだが、世界的な不況の筈なのに、人口1000万人を越すソウルを初めとした大きな町の建築ラッシュに驚いた。
①は水原市内の建築中のマンション。②は①の近くで見かけた高層マンション。いずれも朝の散歩時に見た。
③は、バスの窓越しに映したソウル郊外の新しい高層マンション。総ガラス張りなので、室内が暑く、年中クーラーが必要だとガイドから聞いた。
韓国には地震がないので、見たところほとんどが15階建て以上の高層ビルなのだ。

 ① ②

 ③

ガイドの話では、「ソウルの高層マンションは1坪(3.3㎡)150万円位するので、30坪(100㎡)でベランダ2箇所、トイレも2箇所ある所なら4500万円する。しかし、今の多くの人の夢は家を所有することなので、半分くらいお金ができたら買おうと思っている人が多い。」という。
日本では近年、高層ビルに住む問題点も指摘されるようになったが、韓国では高層ビルに住むことに人生の最終的な夢を描いている人が多いようだった。
それだけ韓国は、日本の後を追って経済成長している国なのだろう。そして、いつかその内、きっと色々な問題が出て来るだろうなと私は思ったのだった。

6、今まで韓国ドラマでも働く女性の姿を多く見て来たが、今回の旅でも色々な場所で元気に働く中高年女性たちを見かけた。
光州市の儒城(ユソン)温泉町の市場で、朝8時前に見かけた伝統的な餅菓子を売る女性。にこやかにポーズをとってくれた。④

韓国では餅菓子は、何かにつけて良く食べるそうである。写真手前のは、色々な木の実や乾燥果物をトッピングしてあった。色は全て天然染料だと言う。

高速道路のドライブショップで、さつま芋餡の蒸し饅頭を売っていた女性もポーズをとってくれた。私は3個買って、バスで何人かと分け合って食べたが、紫さつま芋餡の自然な甘さが美味しかった。⑤

朝まだ気温が低い時間に、観光地の路上でぎんなんなどを売っていた女性。⑥
韓国の頑張る中高年女性たちに拍手したくなった。

 ④ ⑤ 

 ⑥

7、宿泊地が儒城温泉のホテルだった日に、初めてホテルの隣の温泉に入って見た。
入り口で浴用タオル2枚と靴ロッカー・服ロッカーのキーを渡された。
その番号のロッカーを使って脱衣し、大浴場に入った。
夕食後の時間帯のせいか、町の女性たちで溢れていて、沢山有る洗い場には人がいないのにもかかわらず、個人のタオルなどを入れた洗面器で洗い場がふさがれてほとんど空いていないのだ。日本でも以前はそうだったが、今では大分改善されて来ている。韓国では、まだマナーがなっていないと感じた。
どこにいるのかと見たら、みんな大きい浴槽の傍で垢すり中なのだ。
一人で垢すりをしている人、2人でお互いにしている人と色々だが、兎に角、力を込めて真剣にやっていた。私ならあんなにこすったら皮膚がただれてしまうと思った。
私は最初、洗い場所を探して大分うろうろしたが、何とか隅にもぐりこんで身体を洗い、シャンプーをして出たのだった。(固形石鹸はあるが、シャンプー剤は持込だった)
これも良い経験だった。

以上、思いがけず長くなったが、これで「韓国の旅」の報告を終えたい。
今まで4回の訪韓で韓国旅行は終わりにしようと思っていたのだが、また、まだ訪れていない都市が気になり出している。
言葉の問題がなければ1人でも行きたいところだが、その内行っていない郊外の町を巡るツアーが見つかったら、また是非行きたい。
私の拙文を読んでくれた方々には、この記事から韓国をより身近な国に感じてもらえたら嬉しい。 (完)



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1週間を振り返って

2009年11月13日 | 日記
韓国の旅日記を書きながら、雪が降る前にやらねばならない仕事、庭木の冬囲いをした。
最近の最低気温は2~-2℃位なのだが、9時過ぎると4~5℃になるので、温かな格好をして4日間、庭仕事に精を出した。
今年はツツジも薔薇も小さな木には真ん中に竹を立てて、その周りに枝を集め、紐で2~3箇所縛るというごく簡単な方法で済ませた。「雪や寒さに弱すぎる木は、要らない。」と言いながら。
ダリア、グラジオラスの球根は、掘って春まで床下に保管した。
ホームセンターでチューリップの球根が値引かれるのを待っていたら、やっと30%引きになったので2種類買って、今朝、列植した。
(今月末には多分50%引きになると思うが、欲しいのがなくなるかも知れないし、地面も凍って来るので、手を打ったのだ)
今年はチューリップの球根に「早咲き」「遅咲き」という表示がされていたので、植える時の目安になった。
昨日は、庭と畑の長ネギを全部抜いた。結構太く育ったので、暫く食べられそうだ。

さらに昨日は、パソコン教室の帰りに車のタイヤ交換をして来た。これでいつどっと雪が降っても大丈夫だ。
その後、農園に行き、友人と会って1時間ほど久し振りに話をし、楽しかった。

映画「沈まぬ太陽」を見るために、友人と別れた。
レディースディなのに大きな会場に20人位しかいない。暖房もまだなので寒々しく落ち着かなかった。
この映画、やはり私には小説を読んだ時の方がイメージが膨らみ、アフリカの大地で生きた時の恩地の切実感も伝わったが、
映画のアフリカの大地と動物の描き方が平和過ぎて、私には何か物足りなかったし、場面が切り替わる時など、小説を読んでない人には意味がよく判らないのではと気になった所もあった。しかし御巣鷹山での遭難場面は良くできていると思った。
逆に映画を見た事で、改めて小説家・山崎豊子の表現力の凄さを知った。

そして今日の午後は、市の介護福祉課が進める「認知症サポーター養成講座」に参加して勉強して来た。
「認知症を学び、地域で支えよう」という中味の濃いパンフレットに沿った介護老人保健施設の看護師長の話は具体的で良かった。超高齢化社会を目の前にして、誰でもがなり得る認知症の理解がより深まった。

その帰りにスーパーに寄った。
新鮮な生イクラが100g198円で売られていたので買って来た。帰宅後、直ぐにお湯を沸かして醤油漬けを2瓶作った。
味が馴染んだら正月用に冷凍する積りだ。
今夜は、買って来たトロカツオの刺身と余り物のおかずで済ませることにした。





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韓国の旅(8)

2009年11月12日 | 海外旅行「韓国」
6日間と言っても最後の日はモーニングコールが4;50で、5;30にはホテルを出て、仁川空港近くの日本人専用免税店で朝食と買い物をした後、空港に行って10;05の大韓航空機で新千歳空港に帰って来たから、正味4日間の観光だった事になる。世界遺産以外に色々と観光したが、記事からは割愛したい。
今日は最後に、今回の旅で「見たり感じたりした韓国」について書く事にする。

まずガイドが50代のベテラン女性の方だったので、細切れながら現代の韓国事情を聞くことができた。

1、韓国はオリンピックの開催地等を契機として高速道路網や鉄道網が整備され、ソウルから南端の釜山までの380kmを新幹線なら2時間半、高速道路なら時速100kmで4時間半程で行く事ができるようになった。
高速道路は片側3~4車線と幅を広く作ってあり、ひとたび戦争になれば航空機の滑走路にできるようにしてある。
北朝鮮とはまだ敵対関係なので、戦争は遠い事としては考えられていない。

車は1家に1台になったが、車優先社会なので事故には十分に気をつけて欲しいと言われた。
(韓国ドラマでは、しばしば交通事故が起こるストーリーがあり、私はそれに初め違和感を持っていたが、現実に事故が多いのだと言う)
日本車が少ないので聞くと、韓国では欧米の車の輸入は前から認められていたが、日本車は3年前から認められたと言っていた。その理由をガイドは、「韓国車を守るためだと思います。」と言ったが、私には日本の音楽や映画の輸入を最近まで禁止していたのと同じく、日本に対する国民感情を配慮しての国策だったと思えた。
韓国の若者は「角ばった日本車の形は野暮ったい。」というそうだが、なる程韓国車は丸みを帯びた形に見えた。私も次に買う時は、韓国車も視野に入れてもいいかなと思ったりした。
私が見た所、車は皆綺麗で、持ち主が丁寧に管理しているようだったが、ガイドは、「韓国では、車は自分の顔と同じだと考えて綺麗にします。」と言っていた。多分韓国では、まだ車が20~40年位前の日本のようにステータスシンボルの1つなのかも知れないと思った。車検制度は日本と変わらない様だった。

2、韓国の男性には兵役の義務がある事はよく知られているが、何時行くかは18~27歳の中で自分で決める事ができ、陸海空軍のどれにするかも希望できて、試験があるそうだ。
ガイドの話では、最近、年々期間が短くなって来て、2年2ヶ月、2年6ヶ月という勤務を終えると結婚ができ、給料も倍になると言っていた。
ところが「物語 韓国人」(田中明著)によると、韓国では徴兵逃れがいつも問題になるのだという。
この本には『1999年6月、国防省検察部は、現役将校88人を含む四百余名を捜査し、軍人5名を拘束した。』『この時起訴された兵務庁の元准尉などは、富裕層の150余名から総額54000万W(5400万円位)を受け取っていたというからすざましい』とある。
徴兵検査の結果には、合格者と不合格(徴兵免除)者の他に「防衛兵」という区分があり、一家の大黒柱の人、体力、学力が著しく足りない人は、入隊しないで半年~1年、公務員の補助的な仕事をすれば兵役にかえられる。それでずっと楽なこの区分に隠れた希望者が多いらしい。
実際には高級住宅地に住んでいる人やエリートの中には、兵役に行っていない人が多いという報道もなされているという。

3、韓国は儒教の考え方を尊重する国で、人間関係、特に親や祖先を敬う気持ちが今でも本当に強いのだ。
ガイドは、「親孝行をするために、息子は親を国内旅行に連れて行こうとするけれど、娘は海外旅行に連れて行くのが夢という人が多い。」と話してくれた。
私にとっては夢見たいな話しに聞こえたが、確かに景勝地で高齢の親を連れている人たちを多く見た。

今読んでいる「物語 韓国人」(田中明著)という本に、儒教が伝えられた韓国と日本では、その「忠孝」の伝わり方が違うと書いてあった。
韓国では家族を何よりも大事にする「孝」の考え方が強く伝えられたので、家族のために仕事を休む事は当たり前だと考えるが、日本では社会を構成する個人という考えが強く伝わったため、仕事のために親の死に目に会えない事があっても、仕事を優先するべきだという「忠」の考え方が一般的なのだという。


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韓国の旅(7)

2009年11月11日 | 海外旅行「韓国」
今日は目先を変えて今回食べた韓国料理について書く事にする。

まず最初の夕食で食べたのが、水原(スオン)の店の「骨付き王様カルビ」だった。
かなり大きい店で、1階には普通客、2階フロアーがグループ席だったので、私たちはそこへ通された。
すでにテーブルがセットされていた。①
向かい合う2人で炭火焼の肉とこれだけの種類の惣菜を食べるのだ。
店員が骨付きカルビを持って来て、客の前で骨から外して切り、焼き網に乗せていく。
今回は惣菜だけでなく肉もお変わり自由だった。(前回はお惣菜だけがお変わりでき、肉の追加は個人負担だった)
サンチュ(今回はリーフレタスだったが)に焼いたカルビを乗せて辛みそをつけ、さらに好きなように惣菜も乗せてから、サンチュで包むようにして食べるのだ。

韓国料理は、「宮廷女官チャングムの誓い」を見たら判るように「医食同源」の思想に基づいていて、とにかく野菜が多い。
私には今回の生のニラと水菜、大根のサラダは初めての経験だった。
久し振りに食べる白菜キムチは辛く感じたが、大根の塩漬けはおいしかった。水キムチは少し酸っぱかった。
肉は美味しかったが、さらに2回足されたし、惣菜も食べると自動的に付け足され、かなり余してしまったが満足できた。

 ① ②

次は鎮安(チナン)の馬耳山道立公園内の食堂で昼に食べた韓国料理「参鶏湯(サムゲタン)」だ。
写真②のセットが2人分の惣菜。「参鶏湯」は1人1鍋である。
「参鶏湯」は、若鶏1羽の腹の中に、もち米、高麗人参、胡桃、ぎんなんなどを詰めて、スープで煮込んだ滋養食で、鶏肉のコラーゲンが肌に良いと言われている。私には2回目の体験だった。
鶏の身をほぐして小皿に取り、塩を適当につけて食べたが、私自身高麗人参の味に馴染みがないのであまり美味しいとは思わなかった。鶏肉からだしが出ていてスープは美味しかった。
韓国で沢庵が出されたのは初めてだった。

また、ある日の夕食として全州(チョンジュ)の店で「全州ビビンパ」を食べた。③
全州がビビンパの発祥地という事で、この夕食になったらしい。
私は胃腸が弱いので、生の牛肉ユッケを入れない様にしてもらったが、本来は写真手前の各人の器内にユッケも乗っている。
全てをよく混ぜて食べたが、甘辛味噌が特に美味しかった。
この惣菜も2人分だが、美味しくて、まだ食べたいものはお変わりをした。

 ③ ④

ある日の夕食は「韓定食」だった。④
写真は、最初にセットされていた4人分の料理である。
基本的に野菜、山菜、海産物が多く、肉はわずかだった。
この後、さらに次々と数品の料理が出てきたが、全部食べても満腹はしなかった。そしてこれといって記憶に残った料理はなかった。
韓国では昔から銀製の食器や箸、スプーンを使って食べるが、これは王宮で料理に入れられるかも知れない毒を見分けるためだったらしい。
「韓定食」は、多分日本の「懐石料理」に匹敵する料理ではないかと思う。

ソウルでの夕食は、「ボッサム」だった。⑤
これは、キムチに蒸した豚肉や惣菜を乗せて、巻いて食べる料理だ。
写真が2人分のキムチだが、直径17~18cmで、高さ6~7cmに盛り上げてあり、まずその量の多さに驚いてしまった。
途中で煮立った豆腐のチゲ(味噌スープ)も出てきたが、熱いスープを口に入れるとキムチの辛さが増して口の中が痛いように感じた。
美味しかったが、豚肉が多すぎて、たいていの人は残していた。

 ⑤
 
こんなわけで、旅行中、毎食キムチを食べたが、店により少しずつ味が違った。
私が好きだったのは、酸味の少ない浅漬けキムチだった。
大抵旅行をすると体重が増える事が多く、帰国後ダイエットに励まなければならないのだが、今回は変わらなかった。
唐辛子と野菜中心の食事のお陰かも知れないと思っている。

ガイドは、年末に月給の230%程度のキムチボーナスが出ると、5~6人家族がいる一般家庭では100個の白菜を買って来て、半年分のキムチを漬け込み、キムチ専用冷蔵庫に入れて冬越しの惣菜にするのだと話してくれた。(昔は数個のカメに仕込み、2/3位を土中に埋めて保存したようだ)
私は作る量の凄さに驚いた。

下は軒先にニンニクを干していた民家の写真である。多分キムチの準備だろう。⑥
またレンガの煙突は、オンドルの煙り出しの煙突であろう。

 ⑥

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韓国の旅(6)

2009年11月10日 | 海外旅行「韓国」
今回はかっての百済の都があったとされる扶余(プヨ)で観光したことを書きたい。
5日目の午前中、最初にかって百済王朝の「扶蘇山城(プソサンソン)」があった山に行った。
百済の都は、初め、今のソウルにあったが、高句麗に侵入されて光州に下り、最後は扶余まで退き、538年、26代聖王が「白馬江(ペンマガン)」という黄海に続く大河を臨む標高102mの扶蘇山の上に山城を建立したのである。
現在は何も残っていないが、発掘調査で池の跡、軍倉跡が確認されているそうだ。
また38年前には王墓が見つかり、2906点もの遺物も収集されたという。

当時半島には、高句麗、新羅、百済の3国があり、互いに対立、懐柔を繰り返していたが、百済は日本とは特に友好関係にあり、538年、日本に仏教を伝えている。
百済王朝は31代続いたが、最後は唐と新羅の連合軍に攻め込まれ、最後の31代義慈王の660年7月に滅びた。
この時日本は、百済の援軍要請に応じて白馬江まで400隻の水軍を送り、唐、新羅の連合軍と戦ったが敗退した。
敗れた百済の貴族達は、その後日本に逃れて帰化人となった人も多く、飛鳥時代の芸術文化に大きな影響を与えたのだ。
中でも百済の副官2人は、急に唐に脅威を抱くようになった日本で、対馬、九州に幾つかの防備の山城を築く協力をしている。
(これらは田中明著「物語 韓国人」に詳しく書かれている)

当時、百済の義慈王は毎日、昼間から遊興にうつつを抜かす緊張感に欠けた生活をしていたが、攻められた日も3000人の宮女をはべらせて酒宴をしていたという。
その宮女たちは、攻めて来た敵軍から辱めを受けるのを恐れて断崖絶壁の上まで追い詰められた後、そこから次々と下の白馬江に身を投げたらしい。
後にその女性たちを悼んで、韓服のスカート「チマ」を風にひるがさせて落ちた姿を花びらに例え、そこに「百花亭」を建てて韓国女性の鏡としてたたえ、語り継いでいるという。

私たちは「扶蘇山城」の山門①の横を抜け、整備された紅葉の林道②を20分程登ると「百花亭」③に着いた。

 ① ② ③

その断崖からは、眼下に悠々と流れる白馬江を臨む事ができた。④
そこから急な石段を降りて行くと白馬江の船着場に着いた。観光用の古い帆をかけた遊覧船が待っていた。それに乗って10分程川を下って、川下の町で下船した。
船からは「落花巌」と刻まれた百花亭の下の絶壁⑤を見上げる事ができた。(写真ではよくわからないが、頂上には「百花亭」がある)
私は船に乗りながら、遥か昔、遠く日本からやって来て、ここで戦った水軍の兵士たちに思いを馳せた。負け戦だったのだから、この川に沈んだ兵士も数多かった事だろう。

 ④ ⑤ 

船を降りた後、バスで「宮南池(クンナムジ)公園」に行った。
百済時代ここに王の別邸があり、中島がある池が作られたのだが、中の築山では連日、宴会が盛大に行なわれたという。
今は中島まで橋が渡された人工池になっていた。⑥
この池のデザインは新羅や日本に伝えられ、長く池作りのモデルになったらしい。

 ⑥

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韓国の旅(5)

2009年11月09日 | 海外旅行「韓国」
最後の世界遺産は、5日目の夕方、ソウル市内観光で行った「宗廟(チョンミョ)」だ。
ここは朝鮮国初代王の李成桂(イ・ソンケ)が今のソウルに都を置いた1395年に建てられ、李氏朝鮮の1~27代までの歴代国王とその妃の位牌49位が祭られていて、1995年に世界遺産に指定された。
かっての建物は文禄の役(壬辰倭乱)時侵攻した日本軍によって1592年に消失させられ、今の宗廟は1608年に再建されたものだという。

私は今まで3回、李氏朝鮮王朝の正殿だった「景福宮(キョンボックン)」(これも文禄の役で消失されたものを再建したものだ)を訪れていたが、「宗廟」に行くのは今回初めてだった。
お墓と言っても良いこの場所は、緑に囲まれた静かな場所にあり、正殿前の少し高く作られた広い前庭には石が敷き詰められていた。①
毎年5月の第1日曜には、王族の子孫達が全土から集まって、雅楽の演奏とおごそかな儀式を行なっているという。この祭礼楽も2001年にユネスコの無形遺産に登録された。

 ①

ツアーの中の1人が、「今、王様の宮殿はどこにありますか。」とガイドに聞いていた。
「チャングムの誓い」「宮」など、王宮を舞台にした韓国ドラマの時代劇が色々作られて日本でも放映されているので、勘違いする人がいても不思議ではないと思った。

また、ガイドがそこで説明した中で、王妃「閔妃(ミンピ)」が殺害された事件には触れたが、日本が1910年に韓国を併合してから、1945年に日本が敗戦して、南北に分割占領されるようになるまでの35年間について、ほとんど具体的に話さなかった。
それは、私達日本人の感情に配慮しているのだろうが、私には少し遠慮し過ぎだと思うし、物足りなかった。
やはり、今の私達にも歴史的な事実を知る勇気が必要だし、隣国の人達が今どう思っているのかを知りたかった。
近代史を知らないまま韓国を訪れる日本人が多いとすれば、これからも思わぬトラブルを起こしかねないし、その時、「知らなかった」では済まされないと思ったのである。
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韓国の旅(4)

2009年11月08日 | 海外旅行「韓国」
2つ目の世界遺産は、「高敞(コチャン)支石墓群(コインドル)」だ。
光州市の北西45km、全羅北道地域にある支石墓は先史時代の人たちの墓で、下部の支石と上部の巨大な上石を組み合わせて作られている。
高敞では、山の裾野の広大な地域に広がって点在する支石墓が、500個もあるという。

晴天で気温が高い午後だったので、私たちは1人1000W(80円)で小さなトロッコバスの乗車券を買い求めて乗車し、巡回しながら見学をした。①②
支石は土に埋まっているのか、良く確認できなかった。
数人の女性が下草を刈るなど保全のための作業をしていた。③
ガイドブックによると、近くに墓石を採掘した場所も発見されているらしい。
また、光州の南東17kmの所には、「和順(ファスン)支石墓群」もあるという。

初めて支石墓を見たが、先史時代の人々がここまでどのように石を運んで来たのか、大きく重い石をどのようにして重ねたのか、石の大きさに違いがあるが、理由はあるのか、当時の死者に対する考え方は、またこの地域でどのような生活が営まれていたのだろうか、など、私には次々と疑問が湧いて来たのだった。

  ① ② 

 ③
 
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韓国の旅(3)

2009年11月07日 | 海外旅行「韓国」
今回の旅は、今までの外国人観光客を対称にした観光コースではなく、韓国人向けの国内旅行コースだった。
ガイドの説明では、韓国も経済成長を遂げ、多くの人が都市に集中して高層ビルのマンションに住み、1日中携帯電話やインターネットに取り囲まれ、高速鉄道、地下鉄、車で移動するようになった。
それに伴い、精神的な安定や時間的なゆとりを十分得られなくなり、人間関係も希薄になって来た。
すると、人間らしさを取り戻すために、休日には都市を離れて田舎の綺麗な空気とスローライフ、自然との触れ合いを求める人達が増えた。
そんな韓国人たちに人気がある癒しの旅行コースが、今回のコースなのだという。
だから今回の行程中、外国人ツアーには、本州から来た日本人ツアー1団体、ヨーロッパ人の1団体に出会っただけだった。

このコースには、3箇所の世界遺産が含まれていた。
水原(スウォン)にある「水原華城(スウォンファソン)」、高敞(コチャン)の「支石墓群」とソウルの「宗廟」だ。

今日は先ず、最初に訪れた「水原華城」について書きたい。
仁川(インチョン)空港には1日目、16;40に着陸した。
この空港の存在は、日本でもにわかに知られる様になったが、2001年に永宗(ヨンジョン)島周辺の海を埋め立てて新しく開港した韓国のハブ空港で、私は今回初めて降り立った。
(今までのソウル金浦(キンポ)空港も、その後国内線を中心に営業している)

仁川空港に着いた時はまだ明るかったが、荷物を受け取り、3列シートで座席数28のデラックスバスに乗り込んだ17;40頃には夕暮れになっていた。
ガイドは、「韓国は、日本より日の出、日の入り共に約1時間遅れます。」と言っていた。
空港を出ると、バスは海上に架かる18.2kmもの長い仁川大橋を渡って仁川市に入った。
それから102kmを1時間半走り、水原に着いたのは19;15だった。
昼食は機内で3時過ぎに食べたため、私たちはそのまま夜の「水原華城」に向った。

ガイドブックによると、李氏朝鮮22代の正祖王は、王位に就けずに非業の死を遂げた父親のために、楊州から水原郊外の華山に陵を移す事を決意し、5.7kmの城郭を築いて新しい都にしようとしたのだった。
1796年に着工したが、その後、正祖王が亡くなって遷都が中止された結果、城は作られず、城郭だけが残されたのだ。
現在は、城郭の内外は市街になっていた。

石とレンガで造った城郭には、当時48箇所の見張り場所があり、その建築様式が多様であることから世界遺産に指定されたのだという。今は43箇所が保存されている。
ライトアップされた城郭に北の「長安門」①②から入り、城郭③に沿って水原川の上に立つ「華紅門」④、高所にあって見晴らしの良い「訪花隋柳亭」⑤と辿りながら、40分間、主に北側を見て歩いた。
東西南北に6つあるという門と見張り場のデザインは、地形に合わせて非常に繊細に優美に作られているのに驚いた。
210年前に設計されたこの壮大な建築に、私は儒教の国、韓国の父を思う子の深い心情を見る思いがしたのだった。

 ① ②

 ③ ④

 ⑤




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韓国の旅(2)

2009年11月06日 | 海外旅行「韓国」
3日目の朝は、ホテルから約1時間バスに乗って、全州(チョンジュ)にある「内蔵山(ネジャンサン)国立公園」に向った。
駐車場でバスを降り、先ず紅葉のトンネルになっている素敵な遊歩道を5~6分歩いて園内に入ると、「内蔵寺」の色鮮やかな山門があった。①②

 ① ②

ここは全体の広さが全羅北道と全羅南道にまたがる大きい公園になっていて、少し歩いたところから無料でこのシーズンだけという紅葉見物専用のバスとトロッコ風の連結バスが走っていた。
乗場は順番を待つ人で溢れていた。③
私たちのほとんどは、途中まで行くその連結トロッコバスに往復乗り、通路の両側を埋める途切れる事がない紅葉の絶景をバスの上から堪能した。
バスの終点は広場になっていたが、そこの紅葉も実に素晴らしかった。④

 ③ ④

(昨日、私は韓国女性の服の色について書いたが、③の写真を見て欲しい。
私達日本人の場合は、歴史的に見れば、平安貴族や上級武家の女性たちはあでやかな色使いを好んだ、というか、権力を持っている男の目を引く形や色使いだった。
しかし、普通の庶民や農民は、長い間、一生を通して絹などを身に着けることもなく、木綿や麻のごく少ない仕事着で暮らした。
明治時代以降、庶民もハレの日は絹織物を着るようになったが、色や柄、袖の長さ、帯の結び方などに年齢や婚姻をしているかどうかによるしきたりが厳しくあった。
結婚した女性は、目立たない地味な色の和服を着るのが一般的で、この習慣は第2次大戦後一般に普及した洋服にも影響したと思われる。
一方、日本人の色彩感覚は、四季折々に変化する自然に影響されていて、英語ならグリーンと一言で表す色も、日本語なら草色、もえぎ色、深緑色、鶯色、オリーブ色など微妙に違う緑色が多数存在するのである。
だから私たちは、一般的に周囲の自然からかけ離れた色の服装は敬遠して来たのではないだろうか。どんなにあでやかな色や柄のハレの日の和服も、そこに描かれているのは花鳥風月なのである。
戦後、年を取るほど肌の色艶が衰えるため、できるだけ綺麗な色を身に付ける方が良いという欧米の色彩感覚が入って来た。しかし今回、私たちと同じ黄色人種である韓国人の熟年女性を見ていて、赤はともかく、やはりピンク色はかえって違和感を増し、似合わないと感じたのは私だけだっただろうか。
結論として私は、時と場所と目的に適えばどんな服でも許される現代、自分に似合う色柄や形、組み合わせを探すことが一番大事だと思っている。
少しくどくなってしまった)

バスを降りてさらに奥に進む通路を行くと、「白羊寺(ペギャンサ)」の山門に着いた。
そこをくぐってからまた紅葉の山道をしばらく歩くと、一番奥に「白羊寺」があった。
ガイドブックによると、ここは新緑が美しい場所なのだそうだ。
寺の広場から見えた遠くの山の景色は、中国雲南省で見た玉龍雪山の姿を思い出させてくれた。⑤⑥

 ⑥

こんな訳で、今回の韓国で私は、日本では見ることのできない程の一生分の紅葉を鑑賞できたのである。


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韓国の旅(1)

2009年11月05日 | 海外旅行「韓国」
10月28日から5泊6日で韓国の西部(写真①)を旅したので、その簡単な報告をしたい。
韓国の仁川(インチョン)空港と新千歳空港間は、わずか2時間半のフライトだし、日本との時差もないので、外国旅行といってもほとんど疲労しなかった。

 ①

この度の旅行は、丁度、韓国の晩秋に当たり、一生分の紅葉狩りを楽しむ事ができたので、先ずそのことから書きたい。

旅の2日目、先ず最初の宿泊地水原(スオン)からバスで3時間程南へ行った所にある鎮安(チナン)町の「馬耳山(マイサン)道立公園」に行った。
駐車場でバスから下りて紅葉が続く遊歩道を1.5km程歩いて行くと、突き当たりに馬の耳に似た2つの山(標高673mと678m)が見える場所に着いた。②
そこには「塔寺」と自然石を積んだ石塔が80もあって、まるで霊界に入り込んだような独特の雰囲気を感じた。③

 ② ③ 

しかし、遊歩道の両側に延々と続く色鮮やかな紅葉には目を奪われた。④⑤⑥
木曜日だったので韓国の若い人たちは少なかったが、多く出会った年配の女性たちが着ている上着やスラックスの色に圧倒された。紅葉も負けてしまうのではと思う程の鮮やかな赤色やピンク色ばかりだったのだから。
ガイドさんは、韓国では年を取ると明るく見える色を好み、顔や気持ちを引き立てるのだと説明してくれた。

 ④ ⑤

 ⑥
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