花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病があるが伯母の介護をし、春~秋はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

「後期高齢者」になった私と最近の伯母

2018年09月19日 | 高齢期の生活
昨日は私の75歳の誕生日だった。
娘から「おめでとう」のメールがあっただけだったし、私も特に何かしたいと思わなかったのでケーキの一個も食べなかった。
只、先月末から家の塗装をしてもらっていたが、一部手直しを頼んでいた部分の塗装が終り、全体の塗装が完成した日だった。

                    

75歳の誕生日から「国民健康保険証」の「被保険者」ではなくなるので、過日「後期高齢者医療被保険者証」が送られて来ていた。
また先月には、「自動車免許更新」の検査項目に「認知症検査」と「動体視力検査」などが入ったことで、気分的に「後期高齢者」であることを自認させられていたのは事実だ。

同居して介護していた伯母が入院中なので精神的に落ち着かず、まだ、今後どのように過したいという具体案が持てないでいる。
趣味の旅行も6月以降は中止している。何時になったらまた行く事ができるのか分からない。

ただ、体の筋肉は明らかに減退し、時々ふら付いたり、ズボンを履く時に気合を入れないとよろける。98歳の伯母が、88歳まで野菜作りをしていた事を思うと、凄いな~と今更ながら感嘆する。

その伯母も、入院してから4ヶ月が経ち、すっかりやせ細ってしまった。
「排泄」は、ヘルパーの手を借りて、ベッドから降り、横に置いてある「簡易トイレ」で行っている。
「食事」は、「誤嚥性肺炎」を予防するために、ミキサーにかけたどろどろ食で美味しいはずが無く、可哀相だなと思う。
伯母に「誤嚥して肺炎になるかも知れないけれど、美味しい刻み食にしたい?」と聞くと、「今のでいい。」と答える。
1週間程前には「亡くなった母が傍に来ている。」といい、私がいつもの様にプリンを食べさそうとするのを制して「先に母に食べさせて欲しい。」と言った。
脳梗塞で目が見えなくなっているので、頭に浮かぶ昔の記憶の映像が伯母を支配しているのかも知れない。
昨日も「伯母の誕生日」を聞くと答えられたが、「今何歳なの?」と聞いたら「100歳」だと初めて誤答した。
私が「そろそろ帰るから。」と言うと、「忙しいのにいつも済まないね~。有難う。」という。同室の患者の家族の人が、そんな事を言う伯母を見て感心している。

TVの「放送大学」の講座を見ていたら「今75歳の女性の平均余命は、90歳だ」と言っていた。それに従うと「私の余命は後15年」だ。
61歳の時に癌の手術をして以来、札幌市内での高層の集合住宅住まいを止め、近郊の市に家を新築し、移って生活の仕方を大きく変えて来たが、その生活も残り僅かになった。私の場合は、あれこれ病気を持っているので、もう少し余命は短いかも。
先ずは伯母を最後まで看取ってから、私の余生の過し方を考えたいと思う。

何にしても取りあえず健康が基本なので、今まで通り無理の無い状態で庭仕事を続けて行きたいし、今まで同様、1日1日を前向きに、精一杯有意義に、そして楽しみながら生活したいと思っている所だ。

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長年の親友に会いに行く

2018年09月03日 | 高齢期の生活
先日読んだ本に、高齢期になったら「認知症」予防の為に、毎日計画的に何かしら行動する事、中でも人と会って話をする事が大切だと書いてあった。
そこで早速、暫く会っていない親友にメールした。
「今日の午後は開いている?できたら会いたいね。」と。
直ぐにOKの返事が来て、互いに行きつけの札幌の回転寿司屋で会う事になった。

急なので家に土産にするような物は何も無い。考えた。異常気候で高騰している野菜を土産にしたら喜んでくれる筈だ。
早速、近くの直売している農家に行って、中の大きさの「大根1本」Lサイズの「トマト3個」「キューリ3本」「カボチャ小1個」「人参2本」を買った。それに家にあった「茄子」と「ピーマン」、私が作った「ニンニク」を数個ずつ足してダンボールに詰めた。
それから車で国道を30分走り、寿司屋に行った。日曜日だったが、道路は混んでいた。

待ち合わせ時刻が昼時の1時だったので、待合の椅子には30人ほどの人が順番を待っていた。
店内を見渡すと、既に彼女は来ていて順番を予約していてくれた。
近況を話し合っていたら、順番が来て席に着くことになった。
それから1時間余り、それぞれ好きな寿司を注文して食べながら色々な話をした。
最近、視力が次第に衰えて来たと言うので、私もだと言った。
歯の調子が悪く、歯医者に通っているのも同じだった。
また、彼女は高齢の兄と姉の世話をしているのだが、私も伯母の近況を話し、共感する所が沢山あった。

最後に彼女は「讃岐うどん」をくれた。私は車の所に行って野菜が入ったダンボールを渡した。
10月ごろ、また会いたいと思いながら帰宅した。

夜に彼女からメールが来た。大根や人参をたっぷりと入れて「豚汁」を作ったそうだ。適当に選んで持って行った野菜が、直ぐに役立って良かったと思った。
                         
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買い物袋を作る / 「9.11テロ」の薔薇

2018年08月07日 | 高齢期の生活
伯母の持ち物を整理していたら、かなり汚れたポリエステル製の「マフラー」を見つけた。厚手の生地で、濃い太線の縞柄があり、凄く個性的だ。
多分伯母はもう使わないだろうと思ったので、「私に下さい。」と頼んで見た。
OKされたので、洗ってから早速適当に切り、買い物袋を作ることにした。
ティッシュや財布、鍵を入れる内袋も2つある幅28cm、高さ33cmの大きさの中型買い物袋ができた。
小さくたためるので、これからはハンドバックに入れて置いて、スーパーなどの買い物の際に活用したい。

今朝の薔薇は「ソアリング・スピリッツ」(意味は多分「悲しい気持ち」⇒「鎮魂花」)だと思う。
塀の土手の向こう端に、一昨年植えた薔薇だ。
2006年アメリカで創られたが、「9、11テロ」の犠牲者を弔う「Remember Me」の基金のためにこう命名された薔薇だそうだ。
名前の由来を知らずに買って来て植えた薔薇だが、その意味を知ってからは、見る度に当時のツインビル崩壊の惨状を思い出す。無差別テロは絶対に許せない事だ。
一昨年、友人と崩壊現場に行って来たが、今は「メモリアルパーク」として整備され、大勢の人々が祈りを捧げていた。
これからは特に愛情を持って、大切に育てて行きたい。

 


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従姉とパークゴルフを楽しむ

2018年08月05日 | 高齢期の生活
札幌の従姉は私よりも多忙な生活をしていてなかなか会えなかったが、昨日、1年10カ月振りに我が家に来てくれた
昼食は、近くのレストランに行った。私にとっても久々の外食になった。

その後、久し振りに「パークゴルフ」をした。腕が落ちているだろうと思って、コースが比較的簡単なパークゴルフ場にした。
受付の女性が私達を覚えてくれていて、声を掛けてくれた。

いざ、コースに入り、ステッキを振って見たら球を外した。酷いもので打ち方も忘れてしまっていたのだ。
それに、以前の半分ほどの距離しか球を飛ばせないし、狙った方向も外してしまう。
全くどうしようもない始末で、こんな簡単な球技でもやり続けないと駄目なのだという事が良く分かった。

気温は26度程だったのに、従姉がトイレに何度も行きたがる。「切迫性尿障害」では無いだろうかと思ったので、病院に行くことを強く薦めた。

夕方のJRで帰る時、先日手づくりした「ハスカップジャム」と収穫したばかりの「ニンニク」、それに私も最近食べ出した「もち麦」を試して見てと言って渡した。

夜に電話が来た。何と20分もJRが遅れたというのだ。理由は鹿が電車にぶつかったためだそうだ。
野生の鹿は、近辺に普通に沢山いるのだが、車にぶつかる事は多くても、電車にぶつかる話は珍しいと思った。
従姉に「またパークするために来てね!」と言って電話を切った。

                            
                          (春に種蒔きした「金盞花」が次々と咲いている)

   
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伯母の脳梗塞、その後(8)

2018年07月11日 | 高齢期の生活
≪自宅に近い病院に転院した≫

先週、急に病院から「伯母の治療が済んだので、退院して欲しい」旨の連絡があった。
それで私からの転院の申し出を受け入れてくれていた地元の病院に、昨日午前中に私の車に乗せて転院した

昨日は、朝9時過ぎに私が迎えに行くと、朝、シャワーを浴びたらしく、伯母は疲れたのかベッドでぐったりしていた。
私が入院費の支払いを済ませ、私物をキャリーバックに詰めていたら、今まで世話になった「相談員」の方が車椅子に伯母を乗せてエレベーターで降り、私の車の傍まで送ってくれた。
昨日の伯母は、車の座席に移ったり、車から降りて短距離を歩くのもふらついて危険だったので、伯母を支えて安全に転院するのが大変だった。

今まで伯母を診てくれていた今度の病院に着くと、直ぐに「心電図検査」「脳のMRI検査」「心臓のCT検査」「血液検査」を受けた。それから病室に案内された。看護婦詰め所前の一人部屋だ。

伯母が疲れて寝ていた所に、突然、伯母の妹(95歳)が娘夫婦に伴われて札幌から見舞いに来た。妹が耳元で話をしたら、伯母は誰だか分かったようだった。その人達は、15分程で帰って行った。

昼食が運ばれて来た。伯母が前日、スプーンを持たせると一人で食べたので、昨日も食べさせて見たらほとんど残さずに食べた。余程お腹が空いていたらしい。
ここの病院では、栄養剤の点滴をせずに食事を食べさせるようだ

私は、一旦、家に帰って、午後にまた、入院関係の書類に必要な印鑑を持参した。すると、医師に呼ばれた。
私は先ず、「快く転院を受け入れてくれて有難うございました。」と感謝の言葉を伝えた。
医師は午前中の検査結果を見せてくれて、「5~6cmもある大きな範囲の脳梗塞だったが、目はぼんやりとは見えている。」「心臓が肥大しているので、心筋梗塞の治療も必要だ」。と言われた。


今日も12時からの昼食時に病院に行って見た。伯母は、食堂で他の入院患者と一緒のテーブルで食事していた。
お茶にはとろみ剤が加えられているが、おかずは微塵切りだけの状態だった。時間はかかったが、伯母は一人で食べ、完食したのには驚いた。
また、前の病院では、粉薬をおかずに混ぜて食べさせていたが、この病院では最後にとろみが付いたお茶に混ぜて飲ませていた。

食後に部屋に戻ってから、車椅子に座った状態の伯母を5週間ぶりに散髪した。髪が床に散らばることも無く、上手くできた。
それから、この間の北九州、西日本の豪雨による大勢の死者、行方不明者のニュースを伝えた。
伯母は、家でイヤホンで聞いていた「携帯ラジオ」を聞きたいと言うので、明日には届けてやりたいと思う。

今後、口から食事ができる様になって胃や腸が働くようになれば、徐々に気力を回復していくのではないかという希望が出て来たので嬉しい。
                                 
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海外旅行好きの物凄い店員さんに会う

2018年07月05日 | 高齢期の生活
今日、伯母の見舞いの帰りに途中の大型スーパーに立ち寄った。
菓子類を沢山買ってレジを済ませ、袋に詰めていたら声を掛けられた。
「アンケートに協力していただけませんか。」といつもの高齢の女性キャッシャー(レジ打ちをする人)から言われた
彼女は外見からして70歳代である事は間違いなく、幾つもあるレジの中で、私はいつもできるだけ彼女のレジに並ぶ様にして来た。彼女には私を引きつける何かがあったのだ。

「アンケート」は、「店で何を買う事が多いか」「店のどんな事に対して不満を感じるか」「店員の応対はどうか」「店をどう思っているか」…などの項目だった。
私はボールペンを彼女から受け取って、答えをドンドン書いて行った。

最後に「あなたの趣味は何か」とあった。
その人に「旅行です。外国の…」と言うと、「私もなんです。海外旅行が趣味だという方に初めて会いました。色々お話したいですね。」と言われた。
そして、「私は人工透析を週に2回受けていますが、旅行に行く時は中日を4日空けて貰って、近い国に行っています。」と言うのだ。
私は、彼女が私と同じ様な年齢でレジの立ち仕事を長年していることに敬意を持って来たが、今日は、人工透析をしながら毎日働き、かつ海外旅行に出かけていることを知り、とても驚いた。
それと共に、彼女が大変な病気を押して敢えて出かける海外旅行の魅力について、改めて考えさせられた。
次回からも、その人のレジに並びたいと思っている。そして機会があれば、いつかゆっくりと同じ趣味の海外旅行について話をしたいと思った。
                         
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伯母の脳梗塞、その後(7)

2018年06月27日 | 高齢期の生活
医師から伯母が「肺炎になって胸水が溜まっているので、当面は点滴栄養に切り替え、抗生物質と利尿剤を施す」と告げられたのは、6月15日だった。その後の伯母は、毎日ベッドに寝たきりで、点滴を受けていた。また、血液中の酸素濃度が低くなっているということで、常時、酸素も吸入されていた。
いつの間にかパンツ式のオムツを履かされているが、トイレは看護師に車椅子に乗せてもらって行き、自分でしているらしい。
一週間経った頃、肺炎が改善して来たらしく、リハビリの看護師の手で昼食を口から採り出した。しかし、食べる量が少ないので、栄養を点滴で取るのは続いている。

また、私と会話して分かったのだが、少し前のできごとを数日前から忘れ出した。例えば、シャワーをした事を3時間後には忘れているし、昼にご飯を食べたこともだ。
もう1ヶ月以上、入院生活が続いているので、脳の記憶力が衰えて来たのだろうか。

昨日行った時には、酸素吸入は外されていた。リハビリの看護師が、ベッドから起き上がったり、立ち上がったりする運動を少しさせていた。

医師から告げられたので、退院後、介護施設に入れないことを考えたら、今まで通院していた近所の個人病院へ転院できたら良いと考えた。
そこで直接行って事情を話すと、院長から転院の承諾を貰って嬉しかった。
でも、もう少しご飯が進むようになれば、老人病院に転院せずに、あるいは介護施設での生活もできるかも知れないのだ。
それにしても、脳梗塞と肺炎を併発したのに、肺炎の方は改善しつつあるのが喜ばしいし、伯母の生命力の強さを見せ付けられている

昨日から、医療系専門学校の実習生が来ているが、病院から伯母に実習生が担当する患者に成って欲しいと申し出があった。入院したばかりの時も頼まれて今回は2回目なので、その理由を看護師に聞いて見た。
すると「高齢なのに、会話ができるからだ。」と答えてくれた。成る程…

今日は朝から雨だ。また午後にでも見舞いに行って来たい。
                                     
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伯母の脳梗塞、その後(6)

2018年06月17日 | 高齢期の生活
≪伯母は肺炎も起こしていた≫

一昨日、私から要請していた伯母の病状についての経過説明を、医師から受けた。
伯母の胸のX線撮影の結果を示しながら、『肺炎を起こしていて、左の肺に胸水が溜まっている事が分かったので、今、抗生剤と利尿剤を投与しているところだ』
また、『現在「点滴」で栄養を取って貰っているが、その内「経管栄養」に変える』という内容だった。

「経管栄養」について私から質問すると、鼻から胃まで管を入れて、栄養物を注入するのだそうだ。
今よりも体の負担が大きくなるのではないかと不安だが、『病院は肺炎を治す治療をし、栄養状態が安定したら「老人病院」へ移ることを進めたい』と話してくれた。
伯母は以前から、「胃ろう」など、特別な栄養の取り方はしたくないと言っていたので、医師にはそれを伝えた。

(看護師に「経管栄養」について聞くと、管は入れる時に少し苦しいし、約2週間ごとに取り替える必要があると教えてくれた)

医師の話が予想外の話だったので私は驚いたが、伯母にはその医師の話を伝えた。
伯母は「苦しいことになるなら嫌だ。」そして「もうそんなに長くはないと思う。長い間大変お世話になりました。」と私に言った。

医師と伯母の間に立つ私だが、あくまでも伯母の代理人として取りあえず伯母の気持ちを医師に伝え、「経管栄養」については「伯母ができるだけ苦しまなくても良いように、治療をして欲しい」とお願いして見ようと思っている。

今日の伯母は、右手首の関節炎の腫れが引き、痛みも軽くなった様だ。
また、長い時間ベッドに寝ているので、腰が痛いと言って起き上がったりしていた。
相変わらず私の姿は、ぼんやりとしか見えない様だった。
                                   
                          
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伯母の脳梗塞、その後(5)

2018年06月13日 | 高齢期の生活
【伯母が口から食べられなくなって1週間】

伯母が今月6日の夕食で喉を詰まらせ、7日の朝食から栄養剤の点滴を受け続けて1週間になる。
私は1~2日で口からの普通の食事になるだろうと安易に思っていたのだが、違った。
口から食べられなくなったら、病院生活を続けなければならなくなるので心配だ。
さらに血中酸素の濃度が下がっているらしく、酸素も鼻に管をつけて補給されている。
このままだと「寝たきり」になりかねない。

一昨日行った時に、心配する私に伯母が「このまま終ってもいいよ。」と言ったので、私は「点滴でしっかりと栄養を取っているから、残念だけど終れないよ。」と言うと、伯母が笑った。
一番不安に思っているのは、伯母なのだと思った。

昨日は、右手首から上が赤黒く腫れて熱を持っていた。伯母が痛いというので、看護士詰め所に行って湿布をお願いした所、医師に連絡を取ってくれた。そして「関節炎」だと言い、湿布を貼ってくれた。
伯母には、「自分から言わないと、どこが痛いのか誰も分かってくれないから、何かあれば我慢しないで看護婦さんに言ってね。」と念を押した。

また、数日、パジャマを着替えていなかったので、昨日は点滴の最中だったが、看護師に頼んで着替えさせてもらった。看護師は、点滴の袋を上手に袖に通しながら脱がせ、また新たなシャツとパジャマを着せてくれた。さすがだと思った。

「介護保険の認定見直し」の申請は、入院後間も無くケアマネージャーが市役所に出してくれた。私も立ち会いたいと言ってあるが、いつその調査をするのかの連絡がまだ来ていない。先程、ケアマネージャーに電話した。
一応今月末迄は今の病院に置いてくれるが、その先がどうなるか、伯母の点滴が始ってから、不安な状況でいる。

                         
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伯母の脳梗塞、その後(4)

2018年06月10日 | 高齢期の生活
伯母が脳梗塞を発症してから2週間になる。
9日目までは2日に1回のリハビリにも前向きで取り組んでいて、家で生活していた時に近い歩くなどの運動能力を保持していた。
しかし、20日目になる今月6日、夕食時に喉が詰まりそうになったらしく、翌日の朝食から食べることを止めてベッドで栄養剤の点滴を受けていた。
それでもトイレは看護師に介助をして貰っているらしいが、それ以外はほぼ寝たきりだ。
この状態が何時まで続くのかは分からないが、これでは全身の筋肉が衰えて、伯母の活動力は無くなってしまうのではと私は気を揉んでいる。

また、私が伯母の前で「誰の顔か判る?」と聞くと「ぼんやりとしか見えない。」と答える。脳の障害がさらに進んでいるのだろうか。
6月8日にMRIの検査を受けたようなので、担当医師から状況を教えてもらいたいと思っている。

                   
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伯母の脳梗塞、その後(3)

2018年06月03日 | 高齢期の生活
昨日した洗濯物、それに新たに買い揃えた木綿100%の靴下4足と五部丈のズボン下2枚(これからの季節に良いので)を持って、伯母を見舞った。
伯母は「脳神経外科」の入院病室から、階が違う「地域包括センター」の病室に移っていた。ここは「リハビリ」を目的にした病室らしい。

丁度「リハビリ」の担当者が伯母を迎えに来た。歩行訓練をするのだという。
そこで私も了解を得て、一緒に「リハビリ室」に行った。

伯母は車椅子から降りると、彼に手を引いてもらいながら歩いた。
伯母を休ませながら、私はその担当者に伯母の普段の生活ぶりを話した。
担当者も「98歳とは思えない位しゃんとして、リハビリを受けています。」と言っていた。
最後に部屋まで少し距離がある廊下を、いつもの様に私の片腕を伯母に掴ませてゆっくりと歩いて戻った。

伯母には、私が昨日、今まで利用していた施設に行って「ショートステイ」と「特別養護老人ホーム」の両方を申し込んだ事を伝えたら「良く分かっている施設なのでいいね。」と言ってくれた。嫌がる様子は無かった。

また、出される食事も、手伝ってもらいながら頑張って食べている様だった。「何か不安はないか」と聞くと、「全然ない。」と答えた。
「慣れたら、辛うじて少し見える右目で生活できる様になる筈だから、「リハビリ」を頑張ろうね。」と言って別れた。
本当に伯母は愚痴一つこぼさず、気持ちがしっかりしていて、実に努力家だと思いながら帰宅した。

                            
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伯母の脳梗塞、その後(2)

2018年06月02日 | 高齢期の生活
昨日は、昨年から度々「ショートステイ」を利用している近くの施設に出向き、「特別養護老人ホーム」の空室ができ次第、入所させてもらえるように申請した。そこは小規模の施設だが、家からの距離も近く、伯母にとっては慣れている場所でもある。私も職員とのコミュニケーションを取りやすいので、入所できたら幸いだと思うのだ。
もし、空室ができなくても、6月末に退院した後は「ショートステイ」させて貰いながら、空きを待ちたいと思っている。(この場合は、数日間の家庭介護が必要になるが)

伯母には、「お医者さんから、当面は家庭での生活は難しいので、施設の方が良いのではないだろうかと言われたよ。」と伝えた。具体的に「夜間のトイレなど一人では難しいでしょう。」と話したら「そうだね。」と言っていた。
まず伯母自身が、脳梗塞を起こしてからの自分の身体と生活状態を、認識する事が大事だと思っている。
あと1ヶ月のリハビリで、どれだけ視力がほとんど無くなった生活を受け入れて納得し、適応できるかが課題の様に思う。

                                   
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伯母の脳梗塞、その後(1)

2018年05月31日 | 高齢期の生活
前日予約して置いた主治医との面談が昨日あり、医者から伯母の経過を聞いた。
この間撮ったCTとMRIの画像を見せてくれ、
「右の大脳後頭部視野管理部分の皮質と白質が血栓で損傷を受けている。右側の視力がかろうじてあり、今後はその右目だけでどれだけ生活力を取り戻せるかだ。しかし、年齢を考えると日常生活、更衣、トイレなどには重度の介助が必要で、自宅で生活するのは困難と思われるので、自宅に戻るということにはならないでしょう。介護保険の段階では、『要介護3~4』に該当すると思われる。」という内容が話された。

そこで、現在伯母は「介護保険」の『認定要介護1』の認定を受けているが、その見直しを市役所に請求すると共に、適当な介護施設を探すことになった。
担当医は、 「リハビリの為に6月末まで入院してもらうので、その間、退院後の生活について病院にいる生活相談員と良く相談するように。」と言われた。
私はメモを取りながら医師の話を聞いた。

その後早速、生活相談担当者と普段世話になっているケアマネージャーがやって来て、3人で話をした。
また、伯母を担当している実習中の専門学校生にも会って、伯母の生活暦などを話した。
伯母は彼に「施設にいるよりも姪と一緒に自宅にいる方が良いし、人生の中で姪の自宅で生活していたのが一番幸せだ。」と話したという。

私との生活をそんな風に思ってくれている伯母に急な異変が起きて、もう自宅には戻れないとなると、伯母の気持ちを考えるととても残念で仕方が無い。
しかし、病気には勝てないので、病院の相談員や今まで世話になって来たケアマネージャーと相談しながら、伯母の今後の生活を検討して行きたいと思う。

入院してから2週間になるが、車椅子生活が身についてしまったようだ。今日は家で洗濯した衣類を持って見舞いに行きたい。
                          
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昨日の伯母の様子

2018年05月19日 | 高齢期の生活
昨日の土曜日、午後15時半頃病院に行った。
先ず、看護師に治療の様子などを聞きたいと思い詰め所に行ったら、そこに伯母がいたので驚いた。
寝てばかりなのは辛いだろうと思って、車椅子に座らせてくれたのだそうだ。

看護婦に「昨日からしている点滴は何の目的ですか。」と聞くと、「血液をさらさらにする薬です。」と答えてくれた。
「これで梗塞している血栓を取り除けるのですか。」と重ねて聞くと、「難しい。」という。「既に傷付いた脳の部分を回復する事は、まずできないのでは。」と言われた。
それなら伯母の視力は、もう戻らない事になる。急に視力を失ったら、自分では何もできなくなる。
私との生活も、今までの様に続けられるのかどうか、心配になって来た。

ベッドの手すりには「ナースコール」が取り付けてあったし、また、伯母のベッドの横に薄い「マット」が敷いてあった。その「マット」を伯母がベッドから降りて踏むと、看護師詰め所に連絡が行き、看護婦が駆けつけてくれる仕掛けになっているのだ。
また今日は、手を繋いで、散歩も少ししてくれたらしい。一昨日「入院の問診票」に「趣味は手押し車に掴って散歩すること、歌を唄うこと、漢字の書き取り」と私が書いて置いたからだろうか。
食事も洗面も、目が見えないので全部手助けしてくれているようだ。

伯母に食事の内容を聞くと、「家で食べていたのと同じように料理されているよ。」と言っていた。
同じく「入院の問診票」に、私の調理の仕方(野菜は全て微塵切りにして柔らかくしたもの、ご飯はおかゆではなく、柔らかめに炊いたもの、肉はひき肉なら食べられるなど)を書いて置いたからだろう。
看護師も色々とプロの目で見て考えて、伯母には気を使ってくれている事が良く分かり、2~3週間入院となりそうな今の病院の生活に、ひと先ず安心して帰宅した。

                                  

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昨夕、伯母が脳梗塞を起こして入院した

2018年05月19日 | 高齢期の生活
昨日の午前10時半頃までは,、伯母に異常は無かった。鮭の小骨を自分で取って朝食を食べたから。
しかし、私が10時半に庭仕事を終えて家に入ると、伯母の様子がオカシイ。
聞くと「目が見えない。」と言うのだ。「時計を見ようとしたら、何時か分からない。周囲がぼんやりしている。」というのだ。
12時に軽食を出したが、「何がどこにあるか見えない。」というので、私がスプーンで食べさせた。

それから慌てて午後は2時から診察がある行きつけの眼科に車を走らせ、視力検査、眼底撮影をした後で診察を受けた。
眼科医は、「視力が凄く落ちましたが、眼底に以前の写真との変化は見つかりません。この後、「脳神経外科」を受診して下さい。」と言って、紹介状を書いてくれた。

そのまま伯母を連れて、今度は近くの総合病院へ直行し「脳神経外科」を受診した。
脳の断層写真を撮影後、医師から「大変な事が分かりました。左大脳の光を感じる部分に「脳梗塞」が起きています。このまま入院して原因を探し、リハビリをしますから。」と言われた。
しかし、幸いなことに「命に別状はありません。」とも告げられて安心した。

その後、入院手続き書を書いたり、病棟担当者との面談などをするのにかなり時間が掛かったが、その後、一旦家に戻り、期間が分からない入院生活に必要な生活用具や下着などを揃えて伯母の病室に届けた。
看護師が「全てのものに名前を書いて下さい。」と言って、サインペンとビニールテープを渡された。それでスプーンやフォーク、湯飲み、スリッパの果てまで記名した。

伯母は難聴に加えて視力まで0.01になってしまったので、無言でベットの上で寝ていた。
小さいラジオを持参したので、元気になれば聞いて過せるとは思う。
目が見えなくなった事は、伯母にとって物凄い衝撃だろうと推察した。
しかし、問診票で「大変な状態になった時、病名や余命を知りたいですか。」という質問があった。それには「知りたい。」と答えた。実に気持ちがしっかりしている人だ。

私が昨夜帰宅したのは、21時近かった。
遠くにいる娘と私の札幌の妹に事の顛末を連絡して、何かの時の助けを求めた。

それにしても伯母は運が強い人だ。「脳梗塞」になったのは週末の金曜日だったから、2つの病院の診察を受けられた事。土曜の今日ならそうは行かなかった。
それに「脳梗塞」を起こした場所が、命に別状が無い場所だった事だ。
さらに、私が傍にいた。もしも私が、外国旅行にでも出ていて、いない時だったら、「ショートステイ」の施設では大変だったと想像する。
後は病院に任せて、一日も早い視力の回復を待つばかりなのだから。
                               
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