花好き・旅好き女性のセカンドライフ  (ブログを始めて16年目)

幾つもの持病を持ちつつ伯母の介護をし、春~秋はガーデニ
ングと家庭菜園、その合間に旅行も楽しむ定年後の生活日記

小豆の花は黄色だった

2016年07月31日 | 家庭菜園・市民農園
3日前に雨降りの合間に農園に行き、ポリポットで育てた「キャベツ」の苗を収穫が済んだ大根の後に植えて来た。
その時、たった1本のカボチャの苗が、元気に弦を伸ばしたのは良いが、孫弦がどんどん伸びて、足の踏み場が無い状態になっていた。
しかし、また雨が降って来たので退散した。

今日、菜園に行き、「カボチャ」の孫弦を切って来た。
葉を掻き分けて見たら、「カボチャ」の小さな実が4個付いていた。

「じゃが芋」は、ここ20日間ほどで数回、てんとう虫だましの幼虫を除去して来たが、今日見たらかなり茶色く枯れて来ている。葉に開いている無数の穴は、てんとう虫だましの幼虫が葉を食べて開けた穴だと思う。(9日の写真があったので、22日後の今日と比べた)
10日後の収穫を予定しているので、この枯れ方は丁度良いかもと思った。

 
 (7月9日のじゃが芋)             (今日のじゃが芋)

「小豆」の生育が順調みたいだ。今日見ると、少し大き目の黄色い花が咲いていた。2~3回植えた経験があるが、花を見たのは初めてで、赤くなかったので驚いた。

      
       (7月9日の小豆畑)
 
 (今日の小豆畑)
「大豆」の花も咲いていたが、こちらは白いゴマ粒位の大きさで、花かどうか分からない感じだった。
また見渡すと、カボチャの横に植えてある8個の「ブロッコリー」の内、1個が丁度採り頃の大きさだったので、収穫した。

 

「うずら豆」も開花していたが、こちらははっきりと花だと分かる大きさの美しい花だった。側に小さな豆の鞘ができていた。

 

「絹さやえんどう」も4度目の収穫をしたが、部分的にうどん粉病の様になっている茎が出始めたので、そろそろ終りかも知れない。
「じゃが芋」の様子からして、そろそろ収穫の予定を立てようと思う。
今年は一度に掘ると疲れるので、2回に分けて作業をしようと考えている。
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亡き隣人に報告したい

2016年07月31日 | ガーデニング
隣人が亡くなってもう4~5年経つ。
その方は松が好きで、庭に何本も植えて独特な形に剪定していた。

ある秋の日、「空いてたところに球根を植えて置いたから」と言われた。
翌年の夏になって、それが「クロコスミノ」だと分かった。
背が高い植物だが、今では増えて他の低木の日差しを遮っていたので、今朝、思い切って処分する事にした。
スコップを根の下に刺し入れ、球根ごと取り除き、1mにもなっていた葉を短く切った。
隣接する「カキツバタ」を駄目にしそうで気を使った。
球根は10個以上に増えていた。一汗かいた。
その方が天国にいるなら、「これからは、了解を得てから植えてね!除去するのに大変だったんだから…」と報告したい。

               
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「カサブランカ」が開花した

2016年07月27日 | ガーデニング
この所薔薇の花殻を随分摘んだので、何本かの薔薇は既に花がすっかりなくなってしまい、今は二番花の蕾を作っている最中だ。

昨日、黄色の「カサブランカ」が開花した。
香りが強いので、仕事をしていると庭中でその芳香を感じる。室内で飾ると、香りが強過ぎて嫌われるかも知れない。
白い「カサブランカ」は、まだ開花していない。

また、一昨日、宿根草の「桔梗」が咲き出した。いつの間にか7月末になってしまったのだから、桔梗が咲く時期が来たのだ。

 

沢山ある薔薇は、四季咲きの2番花が咲き出した。
この大き目の濃いピンク色の花を付けるつる薔薇は、私の庭に最初にやって来た薔薇だが、初めから名前が良く分からない。
二番花は、1.8m程枝が伸びた先端の随分高い所に花が咲いた。

もう一つ、このアプリコット色の小花を咲かせる薔薇は「パフ・ビューティ」で、良い香りもする。しかし、今冬、かなり傷んでしまい、一番花が少なかった。これは最後の一番花である。

 


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近所の猫にフンガイ

2016年07月26日 | 家庭菜園・市民農園
我が家は猫を飼っている家3軒の真ん中にある。
猫が常時5~7匹もいる隣家の猫には毎年悩まされたが、昨秋、60cmほどの高さのネットを敷地に張り巡らしてくれたので、滅多に我が家には来なくなった。
かなり以前にも猫の悩みを記事に書いた事があるが、今回は本当にフンガイして行動を起こしたのである。

6月に庭に種蒔きをし、3cmほどに大きくなったホウレン草の所で糞をされ、回りの土を蹴散らして糞の上に乗せ、隠していた。勿論、周りのホウレン草はかき回されて側に飛び散っていた。
仕方が無いので再度種を蒔いた。
今度は上に猫除けのプラスチックマット(棘が沢山あるので、その上には乗らないようだ)を3枚かけて置いた。
発芽して4cmほどに育ったので、そのマットを外した。それ以上して置くと、マットが外れなくなるからだ。
事件はその3日後に起きた。
また前と同じように糞をされて周り中引っ搔き回され、小さなホウレン草が蹴散らされていた。

今まで10年間、猫の糞害には我慢をして来たが、今回は限界だった。
最近見かけていた猫の家に行き、苦情を話す事にした。

その家では以前は表札にも猫の名が数匹分書いてあったのだが、今回行ったら戸主の名だけの表札になっていた。
その家の女性が玄関に出て来たので、今回の事、そして、10日程前には植えている長ネギの側に糞がたっぷりとあったので、「生で食べる事が多い長葱やレタス、トマト、セロリーなどの側にされ、銀蝿が集まって来て飛ぶのは不衛生だし、迷惑です。何とかして欲しい。」と話した。

するとその女性が「今飼っているのは3匹ですが、その内2匹は野良猫だった猫で、放浪癖が付いていてなかなか室内で排泄しないので、外に出していました。」と言うのだ。
そして「これからは外に出さないように、努力してみます。」と約束してくれた。
私からは、「別の家の様に猫が敷地外になるべく出ないように、高さがあるネットを張っては如何ですか。また、猫は柔らかい土が大好きみたいなので、敷地内にそういう場所を作ってはどうですか。」などと提案もして見た。

急に糞害がなくなるとは思わないが、多分これからは少なくなると思う。
近所との人間関係はこの先も長く続くので、本当に難しい。しかし飼い主に近所の人達の思いも知ってもらえたので、行動して良かったのではと思っている。

 
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庭の「クレマチス」

2016年07月24日 | 海外旅行「地中海地域」
庭に現在「クレマチス」は4種類ある。「クレマチス」も薔薇と一緒に植えると、薔薇を引き立ててくれる花の一つだ。
以前は「モンタナ系」が3種類あったが、冬場、残った長いツルを切らずに残すので、管理が面倒だった。それでそのほとんどを始末してしまった。

現在のは3年ほど前から植え始めた「ビチセラ系」「ジャックマニー系」など、秋に強剪定できる品種だ。
秋に伸びた弦を生え際の5~10cm上でカットして強剪定てしまうと冬場の管理が楽だし、春にまた新芽が出て来たら改めて支柱を立てて巻き付けてやればよいから安心だ。
ただ、花が小型な「クレマチス」が多く、庭で自己主張しないので目立たないという欠点はあるが、逆に他の花と馴染み易い所が良い様に思う。

 

赤い薔薇の側にあるのは、残していた「モンタナ系」のすぐ横に「ジャックマニー系」を植えたため、花が混じって咲いている。

      
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「ピエール・ド・ロンサール」の花びら数

2016年07月21日 | ガーデニング
雨が3日続いたため、今朝は花弁がべたついてしまったり、茶色く変色してしまった花が多く、2時間半かけて傷んだ花を除去した。今日もバケツ2杯半程になった。

そのついでに、特に雨に弱い「ピエール・ド・ロンサール」は花びらの数が多いからではないだろうかと思い、数えて見る事にした。

    

1個目の花は68枚、2個めの花は78枚あった。
たった1個の花に、折り重なった薄い紙のような花びらがぎっしりと作られているのだ。
その間に水滴が入ると、花が重くなって下を向く。重さに耐えられなくなった花びらが、一気に散る場合もある。
また、開花直前のボール状の大きな蕾がそのままの姿でカビたり腐ったりしてしまうこともある。

「ピエール・ド・ロンサール」の花は、とても美しいが、その美しさを保つ日数は決して長くは無い。
それに、年数が経つに連れて幹ががっしりと太くなる特徴があり、華奢な花には似つかわしくない幹だと思っている。

ついでにもう一つ、花弁が多そうな別の薔薇も数えて見た。こちらは62枚だった。やはり「ピエール・ド・ロンサール」には敵わなかった。

                

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昨年からの庭の新入り

2016年07月19日 | ガーデニング
今冬は降雪量が少なかったためか、「薔薇の木」が3本駄目になった。昨年は2本だ。
また何故か3年間多数の花を咲かせて楽しませてくれた「芙蓉」が枯れてしまった。
それで花好きの私は、園芸店やホームセンターの園芸コーナーに立ち寄ると、ついつい代わりの木や花に心惹かれて買って来て植えるのである。多分、それで満たされなくなった心の隙間を埋め合わせているのかも知れない。

まだ根が生育していないので花数も少ないが、そんな昨年から今年の新顔を紹介したい。
朝まで雨が降ったので、水が沢山残っている。
最後のは薔薇ではなく「立ち葵(ホリホック)」である。赤色、ピンク色、赤紫色、白色と並んでいたが、悩んだ末に黄色にした。周囲の花の色を引き立ててくれるのではと思っての事だが。

また枯れた「芙蓉」の後には、別の場所にあった「芙蓉」を掘り出して移植した。
開花前の木なので本当はこの時期の移植は駄目なのだが、「思い立ったら吉日」と考えた。それと、その夜は雨だという予報だったので、駄目にはならないだろうと思ったからだ。

予報どおり、昨夜から小雨が降り続く。今朝6時半の外気温は19度しかない。
(後で知ったが、最高気温も20度だった)
本州以南は真夏日だというのに北海道はどうした事だろうか。
薔薇達がしょんぼりと濡れている。

 

 

  
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この所、毎朝花殻つみ

2016年07月14日 | ガーデニング
前にも書いたが、一週間ほど前から、一斉に咲き誇ってくれたけれども最盛期の美しさを越えた花を1つずつ摘み取っている。
そのままにして置くと見苦しいし、花びらが散った後に種ができると木のエネルギーが消耗してしまうからだ。

摘んだ花殻は、毎朝バケツ2杯になる。他に水仙の葉も切り取っているのでコンポストが忽ち一杯になった。それで昨日は、昨年の花殻でできたコンポストの堆肥をビニールの肥料袋5つに移した。結構な労働で汗が流れた。
これでまた空のコンポストが2つできたので、今朝の花殻から入れている。
この自家製堆肥は、晩秋にバラやアスパラガスの根元にたっぷりと施すつもりだ。

花殻の下の小枝も10cm程度カットするので、それをコンポストに入れる際は微生物が分解し易いように剪定ばさみで2cm位にカットしている。そのため剪定ばさみが数年持たずに駄目になる。はさみの真ん中の合わせ金具が緩んで、切れ味が悪くなって来るのだ。
最近は切れない剪定ばさみでイライラしているので、近日中に新しく買って来ようと思っている。

この所のバラの写真だ。朝まで雨が降った日の朝に写した。
花びらが多い「ピエール・ド・ロンサール」(写真の最後)は、花に雨が溜まり易いためか傷む。
今年は7月に入っても当地は気温が低い日が続いているためか、例年よりも害虫が本当に少ない。それでも今日は黄金虫を2匹見つけた。白薔薇の花の中に潜り込んで、花びらを食べていた。

 

 

 

  


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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(15)

2016年07月13日 | 海外旅行「西ヨーロッパ」
≪近代芸術都市「ビルバオ」を見学≫(2)

②「グッケンハイム美術館」
「ビスカヤ橋」を渡った後、バスで「グッケンハイム美術館」に行った。
中には入らなかったが、周囲を散策した。
二階の広場に幾種類もの花を組み合わせて作った大きな「犬のモミュメント」があった。この美術館の象徴なのだそうだ。
二階入り口を入ると、軽食喫茶店があった。ビールも売っていた。



 

      
階段を下りて川沿いに美術館の敷地を歩いた。屋外にも近代的なモニュメントが置かれていた。ギターを弾いてチップを貰っている人が2人いた。



        
橋を渡って昼食のレストランに行く途中、自転車用のもある信号機を見つけた。珍しかった。
街角には大きなゴミ箱が並んでいた。仕分けするようだった。

 

今回の旅行でレストランで摂る最後の食事が出された。海の町らしく鱒、鱈、海老、烏賊などの材料で作った料理が美味しかった。小カップに醤油が沢山出されたので驚いた。

 

帰国便は「ビルバオ空港」から17時発のトルコ航空機だった。
まだ明るかったので窓側席を取った。「ビルバオ」を飛び立つと太西洋側の海岸線が分かった。
その後、飛行機は地中海に出、ギリシャの上空を横切って、約4時間後にトルコの「イスタンブール空港」に到着した。すでに真っ暗だった。

「イスタンブール空港」で3時間半待った後、成田行きのトルコ航空機に乗り換え、「成田空港」には11時間50分後の19時10分に到着した。
私はスーツケースを受け取った後、大急ぎでターミナル間バスに乗り、第一から第三へ移動。何とか成田発「新千歳空港」行きの最終便、20時20分発のバニラ航空に乗って北海道に戻り、その日の内に帰宅した。

今回の旅行は、ヨーロッパの大きな都市を避け、郊外の小さな町とピレネーの景観を楽しむことを目的としていた。予想以上に感動する事が多かった旅だった。
帰宅後、待った無しの草取りなどをしながらこの旅日記を書いたためすっかり時間がかかってしまったが、完成まで漕ぎ着ける事ができてホッとしている。読んで下さった方々はどんな感想を持っただろうか。

また、記事の写真の内、走っているバスから撮ったものは、ガラスの色がかぶる形で緑色が濃い写真に撮れている。

帰国数日後に、トルコの「アタチュルク国際空港」のフロントと荷物預かり近辺でテロ事件が発生した。
今回、往復で11時間も待機した空港だったが、乗り継ぎの私達の待機場所は空港の奥だったので、例えテロが起きたとしても、被害には会う確率は小さかっただろうと思うが、それでもショックだった。
確かに「アタチュルク国際空港」は大きいハブ空港で、空港内はイラン、シリア、イスラエル、ギリシャ、パキスタン、インド、アフリカ方面、ヨーロッパ方面の各国民族や各種宗教の色々な服装の人達が、大勢行き交っていたのだった。
(待ち合い場所の椅子のたまたま隣席に座った女性に話しかけた。イスラエルとイランの人だった。帰国時の2つ向こうのゲートは、パキスタン行きのゲートで、白い長着で白い円形帽を被った男性と白い長着とスカーフを被り、鼻の上から白い布を下げて目だけ出している女性達のグループで混雑していた)
それに続いて「パキスタン」でも、ジャイカの仕事に行っていた日本人7人が巻き添えになるテロ事件が起きた。
一日も早くこうした無差別なテロが起きなくなる世界を強く望んでいる。
                                (完 成)
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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(14)

2016年07月12日 | 海外旅行「西ヨーロッパ」
≪近代芸術都市「ビルバオ」を見学≫(1)

9日目は、朝9時に2連泊した「サン・セバスチャン」のホテルを後にして、バスは「ビルバオ」まで2時間走った。
「ビルバオ」は、スペインバスク州ビスカヤ県の県都で、人口35万人の町だ。
大西洋の「ビスケー湾」から「ネルビオン川」を19km上った所にある。1300年に「アロ5世」が町を建設して以降、スペイン北部の商業の中心地として発展した。
川を下った港からは、ビスカヤ地方の鉄鉱石が輸出され、19世紀になると工業化が成し遂げられて、スペインで2番目の工業都市ともなった。
今日では1997年に開館した「グッケンハイム美術館」に象徴される「近代芸術の街」として知られるようになり、また、1893年に「ネルビオン川」の最下流に掛けられた「ビスカヤ橋」は、珍しい運搬橋として2006年に世界遺産に登録された。

①「ビスカヤ橋」

この運搬橋は世界最古のもので、エッフェル塔を設計した「ギュスターヴ・エッフェル」の弟子の一人である「アルベルト・パラシオ」が設計したという。産業革命期の人類の創造的才能を表現する建築作品として、世界遺産に指定されたのだ。 
長さ164m、水面からの高さもある橋は水上貨物船の運航を妨げず、また長い大きな傾斜橋を作らないために考案され、世界的なモデルになったそうだ。
現在、一度に車6台と人300人を2分弱8分間隔で、24時間運行されている。

私達は「ポルトガルテ地区」の橋の傍でバスから降りて運賃を支払った添乗員から券を受け取った。
先ず、エレベーターで観光用に50mの高さに作られている歩道まで上がった。エレベーターは狭く、一度に5~6人しか乗れなかったが、晴天だったので歩道をゆっくり渡りながら眼下に見える景色を楽しめた。

 



        

「ゲチョ地区」に渡ったので、エレベーターで下に降りた。下に小学生の一団が見学に来ていて、教師の説明を聞いていた。
橋の下に小さなみやげ物店があった。「ビスカヤ橋」のキーホルダーが色々売られていた。2個買った。また、0.05€硬貨に橋の絵を自力で刻印する機械が置かれていた。費用は1€。刻印した。面白かった。



 

ツアーのグループが揃うのを待って、今度は運搬橋のゴンドラに乗った。あっという間に反対側に着いた。120年以上前から運行している橋には思えなかった。とても素晴らしい体験だった。


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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(13)

2016年07月12日 | 海外旅行「西ヨーロッパ」
≪「ゲタリア」のワイナリー見学≫

旅の8日目は、「サン・セバスチャン」のホテルを出て、大西洋が見渡せるワイナリーに行った。
この地域は山が多く雨が良く降ってブドウ栽培には適していないが、35k㎡の畑の葡萄棚を1.7mの高さにする事でそれを克服して来たという。
但し傾斜地にはトラクターが入って作業ができるように、低く仕立てていると話していた。



 

ここでは8本のステンレスタンクで15~20度の低温で葡萄を発酵させ、年間300万本のボトルを生産していた。
また、10日間-2度を保って炭酸ガスを液体化すると微少発泡性のある「チャコリワイン」ができる。それを52万本生産しているそうだ。
「チャコリワイン」の試飲をする事ができた。注ぎ方はグラスから25cm程の高さから注ぐと円やかな気泡が立つのだそうだ。中には買った人もいた。

 



見学後、「サン・セバスチャン」に戻り、街中を散策した。
フランスとの国境から20kmしかなく、ビスケー湾沿いの町「サン・セバスチャン」は、「ビスケー湾の真珠」と称えられる人口437000人の美しい町だ。
1489年大火災が起きた際、木造家屋が消失してしまったため、石材を使って復興した。
1808年にフランスのナポレオン一世によって占領されたが、1813年、イギリス軍とポルトガル軍が町を奪還した。この時の戦いで町は焼き払われたというが、その後町は再建されたという。
今は商業と観光業が盛んな町で、2016年の「欧州文化首都」に指定されている。

 

 

          



         

 
         

昼食後、夕方から自由に「バル」巡りができるよう近所の「バル」を見学した。
バスク地方には、赤ワインやビールを飲みながらオープンサンド風の小型料理のつまみ「タパス」として何種類かの「ピンチョス」を食べる習慣がある。
どの店も「ピンチョス」作りを始めていた。



私は大通をぶらぶらして、途中「ビスケー湾」に出て船の写真を撮りながら、50分後のバスの待合場所「市庁舎前広場」に行った。「市庁舎」は格式がある建物だった。



最後に「ビスケー湾」が見える展望台に行って、写真を撮った。

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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(12)

2016年07月11日 | 海外旅行「西ヨーロッパ」
≪「ピレネー山脈」を横断する≫

6日目、「ゴーブ湖」のハイキングの後、「ポン・デ・エスパーニャ」の町から1時間15分かけて「ピレネー山脈」のピンキングカーブを登って「マレー峠」を越え、「ピック・ドゥ・ミディ」の麓の町「ラ・モンジ」に下った。
2115mの「マレー峠」は「ツール・ド・フランス」の最も難関の峠だ。
途中、バスの車窓から見た石灰岩の山々の景観は素晴らしかった。これぞ「ピレネー」と感じた。
僅かに生えたばかりの若草を求めて、羊や山羊が斜面に散らばっていた。









「ラ・モンジ」は、スキーのメッカらしく、標高2877mの「ピック・ドゥ・ミディ」頂上へ上るゴンドラがある。駅舎の柱に日本語を含み3ヶ国語で書いた旗が掲げてあった。写真はその一部だ。

          

60~70人ほどの人達と1時間近く出発を待っていたが、電気系統の故障とかで残念ながらゴンドラは動かなかった。
標高差1077mを15分で頂上まで行って、360度の景色が何処までも広がる大パノラマを見てみたかったが仕方が無い。
(地図に私が記入した赤い⇒が頂上の「ピック・ドゥ・ミディ」だ)



バスの運転手が気を利かせてくれ、再度「マレー峠」まで戻ってくれた。峠でバスを下りて10分間ほど展望する事ができた。
「ツール・ド・フランス」のモミュメントとレストラン、土産店があった。風が強かったので、自分を写してもらったら髪の毛が逆立っていて可笑しかった。



 






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7月の庭

2016年07月09日 | ガーデニング
当地の6月は多雨と低温が続いたが、7月になっても気温が上がらず、本当に7月?と疑問になる様な低温の日が続いた。昨夜など靴下を履いているのに足が冷たくて、タオルケットを出して包み、TVを見た。
そのためか高温を嫌うバラは順調に生育して開花し、数日前から「バラバラガーデン」の雰囲気になっている。
(今日やっと25度位になったが、今夜から明日に掛けて、また雨の予報だ)

3日程前から、毎朝、花殻摘みに追われていて、今朝も2時間かけてバケツ2杯の花殻をコンポストに入れた。
2個用意したコンポストが忽ちバラで一杯になったので、明日からは庭の空き地に穴を掘って埋めなければならないだろう。そうしておけば土の中で分解し、来年の堆肥になってくれる筈だ。
開花後、最盛期を過ぎた花に種を作らせず、次の蕾が立ち上がってくるのを期待しながら、暫く、毎朝の花殻摘みはつづく。

次の写真は1週間前のものだ。



 



 

 

 

  
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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(11)

2016年07月09日 | 海外旅行「西ヨーロッパ」
≪生ハムの町「バイヨンヌ」散策≫

「ポー」から大西洋の「ビスケー湾」沿いにある町「バイヨンヌ」へ移動し、「聖エスプリ橋?」を渡り、旧市街で1時間ほど散策した。
「バイヨンヌ」はピレネー・アトランティック県の郡庁所在地で、バスク地方の中心都市である。
1152年、この町の女性領主だった「アリエノール・ダキテーヌ」がイングランド王「ヘンリー2世」と再婚した後、15世紀までイングランドに支配されていたという。

大きな「アドゥール川」に面して市場や独特な色の建物が並んでいた。




フランスの巡礼路にあるため世界遺産になった「サント・マリー大聖堂」があったので、ちょっと覗いて見た。
13~14世紀に建てられたというゴシック様式の聖堂で、85mの高さの2つの鐘楼があった。

 

 

教会の傍のスーパーに入り、オレンジジュースとミニトマトを買った。美味しかった。
またここは近郊で採れる唐辛子で味付けされた「生ハム」と、16世紀にポルトガルのユダヤ人が持ち込んだ「チョコレート」をフランス全土に広めた事でも有名な町。
精肉店を覗くと豚のもも肉で作った大きな生ハムが天井からぶら下がっていたし、レストランの昼食にもメイン料理として出された。(以前、北イタリアに行った時、生ハムで体調を崩した事があったため、残念ながら私は食べなかった。それで味は分からない)

           
町は1854年に鉄道が敷設されて、パリと結ばれた。

散策後は「バイヨンヌ」から近郊の「サン・ジャン・ドゥ・リュズ」の町にバスで移動した。
この町は大西洋に面している漁港として発展したが、今はリゾート地として有名だとか。
赤く塗った木組みの家が美しい。チョコレートや織物類の土産店が並んでいた。
有名だと教えられた「マカロンの店」には、この地方の名産の唐辛子が飾られていた。何でもチョコレートにも韓国の様に唐辛子味のがあるそうだ。
また、広場の前に立つホテルには、かって「ルイ14世」が滞在していた事があるらしい。



              



その後、バスは1時間で国境を越えて、スペイン側の港町「サン・セバスチャン」のホテルに着いた。






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海外旅行「ピレネー山脈横断の旅」(10)

2016年07月08日 | 海外旅行「西ヨーロッパ」
≪フランスの「ポー村」散策≫

ルルドのホテルを9時に出発して40分程で「ポー村」に着いた。
村にしては立派な駅があって電車が走っていた。駅には改札が無く誰でも自由にホームに出る事ができる。
添乗員が駅にトイレは無いと言っていたが、駅員に聞くとホームの端にあった。

この村には公衆トレが数箇所あるが、1人が入り、終ると自動的に水が流れて清掃するため、5分以上の時間がかかりなかなか扉が開かないのだ。近代的なトイレでもこれでは使い難い。
       

駅の傍に40m程の高台があった。その上に上がる無料の「ケーブルカー」に乗った。入り口に「フニクラ」と書かれていた。乗ると2分程度で上に着いた。


            
そこには結構大きい町があり、端には昔の「王宮」もあり、庭はフランス庭園になっていた。
また、昔使われたらしい大きな井戸が残されていた。
王宮内を見学もできたが、時間的に無理だったので止めた。

 



 

この「王宮」は、1553年12月13日「フランス国王・ナバラ国王アンリ4世」(ナバラ国王としての名は、バスク語で「エンリケ3世」だ)が誕生した宮殿だ。父親はブルボン家の「アントワーヌ」、母親はナバラ国女王「ジャンヌ」だ。
1589年「アンリ3世」が暗殺されると、フランス国王に即位した。
1598年、40年近い戦争を「ナントの勅令」を出して終結した功績が残る。
母親が「プロテスタント」だったので、彼は「カトリック」と「プロテスタント」を自ら政治的に渡り歩いた王でもあった。
1610年5月14日、56歳の時、急進的なカトリック信者によって暗殺された。
愛人が56人以上いたことでも有名らしい。

1時間自由行動だったので、渡された地図を見ながらぶらぶらした。村役場があったのでそこでトイレを借りた。
奇抜なデザインの「小型電気バス」が運行していた。
役場の向かいに「サンマルタン教会」があったので、入って見た。綺麗な村だった。曇っていたためか、ピレネー山脈は確認できなかった。
帰路は「ケーブルカー」に乗らず、脇の階段を下りてバスに戻った。


 
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