Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『十二月大歌舞伎 昼の部』 3等B席上手寄り

2007年12月15日 | 歌舞伎
歌舞伎座『十二月大歌舞伎 昼の部』 3等B席上手寄り

『鎌倉三代記』
4年前の雀右衛門さん、菊五郎さん、幸四郎さんの配役で初めて『鎌倉三代記』が面白いと思って、また見たいなと思っていた演目でした。この時とつい較べてしまって少々物足りなさが…。まあ雀右衛門さんはこの頃、最後の華を咲かせていた時期だったから。あの域に達してる赤姫を求めてはいけませんね。あんなに可愛らしくて、全身から三浦之助さまラブなオーラの時姫は今度いつ誰で見られることやら。

さて、今回、三浦之助の橋之助さんが半端なく美しかった。特に最初の出が、こりゃ期待大って感じでした。終始丁寧に演じてるし、ニンだと思うし、悪くない、むしろ最近の橋之助さんなかではかなり良い感じ。なんだけど何かが足りない。台詞かなぁ、なんだかきちんと状況が伝わってこないところがある。

時姫の福助さん、声がやられています~。風邪をひいて気管支をやられたと聞きましたが喉がまだ本調子じゃないみたい。あと、今現在の福助さんは時姫はニンじゃないかなあという雰囲気も。ただ、くどきの形、姿は本当に美しいのよ。福助さんの場合、時姫のような赤姫系はもう少し年齢いってからのほうが良い気がする。

藤三郎実は高綱の三津五郎さん、相変わらず上手いです。藤三郎のひょうきんな三枚目も似合うし、正体現してからの大時代な様式の形の綺麗さも見事。今回は高綱を古風な芝翫型で演じていらっしゃいます。珍しいな、という感じで、面白かったです。ただ個人的に三津五郎さんは技巧的な多見蔵型のほうが似合う気がします。高綱から巧緻に長けた策略家って感じがあんまり伝わってこなかった。


『信濃路紅葉鬼揃』
同じ能掛かり『船辨慶』の時よりは楽しめたかな。侍女を引き連れてるから絵面的に華やかだから、ってところで、ですが。前回の『船辨慶』同様、歌舞伎舞踊には消化されてない中途半端な感じ。能掛かりの良さが出てるとはちょっと言いがたい。玉三郎さんって、声質も動きも能は合わないと思うのよね。しなやかさを生かす方向での振り付けにしたほうが良いと思うのだけど…。それと鬼女になった時、かなり小さく見えた。鬘のせいかなと思ったけど、あの振り付けも合わないんじゃないかと思う。

それにしてもなぜ従者がすぐに引っ込むんで二度と出てこないのか?これがよくわからない。酒盛りのとこでも、侍女が上手にそのまま惟盛と並びでいたりでそれはちょっと違うんでない?と位置が変だったり。舞踊劇の「劇」の部分で納得いかない動きや位置があって…とりあえず舞踊ショーって感じでした。見せ場はあるけど、トータルの振り付けに納得いかない。

衣装は綺麗でした。侍女もそれぞれ違う色柄で個性あり。でも笑也さんと春猿さんが同じ橙色で隣り合わせに並ぶのでここだけバランスが悪い。違う色にできなかったのかしらん。笑也さん、久々に拝見したんですけどとても可愛い。あら?こんなに可愛いんだっけ?と思いました。

山神の勘太郎くん、さすがのキレ。やっぱ踊りが上手い。でも山神だけ衣裳も所作も台詞回しもあくまでも歌舞伎舞踊。ここだけいきなりえっ?なんで?という感じでした。


『水天宮利生深川』
この物語は明治という時代にうまくのっていけない元武士の家族の悲喜劇。貧乏で生活が立ち行かないまでに追い詰められた男の話なのでかなり暗いです。でも黙阿弥さん、やっぱり上手いよなあとまずは物語に感心する私。私は黙阿弥さんの時代描写、人物描写の視点がたぶん好きなんでしょう。本当によくその「時代」というものを活写している作家だと思います。そして「その時代」の端に生活する人々を拾い上げ、時にヒーローに、特に等身大に描く。

最近では幸四郎さんがやった演目ですね。世知に疎い元武士で品格はあるけど融通がきかず自分で自分を追い詰めてしまう、っていうキャラがいかにもニンというかピッタリで。それだけリアル感があって、陰々滅々「可哀相な暗いお話」だけにラストの無理矢理なハッピーエンドにホッとした記憶が。

そして今回は勘三郎さん。この方は芯が明るいし、柄からいっても元武士いう部分があまりなく世知に疎くて時代に取り残されてのリアル感はありません。この人なら、なんとか生活していけそう、という根の強さが感じられるのです。でも、あまりに陰々滅々な物語ってちょっと見るのが辛いので、そういう部分で世話物として気持ちよく観られ、気分が重くなく劇場を後にできるのは勘三郎さんのほうです。核になる役者が陽性なので長屋での隣近所同士の絆の強さとか、そういうものがクローズアップされ、ノスタルジィー性を感じさせます。今の世の中、勘三郎さんの芝居のほうが受け入れられるだろうな、と思いました。

勘三郎さんは自分の「陽」の部分をことさら強調することなく、台詞のひとつひとつを伝えようとする丁寧なお芝居でした。狂気に陥る部分も、勘三郎さんの身体の底には正気にいつか戻れるという強さが見えるためその言動のおかしさにかえって「悲哀」を感じさせる。また幸四郎さんだと変な怖さを感じさるのだけど、勘三郎さんのは「笑っても大丈夫」という救いがある。それと全体的に勘三郎さんがそこにいるだけで、周囲の人間との関係性や下町の空気が伝わってくる。やはり世話物の芝居の上手い人だと感じ入りました。

しかし狂気に陥る前の、追い詰められ子供に手をかけようとしてかけられないシーンで観客から笑いが起きるのは私には解せない。ここの幸兵衛@勘三郎さんの哀しみはしっかり観客は受け取るべきだろうと思う。