花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(8)

2010年06月26日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

今回の旅行の最後の夜は、ラスベガスでの自由行動だった。
旅行社が主催するオプショナルツアーも3つ、事前に案内されていたが、十日前に図書館から数冊の本を借りて来て調べた所、ラスベガスは1本道の街なので、自分達で動けると判断した。勿論、経験のないギャンブルをする気は、全く無かった。

私の計画に友人が賛同してくれたので、2人でバスチケットを買い、(2時間以内乗り降り自由券が1人3ドル(282円) 自動販売機で買うが、どう操作したら良いか戸惑った)大人しか入場できないショー「Jubilee!」をやっているバリーズホテルまで行った。
ホテルは大きく、チケット売り場を探すのにも手間取った。
チケット売り場に着いた時には、ショー開始時間から7~8分越えていた。一般席は満席だが、ビップ席ならあるという。時間を無駄にしたくなかったので、92.5ドル(8700円)でチケットを買った。
ペンライトを持った女性が案内してくれた席は、前から4列目。演じている大勢の人たちの表情がはっきりと分り、ショーの迫力が伝わってとても良かった。たっぷり1時間半のショーにとても満足した。
(因みに「夕食付きのショー鑑賞」のオプショナルは、このショーと夕食で料金は23,000円だった)

その後、幾つかのホテルが屋外でやっている無料の「噴水ショー」や「火山噴火ショー」①などを見ながら、泊まるホテル②へ向って歩いて帰った。
砂漠の真ん中にあるラスベガスは流石にかなりの蒸し暑さだったが、海賊のバトルをやる「セイレーン」の歩道は大勢の人で埋め尽くされていて、やっと通り抜けたのだった。
ホテルに戻ったら22時を過ぎていた。翌朝は6時出発だったので、大急ぎで荷物整理をして寝た。

 ① ②




7日目、ラスベガス発8;27のユナイテド航空でサンフランシスコまで行き、10;10発の日本航空に乗り換えた。
アメリカ入国時、審査で10本の指の指紋と正面の顔写真を写されたが、出国時の検査では、パスポートを見せると写された顔写真がパスポートの写真の横に写るようになっていた。審査官は2枚を比べて「出国OK」を出していた。

帰りの11時間は、そのほとんどを眠って過ごした。
成田には16;35に着き、新千歳には18;40に乗り換え、20;25に着き、無事帰宅した。
機内座席の液晶画面に出る飛行状況を写して見た。
③は航空機が日付変更線に近づいた時の映像、④は変更線を越えた直後のサンフランシスコと成田の時刻差の情報である。成田の時刻は、18時間遅いことになる。

 ③ ④

今回の旅は毎日外を歩き回る日程なので、私には少々キツイのではと心配したが、毎日、地球という星の歴史と壮大な景観を見せ付けられる感動の連続で、本当に大満足できた最高の旅だった。
この旅行記を最後まで読んでくれた皆さんにも、少しは私の感動が伝わっただろうか。





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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(7)

2010年06月25日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

《世界遺産・グランドキャニオン観光》
昼食はナバホ族の民族料理、じゃが芋とベーコンのスープにサンドイッチと揚げパンだった。
サンドイッチのパンは両面を強めに焼いてあり、中にカリカリベーコンやトマト、レタス、チーズなどを挟んであった。
パンが固かったので、私は中の具と揚げパンを食べた。

いよいよ今回の旅のハイライト、「グランドキャニオン国立公園」である。
ここは、7000万年前に2つの地層プレートが衝突し、3000m以上も地層が崩れずに押し上げられてコロラド高原ができた所である。
そして18~16億万年前にできた最下層の地層から、2億7000万年前にできた最上層の地層まで十数層の地層が重なる大地が、500~600万年前にコロラド川の侵食によって作られた大峡谷なのだ。(「Grando Canyon 日本語ガイド」から)

バスが近づくに連れ、右側に地球の割れ目の様な大きい裂け目が見えて来た。
やがて私たちのバスは公園のゲートに着き、そこで入場料(7日間滞在可能)を払って公園内に入った。
東西南北にビューポイントが9つも作られていて、無料のバスが15分間隔でニ十数か所のバス停間を走っている。
トレイルルートも数箇所あって、合わせると16kmもになるのだという。

まず東端にある標高2173mの「デザートビューポイント」に行った。そこには展望タワーもあって、屋上からは、1500~1650m下の深い渓谷を流れるコロラド川が見下ろせた。①②

 ① ②

その日のホテルは、公園内にあるヤバパイロッジだったので、チェックインを済ませて荷物を置いてから、無料バスに乗って「ヤバパイポイント」に行き、日没時のグランドキャニオンを見に行った。
刻々と変わる景観は実に素晴らしかった。③は日没30分前、④は10分前、⑤は日没直前に渓谷の一部が赤く照らし出された景色である。

 ③ ④

 ⑤

翌朝は4時に起きて、まだ真っ暗い中をバスに乗り、夕日を見た場所とは違う「マザーポイント」に行き、大勢の人たちと一緒に日の出の景色も見た。⑥ 
低い場所に突き出た崖に下りて朝日を待つ人もいて、私は見るだけで冷や冷やした。⑦

 ⑥ ⑦

私は今まで、夕日や日の出の写真を撮ったことがなかった。それで何処をどのように撮れば良いのか全く見当がつかなかったが、何とか思い出の写真は撮れたと思うがどうだろうか。

朝食を食べてから「ブライトエンジェル・トレイル」の降り口迄行った。自由行動だったので、私と友人はその緩やかな渓谷のトレイルを20分下り、また引き返しながら写真を撮った。⑧ 
⑨は上から渓谷の下の道を写した。
天候が良く、気温がかなり高かったので、登りではすっかり汗をかき疲れたが、1時間弱の素晴らしいトレイル体験ができた。

 ⑧ ⑨

その後、大感動したグランドキャニオンに別れを告げ、バスで5時間かかるラスベガスに向った。
途中、バスの最後席で疲れて熟睡していた私だけが誰にも気づかれずに寝ていて、ランチに遅れるというハプニングもあった。
ラスベガスに着いたのは夕方で、ホテルの部屋に入った時には既に18時を回っていた。

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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(6)

2010年06月24日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

《モニュメントバレー観光》
5日目の朝は、ホテルの部屋のベランダから各自が朝日を鑑賞することから始まった。
私は部屋を飛び出して、モニュメントが良く見える外のベランダに走った。しかし位置が悪い。結局あちこち慌てて駆け回って写したのが①②だ。

 ① ②

朝食を済ませた後、ナバホ族の専用車3台に分乗して広大なモニュメントバレーを約2時間案内してもらった。③ 
添乗員から砂漠の砂塵が舞うと聞いていたので、全員、マスク、目がね、スカーフなどで完全防備した面白い姿だった。

モニュメントバレーは、ジョン・フォードの映画「駅馬車」「荒野の決闘」などや、「バック・トゥーザ・フューチャー PART3」「インディジョーンズ 最後の聖戦」など、数多くの映画が撮影された場所として有名であるが、2億7000万年前の地層が、この5000万年の間に風化浸食されて自然に出来上がった景観である。そのため、今も今後も刻々と変化して行く事は間違いない。
土が茶褐色なのは、ロッキー山脈の鉄分を含む水が、流れた土砂を沈殿させたためだと言う。
④⑤は、ジョン・フォード・ポイント(彼の映画に良く使われた撮影ポイント)から写した。

 ③ ④

 ⑤

「ビッグ・ホーガン」と名づけられたナバホ族の聖地に案内された。ナバホの家「ホーガン」を縦半分に切ったような形をしていて、その頭上には大きな穴が開いていた。⑥⑦
そこで運転手達が、縦笛と小太鼓で心に染み入る民族音楽を演奏してくれた。⑧

 ⑥ ⑦

 ⑧

別の洞窟には、古代の人が書いたという壁画があった。⑨
遥か遠くにホテルが見える所で写真を撮った。中央奥が、私達が泊まった景色に溶け込むように建つ2階建てのホテルである。⑩

 ⑨ ⑩

本当に感動的で楽しいモニュメント・ツアーだった。
ホテルに戻り、次の観光地「グランドキャニオン国立公園」を目指して3時間半、バスに揺られた。


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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(5)

2010年06月23日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

《アンテロープキャニオンからモニュメントバレーへ》
4日目の午後は「ブライスキャニオン国立公園」からバスで3時間乗り、アリゾナ州のインディアン・ナバホ族の居留区にある「アンテロープキャニオン」観光をした。

ここでアメリカインディアンの事に少し触れたい。
1492年にコロンブスが新大陸を発見した時、現在のカナダ、アメリカ地域には、すでに700~1200万人の先住民族がいて、600種以上の言語があったと言われている。
しかし、2000年の国勢調査では、「アメリカインディアンおよびアラスカ先住民」の単独人種は248万人、「単独もしくは他の人種との混血」と回答したのは412万人で、全人口のわずか1.5%に過ぎなかった。
15世紀後半にいた先住民は、ヨーロッパ人が移住してくると、武器で殺戮されたり、伝染病を移されたりして人口は急減し、その80%が殺され、20%が生き残ったという。
19世紀になって白人が西部の開拓をするようになると、少数の生き残った先住民も西部、南部に追いやられ、大半は特別な居留区内に閉じ込められて行った。(「アメリカ合衆国がよ~くわかる本」による)
今でも彼らは、文化的経済的、そしてアメリカ市民としてもいわれのない差別を受けている。新大陸発見以来500年の歴史は、先住民族インディアンの血と悲しみの歴史なのである。

「アンテロープキャニオン」は、現在、先住民の中で最も人口が多いナバホ族の収入源になっている公園である。
入り口にあるペイジの町の郊外にある管理事務所で入場料を払い、バスを降りてナバホ族のジープに乗り込んでから5~6分、道のない砂漠を走ると着いた。
そこは、たまたま大量に降った雨が狭い谷間を流れる時に砂岩の大地を侵食してできた自然の造形物で、偶然に1931年に発見されたという。
入り口①(右の棒は、私達が乗ったジープ荷台の支え棒)から出口②までの距離は400m、頭上までの高さは最大40mあり、頭上にあいた数箇所の穴から射し込む太陽光線が、美しい陰影を作り出し、写真愛好家の間で有名になったのだ。
しかし以前、観光中に突然、鉄砲水が流れ込み、中に居た11人もの人が遭難する事故も起きている危険な場所なのである。

 ① ②

渓谷内や出口で運転手が笛を吹いたり小太鼓をならして演奏してくれた。また、案内役の中年の女性は、中のカメラポイントを教えてくれたり、砂を投げ上げて、それが流れ落ちる美しい写真を撮らせてくれた。③④⑤⑥

 ③ ④ 

 ⑤

観光後、またバスで3時間走った後、「モニュメントバレー」に到着した。
ここは合衆国の南西部のユタ州南部からアリゾナ州北部に渡る広大な地域に、映画やCMなどで見た事がある記念碑(モニュメント)の様な岩山が並んでいる場所だ。
この公園もナバホ族の居留区内にあってアメリカ合衆国の国立公園にはなっていない。私たちは1人5ドルを支払って入場し、その中に2年前に建った「ビューホテル」⑦に泊まった。

ガイドの説明では、ナバホ族は第2次世界大戦で暗号の通信にナバホ語を用いて活躍したということで、こんなに広い居住区を与えられたそうである。
しかし私が見た所では、全く不毛の大地が続いていて、植物栽培や農業は難しく、生活を観光に頼らざるを得ないような土地だった。
ナバホの家々が点在していたが、どの家にも傍には冬用の住まいとしてナバホ族特有の土饅頭型の「ホーガン」⑧が造られていた。
ホテルの庭に展示されていた「ホーガン」は、入り口の戸、骨組みは木材で作られ、その上にすっぽり土を掛けて覆った1室住居で、真ん中に暖房用の煙突が立っていた。(⑥⑦共、朝日が昇った直後に写したもの)

 ⑦ ⑧

ナバホ族が自治権を持って支配する居留区には「禁酒法」があって、アルコール類の販売も飲酒も禁じられていた。私たちも昼食、夕食ともアルコール抜きだったが、ホテルの個室内なら良いと言われた。



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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(4)

2010年06月21日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

《「ザイオン国立公園」から「ブライスキャニオン国立公園」へ》
3日目、サンフランシスコ空港発9;02のラスベガス空港行きに乗るため、6;20にホテルを出た。
飛行時間は1時間40分だ。
ラスベガス空港に着くと砂漠の中に立つきらびやかな町を横に見ながら、バスはユタ州にある「ザイオン国立公園」に向けて3時間半ひた走った。

「ザイオン」とは、ヘブライ語で「聖域」の意味で、1858年にモルモン教徒が発見して定住した後、1919年に国立公園として制定された広大な公園だ。中でも1番人気は、長さ24km、深さ800mのザイオン渓谷である。
ここは1億5000万年の間に堆積した幾つもの地層が、1300万年前に隆起、侵食してできたという海抜1130~2630mにある奇怪な地形だ。①
岩は赤色、オレンジ色、ピンク色、紫色、緑色、白色などの「ナバホ砂岩」でできているため「虹の谷」とも言われるが、もろい。
事務所でヨセミテと同様の公園入場料を払い、切り立った岩山②③が左右に立ちはだかる渓谷を、無料のバスに乗って奥まで行った。④はバス、⑤はバス停。
高さが900mはあるというこれらの岩山は正に圧巻だった。ここは、上級者向けロッククライミングの聖地でもあるというが、赤い岩肌に人影を探すことはできなかった。
岩山の隙間を縫ってインディアンのナバホ族にちなんで付けられた「ナバホ・トレイル」を登るハイカーが数人見えた。

 ①

 ② ③ 

 ④ ⑤

「ザイオン国立公園」を観光後、2時間半かけて次の観光地「ブライスキャニオン国立公園」近郊のホテルに行き、泊まった。

翌朝は、まだ暗い中を5;30に「ブライスキャニオン」の朝日鑑賞に出発したが、前日からの雨模様で朝日を見ることはできなかった。

4日目の朝食後は、ブライスキャニオン国立公園の「レッドキャニオン渓谷」で、「ナバホ・ループトレイル」のミニハイキングがあった。私と友人は、写真を撮りながら10分余り下り、そして戻った。
風雨で侵食された真っ赤な砂岩の列柱が立ち並ぶ特異な景観に目を奪われた。
昨夜の雨が上がった後だったので砂が飛ぶことも無く、素晴らしい写真も撮れて満足できた。
⑥⑦

 ⑥




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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(3)

2010年06月20日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

《ヨセミテバレー》
2日目は、早朝6;40にバスでホテルを出発後、昨日とは反対の方角へ進んで行った。
いよいよシエラネバダ山脈の真ん中にある世界遺産「ヨセミテバレー」の核心部に向うのだ。

ガイドの話では、「ヨセミテ」とは、この地域に居た先住民族のインディアンが、野生の「グリスリーベア」を指して「ヨセミーテ」と呼んでいた言葉から来たという。
(しかし、ネットで調べたら、1851年、先住民族アワニチ族を追っていたアメリカ陸軍ジム少佐がこの渓谷を発見したが、ミウォク族の言葉でアワニチ族を指して殺し屋達を意味する『ヨセミーテ』の語を当てたと書かれていた)
東京都の面積の1.5倍もある土地が初めて州立公園に指定されたのは、当時の大統領リンカーンが1864年に署名した事によるという。

バスは途中でゲートに止り、入場料を払った。個人なら1人10ドル、車1台なら20ドルだが、大型バスは1台300ドルなのだそうだ。私たちのバスには三十数人が乗っていたので、10ドルよりは安い計算になる。
公園内は自然保護のために決められた道路以外は入れず、シャトルバスも運行していた。

進むに連れ、独特の景観が見え出した。
先ず林の中を餌を探しながら歩くアメリカンブラックベアーに遭遇した。①(車窓から慌ててカメラで写した)
暫く行くと道端にいた小熊がバスに驚いて傍の木に一気に2m位駆け上った。熊が木に登るのを目撃したのは初めてだった。現在、公園内には400頭位いるそうで、毛の色は、黒、赤茶色、灰色の種類があるらしいが、見たのはいずれも赤茶色の毛色の熊だった。
最近は人間の食物をあさりにホテルやキャンプ場に現れる熊が増えたため、熊が開けられないゴミ箱を設置していた。
また、ミュール鹿にも2度出会った。② 小鹿を連れた雌だった。
大きいマーモットや珍しい鳥も見た。

 ① ②

奥深く進むに連れ、幾つもの大きい滝が流れ落ちる素晴らしい景観が続いた。739mもの高度があるヨセミテ滝は、途中で水が霧となって消えていた。③④
幾つもの滝は、山に積った雪が融けて川となってできるのだが、7月から徐々に水量が減って行き、秋から春には枯渇するそうなので、今回の旅は時期的にも幸運だった訳だ。

 ③ ④

やがて高さ1095mの世界的なロッククライミングの山、「エル・キャプタン」が現れた。⑤ 
この山は世界最大の花崗岩の1枚岩でできている山だ。
挑戦者たちは垂直の岩壁をよじ登り、ロープに掴まって食べたりテラスで眠ったりしながら、数日かけて登頂するのだという。勿論、成功者ばかりとは行かず、失敗して死亡するクライマーも多いらしい。
私は新しく買って持参した双眼鏡で岩肌の人影を探したが、とうとう見つける事ができなかった。

こうした独特の景観は、1000万年前にシエラネバダ山塊が海底から隆起した後、さらに傾斜して作られたと言われるが、100万年前になると分厚い氷河ができ、やがてそれが流れ出し、U字谷を作ったらしい。私には何とも想像することさえ難しい悠久の時の流れがそこにあった。
ヨセミテ渓谷のシンボルという1443mの「ハーフドーム」は、2万年前にこうして氷河が作り出した山だと言う。⑥
あまりの壮大さに、私は息を呑む他なかった。

 ⑤ ⑥

私が今回見た場所は、ヨセミテ国立公園全体の数パーセントに過ぎないのだという。
観光後は、また4時間バスに揺られてサンフランシスコに戻り、郊外のホテルに1泊した。



 





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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(2)

2010年06月18日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

ただ今~!16日の夜、無事に予定通り、帰国できた!!
今回の旅ではアメリカの大自然を巡って来たが、一言で言うと、まるで自然食品の高級な料理を出すレストランで優雅にディナーを楽しみ、身体も気持ちもたっぷりと満たされた様な旅だった。ただし、毎日陽光に当たっていたので、凄く日焼けをしてしまったが。
旅日記を行程に沿って書くことにしたい。

《ヨセミテ国立公園・ジャイアントセコイアの森》
先ずは航空機が到着したのは、サンフランシスコ国際空港だ。
成田空港を18;10に離陸後、途中、太平洋上の日付け変更線を通過したので、9時間35分後に到着した時は、同日の11;20だった。
荷物を受け取ってから、現地ガイドの案内で空港2階の売店で携帯食を買った。菓子パン、サンドイッチ、飲み物などが売られていたが、どれも日本の物価の2~3倍はすると思われた。
大型観光バスに乗り込み、サンフランシスコの郊外を抜け、無料の高速道路を通って、東部にある「ヨセミテ国立公園」を目指した。

町を抜けると目の前一面に黄金色の景色が広がり、それがどこまでも続いていて驚いた。
3~10月までのカリフォルニア州はほとんど雨が降らず、川の傍や散水をしている農園を除いては大地の全てが乾燥して枯れてしまうのだという。私のイメージに無かった光景に先ず驚いたのだった。
写真は、帰りの飛行機の窓から写したサンフランシスコ郊外である。①②

 ① ②

バスで4時間かかり、やっと夕方、カリフォルニア中部の渓谷にある「ヨセミテ国立公園」の南口に着いた。
この地域は、「ジャイアントセコイア」が生い茂る天然林だが、私たちは公園の南端入り口からマリポサグローブといわれる森林の緩い傾斜が続く遊歩道を400m奥まで歩いて、標高1500~1700m程の位置迄行った。この道は、今冬、積雪が多く、6月に入ってやっと歩ける状態になったそうである。
「ジャイアントセコイア」は、ビッグツリーの名を持つ杉に近い種類だというが、その太さと高さに圧倒された。
「バチュラーと3人の美女」と名付けられた木肌が赤い4本の木は、美しかった。③
中でも最大の「グリズリージャイアント」と名付けられた木は、推定樹齢2700年、高さ61m、根元の周りは29mにもなる木だったし(④の左の木)、 内部が焦げたり空洞になって根元を通り抜けられる「トンネルツリー」もあった。⑤⑥

 ③ ④ 

 ⑤ ⑥

中には落雷によって火災が起き、真っ黒に焼け爛れた倒木があちこちにあったが、そのまま自然の状態にしてあるのだった。⑦
また、高い木なのに根が浅いため、老木になると自然に倒れるのだという。
「倒れた皇帝」と名付けられた横たわった倒木の大きい根と姿は、まるで芸術品の様に見えた。また、私はその木がやがて腐食して次に育つ若木の栄養源になる事を思い、この世に生きる全ての生命の営みを暗示される様で厳粛な気持ちになった。⑧

 ⑦ ⑧

 その日は、公園の玄関口の町、標高800mにあるオークハーストに宿泊した。








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アメリカ西海岸・国立公園巡りの旅(1)

2010年06月08日 | 海外旅行「北アメリカⅠ」西海岸国立公園

先日、イタリアの旅日記を書き上げたばかりなのに、友人との旅行に弾みがついて来て、また6月9日から16日までアメリカ西海岸に2人で行くことにした。
22年前、「アメリカ東海岸とカナダ東部」には、まだ小学生だった娘を連れて行った事がある。
3年前には「ハワイ4島巡り」にも家族と行っているが、西海岸はまだなので、今回はC社主催の『国立公園めぐり』というツアーの内容に魅力を感じて参加することにした。

地図にあるように、行きは9日成田発18;10でサンフランシスコへ飛ぶが、太平洋上で日付変更線を越えるため、到着時刻は9時間35分後の同日11;45になる予定だ。
それから世界遺産の「ヨセミテ国立公園」「グランドキャニオン国立公園」の2箇所の他、「ザイオン国立公園」「ブライスキャニオン国立公園」「アンテロープキャニオン」「モニュメントバレー」の4箇所、計6箇所をを回る予定だ。
最後にラスベガスに1泊して、15日朝、ラスベガスからサンフランシスコと航空機を乗り継ぎ、日付変更線を通過して16日夕刻に成田に帰国することになる。

 

今回は自然の景観を訪ねる旅なので、初夏の6月が良いと思ったのだが、場所によっては三十度以上の気温の中をハイキングしなければならないかも知れない。
また、昼食は弁当が数回あるし、3回ある朝日の鑑賞日には早起きしなければならないようだ。
ラスベガスでは、夕食とそれ以降の時間が自由なので、どう過ごそうか、今、調べているところである。
今、日本の政治も経済も大きく揺れ動いていて気になるが、今回も体調には気をつけて、友人と十二分に楽しんで来たいと思っている。

ところでアメリカは近年、ビザを免除する代わりに、事前に「ESTA」(電子渡航認証システム)の取得が必要である。
旅行社に依頼すると5000円弱の手数料がかかるので、自分で友人と2人分をインターネットで取得した。無料だった。(うっかりすると有料の業者サイトにアクセスしてしまうので注意!)

また航空機は日本航空なので、搭乗72時間前にネットでチェックインする事ができる。
開始時間を待って2人分のチェックインを試みた。
今回は、予約画面にエコノミー席しか表示されなかったので、通路を挟んで隣同士になる座席をチェックインした。

そんな訳で、明日の午後、新千歳空港から出発する。また暫く留守になる事を了解して下さい。


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