・ 減量コンビの演技が秀逸で、<人生は一度きり>に共感させられる。
「レイジング・ブル」でデ・ニーロがミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタを演じ別人のような増量をして以来、大幅な増減量でその人になりきることを「デ・ニーロ アプローチ」という。本作では主演のマシュー・マコノヒーと共演のジャレッド・レトがそれぞれ21Kg、18kgの減量で話題となっていた。必然性のある役柄とはいえ、それだけが先行して内容が伴わない映画もあるが本作は本物だ。
脚本を書いたクレイグ・ボーデンは、'92、主人公ロン・ウッドルーフを取材。「ダラス・モーニングニュース」に記事を載せたことがキッカケで映画化を企画したが実現せず、20年振りにその夢が叶った。監督は「ヴィクトリア女王 世紀の愛」(09)のジャン=マルク・ヴァレ。
'85、テキサスの電気技師でロデオ・カウボーイのロンは酒・ドラッグ・娼婦買いという、およそ常人とは程遠い生活の気ままな独身男。ある日、自分が最も毛嫌いしていたゲイが罹ると偏見のあったHIV陽性反応が出て、余命30日の宣告を受ける。
30代半ばで人生の終止符を打たなければならない男の運命は、生きるために必死な毎日へ変貌する。まずFDA(アメリカ食品薬品局)公認・臨床中のAZTを違法に入手し、それがダメなら国外へ特効薬と言われるクスリを密輸入。メキシコを始め、ドイツ、オランダ、デンマーク、中東、日本まで自ら出向いて行く。
最初は自分のためだったクスリを大量に仕入れ、金儲けのためにビジネスを企むところが破天荒というか逞しい。それがドラッグ・ディーラーと一見変わらない会員制組織「ダラス・バイヤーズクラブ」だ。
この流れでは本人に同情も共感も得られないドラマの進展だが、悪友たちが離れて行くなか、善き理解者を得てFDAを向こうに廻して闘うテキサスの男へと変貌する様が観客を共感の渦に誘い込んで行く。
善き理解者とは最も嫌っていたトランスジェンダーで、ATZの臨床患者で病院の同病床だったレイヨン(J・レト)。トランプで負けて以来の腐れ縁が、ビジネス・パートナーとなり最大の恩人でもある。金に困窮したとき、父親に金の無心をするため男装で必死に頼む姿がとても哀しい。挙句に金は工面してもらえず自分の生命保険を解約してくれた。死を恐れながら死んでいった最大の恩人を失って、ロンの行動も変動して行く。
金儲けのビジネスから、命を救うために「個人が命の選択肢を見つけるために薬を飲む自由」を主張してFDAに訴訟するまでに行動が昇華する。
現在でも、国と製薬会社・医師との薬の認可制度は何かと問題が多い実態を、改めて突き付けられた想い。善き理解者のひとりイヴ・サックス医師は、個人の倫理と法体制の狭間で葛藤する女性で、ロイが唯一手を出せなかった人。ジェニファー・ガーナーがオーバーな演技を抑え脇を支えている。
主演男優賞のM・マコノヒーは90年代の大女優の相手役から個性派に転じ、「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」(14)ではデカプリオ相手に怪演するなど、このところ目覚ましい活躍ぶり。今回も大減量もさることながら、微妙に体調の変化を身体全体で表現してキメ細かさも抜け目がない。
何より秀逸だったのはJ・レト。ミュージシャンとして活躍し俳優業は副業のようだったが、今回の妖艶な変貌ぶりは「蜘蛛女のキス」(85)でウィリアム・ハートが演じたモリーナを想わせる名演技だった。
途中、いきなり渋谷の風景が現れ、天然インターフェロンの先駆者企業であった岡山・林原のヒロシ博士が登場、怪しげな日本人として失笑を買ったが、本筋にはあまり影響しないのでご愛嬌として観過ごしたい。
C・ボーデンとメリッサ・ウォーラックのシナリオは、難病モノにはありがちな感動の嵐もなく、正義のヒーロー扱いの主人公でもないところに好感を持った。「人生は一度きりだから、今は必至で生きている気がしない。生きている意味がないよ。」と言うロンは、余命30日から充実の7年間を過ごした意味ある人生だった。クラブ・メンバーとともに拍手を送りたい。