花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

「ハスカップ」

2015年06月30日 | 家庭菜園・市民農園・借り上げ農園
昨夜は82歳で逝去した近所の女性の通夜に出かけたが、20時過ぎに終って外に出たら、電光表示板の気温が14度だった。
いつも通りタオルケット2枚を掛けて寝たが、夜中に寒くて目が覚めた。毛布を1枚増やしたら、朝6時半までぐっすり眠られた。
今朝起きて見たら予報どおりの小雨だ。今の外気温は15度だが、最高気温は18度程度らしい。綿の長袖シャツの上にカーディガンを羽織っている。
明日から7月だというのに、明日、明後日と雨交じりで気温が低い天候らしい。ただ、乾き切った大地には欲しかった雨だ。

ところで「ハスカップ」を知っているだろうか。
北海道では一般的にこう呼んでいるが、樽前山を臨む広大な原生林に多くある落葉低木のこの木を地元の苫小牧市では「ゆのみ」と言うそうだ。和名は「クロミノウグイスカグラ」だとか。
ロシアの大地に原生しているこの木の実を食べた渡り鳥が、その種を北海道の大地に落したのが根付いたらしい。

我が家には、苗を買って植えてから7~8年経った高さ1.2m程の木と、まだ3年位の小さな木がある。
春(写真は5月7日)に黄色がかった白い小さな花が咲き、丁度今、黒紫の小さな実を付けている。
実の皮が柔らかいので潰れ易く流通が難しかったが、最近は冷凍にして流通させているようだ。潰すと赤紫色の汁が出る。「アントシアニン」が沢山含まれ、健康にも良いらしい。

昨日、少し収穫した実をプレーンヨーグルトに乗せ、混ぜて食べた。甘酸っぱい味がする。
昨年は沢山採ったのを塩漬けにして保存した。梅干しに似た味なので、お握りや温かなご飯に掛けて食べても良い。
勿論、ジャムにしたりケーキに入れたりと色んな使い方があり、ハスカップクリームをサンドしたケーキも多く売られている。ケーキ類は千歳空港の売店にもあると思うので、是非一度食べて見て欲しい。

 
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伯母と墓参り

2015年06月29日 | 高齢期の生活全般

昨日は、札幌からやって来た妹と娘を私の車に乗せ、岩見沢の伯母の高専賃を往復した。
家にあった愛媛から取り寄せた「ナダオレンジ」を持参し、庭の花でお供えの花束を作った。
行きは途中のスーパーで、伯母のためにヨーグルト、ベビーチーズ、刺身、シュークリームなどを買った。

伯母は部屋で支度をして待っていた。早速、車で市営墓地に行き、お参りをした。
特に何の日ということの無い墓参りなので、墓地はシーンとしていた。
伯母はお参りをすると心休まる様なので、できるだけ連れて行く事にしているのだ。
気温は低めで曇っていて、丁度過し易い天候だった。

お参りの後、伯母の部屋に入り、1時間ほど他愛のない話をした。
伯母は10ヶ月振りに行った妹に、目が見えなくなった、耳が遠くなった、歩かれなくなったと嘆きながら話していた。

帰りがけに、昨年私が挿し木で増やした薔薇「アンジェラ」を伯母の花畑兼菜園に植えて置いたのを見た。60cm程の大きさの木になり、びっしりと濃いピンク色の花を咲かせていた。伯母も高専賃の入所者もその美しさに大喜びしているという。
刺激や変化が少ない高齢者の生活に、1本の薔薇が生気を与えていると思うと嬉しかった。

   
(我が家のこの「アンジェラ」の小枝を挿し木して根を育て、移植したのだ。実は近所から枝を一本貰って私が挿し木して写真の最初の木を育てたのだが、枝を快くくれた女性が昨日亡くなったという訃報が入った。今夜は通夜に行きたい)

下は昨日の朝の薔薇である。





 

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初夏の庭(3)

2015年06月28日 | ガーデニング・家庭菜園
この所ずっと雨らしい雨が降らないので、大地が乾き切っている。
農園に行く度にジョウロで水を掛けているが、気休めにしかなっていないようだ。
先月種蒔きをした「小蕪」がピンポン玉より少し大きくなったのを間引いた。
漬物にしようかと思って食べて見たら例年よりも実が固い。雨が降らなかった所為だろう。
本当は蕪の煮物は実が柔らかくなり過ぎるので私は好きではないのだが、仕方なく人参やコンニャク、竹輪と一緒に煮付けにした。
葉は、今、野菜類が高いので、さっと茹でておしたしにした。
天気予報に拠ると、前線が東北地方の南で停滞しているので、暫くは北日本には雨が降らないし、気温も低い状況が続くというのだ。
そうすると、野菜は生育が遅れ、筋っぽく固いものになりそうだ。

庭の花の様子は、歩道の傍の高さ50cmの所に植えている数本のバラの一つが白色の「アスピリンローズ」である。横張り性で花は小さめだが多く咲く良い木だと思う。
赤色やピンク色ばかりだった場所にこれを植えて、やっと色のバランスが取れたように思っている。
10本並んでいるピンク色の「サツキ」が満開、赤紫色の「ペチュニア」はプランターに植えたのを置いている。プランターは、場所を好きな所へ移動できるのが良い点だ。



同様の理由で、濃い赤紫色の花が多く咲く「スーリード・モナリザ」の横につる性の白薔薇を植えている。
私が名づけた「薔薇の小路」で早くから咲き出した薔薇だが、残念ながら今の所、このバラの名前を忘れてしまったのだ。植え付ける際はプラスチック製の名札に油性のマジックで名前を書いてぶら下げるのだが、ほとんどは消えてしまったのだ。
ピュアホワイトでつる性、房咲き、しかも花弁が多い中輪のこの薔薇は魅力的だが、散ると花弁がぱらぱらと撒き散らされる所が難点かも。

「薔薇の小路」に置いてある「陶器の壷」は、私の叔父が今の家を新築した時に祝いとしてくれたもので、陶芸が趣味の叔父の手作り作品だ。大きいのでずっと外に置いている。その叔父も今年89歳になった筈。暫く会っていないが元気だろうか。




                   
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初夏の庭(2)

2015年06月27日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝は気持が良い天気になった。気温も一昨日の朝より5度高い19度。最高気温は25度位まで上がるかな。
気温が上がると雑草も伸びるが、「アブラムシ」もどこからともなく飛んで来て、柔らかい薔薇の新芽や小さな蕾を取り巻いて樹液を吸う。
基本的に私はビニール手袋をはいた指で優しく?潰す。しかし、余りに数が増えると、スプレー式の薬を噴霧する事になるのだ。
今日庭を見に来た人に、『「アブラムシ」は、初冬には「雪ムシ」になるんですよ。』と言うと、『それまで生き伸びるのね~』と感心していた。

昨日辺りより道路沿いに植えてある「アンジェラ」が存在感を示しだした。何といっても花数が多く、目を引く色だからだ。



「ピエール・ド・ロンサール」が8分咲きになった。これ位の時が一番綺麗かも知れない。



 

枝変わり(突然変異?)で生まれたという白花の「ブラン・ピエール・ド・ロンサール」の開花は遅れ気味だが、待ち遠しい。

 

昨年夏に花友さんから根を分けて貰った「白カンパニュラ」が生き生きと立ち上がって咲き、隣の薔薇を引き立ててくれている。

 
 
「つるアイスバーグ」も清楚だ。蕾が沢山なので、長い間咲きそうで嬉しい。この花の色変わり「ピンク・アイスバーグ」も多花性で次々とフリルのある花を咲かせている。

 

昨年植えた「聖火」が開花した。ドキリとさせられそうな澄んだピンク色だ。
この花に発色の仕方が似ている一つが「マチルダ」だ。昨年は木が冬の凍結で傷み元気が無かったが、今年は花を幾つも咲かせてくれてホッとしている。

                

 
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初夏の庭(1)

2015年06月25日 | ガーデニング・家庭菜園
2日程霧雨が降り、土を潤してくれたお陰で水遣りはしなくて良いが、草が一杯生えて来てその草取りをしなければならない。どっちが良いのやらとため息が出る。

先程農園を見に行った。雨のお陰か、遅れて蒔きつけたエンドウやトウモロコシが発芽していた。もう6月も末なのに、果たして食べられるようになるのかな。
そう思いながら、向こうの菜園に目をやると、何とトンネルを掛けて育てていたトウモロコシが50cm程の背丈に育ち、トンネルから顔を出しているではないか。
資財も手間も掛けたくないという理由で、全く何もしなかった私がやはり駄目なのだろう。参った!
今日は草取りと追肥(長葱と玉葱)だけで戻って来た。

ところで庭の「ピエール・ド・ロンサール」の蕾が、今朝は大きく脹らんでいた。今日中に開花するのもあるだろう。
今朝は14℃しかなく曇っていた中で写真を撮った。



 
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日本の穀類自給率を考える

2015年06月21日 | 家庭菜園・市民農園・借り上げ農園

今日も晴れていて風が強い。なので当地の地面は乾き切っている。天気予報では今週一杯は雨にならないらしい。しかたがないので野菜や花に水をやろうと思う。

8時に農園に行った。農園に常備されているジョウロは、大きくて重く、水を入れたら私には運べない位だ。
管理センターは、女性も農園を借用していることを忘れているのか、それとも全く考えていないのか。
水を半分以下に入れれば私も何とか持てるのだが、私は結局、愛用のジョウロも自宅から持参している。

それで今朝は、畑中に水を撒いた。水は地下水を利用した水道が農園の数箇所に設置されていて自由にいくらでも使えるが、飲水にはならない水なのだ。
風が吹くと土埃が上がっていたのが、散水で収まったが、この風だから1~2時間もすると元の木阿弥になるだろうな。

話は変わるが、砂漠地帯に住む人たちは、気温が高くても雨が降らないので農業ができない。
結局、大昔は食糧を求めてどこまでも動物を追いかける生活をするしかなかった。
その結果、広い地球上の幾つもの大陸に、人間が広がって行く原動力になったのだろう。
歴史的に偉大な権力者は、珠に降る雨を利用するべく灌漑の溜池や水路を作る努力をして農業を発展させ、多くの人々の定住生活を実現し、豊かな生活を実現した。
そう考えると、遊牧でも水産業でも食糧は得られるが、農業もまた人間が生きて行く基本だったと言えるのではないだろうか。

しかし、日本と言う国は、現在、穀類の食糧自給率が先進国の中では最低という40%を切ってしまった。農地がない訳ではない。農村の後継者不足によって、膨大な農地が放置されたままになっているという。
その耕作放棄地を、何とか有効に活用する手立てはないのだろうか。

日本中のスーパーマーケットにぎっしりと並んでいる世界中から輸入された各種のあり余るほどの食糧を見ていると、国の国際的な関係が変わり、いくらお金を積んでも輸入が思うようにできなくなり、食糧確保が難しくなるかもしれない日が来ることなど想像できないかも知れないが、国はそんな事態が起きるかも知れないことを既に見据えているのである。
私はそんな事も考えながら、ささやかながら自分でできる野菜類の確保を無農薬(一部は低農薬)で続けようと思っている所なのだ。

結局今朝は2時間の作業をして帰宅した。
6月9日に種を蒔いた「小蕪」を間引いた。ピンポン玉程度の大きさになった数個と葉を赤い二十日大根数個と合わせて一夜漬けにした。近所の奥さんにも半分お裾分けした。(漬物に加えた「小蕪」の葉の残りを麺類の汁に入れて見た。癖が無く美味しかった)

下は朝の写真から。



 
(「ピエール・ド・ロンサール」の膨らんで来た蕾)

 
(私の手作りベンチの後ろは「ラジオ・タイムズ」)    (入り口のウエルカムプランター)

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花の饗宴(4)

2015年06月20日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝は気温が低く13度しかない。
農園に植え付けた野菜の発芽や生育が揃わなくて、不安に思っている。
庭の野菜も「トマト」や「隠元豆」が例年よりも生育が遅いように思うが、4月6日に室内のポットに種を蒔き、庭に移植した「エンドウ」が順調に生育していて、今朝も収穫して近所に差し上げた。エンドウは寒さに強い野菜だからだろう。
また、同様に室内で苗を育てた「チシャレタス」も、庭で順調に育っている。

薔薇は寒さには強く、暑さには弱いという。1日経つと数個の蕾が開花するので目を離せない。
歩道の傍に列植してある「さつき」がようやく開花した。「ピエール・ド・ロンサール」の蕾が膨らんで来た。
最後に開花した「ジャーマンアイリス」は、私が一番好きな色合いのものだ。
昨日の写真だが、見て欲しい。



 

 

  

 

 

 

 
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花の饗宴(3)

2015年06月19日 | ガーデニング・家庭菜園
今年の当地の気候は、5月が比較的温かかったが雨が少なく乾燥していた。
6月になってから低温が続き、暴風雨にも見舞われた。
しかし、それが薔薇には良かったのかも知れない。例年つくアブラムシを、数日手で潰していたら豪雨が来てほとんどいなくなったのだ。
勿論、植えた薔薇の根が年々土中に深く張って木が大きくなったためとも思うが、今年の蕾の数は驚くほど多い。全部開花させても良いのかどうか、心配するほどだ。
蕾が一気に開花したら、我が家はそれこそ「バラバラ屋敷」になりそうである。

今朝の気温は15度。最高気温は25度になるらしい。少し雨が降ってほしい所だが…



 
          
         
              
 

   
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花の饗宴(2)

2015年06月18日 | ガーデニング・家庭菜園
カナダから帰宅後、旅日記の書き込み、庭の草取り、農園の種蒔き、伯母の施設の入所手続きなどと毎日忙しかった。
しかし旅日記も何とか完成したので、これからは花便りでもと思う。
「花の饗宴(1)」から18日経ち、庭の雰囲気も変わった。
3日程前から開花し始めた薔薇を元気な「ジギタリス」が引き立ててくれている。また「芍薬」「菖蒲」が満開なので、今の庭の様子を見ていただきたい。

 
 

        

 

 


        

          



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「カナダ」の旅(11)

2015年06月16日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

≪6日目は「ヨーホー国立公園」観光≫(2)

「ヨーホー国立公園」内の3つ目の観光は「ナチュラル・ロック・ブリッジ」だった。
「キッキング・ホース川」が川底のライムストーンを削り続けてできた自然の橋だ。
実際には人が渡るのを禁じているが、石橋の下を勢い良く水が流れる光景は見事だった。



4つ目の観光はロッキー山脈の西側にある「クートネイ国立公園」だった。
ここは交通の便が良くないためか、余り多くの人が来ることがない静かな国立公園らしかった。
私達はバスから降りて「マーブル渓谷」を50分間散策した。

先ず目に飛び込んで来たのは、2003年の山火事で焼けてしまった真っ黒い無数の木立だった。
日照りが長く続き、自然発火したらしい。
面白い事に、ここに生えている「ロッジポール・パイン」の松傘は42度の高温にならないと開いて種を飛ばすことができないのだという。それで山火事が起こるのを何年もじっと待っていて、火事になると初めて実生が弾き飛ばされるのだという。
国は、焼けたり倒れたりした木はそのままにして置くのだそうだ。数年立つと実生から芽が出て来て、新しい木が育ち始める。そんな若木が青々と元気に生育していて、自然の再生力の凄さを見せ付けられた。

また氷河が溶けて川になりできた渓流が谷を流れていたが、川幅が狭い割には水の侵食によって川底が深く削られている所もあった。
丸々としたリスを3匹見かけた。



           



 

「カナディアン・ロッキー」の全ての観光を終え、最終日の「バンフ」のホテルに向かった。
「バンフ」の町は、「ボウ川」が町を東西に分けるように流れていて、その北側を庶民が暮らすダウンタウンに、「サルファー山」がある南側はリゾートエリアにするという開発者の考えに依って作られている。
ホテルは「ボウ川」のすぐ南側の高台に建っている「フェアモント・バンフ・スプリングス」だった。このホテルは、1888年に開業した「バンフ」を代表する大きなホテルで、世界中から有名な著名人が泊まった歴史があるらしい。
この写真は、ホテルの全景観を見ることができるホテルが作った「展望台」(ベンチまで用意されていた)に行って写したものだ。近くからなら一部しか写らない位大きいのだ。
ホテルは高台にあり、裏にある階段を137段(自分で数えた)下った所に「ボウ川」がゆったりと流れていて、傾斜している所が小さな滝になっていた。

バイキング形式の朝食は美味しかったが、夕食の200g以上あった「ローストビーフ」の味は今一つだった。



 

 

翌朝、8時半にバスでホテルを出発し、2時間で「カルガリー空港」に移動した。朝から小雨が降り、山は霞んで見えなかった。
昨日まで晴天に恵まれ、素晴らしい「カナディアンロッキー」を堪能できたことは奇跡だったのかも知れない。

安全検査を済ませ、12;45発の「エアーカナダ」成田直行便に乗った。
成田までの所用時間は10時間40分。機内には東京の私立女子高校2学年の生徒達が制服を着て乗っていた。修学旅行だったそうである。
8日目14;25成田空港に無事到着。私は16時半の国内線で新千歳に乗り継ぎ、無事に帰宅した。
スケールが雄大な大自然をたっぷりと楽しんだ「カナディアンロッキー8日間」の旅は、こうして素敵な思い出と共に終った。
今回も長くなった旅日記にお付き合いいただいた皆さんに感謝します。 (完)

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「カナダ」の旅(10)

2015年06月15日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

≪6日目は「ヨーホー国立公園」観光≫

空気が澄み部屋が広くベッドもキングサイズでアメニティも素敵な「フェアモント・シャトー・レイクルイーズ」ホテルで、朝靄がたなびく「ルイーズ湖」と「ビクトリア山」「ビクトリア氷河」を目に焼き付けた。
湖面に昨日あった氷は、ほとんど溶けてなくなっていた。
山や氷河が綺麗に写っている鏡のような湖畔で、仲間のご夫妻と互いに写真を取り合った。楽しかった。



6日目は「ヨーホー国立公園」を巡る予定で、バスはホテルを9時に出た。
「ヨーホー」とは、先住民の言葉で「驚異」「畏敬」の意味なんだとか。

最初に向かったのは「ルイーズ湖」から南に10km程の場所にある「モレイン湖」だ。
「モレイン」とは、氷河が作り出した土砂が堆積した所だ。
岩が多い遊歩道を10分程登り、展望台に行った。途中、2箇所で「ナキウサギ」を発見した。一匹は岩場の高いところで日向ぼこをしているらしかったし、もう一匹は直ぐに岩の隙間にある巣穴に姿を消した。
「ナキウサギ」は北海道の大雪山地域、特に私が前に登った「ユニ石狩岳」の岩場にも沢山いて、氷河時代の生き残りだと言われている稀少動物である。
私達以外は誰もいない静かな展望台で、眼下に見た静まり返った真っ青な湖と周囲にモレイン、その背後に建ち並ぶ「テンピークス」の山々が絵の様に美しかった。



       

次に比較的大きな湖「エメラルド湖」(標高1300m)に行った。
ここも「ルイーズ湖」を発見した「トム・ウイルソン測量技師」が発見したという。

到着する頃には天気が良くなり、日が差して気温も高くなった。南東に聳えるのは「バージェス山」(標高2572m)だが、丁度逆光で上手く写真を撮れなかった。
駐車場からモレインでできた中島に橋が渡してあったが、「橋の半分は車専用部分」で人は歩くことができなかった。知らない人がそちらに入り、車の運転手から注意されていて可笑しかった。



         



ガイドがここは黄色い「西洋かたくり」が群生していると話すので、皆で湖畔の遊歩道を散策しながら草むらを探した。
あった。何だ、我が家にもある花友さんからもらったのと同じだった。
ここでは「グレイシャー・リリー」(氷河の百合)という素敵な名前で呼ばれているそうだ。日本のかたくりは薄紫色なのだとガイドは言っていた。
                    

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「カナダ」の旅(9)

2015年06月14日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

≪5日目午後 「バンフ国立公園」≫

「コロンビア大氷原」の観光後は、隣接する「バンフ国立公園」に向かった。
途中、氷河が溶けて幾筋もの流れになっている岩肌があった。「ウイーピング・ウオール(すすり泣く壁)」という名が付いていた。

           

やがて高速道路「アイスフィールド・パークウエイ」の最高地点2070mの峠を越えて駐車場で降りた。気温が今までよりも低いように感じた。
駐車場の前後に聳える山に圧倒された。「ウイリングダン山」(3374m)と「パターソン山」(3197m)だ。


     



そこから徒歩5分程で「ペイトー湖」を見下ろす展望台に着いた。「パターソン山」を背景に真っ青な色をたたえた湖だったが、表面2/3程はまだ氷に覆われていた。「ナキウサギ」が日向ぼっこをしていた。



      

雲が厚くなり小雨が振り出した。
「ペイトー湖」から峠を下り「へクター湖」に沿って進んで行くと車窓から「クロウフット(烏の足)氷河」が見えて来た。かっては烏の足先3本の様に見えた氷河が、今では2本になっていた。



      

この日のホテルは、「ルイーズ湖」の湖畔に建つ「フェアモント・シャトウ・レイク・ルイーズ」だった。
聞くと「カナダ太平洋鉄道」の測量技師だった「トム・ウイルソン」が、「ビクトリア山」(標高3464m)と「ビクトリア氷河」その手前に佇む美しい「ルイーズ湖」を1882年に初めて発見したらしい。
その後、ホテルが建設され1900年に開業した。この115年間で増改築がなされ、今では贅を尽くした客室数550室のこのホテルは世界的に有名なリゾートホテルとなっているのだ。
食事も美味しかった。
ここに1泊できたことは、今回の旅の良い思い出となった。



      



 



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「カナダ」の旅(8)

2015年06月11日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

≪5日目 「ジャスパー国立公園」観光≫

バスで8時に「ジャスパー」のホテルから出発したバスは、間もなく雪で覆われた美しい「カナディアンロッキー」の山々を右に左に見ながら高速道路「アイスフィールド・パークウエイ」を南東に向かった。
道路沿いには「アサバスカ川」が流れていた。「アサバスカ」とは、「葦の生える場所」という意味がそうだ。



30km近く走った所でバスから降りて、道路脇にある「アサバスカ滝」の遊歩道を滝へ進んだ。
この滝は、春に周囲の山々の大量の雪溶け水が一気に流れ込むことで岩を侵食してできた滝だという。
初夏にはもっと凄い轟音と水煙が立ち上るらしかった。丁度水煙には虹がかかっていた。

 



大きなゴミ箱が置かれていたが、野生の熊が蓋を開けることができないように取っ手は引っ込んだ奥に付けられていた。この辺りのゴミ箱は皆この作りなのだそうだ。
野生の「カナダ雁」がすぐ傍を歩いていた。

 

再びバスで次々と変わる雄大なロッキー山脈を見ながら1時間走ると、「コロンビア大氷原」に到着した。



ここの展望台からは6つある内の3つの氷河が見られたが、私達は真正面の「アサバスカ氷河」にバスと大型の「スノーコーチ」を乗り継いで登って行った。世界中から来た観光客が、一緒に乗っての氷河観光だった。



          

途中には氷河が岩を削ってできた土砂もあった。
「アサバスカ氷河」に着いた。降り立った所は標高2100mの地点だった。
この氷河は規模では3番目だそうだが、長さ6.5km、幅1km、厚さ30~365mあり、年15m下に進んでいるのだが、溶けるスピードの方が早いので、年間平均して1.6m先端が後退しているという。
氷の上で何枚も写真を写した。
壁状になっている先端では、溶けた氷が水になって流れていた。それを飲んで見たりもした。味も香りも無くソフトな印象だった。

 



          

「スノーコーチ」の運転手は、氷河の解説者でもあった。英語圏の乗客が多かったので、説明は英語だった。添乗員は、日本人客が多いと日本語のこともあると話していた。英語でされた説明は、後で現地ガイドが解説してくれた。
 

貴重な氷河観光の後、建物の2階に設けられている大きなレストランで、色々な国の観光客と一緒にバイキングの昼食を食べてから「コロンビア大氷原」に別れを告げた。

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「カナダ」の旅(7)

2015年06月11日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

≪「大陸横断VIA鉄道」で「ジャスパー」へ≫

バンクーバー駅を20時半に出発した列車は、900kmの距離を18時間半(1泊2日)でジャスパー駅に向かった。約20輌編成で、中に「食堂車」「展望車」「寝台車」が組み込まれていた。
(普通車輌ではなく個室寝台車に乗るなら1人13万円を追加するのだが、グループには誰もいなかった)
添乗員に、夜、寒いかも知れないといわれたので、私は冬用のカーディガンの上にライトダウンジャケットを着込んだ。椅子はリクライニングになり足置きも出るので、挫面がフラットになり、何とか寝られた。

4日目の早朝6時前には「展望車」に行って景観を楽しんだ。
列車の窓から写真を撮ったが、こちらがスピードが出ているのでなかなか上手く写せなかった。色々な湖や山が見えたが、名前は分からなかった。幾つかのトンネルにも入って進んで行った。



          

「カムループス」という町に地下ずくと白い煙を上げる煙突が何本か見えた。添乗員に調べてもらったら、この辺りの木材を切り出してチップを作る工場なのだという。広い湖もあり、工場生産に適した場所だからだろう。



牛を放牧している酪農家も見えた。朝の霞が低く垂れ下がって美しかった。

     

山の雪解け水が、所々で滝になって流れていた。



カナダの最高峰「マウントロブソン」(3954m)も見える筈だが、どの山がそうか分からなかった。
(列車の左側に見えたこの山が、やはりカナダ最高峰の「マウントロブソン」の様だ。見る場所に寄って山容が少し異なるが、確かにこの山がそうだと思う)

             



時々貨物列車とすれ違ったが、その長いこと。ある貨物の数を数えたら何と177輌もが繋がっていた。これだけ多くの貨物を一度に運ぶなら、物凄い省エネだと感心した。

食事は朝6時半と昼14時に食堂車で食べた。なかなか美味しかった。
「ジャスパー駅」には16時に到着。長い鉄道の旅だったが、刻々と窓外の景色が変わるので飽きなかった。
この日のホテルは、滞在型コンドミニアム風のホテルだった。



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「カナダ」の旅(6)

2015年06月09日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

≪「バンクーバー」の自由行動では美術館に≫

ホテルは「ロブソン通り」に面していたので、朝、17階の部屋から写真を撮った。



         

「バンクーバー」2日目の午前中は自由行動時間が組まれていた。
多くの人が添乗員の案内でする町歩きを選んだようだったが、私はホテルから4丁ほどの所にある「美術館」に行った。ここもシニアは20ドルではなく15ドルだった。
ギリシャ神殿風の外観の建物は、かっては裁判所だったという。
一部で工事をしていたが、4階から見始めた。そこには墨絵に雰囲気が似た作品が多く展示されていた。
この町出身の画家「エミリー・カー」の作品が展示されている3階には、CGグラフィックデザインでカナダの四季を、天井、壁全体に渡る巨大スクリーンに表現していた。面白いと思った。
工事中のためか、全体的に展示の規模は小さく、これから作品を収集するといった美術館だった。



ホテルに戻る途中、みやげ物店に入り、土産用に「メイプル・タッフィー」を数袋買った。「キャンディー」よりも「タッフィー」の方が口溶けが早くて高齢者にでも良いと思ったからだった。

「日本料理店」で「幕の内弁当」の昼食後、バスで「バンクーバー」市内観光に向かった。

 

「バンクーバーオリンピックの聖火台」や古い「蒸気時計」が今でも動いている「ギゃスタウン」、「トーテムポール」が立っている「スタンレーパーク」、ハーバーなどを見学した。
この「蒸気時計」は、1977年に作られたものだが、今でも15分毎に蒸気を噴出して独特の音でメロデイを奏で、1時間毎に汽笛を鳴らしていた。

 

       



黄色いタクシー「イエロウ・キャブ」や観光客向けの「展望バス」が走っていた。



            

最後に「ハナミズキ」や「サンザシ」の花が満開の「バンデゥーセン植物園」を散策するのだったが、急に私の体調が悪くなり、植物園の待合室で皆の帰りを待った。昼の「幕の内弁当」が原因らしかった。
その後、中華料理店に行って円卓を囲んだ夕食も、私は遠慮し、持ち帰りの弁当にして貰った。

 

夕食後はバンクーバー駅に行き、20時半発の「大陸横断VIA鉄道」で900km離れた「ジャスパー駅」に向かった。乗車時間は18時間半だ。

        

スーツケースは貨物車に乗せたので、手荷物として洗面道具や防寒着を持った。
私達が乗った車両は普通席だったが、空席が多く楽だった。
また車両10両に1両の「展望車」があったので、夕方と早朝にはそこへ行って景観を楽しんだ。朝食と夕食は「食堂車」で食べた。美味しかった。

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