The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

人間不信は、自分が誰かに依存するから感じること。

2008-06-16 00:57:34 | Weblog
人間嫌いや人間不信とは、人間はこうである、と自分で定義してその通りではないため、自分が不満を持つってことではないのか?

そもそも自分の存在を社会に認めてもらう、つまり誰からも注目を浴びたいってのは、ほかの人間より変わっているからだと思う。変わっている部分が誰もが歓迎する部分であれば認めてもらえるけど、害になるなら排除される、という単純が構造ではにのだろうか? 害とは、社会や集団にとって利益にならないという意味である。

群れの中で生きるには、害になる特異点は排除されるかぁ。。。こうやって群れで種を淘汰しているんだろうか? 害になる遺伝子の特性とは何だろうか?
SF小説でマイナリティーレポート(F.ディック作)があるが、Bloodlineというか、外的要因なら遺伝子だけでは判断できないと思うのだが? それでも親族に殺人犯がいれば、殺人を犯す可能性が高いって判断するのか? 
人間嫌いや不信も犯罪を犯す可能性は高いのか?確かに攻撃的にはなるなぁ。
社会や集団の密度が高いと寂しさより、うっとうしさの方が多いように思う。
もっと放置して欲しいと自分もよく思う。しかし、昆虫や爬虫類が嫌いだから、森とか山にこもりたいとは考えないが、都会の孤独はその点快適だ。

み猿、いわ猿、きか猿は、日光東照宮の木彫りじゃないが、集団や社会において自己防衛のコツなのかもしれない。長いものには巻かれろとかいうのも、不満を持ってそれを誰かのせいにするような言動をするから、自ら行動しろってことだろう?
我慢とは違う。自己防衛をするか、改革のために覚悟して自立して行動するか。

人間不信や嫌い、と考えるなら、それを自分が受け入れればいいだけだ。社会や集団から出て行く覚悟がなければ長いものも巻かれる、という生き方、または改革のために一人で戦う覚悟をするかという選択しかない。中途半端だから悩むだけじゃないのか? 明日の天気が雨で自分の期待を裏切ったって自然をせめるのか?
人間という生き物は自分でも制御しきれない場合もあるのに、他人が他人を制御なんかできるはずがない。自分の思い通りの人間が欲しいならそれこそ君主論の国のリーダにでもなるとか考えるのか? 君主になっても裏切り者は出てくるだろうが。。。

青い鳥は、幻想ではない。現実の世に存在する自分の幸福だ。
友達が欲しい、恋人が欲しい、というのは人間不信でも嫌いでもなく、人恋しいという表現が最適なんではないかなぁ。心が傷ついたとしても、別に死因になることもないし、それを理由に自殺する必要もない。心の傷も体の傷と同じように時間がくれば治るもんだ。いつまでも気になるなら、それはちゃんとカウンセラーなどを利用すれば治る。数人の人間が自分を傷つけたからって、残りの人類すべてが同じってことは絶対にない。これだけは認識して欲しい。価値観や習慣が同じと自分でも決め付けないで欲しい。そもそも自分が特異点だって自分が認識すればいいだけであって、他人に認識してもらおうというのは、その特異点が社会や集団の利益でない限りは認めてもらえない。才能とかを言っているのではない。人と違う点だ。それは考え方や感じ方、体系などすべての面においてだ。人間にだけは言葉というコミュニケーションをする手段がある。これは集団、群れの中では重要な要素だ。だが、何も自分をさらけ出してコミュニケーションをする必要はない。あたりさわりのない言葉と態度って素晴らしい手段があるじゃないか? 嘘は抵抗があるかもしれないが、嘘ではなくあたりさわりのない、とぼけでもいいんだよ。白、黒をはっきりしないと気がすまない、なら、いい加減になればいいだけだ。白、黒をはっきりするってことは、覚悟しないと敵も多く作ることになる。つまり日々戦いみたいな状況になるので、いかに相手を叩き潰すか、という手段をたくさん学ばなければ、生き残れない。負けは自分そのものに心の傷だけではなく、相当なストレスとなる。そんな生き方を望むのか?

人間社会や集団はエデンの園ではない。生き残るためには誰かの足を引っ張ったりして、自分の獲物を獲得するもんだ。みんなで仲良く、もめごともなくってのはそれこぞ幻想でしかない。なのに大人は揉め事を起こさないで話会いとかを説教する。
コミュニケーションとか話会いでなんとかなるなら戦争は勃発しないと自分は思う。
つまり、揉め事を起こさないようにあたりさわりのない接し方をする、という意味だ。面倒な人とは深くかかわらない、口うるさい人も前では手を抜かないとか、人によって対応を変えるのもコツだ。つまりお互いがハッピーな状態が揉め事を起こさないってことになる。起こってしまったら、状況次第だが、謝って済むならさっさと謝ればいいし、文句をいい続ける相手なら聞いてるフリすればいいだけだ。
お前は馬鹿だ、と言われても自分は腹も立たない。だって「馬鹿というお前はどれだけ自分より賢いのか証明できないだろうが。」となる。これが上司だろうが、親だろうが同じだ。ひねくれている、とか反省しないとか、何を言われても動じない。
何故ならば、生きるのは自分であって、反省しないで困るならそれも自分の責任だからだ。自分が反省する必要があるかどうかは判断するのであって、自分の人生に責任のないものに言われても気にしない。ただし、子供時代の親は違う。子供に対して社会や集団で生きていくためを前提で説教をするので、これは生きるコツとして絶対に聞いて欲しい。大人になって無用と判断したても遅くはない。

自我が強いと集団では生きられない、と言われたことがある。しかし、生きている。犯罪も犯さずにだ。その分ストレスも多いのか、と言えば、そうでもない。
自分に直接影響しないことは、どうでもいい、と考えるからだ。哲学者になるなら考える必要もあるかもしれないが、残念ながら哲学者には向かないぐらいに自己中心な思考をする。社会や集団が自分を排除すると感じるなら、それはほとんどが被害妄想だと思う。犯罪でも犯して逃げてるとか、誰かに恨まれて追いかけられているとかじゃない限りは、心配しないでもいいのでは? それだけ一人の人間なんて存在が薄い。だから、あたりさわりのない態度も許されるのではないか? 
イジメも同じだ。ストレスで体調不良になtって、眠れないとか食欲がない、というなら、さっさと心理カウンセラーを探してカウンセリングを受ける。そこまでいかないなら、もっと自分で自分を信じて、愛してあげようよね。他人は所詮他人だ。助けてくれるなんて期待してはいけません。しかし、自分なら自分を助けられるんだよ。

今の日本のリーダを評価したいのは、国民の支持率最低、野党からは不信議案、外国からは「はっきりしない。」とか言われてもちゃんとやることはやっているでしょ。
すべてが国民の思うようになってないかもしれないが、これだけ酷評されてもがんばるリーダって素晴らしいじゃないか。見習う価値があると自分は思っている。
つまり、要は成果出せばそれがWinだってこと。

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