花好き・旅好き女性のセカンドライフ  (ブログを始めて16年目)

幾つもの持病を持ちつつ伯母の介護をし、春~秋はガーデニ
ングと家庭菜園、その合間に旅行も楽しむ定年後の生活日記

白寿を迎えた伯母と、彼女の一生

2018年12月14日 | 高齢期の生活
「脳梗塞」を起こし5月からの入院生活が7ヶ月に成ろうとしている伯母が、一昨日病院のベッドの上で満99歳の白寿を迎えた。
この間「誤嚥性肺炎」「尿管結石」「狭心症発作」を起こしたが、病院が直ぐに原因を見つけて処置してくれたお陰で、それら全ての病気を乗り越えた。
長期の入院で体中の筋肉が少なくなり、痩せたが、食事はミキサーに掛けた流動食を自分で食べている。
また、時々物忘れはあるが、基本的に頭ははっきりとしている。

誕生日の前日、何か欲しいものや、して欲しい事があるかを訊ねると、伯母は「自分はもう何も要らないけど、毎日世話になっている病院の看護婦さん達に日頃のお礼をしたい。」という。
それで私は、皆さんに行き渡るようにと「蜜柑」を2箱用意して、誕生日に事務室に届けた。
伯母に報告すると、凄く喜んでいた。

小柄な身体の伯母が99歳を迎える事ができたのは、先祖から受け継いだ「長寿遺伝子」と、伯母が粗食に耐えながらも、小さい時から「ずっと働き通した生活習慣」があったからだと思う。

「伯母の人生」 を大まかに記録して置く。(同居し出してから聞き書きしたものだ)

誕生日は、大正8年(1919年)12月12日(金)北海道空知地方の農家の次女として生まれた。

この年は、1月に「ロシア・ソビエト社会主義共和国」が樹立する一方で、第一次世界大戦の終結に関する「パリ講和会議」が開かれた。
3月には、朝鮮で日本の植民地支配に抵抗する「3・1独立運動」が起きた。4月に「関東軍」が設置された。
10月には、孫文らが「中国国民党」を創立している。

しかし、伯母は小学生の頃に父親を亡くした。かまどでの炊飯は小学2年生の時からやり続けた。
4人の幼い子どもがいて一人で農業をやれなくなった母親は、他家に再婚し、そこで農業を営んだ。それで自分は小学校3年生の途中で学校を止めて、親戚に「子守」に出た。他の兄弟姉妹も、祖父母の所と母親の所に分けられた。
「子守」をしていた2年半後には祖父母の家に引き取られて小学校6年に入ったが、また途中でやめて母親の再婚先に引き取られ、そこで母親と暮らす事になった。
結婚するまで母の家にいて、農作業や家事を手伝った。

昭和16年(1941年)、23歳の時、親が結婚を決めて来た。
3月に結婚したが、義父からは「何があっても、決して婚家から戻って来たら駄目だ。」と言われた。
密かに好きな人がいたので、前の晩は泣き通した。
相手の顔も知らずに結婚したが、夫となった人はやさしい人で安心した。
婚家は大家族の農家だった。結婚の翌朝から10人分の食事作りをした。

この年の12月8日、日本がアメリカに宣戦布告して、「日米が開戦状態」になった。
夫は、結婚前にも1度戦争に行ったらしいが、結婚した年とその後と更に2回、計3回も兵隊に行った。心配したが、無事に戻って来てくれた。
しかしその後も、炭鉱に「徴用」された。

水道は無かったので「井戸」端でしていた家族の冬の洗濯が辛かった。干しても皆凍ってしまった。
冬の暖房用の石炭は、毎年、夫と畑の向こうの川に拾いに行った。上流の選炭場から流れてきた石炭だったが、寒くて重労働だった。
井戸水が枯れた事があったが、その時も川に行って水を汲み、運んだ。
戦後、親戚が5人、朝鮮から引き上げて来て同居し、世話をした。その時は漬物を沢山漬けて、お菜にした。
夫の3人の妹は、皆女学校を出ていたので、満足に学校に行かなかった自分は、いつも劣等感で小さくなっていた。

70過ぎに目が悪くなり、白内障の手術を受けた。80歳過ぎには、耳が遠くなった。
自分達には子供ができなかったが、とに角農業は66歳まで、家庭用野菜を作る畑は80歳過ぎまでやったから、働き通した。
51歳の時に姑(79歳)を、52歳の時に舅(83歳)を、相次いで家で看取った。
90歳の時、家で夫を94歳で看取った。

その後、田畑を手放し「高齢者専用賃貸住宅」で4年ほど暮らしたが、自炊ができなくなり、姪(私の事)が面倒を見てくれる事になって、今に至っている。
入院前も、してからも、「幸せだったのは何時でしたか。」と誰に聞かれても、伯母は「姪に世話になっている今が、一番幸せだ。」と答えていた。

今後の伯母の希望は、延命治療は受けずに、自然に死にたいと言うので、主治医には伝えてある。
いつまで元気でいてくれるか分からないが、現在目も耳も閉ざされている伯母の為に、私は会うたび、耳元で話し、なるべく色々な会話をするように心がけている。

                   
(この写真は昨年の誕生日に家で撮ったもので、伯母が私からのパジャマなどのプレゼントを開けているところ。着ているベストは伯母の手編み)
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従姉と「登別温泉」に行く

2018年12月04日 | 道内・国内旅行
私が伯母を家に迎えてから2年程になるが、この間、十数年、時々一緒にパークゴルフを楽しんで来た札幌の従姉とは、滅多に会えなかった。
そこでゆっくりと慰労会をしようと私がお膳立てをして、今回二人で道南の「登別温泉」に出かけた。
2日日曜日に札幌駅で待ち合わせ、2時発のホテル専用のバスで温泉に向った。バスは満席で、ホテルに着いたのは4時近く。もう薄暗くなっていた。

ホテルは老舗の「登別第一滝本館」だった。
このホテルは、江戸時代末期の1858年に「登別温泉の祖」と言われる「滝本金蔵」が初めてこの地に開湯した宿に始っている。だから、名所の「地獄谷」にも一番近い場所に建つ。
「日露戦争」の時は、「傷病兵の保養地」になったという。



地勢的な背景をネットで調べて見た。
登別温泉から2km東にある周囲8kmのカルデラ湖「倶多楽(くったら)カルデラ」は、今から約8万年~4万年前の火山活動でできたらしい。周囲は高さ500mの外輪山に囲まれ、川がないため水が澄み、透明度2位の湖だ。(1位は道東の「摩周湖」)
また1.5万年前に始った火山活動で「日和山」に溶岩ドームが形成され、約8000年前には水蒸気噴火が繰り返し起きて、今も見られる「地獄谷」や「大湯沼」ができたという。
「地獄谷」は面積11Ha、直径450mの爆裂火口で、無数の噴気孔から最高98~45度の熱湯が1日1万t、毎分3000リットル出、水蒸気が噴出して、「登別温泉」最大の源泉になっている。
ここから出る湯には、異なった9種類もの泉質があり、「温泉のデパート」と言われているらしい。
「硫黄泉」「食塩泉」「明礬泉」「ボウ硝泉」「緑バン泉」「鉄泉」「酸性鉄泉」「重曹泉」「ラジウム泉」だ。


    
「支笏洞爺国立公園」に指定されたのは1949年で、1998年には「非核平和都市宣言」をし、2004年には「北海道遺産」に指定された。
昔、母に聞いた時、「登別温泉」は私達の一世代前の人達の新婚旅行のメッカだったという。
この8500年間を調べると、700年に一度の割合で水蒸気噴火が起きているらしい。

夕食前に一回目の入浴で9階の部屋から「大浴場」に向った。増改築を繰り返したらしく、客室から「大浴場」まではエレベーターを2回も乗り継いだ。
このホテルには、私が5年前に友人たちと来たのが最後だったが、迷いそうになる程広かった。従姉は「一人では来れない。」などと言っていた。
浴室の浴槽も泉質ごと、温度ごとに分かれていて、実に広々としていて気持ちが良かった。

夕食は、広い会場で、ほぼ満席状態だった。テーブルは部屋ごとに決まっていた。
蟹足、海老、マグロ、ブリ、しょうゆ漬けイクラ、蛸、ステーキ、海老の天麩羅など、実に多彩で味付けにも拘った料理が並んでいて、私はその半分も食べてみる事ができなかった。最近行った3回の温泉ホテルの中で最高だった。(宿泊代も最高だが)
部屋で遅くまで会話して、寝たのは1時頃だった。
6時半に起きて朝風呂に入り、温まった体で朝食会場に行った。
朝もバイキングだったが、料理数が豊富で美味しかった。

      

早めにチェックアウトをして外に出ると、「赤鬼・青鬼」像が道路の傍にあった。鬼はこの温泉のシンボルだ。
従姉は魔除けになるといって、お土産に「赤鬼のストラップ」を買っていた。



ホテルのすぐ傍の「地獄谷」に行き、展望場所で雄大な火山の噴気活動を見た。何時見てもこの景観は、絶え間なく続いている地球の生々しい活動を見せ付けてくれる。


一般駐車場には大型バスが何台も止まっていて、行き交う人々は東南アジアの人達が多かった。
スカーフを被った女性と会ったので、「失礼ですが、インドネシアからですか?」と聞くとそうだった。数年前に私が観光で行ったことを話した。お互いに写真を撮り合って分かれた。
東南アジアから、多くの人達が北海道に観光で来る事はあり難い事だ。今は、国が行う「震災復興割引き」で安く来られるのかも知れない



                             

10時にホテルを後にしたバスは、札幌駅に11時半過ぎに着いた。疲れていたのでそのまま従姉と別れて帰宅した。

今回、久し振りに従姉と長い時間を共にしたが、80歳の彼女の記憶力が低下していた事に驚いた。日本の高齢者は人生100年時代を迎えているので、彼女にはまだまだ元気でいて欲しいのだが、残念な気がした。
彼女には、その内に「物忘れ外来」がある病院に行くことを進めた
彼女とは外国旅行も2~3回しているが、もう一緒の外国旅行は無理かもしれないと思った。
ショックだったので、夜、メールで娘にそのことを知らせた。「脳トレしたらいいよ。」という返信が来た

今年の宿泊を伴う外出はこれで終り、後は毎日、伯母の見守りだ。

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トイレの悪臭トラブル

2018年12月01日 | 暮らしと住まい・耐久消費財
トイレの匂いが気になり始めてからかなりの月日が経った。
最近では気温が低くなり、窓も開けられなくなって来たので、臭いを急に強く感じるようになった。
今までは便器自体に付いている「脱臭装置」が劣化したのだろうかと思って来たが、よくよく調べたら悪臭は手洗いの水道管の隙間から立ち上って来ている事が判明した。つまり床下からの臭気なのだ。

私は配管の仕組みが分からないので、もしも配管の継ぎ目がずれるかどうかして便器内の排水が滞っているとしたら、床下が大変な事になっているに違いないと想像した。私の家の基礎は、セメントを流して作った鉄筋コンクリートの箱型の基礎だから、水が流れる所は配管外には無いからだ。
早速、我が家の建築会社の担当者に電話で事情を連絡したが多忙らしく、直ぐにはいつ来るかの返事が無かった。

その間、トイレの汚水をできるだけ流さぬように、昼間は近くのスーパーや公民館、伯母が入院している病院などのトイレを借用した。
しかし早朝や夜間はそれもできず、一階と二階の便器に流さずに放置していた。

連絡して10日目の昨日、家を建てた時の配管業者がやっと調べに来てくれた。
調べてもらって分かった事は、トイレ室内の手洗い場の下にある「排水用塩化ビニール管」(写真左側)が、床下の見えない所でずれていたと言うのだ。
それで、その隙間から汚水管の臭気が室内に立ち上がって来ていた訳で、便器内の汚水とは全く無関係だった事が分かった。
               

とに角、原因が分かって良かった。昨日から、必要な時はやっと安心してトイレを使えるようになった。
今回の様にちょっとした事が原因だったとしても、私が見て分からない場合はどうしようもなく、専門業者に早めに相談するのが一番だと思った出来事だった。

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一気に冬景色に変る

2018年11月24日 | 日記
大地が雪で覆われたこの三日間、とに角気温が低い。昨日は最高気温も0度しかなかったので、一日中暖房を入れていた。
庭は写真の通りで、まだ収穫していない白菜や大根が雪に埋もれた。
この後、暖気が来るらしいので、その時、全部収穫しようと思っている。



昨日は寒いので外に出ないで、室内でちょっとした仕事をした。
先ず、先日買った「パジャマ」の袖とズボン丈が長過ぎたので短くした。切って三つ折りにし、ミシンを掛けて完成させた。
昼からは「赤飯」作りの支度に取り掛かった。自家製の「小豆」を水を換えながら煮た。色の付いた煮汁は砥いだもち米の漬け汁だ。
これは夕食用に蒸した。久し振りの赤飯は美味しかった。

いつもの時刻には伯母の病院に行った。1ヶ月振りに髪をカットする道具を持って行って、ベッとに起こし、毛が飛び散らないように輪状のものを首に掛けてカットした。もう何年もしている事なので、伯母はジッとしていてくれた。
所で、急に伯母の記憶力があやしくなって来たように感じた。前日の事も忘れていた。また、気力が感じられなかった。
仕方が無いことだけど、残念だ。
口に入れてやった「チョコレート」を、おいしそうになめていた。

室内に鉢上げし、南側の陽が当たる窓辺に置いた「アザレア」の花が一ヶ月が経ち、咲き出した。次々と咲くので、これから暫く楽しめるだろう。




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「定山渓温泉」で迎えた初雪

2018年11月21日 | 道内・国内旅行
昨日昼から車を運転して「定山渓温泉」の「老舗Sホテル」に向った。
今回は9月の「胆振東部地震」で少なくなった観光客を呼び戻そうと、国が始めた1泊1人数千円の「復興割引」を用いての宿泊だった。
それで今まで宿泊料が高くて泊まれなかった「Sホテル」に、初めて予約しておいたのだ。今の私には珠の息抜きでも、入院している伯母を思うとせいぜい1泊程度が限界だ。

定山渓は、札幌市の南西部にあって、昔から「札幌の奥座敷」と言われて来た温泉郷だ。
妹とは3時にホテルのフロントで待ち合わせていたが、私が着くと程なくして札幌駅発のバスが着いたようで、フロントで妹と合流できた。
まず、眼下に険しい渓谷を見下ろせる「ラウンジ」でお茶を飲んでから、部屋に案内された部屋からも渓谷を見下ろせる絶好の眺望だった

この老舗ホテルの売りは「会席料理」だ。
夕食は落ち着いた雰囲気のレストランで、置いてある「お品書き」に沿ってゆっくりと少しずつ料理が出された。
その1つ1つの料理を、給仕の女性が全て説明してくれる。普段の生活とはかけ離れた食事に、美味しいのだが私は何となく落ち着かなかった。
写真は、次々と供された料理の一部である。



               

食事中も部屋でも妹とは近況を話したり、寝る前に温泉につかったりして楽しく過ごせた。

朝起きてカーテンを開けて驚いた。窓外は真っ白い雪景色だったから
部屋から見る今年初めての深々と降る雪景色は、本当に美しく幽玄ささえ感じられた。



それから朝食会場に向った。やはり「会席料理」だった
しかし、1つ1つの量が余りに少ないので、私には料理の味が分からず、凄く贅を尽くした料理なのだが、何か物足りない感じがした。

      

チェックアウトの後、妹のバスの出発時刻まで渓谷の雪景色を見下ろせる「ラウンジ」で、コーヒーなどを飲みながら過した。雪が止んで空が明るくなって来た。

泊まって見てのこの「Sホテル」の長所は、フロント横の「ラウンジ」からの眺望が抜群で、コーヒー、紅茶、蜂蜜、茶菓子数種類が無料で用意されていた事、浴室や居室のアメニテイが良かった事かな。
難点は、先ず部屋のトイレに換気装置が無くて不快だったこと、浴室の大浴場は温度が高過ぎて熱くて入れなかったこと、和室だったが敷き布団1枚では薄くて背中が痛かったことだ。
料理人が細部まで手を凝らし工夫して自分の料理道を表現した「会席料理」は、まさに伝統的な日本料理で珍しかったし、もてなしの心に感じ入った。しかし、味付けが薄すぎたり濃すぎたりして私の口に合わないものもあった。
また、普段の食生活とかけ離れすぎていて、しっかりと食べたと言う気にはなれなかった。
朝食の味は、これと言って特に美味しいと思ったものは少なかった。



     

妹と別れ、私はまた車で帰宅したが、路面は雪が溶けていたので余り不安なく運転できた。
妹から「誘ってくれて有難う。」というメールが来た。昨年と今回で2回目だが、こんな姉妹の1年に1度の温泉泊まりも良いと思った。

天気予報に依ると、明日からも暫く雪が降るという。いよいよ北国の長く厳しい冬の生活が始る。
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伯母の脳梗塞、その後(9)

2018年11月19日 | 高齢期の生活
7月10日に伯母が近所の病院に転院してから4ヶ月が過ぎた。伯母は現在「療養病棟」にいる。
4人部屋で、他の3人は伯母よりも若いが、「認知症」だという。
病棟には、ヘルパーと看護師、看護助手など何人もいて、伯母が枕元のベルを押すと直ぐに対応してくれるので、感謝している。

この間、伯母は心臓の脈拍数が高くて、ずっと胸に測定器を貼ってモニターで観察されている。
食事量が少なかったので、随分痩せて、骨と皮になってしまったが、1ヶ月前からミキサーに掛けた食事を普通量食べている。

また先日まで、排泄はベッド横の簡易トイレを使っていたが、尿の出方が悪くなったらしく、1週間前に直接膀胱に管を入れて排尿をする導尿方式に換わった。伯母に違和感が無いか聞くと、「楽で良い。」という。しかしその半面、自力で立つ回数が減るので足腰が弱るが、やむを得まい。

尚、自分の歯が左前歯など数本残っているが、その歯が口腔内の皮膚に当たって「口内炎」を起こし、痛がっている。近くに訪問診療をしてくれる歯科医がいるので、先日依頼して来た。

私は行く度に、今日の日にち、曜日、気候や気温、私の生活、社会のできごとなどを話すようにして来た。
今日、伯母に「何か心配な事は無い?」と聞くと、「物忘れしてしまうのが不安だ。」と答えた。
私は「伯母さんの大事な事は、私が覚えているから大丈夫だよ。」と答えた。
改めて自分の名前、生年月日、年齢、今日の日にちを聞いて見たが、ほとんど答えられた。大したものだ。

伯母には病室だから楽しみは少ないが、親から受け継いだ強い生命力が尽きるまで、不安なく生活して欲しいと思っている。
伯母が家で暮らしていた時は、食事の支度や入浴介助、伯母の娯楽の付き合いなどがあったが、今の私の仕事は、パジャマやバスタオルの洗濯と日々の見舞い・見守りしかないので、精神的にも肉体的にも軽減されている。これからも伯母に寄り添い、見守り続けたいと思っている。

話は変るが、昨日のNHKスペシャル『人生100年時代を生きる』で、今沢山運営されている「サービスつき高齢者住宅」から退去を迫られる高齢者の実態と問題点を伝えていた
国から施設への「介護保険制度」からの支給額は、「要介護度」が高い高齢者ほど多く支払われるが、「要介護度」が低い高齢者には少ないお金しか支払われない仕組みになっている。
そのため事業者は、施設の経営を考えると、国からの支給額が少ない人達の入所を断らざるを得ないのだという。

「要介護1」の認定者でも、「認知症」で徘徊するなど、実際の介護の大変さは国が認定する「要介護度」とは異なることも多い。
TVでは「要介護度」が4~5の人は実際には寝たきりの人が多く、逆に手が掛からないという。その大変さの違いが支給額に反映されない事が問題なのだ
と施設側はいう。
このままでは、ますます認定が低い人達の施設受け入れが少なくなり、「介護難民」が増えていく事が考えられる。
明日は我が身、増え続ける要介護高齢者の落ち着き先をどう解決するべきなのだろうか。

                                  
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薔薇の冬支度(3)

2018年11月17日 | 家庭菜園・借り上げ農園
今日は晴天だったので、遣り残していた「薔薇の布巻き」をしようと庭に出た。
10時過ぎだったが、外は7~8度しか無いらしく、空気がやけに冷たく感じられた。

先日、タイヤ交換の時に片付けておいた物置から麻布を出して、除雪した雪が2m近く積もる玄関前の通路横の薔薇だけに布を巻いた。
終ってから数えたら、全部で13本になった。
歩道横の土手に植えてある薔薇はまだ開花中なので、数日後にする事にした。
こういう仕事は億劫で、腰を上げるまで時間がかかるが、やり出すと1時間半ほどででき、身体を動かしたので気分も良かった。

また、先月、屋根と壁の塗装をしてくれた塗装屋が、サービスで錆び止めを塗ってくれた私の手作りのベンチ3つは、通路にあると除雪の邪魔になるので薔薇の間に移動させた。
やれやれ、これで薔薇の冬支度はほぼ終了した。

後は「白菜」「大根」「長葱」の収穫をまだ残してある。「ホウレン草」はその都度食べる分だけ収穫しているが、もう少し掛かりそうだ。

  
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薔薇の冬支度(2)

2018年11月15日 | 家庭菜園・借り上げ農園
先月15日から1ヶ月間、毎日していた薔薇の剪定作業を昨日で終えた。
葉を取り去った枝を束ねて、ゴミ回収してもらうため車道の横に積んだ。
直径25~30cmの枝の束は12束にもなった
北海道では、冬場に雪や凍結で傷む枝が多いので、本来なら薔薇の剪定は春の方が良いのだが、市は年に1回しか回収してくれないので、止むを得ずそれに合わせてしているのだ。

  

この作業を終えたので、昨日は物置から「冬タイヤ」を出して車に積み、ガソリンスタンドに行って「タイヤ交換」をした
昨年は11月2日にしたのだが、今年はまだ降雪がなく、半月近く遅い昨日まで延ばしていたのだ。

今冬は気温の下がり方もゆっくりなので、庭の作業ものんびりとマイペースでできた。
しかし、そろそろ雪が降り出すかも知れないので、「ダリア」の球根を掘り出して、ダンボールに入れた
例の種から植えたチェコの「ダリア」も、掘って見たら根元に小さな球根が固まってできていたので、それも保存してみる事にした。

「薩摩芋」は掘って見たら、Mサイズの芋が数個ずつ生っていた
日当たりが余り良い場所ではなかったのと、今年の天候不順のせいだろうと思う。来年は、日当たりが良い場所で再挑戦したい。

「冬囲い」で花を摘み、竹に縛り付けた薔薇だが、蕾から開花した花がまだ少し残っている。最後の写真を写した。
薔薇達には、来春までゆっくりと休養し、6月の末に華やかな花を見せて欲しい。
雪が溶けてから7ヶ月、毎日何らかの作業をして来た私も、これから少し体を休めることにしたい。

 

 

 

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娘と「洞爺湖温泉」で落ち合う

2018年11月10日 | 道内・国内旅行
庭の冬囲い作業が一段落したので、かねてから計画していた娘と「洞爺湖温泉」に一泊して来た。
強い風が吹く中、私はホテルの無料バスで札幌駅から2時間半かけてホテルへ。娘は道南のA町から自家用車でホテルへ来て合流し、投宿した。

部屋は、ツインベッドの洋室で広々。
夕食は「バイキング式」だったので、私もついつい食べ過ぎてしまった。
レストランに居た客の9割方が日本人で、昨年11月に行った時の大半が東南アジア人だったのと大きく異なった。やはり「胆振東部地震」の影響で外国人観光客の来道が大幅に減っているのだろうと思った。

温泉の大浴場は2箇所あり、決められた時間帯で男女が入れ替わって使用する仕組みになっていた。
私はどちらかと言うと、和風の古い温泉浴場タイプが好きな方だが、娘は現代的なつくりの方が好きらしい。寝る前と朝の2回、2箇所の大浴場でリラックスできた。

所で今回、部屋にはスマホが置いてあり、自由に無料で使える様になっていた。国内、海外への電話も無料。こんなサービスは初めてだった。
そこで札幌の従姉に電話して、帰りに私が札幌に着いてから会う事にした。

今朝、私だけホテルのバスに乗って札幌駅に向かい、娘は「火山博物館」などを見学しながら車で道南に帰った。
札幌駅に着くと従姉は駅待ち合い室で待っていてくれた。それから2時間ほど、デパートの喫茶店でお喋りをしてから帰宅した。

伯母が入院してからあと数日で半年になるが、私にとっては5月のヨーロッパ旅行から帰ってから、今回は久し振りのの外泊だった。
今回は、遠く離れた所にいる娘と丁度真ん中程度の距離になる「洞爺湖」で落ち合う実験をしたのだが、珠にはこんな楽しみ方も良いかなと思った。
しかし僅か1泊2日だったが、疲れた。

写真は昨日とは違って晴天になったので、朝食の後、ホテル前の洞爺湖湖畔から「中ノ島が浮かぶ湖」を撮って見た。湖畔の赤色の小木は、多分「ドウダンツツジ」だ。この時期になると葉が真っ赤になって、あちこちで晩秋を飾ってくれる。中ノ島も紅葉色。この島には野生の蝦夷鹿が生息している。



この写真右側には雲がかかる「羊蹄山」が少し入っている。

          

また、走るバス内から湖の向こうに雲が懸かる「羊蹄山」を写した。少しボケた…

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「オオハクチョウ」の餌場に行く

2018年11月06日 | 道内・国内旅行
3日前に行った「ウトナイ湖」では美しい晩秋の湖の景色を見られたが、「オオハクチョウ」には出会えなかった。
ある人から「オオハクチョウ」の餌場の情報があったので、今日午後、友人を誘って早速そこに行って見た

そこは千歳川近くの「道道」に面した農家の田んぼだった
収穫を済ませた田に100羽以上の白い「オオハクチョウ」と数十羽の黒い「マガン」がいた
「オオハクチョウ」と「マガン」は、入り混じる事無く離れた場所で餌を食べていた。
「オオハクチョウ」は、私たちが傍にいても全く気にする事無く、刈り取った後の田の泥に口ばしを突っ込んで、餌を探しながら食べていた。多分、落穂や籾などを食べているのではないだろうか。
たまに羽を広げたり、鳴き交わしたりする姿も見られた

      





1時間ほど観察しながら写真を撮っていたが、途中、南の方角から40羽ほどの群れが飛来して来た。
上空を旋回していたが、どうやら餌場にはテリトリーがあるらしく、着地する事無く飛び去った。
丁度私の上に飛来して来た時、「スピード」設定にして待ち構えていたカメラのシャッターを切る事ができた。高速で飛んでいる鳥を撮影するのは、本当に難しいし、2~3秒ほどしか羽を広げない鳥に焦点を合わせるのも、実に難しかった。







また、色が灰色の少数の鳥が混ざっていた。多分、今春シベリアで卵からかえり、大きく育った子供の鳥で、先月、家族と共に数千キロの距離を渡って来たのだろうと思った。周りに親らしき鳥がいて、子供を見守っている様に見えた。



          

友人は、「眼前でこんなに大きな群れを見るのは初めてなので、感動した。」と言っていた
私も逞しく生きる渡り鳥にはいつも感動させられるが、今日は大きな群れを直ぐ傍で観察できて楽しかった
鳥の食事が終って飛び去る所も見たかったが、気温が下がって来て寒くなったので仕方なく車に戻った。
この後鳥達は、「ウトナイ湖」に帰るのだろうか。



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ラムサール条約の登録地「ウトナイ湖」に行く

2018年11月03日 | 道内・国内旅行
近所の友人と今朝「ウトナイ湖」に行って来た。
「ウトナイ湖」は、苫小牧市の東端にある淡水湖で、パンフレットによれば、周囲9.5km、面積230ha、水深0.6mで、原野や湿原に囲まれているため、動植物の宝庫、野鳥の楽園と言われている場所だ。
特に「雁」「鴨」「白鳥」などの渡り鳥の貴重な中継地でもあり、1982年鳥獣保護区として国の指定を受け、1991年には国内4番目の「ラムサール条約」の登録指定湿地とされた。




(「野鳥鳥獣保護センター」前の看板だが、今回観察した場所に赤下線を引いた)



天気予報通りの晴天の朝、気温は低く0度近かったが、家を7時過ぎに出て目的地に向った。
「道の駅ウトナイ湖」に着いた時刻は、すでに野鳥が朝御飯を食べに飛び立った後で、230Haの広い湖はシーンとしていた。
よく見ると真っ白い大型野鳥「ダイサギ」が1羽、岸近くの水辺にいた。しかし、100mほど離れていたので、写真に撮る事は難しかった。

 

野鳥の観察場所は数箇所あったが、私達は「道の駅」の観察場所から、途中、紅葉が深まって枯れる寸前の林道を通り、他に「階段ベンチ・ハンノキのテラス」とネイチャーセンター近くの「白鳥のデッキ」の2箇所に行って見た。しかし場所を変えてもやはり、その時刻には野鳥の姿は少なかった。





          
          (「ネイチャーセンター」に向う木道で見た紅葉)

待つこと1時間近く、遠くから鳴き声が聞こえ出し、暫くすると沢山の「マガン」の群れと思われる一群が戻って来て、湖の上を旋回し、私達の場所から200m近く離れた水面に羽を休めた。余りにも遠いので、目視は難しく、望遠レンズでやっと姿を捉える事ができた。



      



残念ながら期待していた「オオハクチョウ」の姿を見る事はできなかったが、晩秋の原始林とウトナイ湖の美しい光景を堪能する事ができた。
遠くで鳴き交わす野鳥の声を聞きながら、次回は夕方に行って見たいと話しながら帰宅した。
半日だったが、友人と一緒のドライブは、楽しかった。
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薔薇の冬支度(1)

2018年10月27日 | ガーデニング
今週した冬支度は、数十本の「薔薇」や「芙蓉」「ボタン」の根元に堆肥を施すことだった。
3つあるコンポストの1つで2年程発酵させて良い状態の堆肥ができたのを、今春から野菜や花木に使って来たが、今回の作業ですっかり無くなってしまった。
残り2つのコンポストには、去年今年と薔薇の茎葉や台所の生ゴミを投入し、随時少しの土も入れて来た。
一昨日は、その未発酵のものを、スコップで空になった一番大きいコンポストに入れ替えた。
驚いた事に、何とミミズが多かったことか。初夏までのミミズは侵入した2匹の野鼠に食べられてしまった筈だが、残っていたミミズが繁殖したのだろう。
ミミズが食べて排泄した土は良い堆肥になるのだから、多い事は良いこと。

結構力が必要な作業なので、午前と午後の作業で汗もたっぷりとかいた。
しかし、一度こうして空気を入れて置けば、発酵が進み、来春には良い堆肥ができると思う。
年に1度の作業を終えてホッとした。

今日は朝から強風交じりの雨が降っている。明日からも数日間、雨が降るという予報だ。最後の花が散らなければ良いが…
変り易い秋空なので、今後の冬支度も早め早めにして行きたい。


           
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秋の庭薔薇(5)

2018年10月25日 | ガーデニング
今年も何とか狭い庭の菜園で「大根」が育った。
太くなったものから順番に収穫し、既に7~8本近所にお裾分けした。
多くの家では、葉は要らないと言うので切って差し上げているが、一軒の家だけ「葉を付けたまま欲しい」と言うので、葉を付けている。

葉をどうするかと言うと、我が家のは無農薬の「大根」なので、栄養満点の新鮮な葉を適当な長さに切り、さっと湯がいてから水で冷やし、水気を絞って小分けしてからラップに包んで冷凍するのだ。
そうして青物が少なくなる冬場の汁の具や炒め物に活躍させるのだ。

私は、実に賢い使い方だといつも感心している。

今は数個ほど育っている「白菜」の生育を待っている所だ。これも近所にお裾分けするつもりだ。

※今日の「薔薇」達である。日本で作られた薔薇を2種載せた。
この2日間、薔薇の根元に自家製堆肥を施している。冬の凍結から少しでも根を保護するためだ。今日は不足する堆肥を買いに行く積もりだ。

 
(「ロココ」;葉がウエーブする優雅なツルバラ) (「ピエール・ド・ロンサール」)        

 
(「ザ・ジェネラス・ガーディナー」)     (「ソアリング・スピリッツ」;9.11テロの犠牲
                        者の鎮魂花
としてアメリカで作出)
          
      (「聖 火」;1964年の東京オリンピックに因み、「京成薔薇園芸」が作出。
         初め白っぽかった内側の色が、次第に赤く変り、最後は真っ赤になる)

 
「緑 光」;1941年、鈴木省二作出)      (「センチメンタル」)
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秋の庭薔薇(4)

2018年10月24日 | ガーデニング
庭に下ろしてあった外で冬越しできない木を、室内に入れる時期が来た。
3日前の晴天の日に、その作業をした。
私が好きな「アザレア」10本、「椿」(「香り椿」が多い)7本、計17個の鉢に植え替えて室内に入れた
作業時に鉢がどうしても汚れるので、1個々々台所に持参して汚れを取るので結構手間が掛かる作業だが、この鉢のお陰で庭が雪に埋まる冬の間でも、室内で花を楽しむ事ができるのだ。
庭に下ろして地植えをした春から今まで、たっぷりと陽を浴び、栄養を蓄え、新芽を作ってくれた。これからは居間と食卓の窓辺で、日差しを浴びることになる。早い木は、11月の末には開花し始めるはずなので、楽しみだ。



昨日の庭の薔薇だ。

 
(パパ・メイヤン)                  (ブラン・ピエール・ド・ロンサール)

       
        (ラジオタイムズ)

             
             (ボータローズ)


  (花も最後の赤芙蓉)
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秋の庭薔薇(3)

2018年10月19日 | ガーデニング
昨日夕方4時近く、庭で作業をしていたら、渡り鳥が近づく声がした。
空を見上げ暫く待つと、北から南へ向って何と大きなV字を3つも重ねて、多分上空200m当たりの低さで200羽程にもなる白い大群だ。
オオハクチョウではないかと思った。今年観察した中で、一番低い位置だ。
その一群を見送って少しすると、今度は150羽ほどがほぼ一列になってやって来た。V字を作らないのは珍しい。
また声がした。見るとV字を綺麗に二重重ねしたような120羽ほどの群れだ。かなり高いところを飛んでいるので、姿をはっきりとは捉えられなかった。

ここ2~3日、朝夕の気温が低くなった。私は朝から庭に出ていたが、渡り鳥を見かけなかった。
昨日は、夕方に全部で5つの大群を見た。我が家の上を通過する時刻は、何か天候とかかわりがあるのだろうか。
翌日19日の4時過ぎにまた見かけたので、写真を撮った。鳥のスピードが速く慌てていて、上の写真には電線が入ってしまった。

        


(もう直ぐ日没。長い首を真っ直ぐに伸ばし、必死に羽ばたいて南へ飛んで行く。一生懸命さが伝わる。)

一昨日の花だ。この秋は、例年よりも花が大きめで色が鮮やかだ。10月初めまで天気が悪く咲けなかったからだろうか。

先ず、鮮やかな黄色の「ゴールド・マリー」の写真3枚から。

 

        

 
(「チャールストン」)             (「ルージュ・ピエール・ド・ロンサール」)

  
  (「ビビリアンピンク・アイスバーグ」)        (「マジェンタ・スカイ」)
           
 
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