異人たちとの夏
1988年/日本
お盆ドキに観るに相応しい惜別のドラマ
shinakamさん
男性
総合 80点
ストーリー 85点
キャスト 80点
演出 75点
ビジュアル 75点
音楽 80点
山田太一の原作を市川森一が脚本化、大林宣彦が監督した愛のドラマ。シナリオ・ライターでもあった山田の小説のなかでも「飛ぶ夢をしばらく見ない」とならんで映像化が難しいと思われた本作を、市川・大林コンビがどんな映画にしたのか?最大の興味あるところ。
妻子と別れ人生の再スタートを切った48歳のシナリオ・ライターが主人公。仕事は順調に見えても台詞も読めない若いタレントが主役のドラマづくりに嫌気がさした英雄(風間杜夫)は、生まれ故郷の浅草に足が向いて行く。そこで出会ったのは12歳のときに死別したはずの父(片岡鶴太郎)。当たり前のようにアパートへ連れて行かれ母(秋吉久美子)とも再会する。2人とも自転車の2人乗りで事故に遭い30代の若さで死んだそのままだ。
浅草は国際通りの浅草劇場はなくなってビューホテルに変わっても、路地を入ると36年前の面影は残っている。孤独感に苛まれていた英雄には亡き両親への想いが蘇り癒される唯一の場所となって行く。
このあたりは原作のエッセンスを巧みに取り入れスムーズにファンタジーな世界へ引きずり込んで行く市川のシナリオと大林演出のさり気ない緻密さが噛み合って好調な流れである。寿司職人の父を演じた片岡は、大林の抜擢に応え減量し活きのいい江戸っ子を好演、母を演じた秋吉は、男の子ならこんな母親が欲しいと思わせる下町の気さくさと包容力をもつ菩薩のようなヒト。夢のような幸せなひとときだ。
現実は仕事場だったマンションで孤独な独り暮らしに戻る寂しさは例えようもない。そんな部屋にシャンペンを持ってドアをノックする若い女性が現れたら...。
異人とは普通外国人(西洋人)だが、ここでは異界の人を指すらしい。心を残したままこの世を去った死者はなかなか成仏できないという。父はシナリオ・ライターは嫌いだといいながら「てめえで、てめえを大事にしなくて誰が大事にするもんか」と励ましてくれ、母は「あんたをね、自慢に想っているよ」と情感溢れる言葉を掛けてくれる。これで安心して成仏してくれるのかもしれない。ということはもう2度と会えないことでもある。<今半>で、すき焼きを囲む一家団欒での別れは秀逸で、山田・市川・大林のトリオががっちり噛み合った感動のシーンだ。
同じマンションに住む孤独な女性ケイ(名取裕子)と惹かれ合い恋人となるのは当然の成り行きでもあった。ファンタジーの世界と表裏一体にあるのがグロテスクな世界。英雄は昭和が終わろうとするひと夏に、その両方を体験することになる。ケイを演じた名取は、神秘的な謎の女性を演じながらグロテスクさを一手に担って損な役割になってしまった。このあたりの描き方は大林の独走ぶりが目立ち賛否両論があるが、両親だけでは片手落ちのファンタジー・ドラマとなって山田も不本意だっただろう。
両親や妻子など肉親との離別は必ずやってくるが、思いがけないときに本人の記憶が顕在化して、忘れ去られることはない。お盆ドキに観るに相応しく、<惜別のドラマに涙したり、妖しい世界に浸ることができる不思議な作品>である。
王将('48)
1948年/日本
伊藤大輔・阪妻の戦後復活作
shinakamさん
男性
総合 80点
ストーリー 80点
キャスト 80点
演出 85点
ビジュアル 75点
音楽 75点
サイレント時代劇の大スター阪東妻三郎と名監督伊藤大輔が戦後スランプを脱出した記念碑作品。新国劇で上演された北条秀司の戯曲を伊藤大輔が脚色した大阪の将棋棋士・坂田三吉の一代記。
無学ながらめっぽう将棋の強い三吉は通天閣近くの裏長屋暮らしで、本業の草履作りもそこそこに将棋三昧。女房の小春は娘玉枝を連れ何度も家出するが、無邪気な三吉を想うと家に戻ってくる。ある日対局した職業棋士の関根七段に負けて以来、関根に勝つことが生き甲斐となって他は目に入らなくなる。
実在の棋士・坂田三吉をモデルに大阪人の気質をフンダンに描き、さらに夫婦の情愛を見事に織り込んだ人情ドラマは「無法松の一生」(’43)と並んで阪妻の代表作ともなった。サイレントのスターらしくかなりオーバーな演技を上手く活かし、将棋一筋で邁進した男を愛情込めて描いた伊藤演出が冴えた作品でもある。伊藤はこの人物に余程惚れ込んで’55に辰巳柳太郎・田中絹代でリメイク(王将一代)。さらに村田英雄の大ヒット曲を主題歌にして三國連太郎主演で晩年までの三吉を描いてライフワークとも言える入れ込みよう。
小春を演じた水戸光子はどちらかというと山の手夫人が似合う風貌で本作のような恋女房役はイメージに合わないが、子供のような亭主を最後まで見捨てない善き妻を好演していた。娘の玉枝は父の将棋に名人に相応しい風格を願う大切な役柄。三條美紀は関西の雰囲気が感じられなかったが凛とした台詞が印象的。
ライバル関根には民芸の滝沢修がゲスト出演で、風格溢れる演技で阪妻を受け止めていた。
戦前、無声映画の大スターが戦後本作で頂点へ立ったという意味で邦画ファンには必見だ。
愛という名の疑惑
1992年/アメリカ
楽しめるB級サスペンス
shinakamさん
男性
総合 70点
ストーリー 70点
キャスト 80点
演出 70点
ビジュアル 70点
音楽 70点
「プリティ・ウーマン」で人気絶頂期のリチャード・ギアが精神科医に扮し、患者のユマ・サーマンの姉・キム・ベイシンガーに一目惚れして殺人事件に巻き込まれてゆくサスペンス。ウェズリー・ストリックの脚本をフィル・ジョアーノが監督し、製作総指揮にR・ギアの名が載っている。
前半は法廷ミステリー。患者の姉・ヘザー(K・ベイシンガー)は人妻で、マフィアの夫ジミー(エリック・ロバーツ)にはいつも虐げられている。魅惑的なヘザーに遭ったアイザック(R・ギア)は衝動的に関係を持ってしまう。そんなとき病的酩酊症という奇病をもつヘザーが夫をバーベルで撲殺して逮捕されてしまう。ストーリーはエロティックな場面を挿入しながら悲劇のヒロインに同情を誘う展開となり、彼女が罪に問われるかどうかがヤマ場となる。これだけでは物足りず、判決後次のヤマ場があり、ドラマは二転三転を重ね、主人公・アイザックは命の危険に遭遇する。この展開はミステリー好きならば想定できる流れで、これを裏切るかどうかが最大の興味だった。結果は期待どおりの流れでエンディングまで124分は少し間延びしてしまった。
サンフランシスコが舞台で灯台、らせん階段でのサスペンスといえばヒッチコックの「めまい」を連想させるが、オマージュとは言い難く、エンディングを盛り上げる舞台装置として使われたにすぎない。
R・ギアは製作に関わるだけあって役柄のイメージはぴったりだが、シナリオが粗く優秀な精神科医には見えない。「ナイン・ハーフ」でブレークしたK・ベイシンガーの魔性の女振りは、演技派への転換を見せようと懸命な演技も残念ながら空回り、ラジー賞にノミネートされたのは気の毒だった。出番は少なかったもののいいとこ取りしたのは、妹・ダイアナを演じたU・サーマンで長身と若さで魅惑をサラってしまった。
前半は暴力的な夫・ジミー役のE・ロバーツが肉体美と悪役振りで見せ場を作ったが、あっさり殺されてしまったのはあまりにも唐突な感じがした。ジュリア・ロバーツの兄として記憶に留める存在だが、出演作が多い割に役に恵まれていない。
他にもユーモアのある弁護士役にポール・ギルフォイル、敵愾心を持ちながら最後は主人公に協力する刑事にキース・デイヴィットなどが、シナリオ次第では主役級の扱いが取れそうな役でドラマを盛り立てている。
ラジー賞には主演女優賞以外に作品賞・脚本賞がノミネートされてしまったが期待が大き過ぎた裏返しだろう。冗長な部分もあるがB級サスペンスとしては充分楽しめる。
ローマ法王の休日
2011年/イタリア=フランス
邦題の功罪が半ばしたN・モレッティの最新作
shinakamさん
男性
総合 80点
ストーリー 75点
キャスト 80点
演出 75点
ビジュアル 80点
音楽 80点
「息子の部屋」から10年、ナンニ・モレッティの最新作は、カトリックの殿堂であるヴァチカンで繰り広げられる法王の選挙・コンクラーヴェで新法王に選ばれた枢機卿・メルヴィルの物語。
冒頭、前法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀の実映像が流れ厳かななか、参列する枢機卿たちの名が呼ばれるが名前を間違えそうになるシーンがあり、さり気ないユーモア感が漂う。
果して門外不出のコンクラーヴェはシリアスというよりシニカルなユーモアで進んで行く。
実際のヴァチカンは権力争いなどスキャンダラス続きで頭が痛く、本作に異論を唱えるユトリはなかったと見え何の干渉もなかったという。
本作でのコンクラーヴェは権力争いどころか誰もが選ばれないよう願うというパターン。密室での風景はまるで組合役員や学級委員を選ぶようで、ユーモアのなかにモレッティ独自の批判精神が見え隠れする。
聖職者とはいえ、ひとりの人間であり神の代理人である法王に相応しい人間が選ばれるべきだが謙虚で人の好いメルヴィルが選ばれたのは日本の首相選か?と見紛うばかり。
気弱な主人公を演じたのは86歳の名優ミシェル・ピッコリ。ゴダールの「軽蔑」、ドヌーヴとの共演「昼顔」、ヒッチコックの「トパーズ」など巨匠・名女優との共演は枚挙に暇がない。表情ひとつで胸の内を明かす率直さが微笑ましい。
イエルジー・スチュエル扮する法王庁報道官が独り奮闘し、何とか体面を繕う姿は政府高官や大企業の広報担当を連想してしまう。
N・モレッティが精神分析医で準主役として登場しているが、観客との橋渡しができない哀れなピエロ役を飄々と演じている。
法王は身分を隠してローマの街を彷徨うのでO・ヘップバーンの法王版のつもりでいると土俵際でうっちゃりを喰らう。原題はラテン語で「法王が決まった」。新法王が決まったときにいう言葉だそうであまりにもストレート。功罪半ばの苦心の邦題は「英国王のスピーチ」的エンディングを想像したN・モレッティを良く知らない観客にはエンディングで肩すかしを喰らいそう。
モレッティにはブレがなく、だからこそ一部の信者から「カトリックの教えを反映していない」というクレーム?を受けたのだろう。
チェーホフの<かもめ>の台詞やメルセデス・ソーサの「トード・カンビア」の歌詞がこのドラマの主人公の心の内を暗示している。