花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病があるが伯母の介護をし、春~秋はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

雪の「洞爺湖温泉」に一泊

2016年11月12日 | 道内・国内旅行
10日、「洞爺湖温泉Mホテル」行きバスは札幌駅北口から午後1時に出るので、妹と15分前に待ち合わせた。気温は2~3度か、曇り空の凄く寒い日だった。
「Mホテル」の大型バスに乗ったのは数人だけだったので、余りの少なさに驚いた。

バスは国道230号線に入り、札幌市内を南下した後、南西の方角に走り、「定山渓」を抜け、1時間後に着いた「中山峠」で10分程休憩した。
晴天なら遠くに「羊蹄山」(俗称「蝦夷富士」)を臨む事ができるのだが、この時は生憎景色は良くなかった。
「中山峠」を下る途中の景観は、林の木々が雪をかぶり、真冬の様子だった。 



         

途中、「喜茂別」が近くなると、標高1107mの「尻別岳」が見えて来た。
かってこの山に登った時、1/4程下山した時に頂上に登山用の杖を1本忘れた事に気づいた。
疲れてまた頂上に行く気持になれず、そのままにした事を思い出した。
きっと誰かが気づいて、私に代わって利用してくれたのではないかと思っている。



「ニセコ」が近づくと「日本100名山」の一つ、標高1898mの「羊蹄山」が見え出したが、薄暗くて写真を撮るのを諦めた。
バスは札幌を出発してから2時間半後に、無事Mホテルに到着した。このホテルに私達が泊まるのは初めてだった。

私達の部屋は、5階の湖側だった。早速、タオルを持って最上階の温泉に行った。
まだ早い時間だったので、女性の浴室には私達の他には2人しかいなかった。
妹は「大浴場は貸切状態だね。」と喜んでいた。この後、「台湾」からの観光客が沢山到着した様だった。

夕食のレストランに向った。「台湾」の観光客が沢山居た。
バイキング方式で沢山の料理が並べてあったが、中には日本語ではない名前の札がついている料理もあった。
「研修」で来ているらしい東南アジアの青年達が、沢山かいがいしく働いていた。
私はできるだけ野菜や魚料理を取り、デザートは多くの種類があったが1つも食べなかった。妹は驚くほど食べていた。



部屋に戻ってからは妹と1年ぶりで、遅くまで取りとめの無い話がじっくりできた。

翌朝、起きて部屋のカーテンを引くと、昨日とは違って晴天だった。
眼下には「洞爺湖」、そしてその向こうに雪を被った「羊蹄山」が綺麗に見え「これぞ洞爺湖の絶景だ」と感動した。

朝の女性の大浴場の場所が地下1階に変わっていたので、行って見た。
なかなか良い大浴場だった。「台湾」の団体は既に食事をしているのか、浴室には3~4人ほどしか居なかった。

朝食で用意されていた料理は、どれも美味しかった。研修生の女性が握ってくれたお握りも、なかなか美味しかった。

     

帰りの身支度をして、バスの出発時間より20分程早めに下に下りた。
地下1階から湖畔に出て、「羊蹄山」と湖に浮かぶ遊覧船を入れて写真を撮った。また、左手の遠方500mの丘の上に数年前に「サミット」の会場となった「ウインザーホテル」が見えた。

かって私は、9月23日の早朝から「羊蹄山」に登った事がある。この日は母の命日なので、道南最高峰の「羊蹄山」だが、母が私の後ろを押してくれるような気がして登る事にしたのだった。
途中に水場がないので2Lの水と食糧を入れたリュックが重くて、頂上まで結局6時間もかかった事を思い出した。22日に頂上に雪が降ったので、後半は初雪を踏みながらの登山だった。
帰りの「中山峠」が渋滞で、札幌の自宅に辿り着いたら20時を越えていた。シャワーを浴びようと服を脱いだら、ズボンが泥だらけだったのも今となっては良い思い出だ。



        

直ぐ傍で一組の中年男女が互いに写真を撮っていたので、「二人一緒に撮りましょうか。」と声を掛けた。
聞くと「中国」の「上海」から来たという。私は今春「シルクロード」に行って来たこと、「上海」には数回行っていることを話した。
北海道観光は寒いオフシーズンに入っているので、恐らく旅行費用が安いのだろう。「新千歳空港」には「中国」「台湾」「韓国」の航空機が乗り入れているので、近年は北海道内何処へ行っても東南アジアの観光客で溢れているのであり難い事だと思う。

大きな売店があったので、歯がない伯母の土産に「桃と林檎のゼリー」を買った。
10時にホテルを出発する帰りのバスには、私達の他には1人しか乗っていなかったのに、ホテルの従業員や研修生10人が見送ってくれて恐縮した。
晴天下の帰路は「洞爺湖」の中央にある「中島」がはっきりと見え、「羊蹄山」も真っ白くキラキラと輝いて見えた。



「中山峠」では前日とは打って変わり、20km離れた「羊蹄山」が冬の澄んだ空気の中で、まるで直ぐ傍にある様に綺麗な姿で立っていた。

      

札幌駅には12時半に着いたので、妹と駅のコーヒー店に入り、1時間余話をしてから別れた。
来年春になったら、今度は車を持たない妹夫婦と一緒に私の車でドライブをしたいと思っている。



コメント (8)

旭川へ行って来た

2015年05月05日 | 道内・国内旅行
昨日朝、6時前のJRに乗り、娘が車で待つ駅で降りて合流して旭川に向かった。早朝で車もすいていて順調に普通道路を走った。
2時間で目当ての「旭川美術館」に到着した。9時半開館なのに既に数台の車が駐車場前に列を作っていた。皆ゴールデンウイークなので、出足が早い。
入り口の傍に建つ大きな銅像は「雄弁」という像で、フランス人「エミール・アントワーヌ・フールデル」の1923年の作品だそうだ。
気になったのでネットで調べたら、彼は32歳から15年間、「ロダン」の助手をしていたそうだが、やがて独自の考え方をするようになって独立した彫刻家だそうだ。そんな人の作品がどういう経緯でここにあるのか気になる。



時間があったので、美術館前と目の前の「常盤公園」にある銅像を見て歩いた。
中に1970年に北海道開拓記念碑として造られた「本郷新」制作の「風雪の群像」があった。
和人の青年男女が伸びやかに立っているのに比べて、アイヌの老人が切り株に座っているのだ。この像の制作に当たっては、アイヌの老人も立たせるべきではないかという論争もあったらしい。



また1989年に「三木俊治」が制作した「行列」という大きな作品(3m×6m×1.5m)もあった。
どんな人達が行列しているのか姿を良く見たかったが、3mもの高い位置なので残念だった。      



            

美術館で開催されていたのは「古代エジプト美術の世界展」で、スイスの「ガンドゥール美術財団」が所蔵管理している文物が展示されていた。
小規模なものだったが公開は日本初で、展示品一点々々に作品の見所などの詳しい説明が付いていたため分り易かった。

私がエジプトに行って、実際にその国の様々な風景の中で見て来た古代エジプトの貴重な遺跡文物は勿論素晴らしいものだったが、ISの脅威によって中東やアフリカなどへ安心して行けなくなった今、身近な国内でこうした展示が開かれ、多くの人が古代エジプトの美術作品に触れて鑑賞できるのは、貴重だし嬉しいことだと思った。



フロアーに「ファラオの衣装」が自由に着られる様に置いてあったので、傍の人と声を掛け合って着用し、写真を撮りあったが、良い思い出になった。

             

美術館を出た後、東旭川にあるスリランカカレー店「スタンサ・キッチン」を目指した。
「旭山動物園」に通じる道路の途中にあるので、間も無くひどく渋滞し出した。暫く掛かったが目指す店を見つけて入った。
気さくなスリランカ人の店主スタンサに聞くと、普通の民家を借りてカレー屋を始めてから7年になるという。
頼んだ「ポークカレー」が辛かったが、気配り上手なスタンサが「野菜カレー」のルーを足してくれたら辛さが弱まった。
2年前に「スリランカ」に行って来たことを話すと、「『シーギリヤロック』に登ったか。」と聞かれた。「33度の気温の日でおまけに体調も悪かったが、頂上まで頑張って上ったよ。」と言うと、「綺麗だったでしょう。」と嬉しそうだった。
店内に売られていた香辛料やヒヨコマメが懐かしかった。
大きな珍しい色をした毛足が長い猫がいた。聞くと「箱に入れられて捨てられていたのを、拾って育てた猫だ。」と教えてくれた。
猫は桜の花びらが風に吹かれて散って来る外をじっと見つめていて、どうしてもこちらを見ようとしてくれない。やっと1枚撮ったのがこれだ。

 

カレー店からさらに「菓子店」と「深川道の駅」に寄って、帰宅した。「深川道の駅」ではほうれん草を買った。
札幌に着く頃には、予報どおり雨が降りだしたが、娘と話をしながらドライブできた楽しい一日だった。


コメント (6)

道東ドライブ(3)

2014年10月14日 | 道内・国内旅行
2日目はホテルでゆっくりと寝た。ホテルの11階の部屋から「釧路港」方向が見えたので、夜3時頃と朝になってから写真を撮った。





釧路は海岸に近い所に民家やアパートが沢山あることが分かった。これではチリ沖地震などの津波が来ても、被害は出るなと思った。

17階のレストランに朝食を摂りに行った時にも「釧路港」近辺を写し、10時にチェックアウトした。




釧路を後にしてから、暫く太平洋岸に沿って「白糠」まで走った。
海の傍に行って海水に手を触れた。まだ冷たくなかった。



「浦幌町」吉野で十勝川の堤防内に立つ「はるにれの樹」を見に行った。記念館もあって、中に入ると「はるにれの歌?」が流れていた。ここでは広々とした十勝平野を感じる事ができた。



          
 
「帯広」に着いてからは、友人と待ち合わせた「六花亭」売店に行き、2階の喫茶室でピザを食べながら歓談した。ピザは良質のチーズがたっぷりと使われていて美味しかった。
その夜は、帯広のビジネスホテルに泊まった。

3日目の朝は、先ず81歳の友人宅を訪れた。彼女は思っていたよりずっと元気で、今年も「サハリン」や「ミャンマー」「台湾」など、近い外国に旅行しているのだという。

次いで「帯広美術館」に行き、地元の画家の特別展とロートレックやミュシャーなどが描いたポスター展を見て来た。面白かった。また美術館前の紅葉や周辺の晩秋の光景が素晴らしい彩りだった。



 

中華料理店で昼を食べ、菓子店に寄った後は、ひたすら「日勝峠」のピンキングカーブを通って帰宅した。「日勝峠」を降りた所の低い場所の紅葉が素晴らしかった。





私も疲れたが、一人で800km余りを運転した娘はさぞかし疲れただろうと思い、途中の「道の駅」で果物2種類とほうれん草を買って渡した。
コメント

道東ドライブ(2)

2014年10月14日 | 道内・国内旅行
「厚岸町水鳥観察館」で広大な湿原と大白鳥を見た後、釧路方面に引き返す途中で右手に入り、「厚岸町太田屯田開拓記念館」に立ち寄った。
ここは厳寒と濃霧の厳しい自然条件のこの地に本州各地から入植した440戸の鍬やのこを持ったことがない士族屯田兵が、軍務の他に人力とせいぜい馬力を借りて5000坪の原野を切り開き、現在の厚岸町の畑作と酪農業の基礎を築いた土地である。
当時の「屯田兵屋」が1軒残されていた。記念館は別の場所に作られていたが、当時の資料を集めて展示し、先人達の苦労を後世に伝えていた。
資料によると、屯田兵家族には到着後5日間の食事しか与えられなかったため、1~2ヶ月の間に死亡する人が何人もでたそうだ。

 

 

 

 

また、当時の「標茶集治館」(監獄)の囚人達が、道路建設や石切り場で石を切り出すという特に厳しい作業をさせられていたことも展示されていた。
多かれ少なかれ明治から昭和期に掛けての北海道は、「樺戸集治館」にせよ「網走監獄」にせよ、政府は北海道の開発に囚人を強制労働させる目的を持っていたと思われる。
北海道の主要道路やトンネルの建設には、狩り出されて自らの命を捧げた囚人達の存在を忘れてはならないと思う。



晩秋のつるべ落としの日没が迫った頃、小さいながら貴重な開拓の歴史展示を学んだ後、ホテルを取ってあった「釧路市」に戻った。
夕食はホテルと契約している店で「海鮮チラシ定食」を食べた。美味しかった。



コメント (6)

道東ドライブ(1)

2014年10月14日 | 道内・国内旅行
この3連休を利用して、久し振りに娘が運転する車で道東旅行をして来た。3日間天候に恵まれたのと、スタンプを集めながらの走行距離800km強のドライブは楽しかった。

初日は朝6時40分に家を出て「夕張」から高速道に乗って「日勝峠」を越え、十勝の「池田町」まで一気に走った。峠の紅葉は、少し遅かったのか、最盛期を越している様だった。

 

そこから一般道に出て、「浦幌町」を通り、「釧路市」を抜けて「厚岸」に着いた。途中、一輌だけの電車が走っていた。

 

「厚岸湾」のにかかる赤い「厚岸大橋」を渡り、丁度「牡蠣祭り」をしている会場の「子の日公園」に着いたら12時半になっていた。

  

「牡蠣祭り」に来たのはかれこれ数回目になるが、今回も結構人出が多かった。厚岸の牡蠣は、他の生産地の牡蠣に比べて身が大きく柔らかく美味しいので人気がある。
ガステーブルなどのバーべキュウセットを借りることもできるが、私達は2人なので焼いた牡蠣貝を買って食べることにした。
焼き立てにレモンを絞ったのを掛けて食べたが、期待通り今回も美味しかった。

 

 

「子の日公園」を出て、昭和48年に国が史跡に指定した「国泰寺跡」に向かった。ここは江戸幕府が「和人の定着・慰撫、蝦夷地の教化」などを行うために1804年に建てたものだ。
当時の建物はほとんど改築されているが、「老桜樹」や苔むした前庭に当時を偲ぶ事ができた。





  

 

次は「厚岸大橋」を渡って戻り、「味覚ターミナル・コンキリエ」の展望台に行って少し高い場所から遠くまで広がる「厚岸の街」を眺めた。



そこから国道を「根室」方面に向かって少し走ると、「別寒辺牛湿原」を見渡す事ができる「厚岸町水鳥観察館」が見えた。建物の形が水鳥が羽を広げている様なデザインに思われた。



建物の中に入って階段を上り、展望室の望遠鏡で湿原を見たら、大白鳥が4羽、羽を休めているのが見えた。2羽の色が灰色だったので係りの人に聞くと「多分湿原の水で汚れたのだろう。」と応えてくれた。

 
コメント (4)

ミステリーツアーの面白さ

2012年03月19日 | 道内・国内旅行
この度、K旅行社主催の「春のミステリーツアー」に従姉と参加した。
ミステリーツアーは行き先は内緒の旅行なので、どこに行くのか分からないという不安の反面、まだ知らない面白い所に連れて行ってくれるかも知れないと言う期待もある。
私は2回目の参加だが、従姉は初めてだ。
予め幾つかのヒントが出ていた。①開通記念 ②お肌つるつる、あったか温泉入浴 ③世界唯一!感動の熱い戦い ④シティーホテルで中華バイキング他だ。
私は「多分、〇〇方面だな」と思っていた。

当日、札幌駅集合7;20で7;30バスで出発した。当日の参加者は大勢いて空席はほとんど無かった。6000円で1日たっぷり楽しめるのだから人気があるのは当然だ。
間もなく高速道路に入り、走る事1.5時間。まだ私たちのバス以外は車が来ていない「〇〇道の駅」でトイレ休憩だった。
女性用の個室のドア裏に中国人向けと思われる張り紙がしてあった。以前に登別で見た張り紙より簡単な説明だ。日本のウオッシュレットが付いている温水便座を使って見て、中国女性はどう思うのだろうか。

     

さらにバスは北海道を東西に分ける日勝峠に全線開通した新しい高速道路を1時間走り、最初の目的地である帯広郊外の「〇〇菓子工場」に着いた。
ここには広い駐車場があって大型バスが何十台も停まれるし、建物の1階は店舗だが、3階に上がると菓子の製造現場を見下ろすようにして見学できる。おまけにコーヒーも無料で飲むことができる店だ。
帯広に今や全国的に有名になった菓子店が幾つか生まれたのは、菓子の原料となる小豆、小麦粉、牛乳、バター、砂糖みんな地元産だという事、人件費が安いからその分、菓子の価格を札幌の菓子店より低くできる事、そして現在も続いているが、主な2つの菓子屋が消費者に認められる美味しい菓子の生産と集客力を競い合った歴史があるからだと思う。
この店は札幌にも各デパートなど数か所に出店している。(以前聞いた話では、帯広の菓子店は毎朝3時頃に菓子を積んだトラックが工場を出発し、札幌の各店舗に配送しているという) 
その店にここでしか販売していないという菓子があったので、私は世話になっている近所の方にそれを数個買いサービス箱に詰めて貰った。自分用にはダイエットを考えて2個だけにした。見ると従姉を始めとしたほとんどの人達が驚くほど大量の菓子を買っていた。従姉には「そんなに買って、持ち帰るのが大変じゃないの?」と言った程だ。

  

そこから昼食会場の〇〇ホテルに行った。会場は狭かったが、とても美味しい中華バイキングで満足した。

次に向かったのは、今や世界で唯一になってしまった「ばんえい十勝競馬場」だった。かっては北海道の他都市にもばんえい競馬はあったが採算が取れずに廃業となり、今は帯広だけになってしまったのだ。
私達は感じの良い女性ガイドから説明を受け、馬券の種類、買い方を教わった。買った人が大勢いたが、私は買わなかった。
レースはあっという間だったが、重いそりを引きながら障害物を乗り越え、体から湯気を上げながら走る馬に力強さと美しさを感じた。

 

  

 

その後、「十勝川温泉の某ホテルに行って入浴」し、札幌に帰って来た。
出発から11時間半、行く方向も場所もほとんど私の予想が当たったミステリーツアーだったが、往復のバスの車内では久し振りに従姉とたっぷりと話せた事も良かった。
従姉は満足したようだし、北海道観光を台湾、中国、韓国などの東南アジアの人達だけに頼っていないで、私達ももっと地元の良さを知るために気軽に参加できたら良いと思う。またそのうち花が見られる季節になったら適当なバスツアーに参加したいと思った。




コメント (6)

再度、登別温泉へ

2011年12月18日 | 道内・国内旅行
農園を共同でしている友人達2人と今年も忘年会をする事になり、私が世話役になった。
20日前に妹夫婦と行った登別温泉が良かったので、今回もその温泉にした。しかし友人達は結構食事などに厳しいので、ホテルはランクが高いDにした。
最低気温がー8℃だったという寒い札幌の駅で待ち合わせ、14時発のホテルの送迎バス(往復1000円)に乗って出発した。
自由席だと聞いていたので私達は乗車口に早めに行って並び、最前列の席に座り、おしゃべりをしながら過ごした。
バスは高速道路を走ったが、途中新千歳空港にも寄って客を乗せた。苫小牧を越した頃、右手に樽前山が見えて来たが、中心ドームはガスに包まれてはっきりとは見えず、降雪で真っ白い西山ピークと東山ピークは見えていた。一昨年、3人で樽前に登ったので、友人は「私の樽前山だ。」と言っていた。

ホテルには4時半に着いた。広いロビーの一角にクリスマスツリーの飾り付けがあり、サンタの人形がそれぞれ違う動きをしていて見ていて楽しい。
             

案内係りに案内されたのは、ゆったりと広い温かな和室だった。聞くと「今日は金曜日だが、宴会がいくつか入っているので600人位の客が宿泊することになっている。」と答えてくれた。
早速温泉に行った。
脱衣室は結構混んでいて、言葉から東南アジアの国の人だと分かる人達も大勢いた。さすがDホテルだ。
浴室の入口には「水着は使用しないで下さい」と書いた看板が立っていた。外国の温泉はほとんど水着で入るので、外国人向けなのだと思った。
湯を溢れる様に満たしているすごく大きい湯船が幾つもあるので、浴室内では全く人数の多さを感じなかった。
それぞれ泉質、温度が異なっていたので、私が先日仕入れた登別温泉の特徴(9種類もの異なる泉質の温泉が湧くので、温泉のデパートと言われている事など)の知識を友人達に披露した。

夕食はバイキングだったが、食材も良く、何人もの調理師が調理しながら提供する料理が多いため、美味しかった。十分に食べてから部屋に戻り、また冷やして置いたワインを飲みながら、夜中まで和気あいあいとおしゃべりをした。
並んでいた3つの布団のどれにするかは、じゃんけんで決めた。いつも私は負けて真ん中になるのだ。

朝起きて直ぐに温泉に行った。大きい窓から見える雪景色が美しく、夜とは全く違う趣があって凄く良かった。
朝食を美味しく食べた後、フロントが混まない内にと会計を済ませ、バスが出るまでの時間、2人を近くの地獄谷見学に誘った。地獄谷の硫黄臭気や水蒸気煙は20日前と同じだったが、雪に覆われた姿はまた格別の光景だった。高台にある神社に登りたかったが、急な階段が凍って危険みたいなので止めた。入口の赤鬼、青鬼も裸なので雪の下では寒そうだった。

 

  



10時発の帰りのバスも最前列に座れた。札幌に戻ったら12時を越えていた。
晴天で前日よりは暖かく感じられたが、最高気温はー2.4℃だったらしい。
駅で友人達と別れた後、13時に駅で待ち合わせた従姉のために隣接するデパートの地下の酒屋に行った。そこで見つけたドイツ製のフルーツワインを1本とパン屋で数個のパンを見繕った。彼女とはピザを食べ、おしゃべりをしてからJRで帰宅した。

家は1晩空けただけで居間が13℃まで冷え切っていたので、電気を入れた後、温まるのにしばらくかかった。
夜はTVのNHKスペシャル「日本新生・激論/税」を見て寝た。スエーデンやフランスの試みが興味深かった。

コメント (6)

三笠フットパスに参加して(2)

2011年08月29日 | 道内・国内旅行
かっての幾春別駅跡からもう一つの「奔別立坑コース」2.9kmを辿った。
道路は緩い登りが続いていて、気温29℃の下、水を飲みのみ着いて行った。
高台に着くと広い平地があって、そこは小学校のグラウンド跡で、1つのグラウンドを挟んで両端に二階建ての小学校校舎が二つあったのだと言う。右側に幾春別小学校、左側に奔別小学校である。二つの炭鉱別に従業員の子供が通っていたのだ。私は自治体が建てる学校しか知らなかったので驚いた。

   

道を折れて下ると「住友奔別鉱立坑やぐら」が下に見えだした。さらに行くと説明看板があり、かって炭鉱マンだったという男性が説明してくれた。
少し降りた所に巨大な立坑跡が聳えていた。ここは1960(昭和35)年、地下750m以上の深部の採炭をするためにドイツから技術を輸入し、三菱造船株式会社が建造した立坑で、やぐらの高さ50.5m、深度750m、内径6.4m、エレベーターは1度に人を16人×4基=64人という巨大なものだった。
採炭効率は飛躍的に向上したが、坑内温度の高さを嫌った採炭夫が大量に辞めて行く事になり、1971(昭和46)年に閉山となったと言う。
巨大な立坑の骨組みとエレベーターを見て、僅か11年間しか操業できなかった立坑に強い悲哀と化石燃料に切り替わって行った時代の変遷を感じた。

   

博物館に戻り、この一帯から出土した約1億年前の中生代白亜紀に海中にいた「アンモナイト」の化石と大型海生肉食爬虫類「モササウルス」の骨の展示室を見てから帰宅した。(三笠から骨の一部が発掘されて国の天然記念物になっている「エゾミカサリュウ」は、モササウルスの新種だそうだ)



暑さの中、今は人口1万人余になってしまったかっての産炭地三笠を半日歩き回って疲れたが、久し振りに知的好奇心を満足させられたフットパスだった。
私が中学生だった50年程前、遠足で幾春別駅まで列車で来て、そこから三笠市の奥にある桂沢湖に行った事があるし、北炭の炭住で暮らしていた親戚を訪ねた事もあるのに、この辺りが当時どんな様子だったのかを定かに思い出す事ができなくて残念だった。
もしこの先、この地域の特徴ある地形と化石、炭鉱の歴史と記憶を自然と文化の遺産として残すのであれば多額のお金が必要だが、地域の知恵を集めて宣伝し、もっと良い状態で建物を保存した方が良いのではないかと思った。建物をこのまま放置すれば、やがて風化し崩れ落ち、消失するのは時間の問題と感じた。

         

コメント

三笠フットパスに参加して(1)

2011年08月29日 | 道内・国内旅行
昨日、娘と一緒に南空知の町三笠市の炭鉱の歴史的建築物と自然を訪ねる「三笠フットパス」に参加した。
北海道空知総合振興局が主催したこの会は13時からだったので、札幌を11時に車で出発し、途中岩見沢市で昼食を食べた。
集合場所の三笠市立博物館に着いたのは、5分前だった。
博物館前で受付をして、説明されているパンフレットと無料見学券を受け取った。(ブログの文はこの資料を活用した)
館内に入り、最初に三笠周辺の地形は、今から2000万年前の造山活動の際に1億年前の白亜紀の層がその上にあった5000年前の古第三紀層と共に押し上げられ、左右からの力で潰れて、直立に近い急傾斜の地層ができた国際的にも貴重な場所である事と、閉山前には「北炭幾春別炭鉱」と「住友奔別鉱」の二大炭鉱が操業をしていたという歴史を写真やスライドで説明された。

      

フットパスは2コースがあったが、最初に幾春別川に沿って作られた「錦立坑コース」2.6kmに向かった。
まず1885(明治18)年に開坑した北炭幾春別炭鉱の「錦立坑」の跡地を見学した。笹は刈ってあったが、滑りやすい山道を少し登った所に立坑が残されていた。
この立坑は1919(大正8)年に建設され、現在北海道に残る立坑としては最古のもので、やぐらの高さ10m、立坑深度195m、内径4.5mのものである。
1953(昭和28)年に採炭を止め、1957(昭和32)年に閉山したというから、この立坑は34年間日本のエネルギー生産の一翼を担い、多くの採炭夫を地下200mの採炭現場に下し、掘った石炭を地上に運んだ事になる。雑木に埋まっている大きな滑車と傍の変電所の廃屋に当時を偲んだ。

  

また少し歩いて行くと山肌に縦の地層が露出していた。砂岩の間に黒い石炭層があるのが分かった。ここの石炭層は数千万年前生えていたメタセコイアなどの巨木が倒木して地下で石炭ができ、2000万年前に地上に出て来たものなのだと言う。斜面に露出する石炭を掘ってできた「狸掘り」の穴もあった。

      

その先に「ひとまたぎ覆道」があり、入り口の場所が一跨ぎで5000万年異なる地層になるという神秘的なロマンあふれる所だった。
覆道の出口には、ずれた断層が露出している場所があった。

      

引き返してかっての国鉄幾春別駅があった所に出た。往時のコンクリートのホーム跡が雑草に埋もれていた。この辺りには商店街、歓楽街があり、当時はとても賑わっていたらしい。
実は小樽手宮~幌内間の鉄道は、全国で3番目、北海道では初めて1882(明治15)年に敷設された鉄道で、三笠~幾春別間は1888(明治21)年に石炭を搬出する鉄道として開通したものだった。そして1987(昭和62)年に人口減少に伴い廃止されたのである。(つづく)

           

            


コメント

温泉宿は閑古鳥

2011年04月11日 | 道内・国内旅行
先日、かなり前に予約してあった札幌郊外の定山渓温泉に、畑の仲間3人で行き、1泊した。
札幌駅から出る無料送迎バスに乗った人は僅か20人位に過ぎなく、客の少なさに驚いたが、1人1シートでゆったりと座る事ができた。
1時間弱で定山渓に着き、バスは2か所の温泉ホテルを回って客を降ろすのだが、最初の中級ホテルでは7割位の客が降りてしまった。
私たちと残りの客は、宿泊料金が少し高い方のホテルだったので、最後に降りた。

ロビーに入ったら、着いた客よりも出迎えてくれた従業員の方がはるかに多い。
3階の部屋に行くまで、館内は本当に静まり返っている。
6時半に夕食を食べにレストランに行ったが、テーブル席がガラガラの状態で寒々しかった。
主任らしき男性に「何時になくお客が少ないように感じますが、最近はこうなんですか。」と尋ねた。
すると、「予約していた中国、韓国、台湾からの客の9割がキャンセルしてしまったんですよ。」という返事だ。
今回の東日本大震災の北海道への影響は一部の沿岸地方だけだったし、福島の原発事故も、今の所、北海道への影響が少ないのにと、驚いてしまった。
こんな状態が全国的なら、日本経済は大打撃を受ける事は想像できる。

夕食後、大浴場に行ったら、私たちの他には1人しかいなかった。
その後、分担して持ち込んだおつまみや果物を食べながら、ワインを飲んでおしゃべりをした。話は自然と大震災と原発の事になった。
3人で色々と議論していたら24時になったので寝た。

翌朝、私1人で大浴場に入りに行ったら、誰もいなかった。
たまたま使おうとしたシャワーの湯の温度が調節できなかったので、係りの女性に話すと、「使用量が少な過ぎると、温度調節がうまく行かなくなるのです。」と説明してくれたが、私は「火傷をしたら困るので、点検した方がいいですよ。」と言った。

人が少ないレストランでゆっくりと朝食を食べたが、客が少なければ、手作り感が強い美味しい料理を、種類を多く維持するのが大変だろうと同情した。
今回は私が幹事になってホテルを選択したのだが、2人の友人は「部屋が広く、ゆったりとくつろげたし、料理も美味しかった。」と大満足だった。
それで私は彼女たちに、「こんな状態が続くと経営が立ち行かなくなるから、また来ようよ。」と言った。

今朝、従妹から電話が来たので、「温泉に行かないかい。」と誘った。
行くと言うので、早速、定山渓温泉の別のホテルを予約した。今度は中級ホテルだが、来週火曜日にまた1泊する事になった。
コメント

晩秋の旭岳

2010年10月02日 | 道内・国内旅行
朝から快晴だった昨日(10月1日)、畑の友人2人を誘って私の車でドライブに出かけた。
計画は私に任せられたので、友人達には当日までミステリーツアーということにして置いた。
私は色々思案した結果、行き先を道央の旭岳に決めた。
旭岳は北海道の最高峰で、標高2291mの山だ。全国で1番広大な面積を有する大雪山国立公園の主峰であり、日本で最初に紅葉が始まると言われる山でもある。
その旭岳には、既に1週間ほど前に初雪が降ったというニュースがあった。しかし、1600mの高さにある姿見駅までロープウエーで楽に行くことができるので、秋枯れた高原を散策できる筈だった。
友人達には、行く先は告げずに、予め軽登山靴の必要と寒さ対策などをお願いしておいた。

私の家には9時に集合してもらって出発した。
高速道路が無料になる岩見沢インターまで一般道路を1時間弱、そこから高速道路で旭川北インター迄1時間、そこからはまた一般道路を1時間走って旭岳のロープウエー乗り場に着いた。
途中、忠別ダムの展望台から18km離れた東方に聳える旭岳を望んだ。白銀に輝く山は、絵のように美しかった。写真①
山道を登り、ロープウエー乗り場に着いた。駐車場に車を止め、そこで持って来たカーディガンとウインドブレーカーを重ね着し、軽登山靴に履き替え、杖を持った。
そしてまず、乗り場のレストランで軽食を取った。ガラス越しに旭岳と運行中のロープウエーが見えた。②

 ①  ②

私達は、午後1時発のロープウエーに乗った。ウイークデーなので15分間隔で運行しているロープウエーはがらがらだった。
姿見駅で降りると空気が冷たい。聞くと11度だという。ちなみに旭川市のこの日の最高気温は21、1度だったが、さすがに標高1600mだ。

係りの女性から、散策コースの説明、ロープの遊歩道の外には出ない事、ごみを持ち帰ることなどの話を聞いてから、先ず20分かけて標高1670mにある姿見の池の展望台まで上った。この散策路は、旭岳の登山道ともなっていて、傾斜が緩やかで疲れなかった。
展望台で池の向こうに聳える旭岳③と愛の鐘④を写した。この鐘は、山で遭難した人達への鎮魂の音を響かせた。

 ④

また、「自然のバランスを崩すから、野生動物へのエサやり禁止」と書かれた立札があった。⑤ (写真の後方下には、ロープウエーの姿見駅が見える)
さらにそこから少し上に登り、音を立てて勢いよく水蒸気が噴き出す地獄谷噴気孔⑥に立ち寄った。看板には「大雪山は1000万年前に千島列島の海洋プレートが北海道に衝突し、地下深くもぐりこんだ圧力で岩石が溶けた。それが火山として噴出し始めて、次々と山ができた。何度もの噴火で陥没や崩壊が繰り返されたが、約600年前の爆発で山頂部が崩落してこの地獄谷ができた」と書いてあった。まさに生きている地球を実感した。

 ⑤ ⑥

⑥噴気孔⇒第4展望台⇒後方に中岳を望む鏡池⑦⇒第3・第2展望台⇒第1展望台⇒姿見駅と1時間半で散策路を一周した。

  ⑦

高山植物は皆冬支度をしていて、チングルマは綿毛状になっていた。⑧

  ⑧

途中でガイドに連れられた100人位のツアー客に出会った。
比較的軽装をしているので聞くと、関東から3泊4日の北海道ツアーで来たのだという。
ある熟年男性は、「ここにずっと居たいけど、時間が決められているので残念だ。」と話していた。

下りのロープウエーはツアーの人達でぎっしりだった。降りて駐車場を見ると、大型観光バスが6台も停まっていた。
帰りは往路を戻った。岩見沢インターの休憩所でソフトクリームを食べたが美味しかった。
家に着いたら6時半を過ぎていた。
久し振りに往復6時間、走行距離430kmという遠出の運転で少し疲れたが、友人達との秋のドライブと大自然を堪能できた。
コメント (6)

ニセコへ紅葉狩り

2009年10月21日 | 道内・国内旅行
一昨日、畑の友人3人で秋のドライブを楽しんだ。
車の運転は私の役目で、行き先はオーストラリア人が好きなニセコ方面だった。
(冬、積雪が多いニセコには、幾つものスキーの本格的なゲレンデがあるが、雪質がパウダー状なので、南半球のオーストラリア人にとってとても魅力的なのだそうだ)
またニセコには、日帰り登山ができる山が幾つかあるため、私にとっては50代の後半に、札幌から幾度となく通った思い出の地域でもあるのだ。
今回は素晴らしい晴天に恵まれ、途中の美しい紅葉に歓声を上げながらの楽しいドライブとなった。

途中、大滝のきのこ村で、名物きのこ汁100円を食べながら休憩。
それから名水の里、京極町の「ふきだし公園」に行って羊蹄山の美味しい湧き水を飲み、紅葉を鑑賞。
ここには大きい容器を幾つも持って、水を汲みに大勢の人が訪れていた。札幌から来る人も多いのだと言う。(写真①)

次に羊蹄山(標高は1898mあり、蝦夷富士とも呼ばれている美しい山である)の裾野を回り込むように西に走って、真狩町の登山口に行って見た。
丁度、中腹から上は雲に覆われ、頂上を見ることはできなかった。②(写真の左側にある道路の奥が登山口)
この時期、夏山シーズンの賑わいとは違って登山者のテントや車は見当たらず、僅かに小鳥の声だけが聞こえていた。
私は、数年前の9月に一人で6時間かけて登山した経験、水場がないので必要な水は2L以上持たなければならない事、険しい場所は無いけれど、とにかく時間が掛かる事、などを話した。
今回は3人で登山口から20m位登っただけだったが、初めて来たと言う友人達には好評だった。

  ①  ②

それからニセコ町に行き、駅前温泉「綺羅の湯」で入浴した。
月曜日だったので客は少なく、ゆったりと温泉に入れた。また、レストランで食べたランチもなかなか美味しかった。
出発する前に、向かいにあるニセコ駅に行って見た。
チロル風の駅舎の外③にもホームにも④南瓜の飾りつけがしてあり、小さいけれど洒落た雰囲気の駅だった。

  ③ ④

温泉からは山道「パノラマライン」に入り、私がかって登山した秋枯れのニセコアンヌプリ山、チセヌプリ山、しゃくなげ岳などを見ながら、くねくねとした道路を北の岩内方面に向って登って行った。
途中、広い竹やぶ「大谷地」を通り、神仙沼入り口まで行ってから戻った。(大谷地周辺は、春の竹のこ採りシーズンには警察が出動する位、人と車で賑わう場所だ)
途中の山は、すっかり葉を落とした灰白色のダケカンバ(岳樺)の林に覆われていた。緑に覆われていた夏山の景色とは全く異なるその幽玄な姿に、私たちは本当に驚いた。

帰路、ニセコの道の駅で小休止の後、再度、大滝のきのこ村に寄り、きのこを買ってから帰って来た。
友人達との初めてのドライブは、景色もおしゃべりも温泉も本当に楽しかったので、また来年、ドライブをしようと言って分かれた。





コメント (2)

久し振りに車で十勝へ

2009年08月16日 | 道内・国内旅行
旅行とまでは言えないが、12日から今朝まで娘が住む帯広近郊まで車で行って来た。
急に連絡したのにも関わらず、14日は、帯広に住む旧友が数人集まってくれて、楽しく近況を語り合う事ができた。

15日は、午前と午後の2回、気温が28度位ある中、2箇所で家族とパークゴルフを楽しむ事ができた。
朝9時に行った十勝清水のパークゴルフ場は、山の斜面に作られていて、遠くに雄大な十勝連峰を見渡しながら数十m下のポールを目指してボールを打つコースが2つあり、気分が良かった。
また、さくらんぼの大木が数十本植えてあって、樹間でするプレイは涼しかったが、気温が高かったのでブヨが沢山いたのが気になった。

午後は清水から33km離れた場所にある音更のパークゴルフ場に行った。
そこは平地だが木が多く、やはりブヨが飛び交っていた。
予め顔と首には虫除けスプレーを噴きつけたのだが、しなかった手首を刺されてしまった。今、刺された手首が腫れ上がって太くなっているが、顔でなくて良かった。

さすが十勝はパークゴルフ発祥の土地柄、広大なパークゴルフ場があちこちにあり、そのほとんどが無料なのだが、今回行った清水は1日400円、音更は1日200円だというので、その安さにも驚いた。

夕方、焼肉店に行き、美味しい十勝牛の網焼きをご馳走になった。

そして今朝、4時半に起きて、娘の家を5時25分に車で出発し家に向った。
標高1,020mの日勝峠(日高と十勝の間の峠)が近づくに連れ濃霧が立ち込め、視界20m位の場所もあったが、6時前の峠は晴れていた。
展望台で車を降りて、登って来た十勝側の写真を撮った。
清水側には雲海が立ち込めていた。まだ車も少なく、空気が綺麗で気温は16度、気分が爽快だった。
 
    

 

日高町に下る山道でもまた濃い霧が発生したので、センターラインを辿りながら慎重に運転した。
急勾配ときついカーブが続いた。
それにしても日勝峠を越える国道274号線「樹界ロード」には本当にトンネルが多い。
また、「鹿の飛び出しに注意してください」と書かれた標識も凄く多かった。
1箇所だけ「熊と鹿に注意」という標識もあった。

ひたすら走り、家に着いた時間は8時10分だったから、早朝でも2時間45分かかった訳だ。
今回の往復全走行距離は400km余り。久し振りの遠出だったが、快適だった。
懐かしい旧友にも会え、娘の日常生活を見たり、忙しい彼女の掃除の手助けもできて良かった。

家に着いてからは、私の帰りを待っていた枯れた庭の花を早速摘んだ。
1時間、庭の手入れをしたら汗だくになったが、やっといつもの庭に戻り、ホッとした。


コメント (4)

奥尻島に行って来た (3)

2009年06月24日 | 道内・国内旅行
奥尻島を代表する海の景観は、自然に作られた岩だった。
その第1が東部中央にある奥尻港近くにある④「鍋釣岩」だ。高さ19.5mあって、夜はライトアップされている。
⑤は左が神威岩で右が兜岩だと思った。

 ④ ⑤

奥尻港の南にある「うにまる公園」の海沿いに⑥モニュメントの「うにまる」が作られている。120本のとげを持った紫うにがモデルだそうだ。
帰りにフェリーが待つ港に行くと、⑦「うにまるくん」が手を振って見送ってくれた。
また、「うにまる公園」の一角に奥尻島出身の「佐藤義則野球展示室」があった。展示をざっと見たが、近年、ダルビッシュを育てた彼は島の誇りとされている事が良く分かった。

 ⑥ ⑦ ⑧

11時過ぎにアワビ、刺身がセットのホタテご飯定食を食べてから、フェリー乗船場の土産屋で買い物をし、12時40分出航の船で瀬棚港に戻った。

帰りのバスは、長万部から高速道路に入り札幌まで走ったが、着いたら19時を過ぎていた。
初めて奥尻島に行った今回の旅だったが、津波の大被害を受けた奥尻島にもかかわらず、豊かな水産資源に恵まれた綺麗な海と島の風土を生かした農水産業によって、厳しいけれども復興の努力を続けている島民の姿が感じられ、ほっとさせられた旅になった。
しかし半面では、高齢化が進むこの島をどうすればもっと活気ある島にできるだろうかと、考えさせられたりもした。

最後に洞爺湖展望台の土産屋で売っていたTシャツ⑧を紹介して、今回の旅日記を終える。

 


コメント (1)

奥尻島に行って来た (2)

2009年06月23日 | 道内・国内旅行
奥尻島観光の一つが写真①「宮津弁天宮」だ。
ここは1831(天保2)年に漁師達が弁天様を奉納して大漁を祈願したことが始まりだという。
バスを降りて弁天宮に行くには、一旦急な階段を下り、それからもう一度海に突き出た丘に登らねばならない。勾配が急なので段差が大きい階段が164段作られていた。上り下りするのが厳しく、私は息が上がり、汗をかいた。
簡単に行けない場所にこうした宮を作る心理は、世界共通だと思った。

その後バスは、島の北東部・宮津から北西部・幌内に抜ける山道に入り、標高369mの「球島山山頂展望台」に向った。
急に濃霧が立ち込めて来た。晴れていたら最北端の稲穂岬までの絶景が見られると言うが残念だった。しかし、この時期としては珍しい②八重桜が咲いていたり鶯の鳴き声が聞こえたりして、私たちを歓迎している様だった。

 ① ②

山を下り、幌内の「湯の浜温泉」にあるホテルに到着した。③そこは外観が洒落た洋風のホテルだった。前庭には古代ギリシャの神殿風の柱が立ち、下方には幌内港が美しく見渡せた。(ホテルの人に聞くと、この柱は景気が良かった時に遊び心で建てた物だが、震災では全く損傷しなかったそうだ)

楽しみだった夕食には、豊かな島の幸が取り揃えられていた。
塩うに、うに汁、うに豆腐、イカ、蛸、鮭の刺身、アワビ料理、メバルの唐揚げ、モズク、ホッケの三平汁などが並んだ。
私は、折角のうにを加熱してしまう料理は実に勿体無いと思った。

 ③   

   

また奥尻島では米も栽培されていて、島民の主食は島内で賄えるのだそうだ。
今回は食べる機会は無かったが、山間部で茶色毛の肉牛も沢山飼育されていた。


コメント