花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設16年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調が重なり、家の回りの生活が主になった。

薔薇の庭②

2014年06月29日 | ガーデニング・家庭菜園
長雨の後の晴天続きで一気に咲き過ぎてしまった薔薇、ばら、バラ…
今朝からは、駄目になった花を摘む作業が始まった。

 

  

 

  
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薔薇の庭①

2014年06月28日 | ガーデニング・家庭菜園
今年は昨年よりも1週間程度、薔薇の開花が早い。
4~5日前に咲き出したかと思ったら、今日当たりはまるで『バラバラ屋敷』と言った風情である。
昨夜から今朝にかけて霧雨が降り続いた。雨の合間を縫って写真を写した。

実は昨日、循環器内科の3ヶ月に1度の通院日だった。
娘の年齢に近そうな主治医に「最近はどうですか。」と聞かれたので、「1昨日の午後、疲れたなと思って血圧を測ったら177もあって驚きました。それで毎日草取りをしていたのを止めて、半日ジッとしていたら、徐々に下がりました。」と話した。
すると、「草取りに命を掛ける必要は無いのだから、必死でやらないで程ほどにしなさい。何でも頑張りすぎるのは駄目ですよ。」と諭されてしまった。
夜は毎日、ブログの記事書きをしていることは言わなかった。

今回「北欧」で写して来た写真は540枚に上った。忘れてしまわない内にと、1枚々々を、いつどこで撮ったのかを調べながら、整理して編集するだけでも目が痛くなった。
おまけに今回は実に目まぐるしい旅だったので、記事と写真を順序立てて一致させるのも大変で、正直な所、精神的にも疲れた。

そんなこんなが重なって、体が私に警告を発してくれたのだろうと思う。「年相応に」という言葉は好きではないが、体は正直だ。

 

 

 

  





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「北欧の旅」(12)

2014年06月28日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド

《フィンランドの「ヘルシンキ」観光後、帰国の途へ》

7日目は8;40発の「ヘルシンキ」行きの飛行機に乗るために6;15に「ストックホルム」のホテルを出る事になっていた。
バスが来たので見たら運転手が女性だった。どれもお土産で重くなったスーツケースを1つ1つ持ち上げ、荷崩れしないように積んで行くのだ。この国は男女の格差が労働市場でもほとんど無いのだと改めて確認させられた。
空港に着くと運転手からスーツケースを受け取り、カウンターに行ってスーツケースは成田空港まで依頼した。



飛行機は予定通り10;35に着陸した。
入国審査を受けて「フィンランド」へ入国した。「フィンランド」では今迄の三か国よりも時差が1時間少なくなるため、時計を進めた。

 

日本への帰国便はこの日の17;15発なので、実際3~4時間の空き時間しかなく、早速バスに乗って市内観光に出発した。

現地ガイドは中年の日本人男性だった。バスで「フィンランド」の生活事情などを説明し始めた。
食料品の消費税は14%だが、他は24%だ。学校は、6月中旬から8月までの2ヵ月半が夏休みだ。」

「自転車専用道路と歩行者専用道路が分かれているので、バスの乗り降りには注意して欲しい。」
「ベビーカーを押して歩くと、タクシー以外の乗り物は全て無料になるので、大きい子どもをベビーカーに乗せている人もいる。自動車の運転中に事故を起こした場合、罰金は子どもが1人だと4000円安く、2人だと8000円安くなる。この国は子どもが多い低所得者が得をするようになっている。」


 「ヨーロッパで、女性が初めて参政権を持った国だ。自分の妻は学校の教員をしているが、月給は2700€だ。(1€=140円とすると378000円)その中から700€の税金が引かれる。」「結婚後の離婚率は、50%だ。」
「公用語は、『フィンランド語』と『スエーデン語』だ。6つの州では、『サーメ語』も公用語だ。」「面積は日本の90%の広さに537万人(2010年12月)が住んでいる。宗教はプロテスタントである。」などと話した。

時間が無かったので教育水準が高い理由を聞けなかった。帰国してから本で調べたら、フィンランドの教員はほとんどが修士課程を卒業しているか、2つの専門科目の免許を持っているのだそうだ。また子どもには落第も飛び級もあって、親が子どもを見て申請するのだという。
そして日本と決定的な違いは、1クラスの子ども数だ。26人が限度なので、27人になると半分に分けて2クラスにしているのだ。この違いは大きい。
さらに詰め込み主義、暗記主義の教育ではなく、子どもが主体的に学習をし、分からなければどうしたら良いかを教員が教えるらしい。

①「岩の教会(テンペリアウキオ教会)」
自然の岩山を生かす設計コンテストで選ばれた建築家が設計し、1969年に建築した教会である。アパートが立ち並ぶ住宅街の一角に大きい岩山があった。反対側に下りるとそこが教会の正面だった。小さな十字架が屋根に乗っていた。
岩に囲まれた円形の近代的な空間は音響効果が良いということで、コンサートホールとしても使われていて、丁度私達が行った時も、ピアノの演奏が行われていた。椅子に座って演奏を聴いていると、無信仰の私でも気持が安らいだ。

 

  

  

②「ツーリスト・インフォメーション」と「マーケット広場」
次に行ったところで、バスから下りようとすると雨が降って来た。結構強い雨だ。
傘を差して歩いていたら、狭い道路に路面電車が走って来て驚いた。
「ヘルシンキ」市内には公衆トイレが余り無く、あっても使用料が5~10€した。私達は案内された「ツーリスト・インフォメーション」の建物でトイレを借りた。無料だった。

 

その前の一角が「マーケット広場」だった。季節の野菜や果物、菓子類やパンなどが売られ、ピッツァの店もあった。

昼食は自由だったが時間も1時間しかなく、レストランに入れば簡易なランチでも10~20€はするのでパンを買うことにした。すると友人が数個入った菓子パンを買ってくれた。バスに戻り、分けてもらって食べた。アップルパイ風だったが美味しかった。それと持っていたオレンジを食べて済ませた。

  

③「ヘルシンキ大聖堂」
バスが駐車した元老院広場の高台に白亜の聖堂が聳え立っていた。ここは「ルーテル派の本山」だそうだが、雨が強かったのでバスから写真を撮っただけだった。

 

空港に戻る頃、雨が止んだ。出国審査を受けてから搭乗口で搭乗を待ったが、時間があったので土産店をぶらついた。

従妹達が2階のトイレに行きたいというので、私が皆の荷物を預かって待っていた。
すると1人が戻って来た。トイレの個室に置き忘れられたバッグがあるというのだ。私は、そのままにして置くよりも空港の警備に届けた方が良いのではと判断し、従姉が持って来たバッグを警備の女性係員に状況を説明して渡した。
すると間も無く、子どもを2人連れた夫婦が、その係員と話しているのを見つけた。
私達が駆け寄ると、妻は涙ながらに「私のバッグを届けてくれて有難う!」と言い、従姉の手を握った。バッグにはパスポートや貴重品が入っていたのだった。
夫がポケットから10€を出して従姉に渡そうとした。従姉は「そんな積もりでなかったので、心配は無用です。」と手振り身振りで伝えた。横から私が「私達は、日本人です。」というと、夫婦は「私達は、アルメニアに帰る所です。」と話した。
本当に持ち主にバッグが戻って良かったが、良く考えると係員はなぜ届けた人の名前や国籍を聞かなかったのかが不思議だった。
従姉達は、旅の最後に思ってもいなかった良いことができたと、しばらく興奮していた。

帰国便は、満席だったが、いつもの様に疲れが出て、直ぐに眠った。
9時間40分飛んで、成田空国には17日の8;55に着陸した。荷物を受け取ってから、午後の新千歳空港行きに乗り換えて札幌に戻って来た。

聞くと留守中毎日雨が降り、気温も低かったらしい。庭は雑草がびっしり生えて伸び放題の態だった。薔薇の花は予想と違って咲いていなかった。
翌日から、雑草との戦いをしながら、昨日まで旅行の記事を書いた。これで「北欧の旅」が完成し、ホッとしている。長文の旅行記を見て頂き、コメントを寄せてくれた方々に感謝している。
次の海外旅行は、花や野菜の仕事が一段落する秋になるだろう。昨日から、次はどこへ行こうかとパンフレットを見ている。
                         (完)


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「北欧の旅」(11)

2014年06月27日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド

《スエーデン》(2)

②「ガムラ・スタン」観光
「市庁舎」を見学した後は、バスで旧市街「ガムラ・スタン」を観光した。といっても、「スタッツホルメン島」に建つ王宮などを見回してガイドが説明しただけだった。


(「ガムラ・スタン」の家並みと奥の尖塔は「リッダーホルム教会」) 

  
(王宮)
                 
(衛兵の交代式を見に行った)

(オペラハウス)

③「運河クルーズ」

クルーズ船より景観を楽しんだ。 「ユールゴールデン島」は緑が多く、海岸沿いを散歩やジョギングをする市民がいた。

 

 
(国立美術館)


「ストックホルム」の旧市街が何故今まで無傷で維持されているかと言うと、第一次世界大戦では中立国の宣言をし、戦争に加わらなかったことが挙げられる。第二次大戦でもナチスドイツ兵士のフィンランドやノルウエーに進撃する際の国内通過を許したり、多数の反ナチスの人々の入国を受け入れるなど、柔軟な姿勢で乗り切ったという。

市内観光は時間が限られていて極めて不十分な観光だったが、機会があれば、いつかまた行きたい都市の一つになった。
観光後ホテルに戻ってから、近くのスーパーマーケットに出かけた。スエーデンのお金を使い切るために、大型のチョコレートを買った。このチョコレートは、今まで食べた事が無いほど芳醇な味で、価格は高かったが土産としてはとても満足した。

夜は明日の朝、帰国のために飛行場でスーツケースを預けてしまうので、荷物を手荷物とスーツケースに分けて整理してから寝た。これで6日目が終った。

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「北欧の旅」(10)

2014年06月27日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド

《ノルウエーからスエーデンへ》(1)

ノルウエーの「ベルゲン」では、世界遺産の「ブリッケン地区」を見学後、ロープウエーで「ロイエン山」に行って町と港を見下ろしたり、港の魚市場を散策したりした。
しかし残念な事にカメラの電池が切れたらしい。写っていた4枚の写真だけ載せる。

 

 

6日目は、ホテルから「ベルゲン空港」に行き、11時発のスウェーデンの「ストックホルム」行きに乗った。
朝6時に部屋で家から持参した米を炊き、お握りを作ったのを機内で食べた。久し振りの海苔と梅干の味が美味しかった。

12;20には「ストックホルム」空港に着いたが、入国検査で手間取った。
「スウェーデン」は、日本の1.2倍と言う北欧最大の面積を有する国で、人口は960万人、正式名は「スウェーデン王国」。9世紀頃「ヴァイキング」の名で海洋民族として名を馳せた歴史がある

バスに乗ると現地ガイドが、通貨「スウェーデンクローナ」について説明した。みやげ物には25%の消費税が内税になっていること、日本までのはがきと20gまでの封書の切手は14クローネ、約240円することなどを話した。(成田空港で交換したレートは、1クローネ=20円だったので、280円になる。こんな高い国は初めてだった)

首都「ストックホルム」は、「メーラレン湖」に浮かぶ14の島、郊外の島も入れると24,000もの島からなっている街だ。中でも13世紀にスタッツホルメン島に築かれた王宮を中心とする旧市街は、『ガムラ・スタン』と言われていて、そこを中心に近現代の都市計画がされたという。

①「市庁舎」
市内観光の最初の見学場所は「市庁舎」だった。ここは毎年12月10日に「ノーベル賞」受賞者の晩餐会が行われる場所だ。
この建物は1911年~23年にかけて「メーラレン湖」の傍に106mの塔があり、赤レンガで建てられた。建築様式は私が初めて聞く北欧中世風の「ナショナルロマン様式」だという。とに角、豪華な内装のこんな「市庁舎」は、今迄行った国では見た事がない。

公式行事があると内部の見学はできないのだが、この日はラッキーだった。一度中庭に入り写真を撮った。中庭には車椅子の人なども自由に出入りができるようになっていた。

   

それから裏庭に出て湖を見た。対岸左奥に鋭い尖塔がある「リッダーホルム教会」が見えた。



大広間に入った。高い所に造られている窓から自然光を取り入れるデザインは、北欧らしいと思った。ここはコンサートや各種の議場として使われているらしい。天井下の金色の装飾は、音楽の神々をデザインしたのだろうか。

 



次に階段を登って市議会の「議会室」に入った。3階の左右に議場を見下ろす傍聴席があった。天井はヴァイキングの船の様式を模した木造吹き抜けになっていて、そのデザインの素晴らしさに目を見張った。こんな場所で会議をするなら、おかしな野次などは出ないだろうと思った。

 

それから「黄金の間」に入った。1800万枚の金箔モザイクを貼った絢爛豪華な光輝く壁には「メーラレン湖の女神」が、片手に西洋、もう一方の手に東洋を持つ独特な姿にデザインされて描かれていて、一度見た人は生涯忘れられないだろうと思う室内装飾だった。
この部屋で「ノーベル賞」受賞者達の舞踏会が行われるという。

 

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「北欧の旅」(9)

2014年06月25日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
《ノルウエー観光》(4)

5日目は、午前中「スタイルハイム」を出発し「ハダンゲル・フィヨルド」に沿って「ベルゲン」を目指してバスで走った。1つ目の『ツヴァンデの滝』を見た後、フィヨルドを臨むカフェでティータイムを取った。ここのフィヨルドの水面は静かだったので、山並みが逆さになって写っていた。

 

 

2つ目の『スタインダールの滝』は、滝の背後に道がついていて、背後からその流れと迫力を感じる事ができた。

 

バスで暫く行くと、花崗岩がむき出しになった山肌が現れたり、フィヨルドが見えたりする景色が続いた。
4時間半後に「ベルゲン」に着いた。公園ではようやく迎えた太陽の季節を楽しみ、日光浴する人たちの姿があった。
その後は「ベルゲン」で市内観光をした。



 

先ず「グリーグの家」に行った。彼が「ベルゲン」で住んでいた場所はフィヨルドの湖畔にあり、彼の記念館になっていた。
裏に行くと彼が住んでいた家の他に音楽堂が造られていた。内部は近代的な建築になっていたが、屋根は昔のノルウエーの作り方(土を載せて草を生やす。夏は涼しく冬は暖かいのだそうだ)で作ってあった。ここには100席程が用意されていて、ピアノコンサートなどがしょっちゅう行われているそうだ。湖側の低い場所に、彼の小さな像が置かれていた。私の頭の中に『ソルベイグの歌』が自然に溢れ出て来た。

 

  







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「北欧の旅」(8)

2014年06月25日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
《ノルウエー観光》(3)

4日目は早朝に起き、6時に朝食を食べ、部屋のベランダから美しいフィヨルドを写真に撮った。
庭に出て「グリーグ」が作曲の構想を練ったという小屋を再度見てから6;50にホテル『ウレンスヴァン』を後にした。

 

その日はバスで70kmの距離を「ヴォス」まで走り、そこから『ベルゲン鉄道』に乗って海抜866mの「ミュールダール」に行き、そこで高度差900mの急勾配をゆっくりと登る全長20.2kmの有名な山岳鉄道『フロム鉄道』に乗り替えた。
この山岳鉄道は20箇所のトンネルを掘り、20年の歳月を要して1944年に全線が開通した。5種類のブレーキを装備している。



   

途中3つ目の駅で5分間電車が停止した。狭いホームのすぐ傍に水量がすごい93mの『シょース滝』が轟々と白煙を立てて流れていた。この滝は上にある「レイヌンガ湖」を水源に残雪や氷河の雪解け水が集まって、全長700m全落差255mの流れとなり、その水力を利用して駅の隣にある発電所で『フロム鉄道』の電力を賄っているのだそうだ。
音楽が流れると遠くの滝の中腹に伝説の妖精に扮した人が現れ、滝の側の岩場でそれらしいダンスをした。『フロム鉄道』の粋な演出だった。
再び電車に戻り、「フロム」駅まで乗った。窓の左右には素晴らしい景色が見えた。

 

 

「フロム」で電車を下り、駅前の湖畔から遊覧船に乗って「ソグネフィヨルド」をゆったりと観光した。

その後はバスで山頂近くまで行き、そこから20分間ほどハイキングをして山頂まで上り、「ソグネフィヨルド」を上から眺めた。
山を少し下ったところに作られている『ステーガスタイン展望台』から、真下の「アウルラン」の町と「ソグネフィヨルド」をもう一度見た。
この日は1日中変化のある行程で、たっぷりと楽しんだ。

その日のホテルは、崖の上に立つ『スタルハイム・ホテル』に泊まった。

 

 

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「北欧の旅」(7)

2014年06月24日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
《ノルウエー観光》(2)

市内観光を終えた後はバスで「オスロ」を出て、途中の美しい湖や大きな滝を観光しながら、約400kmの距離を西のフィヨルド地区を目指して走った。
次第に残雪を頂く山々がバスの両側に迫り、雪解け水が幾筋もの滝となって流れ落ちる光景が見え出した。

 

 

 

途中、標高1250mの高さの山道を通る頃には、降り出した雨がみぞれに変わり、外気温も4℃と低くなり、バスが狭い下り道を走った時には心細くなった。



ようやく7時間後に無事「ハダンゲルフィヨルド」にある町「ロフトフース」に到着した。このフィヨルドは全長179kmあり、ノルウエーで2番目の長さを誇るという。
私達は王室が使ったという老舗ホテル『ウレンスヴァン』に到着し、ホッとした。
そのホテルはフィヨルドでできた湖に向かって建っていた。天候が悪くすでに薄暗かったが、ピンク色の石楠花が咲く庭で写真を写した。

 

庭の片隅に「北欧のショパン」とも言われるノルウエー出身の作曲家であり、ピアニスト、指揮者でもある「エドヴァルド・グリーグ」(1843年~1907年)が、1877年から1880年にかけて暮らし作曲の構想を練ったという小さな書斎と家族の木像があった。
彼は民族音楽から着想を得て、『ペールギュント』などを作曲したので、国民楽派の一人だと言われている。
彼は小さな蛙の置物と子豚の飾り物を身近に置き、ピアノ演奏会などではポケットにその蛙を入れて気持を落ち着かせていたというエピソードも残っている。
彼が作曲した『ピアノ協奏曲イ短調』は私が好きな曲で、そのCDをバス内で添乗員が掛けてくれたのには感激した。






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「北欧の旅」(6)

2014年06月23日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
《ノルウエー観光》(1)

大型フェリーは、予定通り朝9;45にノルウエーの首都「オスロ」のターミナルに着いた。
気温は21度と快適だ。
バスで早速「オスロ」市内観光をした。

①「ビーゲラン(フログネル)公園」
この広大な公園には、ノルウエーが誇る彫刻家「グスタヴ・ビーゲラン」(1869年~1943年)の作品だけが212点集められ、そこに刻まれた人間の数は650体以上に登る。
彼は市と全ての作品をオスロ市に寄贈するという契約を結び、生涯を彫刻庭園の設計と作品制作に掲げたのだ。

シンボルの一枚岩でできている「モノリッテン」の高さ14mの塔だけでも121体の人間が刻まれていて、裸体で抱き合うようにもつれあい積み重なって上に上がって行く姿は、人間の様々な欲望を現しているらしい。
作者自身は作品の解説を一切拒否したらしいので、全て彫刻を見る人の判断に任されているという。
表情が無い彫像が多い中で、1つだけ全身でありったけの怒りを表した作品があった。『おこりん坊』だ。

真近に見た人間の誕生から死までの営みをテーマとした彫刻は、どれも迫力があった。こんな彫刻を見て育つノルウエーの子ども達は、人生に逞しく立ち向かい、困難から逃げないこと、人の関係の大切さを学ぶのではと思った。

 

  

②「国立美術館」でムンクの絵を見る。
折角「国立美術館」に行ったのだが、入場に人数制限があって私達は2つのグループに分かれなければならず、私のグループは後半の僅か15分間しか見られなかった。

「エドヴァルド・ムンク」(1863年~1944年)は、北欧出身の画家の中で一番知られている画家かも知れない。
最も有名な絵は『叫び』だが、この絵について彼の日記に書かれた言葉をガイドが読み上げた。
「夕暮れに友人二人と道を歩いている時、突然空が血の様に赤く染まった。疲れを覚えた私は立ち止まり柵にもたれた。青黒いフィヨルドと町の上には血の色に燃え立つ雲が垂れ込めていた。友人達は歩き続けたが、私は不安に震え立ちすくんだ。そして、果てしない叫びが自然をつんざくのを感じたのだった。」と…。

彼は軍医の父の子として生まれたが、5歳で母を結核で亡くし、9年後に姉も死亡。ムンクも子ども時代に喘息やリュウマチ熱を発病した生い立ちから「死」や「不安」を意識する子どもになったと言われている。
美術学校に入ったが1年でやめて。後は独学で絵を学んだらしい。
実生活では、愛人にピストルで撃たれ、左手中指を失う怪我をしたり、アルコール中毒になって入院生活をしたりしたと言う。
彼の25,000点の絵は、全てオスロ市に寄贈された。

フラッシュを焚かなければ大半は写真を写して良いと言われたので、禁止された作品以外の数点を写して来た。
最も有名な『叫び』は、盗難にあったこともあって防弾ガラスの奥にあり、撮影は禁止だった。

  

(※昨日、TV「美の巨人」で、ムンクが晩年にオスロ大学の講堂の壁画として描いた『太陽』の絵を見、解説を聞いた。これまでのムンクのイメージとは全く正反対で、生きようとする意志が感じられ、彼が人生の暗闇から抜け出したように思えた。)
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「北欧の旅」(5)

2014年06月22日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド

≪デンマーク「コペンハーゲン」の観光≫(3)

2つの城を見学した後、また「コペンハーゲン」に戻るバスの中で現地ガイドが話してくれたことをメモ書きから拾う。
「デンマークでは酒は無税なので、スエーデン人がフェリーに20分乗って買いに来る。車の運転は、ビール2本までの飲酒なら許されている。金曜は午前勤務なので、昼にビールを飲んで帰る人が多い。」
「自己決定、自己責任が求められる社会なので、それぞれが個性的な生き方をしている。子どもの飲酒も自己責任である。」
「物価は北欧の中では一番安い。」というような話だった。

日本人は欧米人に比べて、肝臓がアルコールを分解する能力が低いと言われるが、欧米人だって個人差があるだろうに、ビール2本までの飲酒運転が許されるなんて恐ろしいと思った。

昼食に出たメイン料理(鶏肉のハンバーグがあっさりしていた。赤カブの酢漬けは美味しかった)とパン屋のショウケースのパンの写真である。

 

③「アメリエンボー宮殿」と宮殿前広場
ここは宮殿と言っても、18世紀末に火災にあったため、4人の貴族のマンションを宮殿にしたものらしい。私達は宮殿前広場に行って、黒い熊の毛皮の帽子を被った衛兵が正午に交代するのを見ただけだった。
ガイドはしきりと「ここの衛兵は、何となく締りがない感じがする。」と言っていたが、確かに1人と1人が交代するだけなので、雰囲気が今一つだった。

 

④「ニューハウン」
運河に沿って色彩豊かな建物が立ち並んでいる地域で、レストランが多く、かっては「アンデルセン」が住んだ部屋もあるという



⑤「人魚の像」と「アンデルセン」
作家「アンデルセン」の童話「人魚姫」に因んで1913年に作られた全長80cmの像を見るためにバスが一時停止したが、周囲には多くの人がいて交代で像の前に立ち写真を撮っていたので、私はバスの中から見るだけにした。

世界中の人が知っているデンマークの作家「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」は、1805年、靴職人の父親の子どもとして商業都市「オーデンセ」に生まれ、一間きりの狭い家で貧しい子ども時代を過した人だ。
小学校に行っても友達とは遊ばず、ぼんやりと空を見たり空想にふける孤独な子どもだったという。先生から鞭でたたかれた後は、もう決して学校に行かなかったらしい。
14歳の時、演劇学校に入るためにコペンハーゲンに出、歌や舞踊を学び、脚本も書いたが、役者になる夢は挫折する。
劇場幹部が稚拙な文章の中に彼の才能を見つけ、語学学校に行かせてくれた。脚本では成功しなかったが、童話作家として認められた。
生涯独身を貫き、定住をせず、旅が好きだった。

自身の生活体験から生まれた『醜いアヒルの子』『親指姫』『赤い靴』などの多くの童話を残した。今「オーデンセ」は、彼の出生地として観光都市になっている。

⑥「市庁舎前広場」



見学後、16;45出航の大型客船「DFDS/シーウェイズ」に乗船し、ノルウエーの「オスロ」まで17時間の船旅をした。
私は従姉と2人で3.5畳程ある個室に洗面、トイレ、シャワー室が付いた海側の2人用船室に入った。
夕食は大勢の外国人に混ざり、多様な料理が用意されたビュッフェだった。夕食後は船内の大型ショップで、デンマーククローネを使い切るために「ブランデーチョコレート」を2箱買った。
窓外の海はまだまだ明るかったが、疲れたのでカーテンを引いて22時には寝た。

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「北欧の旅」(4)

2014年06月21日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
≪デンマーク「コペンハーゲン」の観光≫(2)

2日目はバスで「コペンハーゲン」の北44kmにある「北シェラン島」の港町「ヘルシンオア」に行き、世界遺産の古城を巡った。

①「クロンボー城」
この城は、オーレスン海峡の最狭部、スエーデンのヘルシンボリ街とは僅か5kmしか離れていない場所にある。
1429年、エリック7世王が海峡を通る船に「通行税」を課すために建設し、街は経済的に繁栄した。
1629年に火災にあったが、クリスチャン4世が修復した。
シェクスピアの戯曲『ハムレット』の舞台となった事で知られている。

1857年に課税は廃止されたが、今は北海に出る船の港街として繁栄している。

 


  
②「フレデリクスボー城」
この城は「コペンハーゲン」の北西にあり、クリスチャン4世王の父親に当たるフレデリクス2世王が貴族の女性から入手し、1560年から60年の歳月をかけて住居として造りなおした建物である。
ところが1859年に大火で消失。民主主義時代の王室は経済力を無くしていたが、当時のビール王、カールスベア社の創業者が援助を申し出て再建され、その後は「国立歴史博物館」となって公開されているものだ。
前庭には大きな噴水があり、裏には広大なバロック式の庭園と池が造られていて、内装は豪華なルネッサンス様式だった。
デンマーク王家の立派な系統図が掲げられた部屋、2階の背後に豪華なパイプオルガンがある広い協会の間も見事だった。

 

  

 
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「北欧の旅」(3)

2014年06月20日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
≪デンマーク「コペンハーゲン」の観光≫(1)

成田国際空港を11時に離陸したフィンランドの「ヘルシンキ」行きの航空機は、「ヘルシンキ」に14;20に着いた。日本との時差が6時間遅れなのでかかった時間は9時間20分だった。
そこから17;45発のデンマーク「コペンハーゲン」行きに乗り換えて、到着したのは18;10だったが、さらに時差は7時間となるので、成田からの総時間では、実際には14時間10分かかった


(機内から下を写した)

空港でスーツケースを受け取ってバスに乗り、現地ガイドの案内でホテルに向かった。

その途中、現地の年配の女性ガイドが、国の概要を説明した。
『デンマークは冬でも雪が少ないので「黒い冬」と言われる。暖流の影響で極端に寒くはならないが、緯度が高いため冬は日照時間が極端に短くなり「うつ病」患者が多いし、皮膚がんにもなり易いのだそうだ。

資源が少ない国なので、昔から知恵を絞って生きて来た。その代表的な例は1427年にスエーデンとデンマークの間の最狭のオアソン海峡を通る船に「通行税」を掛けるようにしたことだが、それでデンマークは大きな利益を得た。これは400年前に廃止された。

また小中高校、大学は全て無料。大学は全て国立で、学生の生活費も無料だ。
医療費は外国人も含めて全て無料だが、救急車を使えばその費用は自己負担だ。
65歳以上の高齢者には国民年金が出るが、国民は質素な生活をして若い時から貯金をし、年金は当てにしない人が多い。
老人ホームに入ると、ケアは無料だが部屋代と食費は有料だ。在宅でケアを受ける人には、1日10回ヘルパーが来る。

1週37時間労働で、時間外労働はしない。女性は結婚しても働き続けるので、専業主婦はいない。出産後の休暇は1年間取れ、託児所は市の責任となっている。

失業率は5%で、税金は42~52%と世界一高い。しかし88%の人が税金を積極的に負担する。それは貧富の差が小さく、落ちこぼれる人がいない安心感からだ。』

私が行く前にデンマークについて読んだ本と同様の事を、生の言葉でガイドから聞いたのだった。ただ思いがけなかったのは「貯金をする」という話だった。生活の不安が無ければ、貯金をしなくなると私は思っていたが違った。

話を聞いている内に市内に入り、中心街にあるホテルに着いた。
バスを下りる前に、「デンマークは平坦な国土なので、通勤通学に自転車が多く使われ、車道と歩道の間に自転車専用道がある。自転車は勢い良く走って来るので注意するように。」と言われた。

ホテルから5分程の距離に「チボリ公園」があると聞き、歩いて行った。公園内には入らなかったが、入り口で管理、検札している中年男性2人はサービス精神に溢れていて、快く写真撮影に応じてくれた。
また、確かに自転車が多く、女性でも凄いスピードで乗っていた。
ホテルの隣にスーパーマーケットがあったので、ドライフルーツなどのちょっとしたものを買った。

「白夜」の季節に入っていて22時過ぎまで明るかった。体内時計が狂うので早めにカーテンを閉めて、23時には寝た。こうして長かった旅の1日目が終った。

 
(ホテルの部屋から前の通りを写した。工事中の所が自転車専用道路)   (チボリ公園入り口の門)

 
(街のレストランなどが入るビル)                          (駐輪場)

  ※小さい写真は、クリックすると拡大する。

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「北欧の旅」(2)

2014年06月18日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
≪北欧4カ国8日間は、忙しかったが、ベストシーズンの旅だった≫

昨日、朝9時に成田空港に帰国し、成田から新千歳までの午後の航空機で帰宅した。
庭を見ると地面が濡れていて、植物が生き生きしていた。近所の方に聞くと私が旅行中、ずっと毎日、雨が降り続いたそうなのだ。
それで庭の花も野菜も伸びた雑草に埋まっていたので、今日は午前中は庭の雑草取り、そして午後は菜園の雑草取りをした。
気温が低かったようで、薔薇が開花している庭を予想したが、開花していたのは芍薬とアイリスだった。

今回の北欧の旅では、1日目は成田から「フィンランド」の「ヘルシンキ」空港で乗り継いで、先ず「デンマーク」の「コペンハーゲン」に行った。
翌日の2日目は夕方まで「コペンハーゲン」の市内を観光後、大型フェリーに乗って船中で1泊し、「ノルウエイ」の「オスロ」に行った。

3日目「オスロ」に着くと、市内観光後、午後は7時間バスに揺られながら、「オスロ」の北西にある「フィヨルド地区」に行き、泊まった。
山には残雪があり実に美しかった。もしも10日も遅かったら、残雪は少なくなり、流れ落ちる滝も少なくなるのだろうと思った。

4日目はフィヨルド地形とそれによってできた湖を観光するため、列車に乗ってから山岳鉄道に乗り換えて「フロム」に行き、絶景を見るために山頂までハイキングをしてフィヨルドの絶景を見下ろした。

5日目はバスで4時間半走りながら、雪解けの水が滝になって流れ落ちる光景を幾つも見た。午後は「ノルウエイ」第二の都市「ベルゲン」に着き、作曲家「グりーク」の家を見学、またケーブルカーで山に行き、「ベルゲン」の街を展望した。

6日目は午前中「ベルゲン」空港から隣国「スエーデン」の「ストックホルム」空港に行き、午後はノーベル賞の晩餐会が行われる「市庁舎」など「ストックホルム」の市内観光をした。

7日目は、早朝再び空路「ヘルシンキ」空港に戻り、短時間で市内観光をした後、夕方成田行きのヘルシンキ航空に乗って帰国の途に着いたのだった。

本当に短期間で様々な乗り物に乗りながら4か国を回った訳で、変化があったが実に忙しかった

おまけにこの4カ国の通貨は皆違っていたので、成田空港で行く前に予想した適当な金額を両替して行ったのだが、私の場合は結局、その国でしか使えない硬貨は使い切ったものの、札は使い切れなかった。残ったのは、次の旅行でどこかの免税店か空港で使いたいと思う。

予想したより4カ国とも物価が余りにも高く、ホテルの近くのスーパーで少し買い物をしただけだった。
自由食が2回あったが、サンドイッチ1個が500~900円、清涼飲料水類500ccも同様だった。
私は家から米1合と梅干、のりなどを持参し、前に買った「トラベルクッカー」を少し重いが持参して、3人分のお握りを作り捕食にした。
勿論、胃腸が弱い私は、空のペットボトルに水を入れたのを3本、スーツケースに入れていった。(4カ国とも水道水は飲めるが、日本のとは硬度が違うらしいので。聞くと缶ビールを持参して部屋で飲んでいた人もいた)

しかし、土産に買った「鱈子ペースト」(写真)は、価格もそこそこだったし好評だった。

 



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「北欧の旅」(1)

2014年06月08日 | 海外旅行「北欧」デンマーク、スエーデン、ノルウエイ、フィンランド
≪いざ!北欧へ≫

6月10日から17日迄、「北欧」に行く事になった。
「北欧」といっても今回は「アイスランド」を除く「デンマーク」「ノルウエイ」「スエーデン」「フィンランド」の4カ国で、世界遺産や独特な「フィヨルド」の景観を目指して駆け歩くことになりそうだ。

また緯度が高い「北欧」では、時期的に「白夜」が始まる季節で22時過ぎまで明るい筈だ。「白夜」は、二十数年前に8月初めの「レニングラード(今はサンクトペテルブルグ)」で体験した事がある。明るいからと何時までも活動したら、疲れ果ててしまうので注意したい。

   

成田空港から向かう「フィンランド」の「ヘルシンキ国際空港」には、3月に行った「バルト三国」の乗り継ぎ空港として往復立ち寄った。今回もそこで乗り継いで、先ず「デンマーク」の「コペンハーゲン」に行く事になっている。

現在の「北欧」の最高気温は平均20度程度らしいので、1ヶ月前の服装を用意することにした。

今回は、従姉と彼女の友人の3人でツアーに参加する。
私より5歳年長の従姉との初めての海外旅行は、今から7年前の「イタリア」だったが、今回の3人での海外旅行は「中国」「韓国」に次ぐ3回目だ。
それぞれ1年に1歳ずつ年を取ったので、ツアーの集合時間を間違えたり迷子になったりしないで行って来るのが課題だ。

北欧は「高福祉国家」であるが、その経済的な支えとして政府の収入になる税金が高く、消費税も非常に高い。それで結果的に物価も凄く高いので、多分私は、今回、物を買う気分になれないのではと思っている。
短期間ではあるが、そうした「高福祉国家」の現状と問題を見て来たい。
さらに「フィンランド」の教育が質的に高い事が知られているが、その背景を聞いて来たい。

また、「ノルウエイ」では、氷河が造り上げたフィヨルドの景観をじっくりと見て楽しんで来たい。

成田空港の集合時間は8;30なので、今回も9日の夕方、まず新千歳空港から成田空港迄飛んで、ホテルで一泊する。
それまでに必要な庭や畑の苗植え(カボチャとスイカ)や大豆の種蒔き作業などは、全て終らせた。

5月初めと先日の高温の影響で例年よりも予想外に花木の生育が早いため、薔薇はもう開花し始めた木もあるし、後2~3日で開花しそうな木も多い。石楠花や芍薬、ジギタリスなども私の留守中に咲きそうだ。
それで後ろ髪を引かれる思いなのだが、申し込んである旅行なので行かざるを得ない。

帰国は17日の予定。それまでブログを休むが、どうぞ宜しく。

(8日は午前中珍しく雨が降り、上がった時に写した)

 

 





 

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初夏の庭

2014年06月07日 | ガーデニング・家庭菜園
先日3日間、北海道はフエーン現象とかで一気に38℃近い気温の日が続いた。
暫く雨が降らず、強い季節風がずっと吹き付けていて、砂塵が舞い、大地は乾燥状態が続いた。
そんな訳で、朝晩、庭の植物に水遣りをした。

例年よりも花木の生育が5日程早いようで、「ツツジ」類の花は終り、今は「ボタン」「ジャーマンアイリス」が満開だ。

 

 

 
 
薔薇の蕾も立ち上がって来たが、同時にどこからか油虫が飛んで来て蕾周辺にしがみ付き、樹液を吸っているのだ。
油虫のいる枝には、共生している蟻が登り、また、油虫を餌にするてんとう虫が飛来する。
自然はうまくできているものだと思うが、てんとう虫の数が少ないので、今年も毎日、早朝と夕方に油虫退治をしている。
私の退治法は極めて単純で、園芸用の手袋をはいた指で潰すのだ。
薔薇の数が多いので、潰すのにも1時間近くかかるが、ウイルスを移されては困るので決行している。
嫌な話をしたが、薔薇も今夏は早めに開花しそうで期待している。
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