花好き・旅好き女性のセカンドライフ                    (ブログを書き始めて12年目)

幾つもの持病があるが伯母の介護をし、春~秋はガーデニング
と家庭菜園、合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

雨上がりの庭

2018年09月24日 | ガーデニング
9月6日に経験した事が無い強い地震が来てから2週間以上経った。
やっとスーパーにも食料品や乾電池が並び、あまり被害が無かった私達は、ほぼ地震前の日常生活に戻った。
被害が大きく、まだ今後の生活の見通しが持てない人達も大勢いる。一日も早く家や生活が落ち着いて欲しいと思う。

9時過ぎ、久し振りで30分程強い雨が降った。
止んだ直後に「薔薇」と「芙蓉」「シュウメイ菊」の写真を写して見た。
秋の薔薇は少し色が濃く、今年は花が大きい様に思う。

 

 

 

         

この薔薇は初夏に植えた薔薇で、名前は「チャールストン」。初めは黄色い花だが、時間と共に徐々に色が赤く変る。

 

「シュウメイ菊」は初秋の庭を飾ってくれる。「芙蓉」は1日で花がだめになるが、蕾がまだ残っているので、もう暫く咲きそうだ。



               

       
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「後期高齢者」になった私と最近の伯母

2018年09月19日 | 高齢期の生活
昨日は私の75歳の誕生日だった。
娘から「おめでとう」のメールがあっただけだったし、私も特に何かしたいと思わなかったのでケーキの一個も食べなかった。
只、先月末から家の塗装をしてもらっていたが、一部手直しを頼んでいた部分の塗装が終り、全体の塗装が完成した日だった。

                    

75歳の誕生日から「国民健康保険証」の「被保険者」ではなくなるので、過日「後期高齢者医療被保険者証」が送られて来ていた。
また先月には、「自動車免許更新」の検査項目に「認知症検査」と「動体視力検査」などが入ったことで、気分的に「後期高齢者」であることを自認させられていたのは事実だ。

同居して介護していた伯母が入院中なので精神的に落ち着かず、まだ、今後どのように過したいという具体案が持てないでいる。
趣味の旅行も6月以降は中止している。何時になったらまた行く事ができるのか分からない。

ただ、体の筋肉は明らかに減退し、時々ふら付いたり、ズボンを履く時に気合を入れないとよろける。98歳の伯母が、88歳まで野菜作りをしていた事を思うと、凄いな~と今更ながら感嘆する。

その伯母も、入院してから4ヶ月が経ち、すっかりやせ細ってしまった。
「排泄」は、ヘルパーの手を借りて、ベッドから降り、横に置いてある「簡易トイレ」で行っている。
「食事」は、「誤嚥性肺炎」を予防するために、ミキサーにかけたどろどろ食で美味しいはずが無く、可哀相だなと思う。
伯母に「誤嚥して肺炎になるかも知れないけれど、美味しい刻み食にしたい?」と聞くと、「今のでいい。」と答える。
1週間程前には「亡くなった母が傍に来ている。」といい、私がいつもの様にプリンを食べさそうとするのを制して「先に母に食べさせて欲しい。」と言った。
脳梗塞で目が見えなくなっているので、頭に浮かぶ昔の記憶の映像が伯母を支配しているのかも知れない。
昨日も「伯母の誕生日」を聞くと答えられたが、「今何歳なの?」と聞いたら「100歳」だと初めて誤答した。
私が「そろそろ帰るから。」と言うと、「忙しいのにいつも済まないね~。有難う。」という。同室の患者の家族の人が、そんな事を言う伯母を見て感心している。

TVの「放送大学」の講座を見ていたら「今75歳の女性の平均余命は、90歳だ」と言っていた。それに従うと「私の余命は後15年」だ。
61歳の時に癌の手術をして以来、札幌市内での高層の集合住宅住まいを止め、近郊の市に家を新築し、移って生活の仕方を大きく変えて来たが、その生活も残り僅かになった。私の場合は、あれこれ病気を持っているので、もう少し余命は短いかも。
先ずは伯母を最後まで看取ってから、私の余生の過し方を考えたいと思う。

何にしても取りあえず健康が基本なので、今まで通り無理の無い状態で庭仕事を続けて行きたいし、今まで同様、1日1日を前向きに、精一杯有意義に、そして楽しみながら生活したいと思っている所だ。

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明け方、大きな余震があった

2018年09月17日 | 社会・事件・ニュース
まだ毎日余震が続いているが、今日2時51分に大きな地震で目が覚めた。
枕元にスイッチがあるラジオをつけたら、札幌市など広範囲で震度4だと言っていた。
6日の震度5強の時と揺れ方が少し違うように感じた。
いずれにしても胆振東部の地下で、断層がずれたのだろう。

6日に苫東厚真火力発電所が「ブラックアウト」し、他の発電所も一斉に発電を停止してから8日目になって、北電の社長が会見で道民に謝罪していた。遅すぎると思ったのは、私だけだろうか。
苫東の発電所が停止した事がきっかけとなり、北海道中が停電してしまう「ブラックアウト」現象は、想像以上の災難だった
何故、全道で必要な電力供給の60%を苫東に集中させるという歪な発電の仕方をしていたのか、については説明が無かった。

庭に出て見たら、素人の私が手作りをした「ぶどう棚」二箇所が歪んで壊れていた。
今年も葡萄はほとんど生っていないので、修理する気になれないでいる。
家も揺れたが、庭も揺れたのだ。

何時まで余震が続くか分からないので、なかなか気持ちが落ち着かない。
乳製品や納豆、パンなど、スーパーの生鮮食品には、まだまだ品不足が続いているし、価格が2~3割高騰している。
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北海道胆振東部の地震、7日目の朝

2018年09月13日 | 社会・事件・ニュース
大規模な地震が起きてから1週間が経った
震源地に近い地域は、死者が41人となり、倒壊したり土砂が入ったりした家に戻れず、停電や断水が続き、多くの人々が避難所で不便な生活を余儀なくされている。
私の地域は震源から少し離れているので、電気が復旧した今、一部の生鮮食料品の不足はまだあるものの、以前の生活に戻りつつある。

昨日も、結構、長い余震や強い余震が多数回起きた
私は、一気に地盤のずれからエネルギーが吐き出される大規模な地震よりも、小さな地震が何度も起きてくれて徐々にエネルギーを放出してくれる方が良いのではと思っている一人だが、小さな揺れが長く続くと余り気分が良くない。揺れるバスに乗り続けている様な気分で、酔うのではと思ったりする。

昨日のTVのニュースで初めて知ったのだが、札幌市東区の地下鉄東豊線上を通っている幹線道路が、数キロに渡って陥没したり波打ったりしていて、通行できなくなっていると言う。
どうやら地下鉄工事の後、土砂を埋め戻した場所らしい。復旧するには大変なお金と時間がかかるようだ。

我が家でも昨日になって、今まで開けなかった納戸や物置を見たら、入れてあった物が沢山下に落ちている事が判り、驚いた。

地震で苫東厚真火力発電所が「ブラックアウト」してから、発電所の復旧まで政府や北電から、20%の節電を呼びかけられているが、私は既に十分節電生活をして来たので、これ以上何をしたら良いのかと考える。

今後、まだ強い余震が来るかもしれないので、縛っているTVや食器戸棚の他に、先日棚から落ちた軽めのものは下に置いたままにしている。
また、大きなペットボトル数本に水を保管し出した。

スーパーのレジの女性に聞いたところ、二段重ねの整理ダンスの上部などが落ちる寸前までずれていたと話してくれた。危なかった。
本が落ちて来て亡くなった方がいたらしいが、寝ている布団やベッドの周りには倒れやすい家具や落ちて来そうな物は置かない事だ。
置かざるを得ない場合は、家具を壁に固定するなどの対策が必要だ。

TVで、あった方が良かったり利用できる防災グッズを紹介している。私の場合は、防災グッズを予めまとめて決まった場所に置くことから始めたい。
冬季の場合に備えて、乾電池やマッチで点火できる「ストーブ」があった方がいい
我が家には一つあるが、今、ホームセンターで凄く売れて品薄だそうだ。

※ 追記
ホームセンターに行ったら、入り口近くに防災グッズのダンボールが並んでいた。大半が数少なくなっていて「一人一個」と制限されていた。
「災害は忘れた頃にやって来る」ので、私はこんな時でなければ買わない両手が使える「ヘッドランプ」と、それに必要な40本入り「単三乾電池」「紙コップ」を求めた。
「乾電池で点火できる石油ストーブ」は売り切れていた。入荷しても直ぐになくなるそうだ。
水道が使えない時に水を運ぶ水の「携帯バッグ」も無い。店員に聞くと「もしもの時の備えなので、100円ショップにあるので十分では。」と教えてくれた。




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北海道胆振東部の地震、5日目の朝

2018年09月10日 | 社会・事件・ニュース
札幌市清田区で発生した「液状化現象」による地盤沈下の被害には驚いた。
多くの家が傾き、アスファルト道路が崩壊している。
報道によると「液状化」は、今回の地震の細かい揺れと漏れた水道水によって起きたらしい
(新たな情報では、昔川が流れていた谷を埋め立てて、宅地や道路が作られた地域だという)地震の震度が7と強かった厚真町の土砂崩れの写真も、広大な面積の山々が土砂崩れを起こし、森林が滑り落ちて山肌が露出している。こんな写真を見たのは初めての事だ。
昨夜のTVで専門家が「樽前山が噴火した時の火山灰に覆われていた山が、直前に降った多量の雨を吸い込んで表面がつるつるした粘土状に変っていた。それが今回の強く細かい揺れで一気に滑り落ちたのではないか。」と言っていた。

火山灰は、全国至る所に積もっているので、今後、同様の被害がまた起きるかも知れないと思った。
既に家が山裾にある人達には、今後注意して欲しいし、これから家を建てる場合は、地盤を調べ、「山際」や「盛り土」で作った造成地を避けるなどの注意も必要なことを痛感した。

「スーパー」などには、昨日までにまだ肉類や乳製品、パンなどが全く無かった。
今日当たり「物流」が復活して欲しいが、トラック輸送にはガソリンが必要なのに全く手に入らないらしい。また、電気が復活しても、生産材料が入手できないと工場は操業できないのだ。
買い置きしていた伯母用の「プリン」や「ヨ-グルト」が無くなったが新たに手に入らないので、昨日は取り合えずあった「ゼリー」を持って病院に行った。
また、「避難所」で貰ったパンを、少しずつ2軒に分けて上げた。お返しに野菜を貰ってあり難かった。

札幌の従姉の電話では、懐中電灯が無かったので数店を回ったが手に入らなかったそうだ。
また、8階に住んでいる友人は、エレベーターが動かないので上り下りが本当に大変だったと話していた。都心部のさらに高層階に住む高齢者や病人、子供達は完全に孤立してしまう事も明白になった。
更に札幌の戸建てに住む友人は、水を溜める時間も無く地震の直後に突然水道が止まってしまい、飲料水や生活用水がどこで手に入るのか分からず、本当に困ったと言っていた。暫くしてから地域の公園の水道が出ることを知ったけれど、重い水を沢山は運べず、大変だったそうだ。

工場の操業、輸送機関、そして水道やエレベーターの停止などは、全て電力が「ブラックアウト」したために起きた事である
全てが繋がっているので、完全復旧にはまだまだ時間がかかりそうだ。
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北海道胆振東部の地震、3日間の私の体験(3)

2018年09月09日 | 社会・事件・ニュース
今朝起きると体が痛い。避難所の固い床のためだろう。
電気が来たので掃除機を掛けた。その時発見したのだが、TV、ピアノ、2段式の仏壇の位置が5~10cmずれていた

9時の開店直後に近くのスーパーに初めて行って見た。買い物客は多いのに、肉や魚、牛乳などの飲料、カップめ麺類の棚には全く何も無い
果物や野菜は少しあったが、どれも値上がりしていた。
午後から別の大きなスーパーにも行って見た。やはり同様に欲しいものは何も無かった。
普段から数日分の食糧は備蓄する必要がある事を再認識した。

電気や交通網が復旧すれば、徐々に食料品などは店頭に並ぶ筈だが、まだ数日罹るのかも知れないと思った。
先程も今も余震が繰り返されている。
今日は電気が点いたので、家にいようか。

今は冷蔵庫も動いているが、今回の様に電力生産を苫東の発電所に集中している今の状況は大問題だ
幾つかの地域の発電所が、それぞれ消費する電力量を発電する仕組みにしなければ、また、北海道中が停電すると言うことになりかねない。
水道、電気、道路などのライフラインの維持の為にこそ、政治は普段から力を尽くして欲しい。

また、今回は全道的な被害が出る状況になった訳だが、改めて道庁や自治体に具体的な災害対策を検討して欲しいと思った
真っ暗な町は不気味だったし、不埒な人が犯罪を起こしかねない。防犯と安全の為の警察や消防の巡回などが必要だと思ったのは、私ばかりではないと思う。
既にこうした自然災害を体験した多くの自治体から学ぶことも、行政の大事な課題だとも感じた。
私達も現在は貴重な経験をしている。今後の為に多くを学ぶことになる。

今また少し強い余震が起きた。ネットの情報では、深度7kmか、それよりも深い地層で「逆断層型」の地震が起きたらしく、今回は東北東⇔西南西の地層が押し合って起きたものらしい
北海道のもともとの成り立ちも、西部に東部の島がぶつかり合って現在の形になったと聞いている。その合わさった場所には、現在、大雪山系、日高山系の高い山脈ができている事を思い返した。

新聞やTVの写真を見ると、自然の猛威の怖さをまざまざと感じる。震源地で土砂崩れの下に埋められた人々の捜索が、夜を徹して続けられている。
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北海道胆振東部の地震、3日間の私の体験(2)

2018年09月09日 | 社会・事件・ニュース
夕方に近づくと、ラジオが各地域の「緊急避難所」の場所を伝えた。家の傍の「公民館」が入っていた
大きな余震が起こる可能性があるというので、明るい内に夕食を済ませ、タオル、バスタオルを持ち、戸締りをして「公民館」へ出かけた。

既に50人ほどの人が来ていた。発電機を動かして明かりを確保していた。
受付を済ませ、毛布と寝袋が入った袋を1つずつ渡され、それを早速空いた場所に広げて、貴重品が入ったショルダーバックを枕にして寝ようとした。
しかし、小さな子どもたちが興奮してはしゃぎ、走り回り、大声を出したり泣いたりするので中々休めない。体験上、イギリスの子供なら、こんな時は静かにできるのにと思った。

食事を採っていない人には、レトルトの「チキンライス」が配られ、お湯が用意されていた
22時になって大広間の電気が消されると、子供達もようやく静まり、私もいつの間にか寝入ったらしい。
朝5時に目が覚めた。まだ多くの人が寝ていたが、そっと抜け出して家に帰った。

二日目の夜も家や戸外は真っ暗なので、夕食を済ませてから「公民館」に行った
今度は暇つぶしの「クロスワードパズル」と「アイマスク」を持って出かけた。
その日は、食事代わりに菓子パンが置いてあった。避難者は、昨日の半分位だった。電気が来た一部地域の人が来なかったらしい。

疲れたので早めに「アイマスク」をして寝ていたら、22時前に「電気が来た!」と言う声がした。43時間振りで電気が来たのだ。街灯も点いた。
私は家が心配なので帰宅した。
何とTVと2部屋の電気が点いていた。
各部屋を点検し、それ迄「圏外」で繋がらなかった携帯電話に充電して、やっと妹と娘にメールが繋がった。
電気が無ければ、文明の利器も何にもならない事を知った。
23時半過ぎに自分のベッドに横になったら、避難所とは違って凄くソフトな感触に驚いた。催眠薬を飲んでいつの間にか寝込んだ。

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北海道胆振東部の地震、3日間の私の体験(1)

2018年09月08日 | 社会・事件・ニュース
私は2階のベッドで寝ていた。突然強烈な揺れに襲われて飛び起きた。枕元の携帯から「緊急地震速報」が伝えられたのは数秒後だったと思う。
今までの人生で経験した事が無い強さの地震だったので、直ぐに電気を点け、時刻を見た。夜中の3時8分過ぎだった
それから階下の状況を点検しようと階段を手すりに掴りながらゆっくり下りて、居間から状況を点検した。
薄型のTVは倒れていなかったが、食器戸棚のマグネット式開き戸が1箇所開いて、頭が重い「ワイングラス」が2個と砂糖壷が飛び出し、砂糖や破片が散乱していた。TVを点けたら震源は胆振地方だと告げていた。震源に近い町は震度7、我が町は震度5強だと分かった。

スリッパを履いて、割れたグラスのカケラを片付けようとしていたら、突然電気が消えた。これが長い停電の始まりだとは予想もしなかった。
真っ暗な中で、慌ててマッチを探して点けようとしたら、マッチ箱を台所の洗い桶に落としてしまった。濡れたのでもう駄目かなと思ったら、何とか点いた。
それから仏壇の引き出しから蝋燭を探して点け、消えないように注意しながらベッドに戻った。
この時点では、懐中電灯をしまっている場所を直ぐには思い出せなかった。

翌朝、TVも冷蔵庫もガス湯沸かし器もトイレのリモコンも電気が無いので使えなくなっていた。勿論、固定電話もパソコンなども使えない
しかし、私の町は水は出た。ラッキーだった
また、幸いに我が家は、調理台はガスにしてあったので、停電になっても調理はできた
何とかある食材で朝食を済ませて、庭仕事をした。

隣家の奥さんと出会ったので、「酷い地震だったけど、大丈夫でしたか。」などと話した。
すると「さっき、コンビニに行って来たけれど、大勢の人が詰め掛けていて、もう何にも無かった。」「ガスのカセットコンロがあるけど、カセットが無いので買いに回ったけれど、全て売り切れていた。」と言う。
我が家でストックしてあったカセットガスを2本届けた。こんな時は、近所のつながり、助け合いが大切だと思った。

そうしていたら、市の広報車が「今日は停電で信号機が作動しないため、ゴミの収集を止めます。」と知らせていた。
近所の人が来て、「午後から水が出なくなるかも知れないらしいよ。」と言うので、浴槽とバケツ、空のペットボトル、鍋に水を入れた。トイレを流すのにも水が必要だからだ。(しかしこの直後に携帯ラジオで知ったのだが、これは誤報だった)

8時に塗装工事に来た職人が、「古い家の壁が剥がれ落ちていたし、街路樹が倒れていて、道路が通れなくなっている所があった。また交差点の信号機が点かないので恐ろしかった。」と話してくれた。

大きな余震が来るかも知れないと言うので、使うものだけ出して、食器戸棚の取っ手を紐で縛りつけた。TVもぐるりと紐を渡して縛り付けた。安心できる様になるまで、2週間程度見た方が良いらしい。

 

「ソーラー発電」と「手巻き式自家発電装置」が付いている「携帯ラジオ」があったので、それで情報を集めた。
震源に近い所で大規模な土砂崩れが発生して、家が倒壊し、死者、行方不明者が出ていると伝えていた。(既に死者は20人を越えたらしい)
水道が止まっている地域も多く、停電も全道に広がり、長引きそうだ
JR,千歳空港、バスは全部運休だそうだ。学校も大半が休校、ガソリンスタンドで開いている店は〇〇だとか、救急患者を受け付けているのは〇〇病院だとか知らせていた。
懐中電灯を見つけたが、大型のは壊れていて使えなかった。旅行時に携帯する小型の懐中電灯は正常に使えた。
また知人が小型ライトを貸してくれた。これで電灯は確保できた。

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長年の親友に会いに行く

2018年09月03日 | 高齢期の生活
先日読んだ本に、高齢期になったら「認知症」予防の為に、毎日計画的に何かしら行動する事、中でも人と会って話をする事が大切だと書いてあった。
そこで早速、暫く会っていない親友にメールした。
「今日の午後は開いている?できたら会いたいね。」と。
直ぐにOKの返事が来て、互いに行きつけの札幌の回転寿司屋で会う事になった。

急なので家に土産にするような物は何も無い。考えた。異常気候で高騰している野菜を土産にしたら喜んでくれる筈だ。
早速、近くの直売している農家に行って、中の大きさの「大根1本」Lサイズの「トマト3個」「キューリ3本」「カボチャ小1個」「人参2本」を買った。それに家にあった「茄子」と「ピーマン」、私が作った「ニンニク」を数個ずつ足してダンボールに詰めた。
それから車で国道を30分走り、寿司屋に行った。日曜日だったが、道路は混んでいた。

待ち合わせ時刻が昼時の1時だったので、待合の椅子には30人ほどの人が順番を待っていた。
店内を見渡すと、既に彼女は来ていて順番を予約していてくれた。
近況を話し合っていたら、順番が来て席に着くことになった。
それから1時間余り、それぞれ好きな寿司を注文して食べながら色々な話をした。
最近、視力が次第に衰えて来たと言うので、私もだと言った。
歯の調子が悪く、歯医者に通っているのも同じだった。
また、彼女は高齢の兄と姉の世話をしているのだが、私も伯母の近況を話し、共感する所が沢山あった。

最後に彼女は「讃岐うどん」をくれた。私は車の所に行って野菜が入ったダンボールを渡した。
10月ごろ、また会いたいと思いながら帰宅した。

夜に彼女からメールが来た。大根や人参をたっぷりと入れて「豚汁」を作ったそうだ。適当に選んで持って行った野菜が、直ぐに役立って良かったと思った。
                         
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屋根と外壁の塗装が始った

2018年09月03日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
我が家は、新築以来、早13年目なので、屋根、外壁の塗装をしなければならない。昨年から工事を依頼していた塗装業者が、いよいよ先週から仕事を開始した。
最初1日かけて、大きさも高さもある家の周りに足場を組んだ。流石に手早い仕事ぶりだ。
翌日からは、窓などのペンキを塗らない場所の養生作業。幅広いビニールをテープで止めて行く。そしてさび止め塗装。
そこまでした所で2日間雨が降り休業した。

休憩時間にお茶を出しているが、聞くと作業員は「日給月給」で、雨などで仕事ができない日も多いが、働いた日だけしか賃金がもらえないと言うのだ。
おまけに北海道は、冬場は半年間塗装の仕事は無い。50日出る「失業保険」とアルバイトで凌いでいるらしい。
これでは子供を育てることもできず、結婚はできない訳だ。
こんな内情を話してくれた中年の作業員を励ますつもりで、「将来は親方になれるといいね。」と言ったら、「今の建築は、外壁に塗装のいらない建材を張るだけだから、その内、塗装業はいらなくなると思うよ。」と返された。
建築工法がどんどん簡略化の方向に向って行っている今、彼らにとって将来は厳しいことを教えられた。
また、小泉内閣以来進められて来た経営者には好都合の「不定期不安定低賃金雇用」が、私の傍にもあったのだ。
私にできる事は、彼らに気持ち良く仕事をしてもらうことしかないので、毎日、麦茶やコーヒーと駄菓子を用意している。

ところで、数年前からテレビのBS画面が雨や風、雪降りの時に凄く乱れて視聴できなくなっていた。
塗装の足場があるので、建築屋に見て欲しいと頼んだ。パラボラアンテナも付いているアンテナが、まるでヤジロベイの様に高い屋根の軒に止められていただけで、グラグラしていたのだ。
「建築後10年の保証期間は過ぎているが、アンテナの立て方が不備なので何とかして欲しい。」と交渉したら、無料で直して貰えることになった。毎日BSの韓ドラを見るので、本当に良かった。

それにしても10年が過ぎると、色々とメンテナンスに多額のお金が掛かり始めた
自分が図面を引いて建ててもらった「戸建て」だから、環境も良く好きな暮らしができて住みやすいが、経済的には毎月家賃を払う「賃貸住宅」と変らないかも知れない。いや建築費を考えるとそれ以上だと思っている。

                            
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ウオッシュレットトイレが寿命?

2018年08月25日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
我が家を新築してから12年目。10年で建築会社の無料補償が切れたが、その後にあちこち少しずつ問題が出て来る様だ。
先日、我が家の「ウオッシュレットトイレ」の操作盤が作動しなくなった。外して見たら、単3乾電池の1本が液モレしている。

私はすっかり電池のせいだと考えて、先ず、電池の製作販売会社に電話した。
担当者が「点検修理は当方でします。」と真摯に対応してくれた。
早速、トイレのT会社に問い合わせしてくれ、係りの人が直ぐに来宅した。

色々トイレを点検していたが、その後、「調べたら、操作盤の不具合ではなく、トイレ本体側の信号受信装置盤の劣化によって、上手く受信できなくなった疑いがあります。」
「しかしこの機種は10年の保障期間が過ぎたので、既に生産されていません。部品もありません。従ってトイレを新しくする事になりますね。」という。
そして、本体全部を新設するなら20万円位、信号受信装置の便座後部だけの交換なら10万円位かかると言う

我が家は2階にも同じ機種のトイレがあるが、そこは使用頻度が1階よりも少ないので、まだ受信装置盤の機能はそれ程落ちていなかった。
それで結局、1階と2階のトイレの操作盤を交換して、使用頻度が高い1階トイレを、以前の状態に戻してもらった
その代わりに2階トイレの操作盤は、好きな設定ができなくなってしまったのだ。

その内、また必ず、受信装置盤が今よりもっと劣化すると思われる。その時にどうするか。
トイレをすっぽりと取り替えるのか、背面上部だけを取り替えるのか、または、水は手動で流せるので、ウオッシュレットが故障して使えなくなった状態で使い続けるかを選択しなければならないのだ。
その担当者は、「ホームセンターなどに行くと、量販店向けの商品が安く売られています。当社の製品もありますよ。ただし、機能が少し落ちますが…」とも教えてくれた。

今やトイレは家電製品だ。蓋を外すと、内部は複雑に配線してあり、その1箇所でも故障すれば全く用を成さなくなるという無常な現実を改めて知った。
現代は高度な文化生活をする裏で、耐用年数を製作販売側が決定していて、それが過ぎると会社側は責任を負わなくなる。
仕方なく消費者が再度購入しようとすると、高額な費用が掛かる、という理不尽な仕組みを思い知ったのだ。

昔、多くの家庭で使われていた裸電球は、耐用時間が1000時間と決められていて、その頃に使えなくなるように造られていたと聞く。もしもいつまでも使える電球なら、電球の売り上げは落ちて、会社は利益を得られないからだ。
冷蔵庫、洗濯機、掃除機、TVなどの家電製品は、皆同様な考え方で会社に利益誘導するべく耐用年数が一方的に決められている
私達消費者は、便利さを得る変わりに、大変な精神的、経済的負担を押し付けられているのだと今更ながら思った。

                               


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高温多雨多湿の気候下の庭

2018年08月24日 | ガーデニング
当地の今夏は8月中旬までは低温多雨多湿の気候だった。1週間程前から気温がぐっと高くなり、30度近くになって来たが、雨も多く、多くの薔薇に「うどん粉病」や「黒星病」が出た。
今日は「燃えるゴミ」の収集日だったので、病気になって黄色くなったり黒点が出た葉を取ってゴミに出した。
種を撒き散らす雑草もコンポストには入れられないので、「燃えるゴミ」として出している。

この2~3日の薔薇などの写真だ。20日に秋に備えた剪定をしたので、花数が随分減った。今回も庭の片隅を感じてもらえる写真を載せる。

今日の花「ラバ・グルート」

 この薔薇は2014年から育てているが、3~4cmの濃紅色で八重咲きの小花が房状に咲く。四季咲きで、花持ちが最高、耐病性もあるドイツの薔薇。気に入っている。

 
(薔薇を沢山植えたくて一昨年作った「薔薇の小道」に咲く「ラ・ペルラ」

 
  (この「クレマチス」は病気になっていない)      (咲き始めた花が大きな「ピンク色芙蓉」

      
      (ツルバラ「コックテイル(カクテル)」の背後に「ラバ・グルート」「クレマチス」が見える)

 
(今夏に入れた「ジュビレ・デュ・プリンス・ドゥ・モナコ」の複輪の花色が素晴らしい) 

 
  (満開の「ムクゲ」)                   

 
(蕾が沢山付いた「チェコ」の種から育てた「ダリア赤」

 
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ネコブ菌に強い白菜の苗を植える

2018年08月23日 | 家庭菜園・借り上げ農園
我が家の庭の菜園が「ネコブ病」の細菌に侵されて3年ほどになるが、ネコブ病抵抗性の白菜の種「CR千秋65日」があることを知り、農協から買って来てポットに種蒔きをしたのが7月28日だ。
しかし、その後の雨続きと低温で玄関に入れたり外に出したりと気が抜けなかった。発芽後なかなか大きくならない。
まだ2.5cm程にしか育っていないので畑への移植には早過ぎる状態だが、苗の管理が大変なので、思い切って今朝、植えつけた。

半月前に石灰を撒いておいた土に植え穴を作り、先日買って来た「ネコブ菌殺菌剤」と「化成肥料262」を入れ、土を少し被せてから小さな苗を移植した。
モンシロチョウが飛んでいるので、卵を産み付けられないように苗の周りに「オルトラン」を少量蒔いた。

これで、また雨になっても安心していられるのでホッとした。後は順調に育つことを祈りたい。

※日中、29度あったので、苗に夕方水撒きをした。すると1本足りない。
見ると隣の猫が来て、排泄後にかき回して駄目にしたらしい。最近来なかったので油断していた。全く腹立たしい。
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運転免許を更新する

2018年08月21日 | 日記
誕生日を前にして運転免許更新のための「認知症検査」と「講習」「運転実技試験」を地元の自動車学校で済ませて置いたが、数日前に公安委員会から「免許証更新の連絡書」が来たので、私は前回と同じ「優良運転者免許更新センター」に行く事にしていた。

今日は夕方から、明日は朝から雨になるという天気予報だったので、今日にした。
JRで更新センターがある駅まで行き、歩いて5~6分の場所に着いたのは11時半。

受付を済ませ、「2500円の証紙」を買って申請書に貼り、必要事項を書いた。
その後、「視力検査」が行われた。難なくパスしたので申請窓口に行って申請すると、間も無く「写真撮影」が行われた。
講習は済んでいるので、そのまま待っていると名前が呼ばれて、「新しい運転免許証が発行」された。
受付から新しい免許発行まで僅か15分で終った。気が抜けた感じがした。

帰りはJR駅と連結している「大型スーパー」に寄って、食料品の買出しをした。
レジを終え、ビニール袋に詰めて持って見たら、意外と重たい。スーパーの「ショッピングカート」を使うと総重量が分からず、ついつい車で買い出しをするいつもの気分になって買い物をしてしまうのが問題だ。中でも今日は、いくつかのチーズ類が一番重かったかな。
JRで帰るのでいいかと思いきや、駅から我が家まで5分歩くことを忘れていた。年だな~。
天気予報が外れて早い時刻から霧雨が降り出す中、ようやく家に辿り着いた。家に入った途端に雨が本格的に降り出した。運が良かった。

これで次回の更新は3年後だ。
それ迄安全運転に徹し、事故無く次の更新を迎えたい。勿論、「認知症」にならない様に注意したいものだと思う。今日は疲れた。
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娘と日帰りドライブをする(2)

2018年08月21日 | 道内・国内旅行
③「増毛町」散策

この町の観光案内によると、日本海に面した「増毛町」は江戸時代から北方警護の拠点の一つとして「秋田藩」に警護が命じられた所だ。
また、昭和初期までは「ニシン漁」で栄えた漁業の町だった。

駅前の駐車場に車を止め、散策開始。
まず「旧増毛駅」。
この駅は「JR留萌線」の「終着駅」だったが全国一の赤字路線だったので、2016年12月に廃線になった。待ち合い室では「軽食店」が営業していた。奥には「増毛駅」の歴史が展示されていた。
かっての「ホーム」が残されていたので写真に収めた。ホームの所だけ赤錆びた「レール」が残してあった。私は敷石に生えていた雑草を10本程抜いて来た。



     

              

次は明治18年創業だと言う日本最北の造り酒屋「国稀酒造」に行った。
明治から昭和の初期までニシン漁で繁栄した町には、出稼ぎの労働者が多く集まったので、この酒屋の酒も人気があったと思われる。
奥に試飲コーナーがあった。美味しかった8月の地元限定販売酒「蔵出し」を記念に1本求めた。



    

傍にあった「旧商家 丸一本間家」の外観を見、隣の「鈴木蒲鉾店」で揚げたての蒲鉾を食べた。蒲鉾の価格が高いと思った。
娘は木造校舎を知らないので、残されている「旧増毛小学校」を見たいといって立ち寄った。
私はそんな校舎で小中高を過して来たので、あまり興味は湧かなかった。

町を上げて観光に力を入れている雰囲気が伝わり、今後の過疎化地域の参考になるように思った。
今後は難しいかも知れないが「ニシン漁」か何かの歴史的なものを実演するなどのイヴェントを考えると、ヨーロッパの歴史的な町や村の様に更に多くの観光客を呼び込めそうだと感じた。
ガイドのパンフレット「増毛さんぽ道」は、町内の地図として分かり易く役に立ったが、パンフレットのどこかに「増毛町の簡単な歴史」を載せると更に理解が深まると思った。


④「雄冬岬展望台」

「増毛町」から国道231号線を南に下り、いくつかトンネルと覆道を抜けると「雄冬」に着いた。
ここはかって「秘境」「陸の孤島」と言われ、断崖絶壁の海岸にある村には増毛から1日1往復の船で行き来するしかない場所だった。
札幌方面からの道路建設が望まれて1981年11月に「雄冬トンネル」が開通したが、一月後にトンネル内崩落で不通となった。やっとの再開通は1984年5月の事だった。
この海は「甘エビ」の良い漁場だが人口減少が続き、2013年には37戸70人だと言う。

道路横に「展望台」の標示があったので急な坂道を登ると、中腹の平地が駐車場になっていた。南側の山を見ると溶けた溶岩が冷えてできる「柱状節理」がむき出しになっていた。
駐車場から鉄製の階段があったので登った。その階段は、ごろごろした大きな岩の上に沿って折れ曲がりながら造られていた。全部で153段登って「展望台」に着いた。
ガラスで囲まれた「展望台」内にも螺旋階段があり、39段登ったら最上階だった。360度の展望が開けていた。
眼下には「雄冬岬」と家並み、雄大な「日本海」が臨めた。この「展望台」を含む「岩石公園」が整備されたのは1999年の事だと言う。


 (中腹の駐車場から「柱状節理」を臨む。墓がいくつかあった)

 (階段の途中から「日本海」沿いの村を見下ろす)

 
                        (この大きな安山岩は、地すべりで移動していると言う)

朝8時過ぎに出発した頃は時折小雨も降ったが、午後から晴天になり、娘のお陰で意義あるドライブができ、良い思い出になりあり難かった。
札幌に戻った時に私の行きつけの回転寿司店「トリトン」に入り、運転し続けた娘を労ってから帰宅した。






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