The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

汚職問題追及よりも経済政策および国防や治安維持の法整備を

2017-03-06 05:24:32 | Weblog
いくら追及したところで意味がない議題で、いったいいつまで国会は続くのだろうか。そんなに疑惑というのなら、国会で追及するよりも汚職疑惑ということで検察に訴えるとかすればいいだけだと思うのだが。つまり、違法性の根拠と証拠がないからだと思う。なんて税金の無駄なんだろうか。そもそも産廃ゴミを埋めるという点からしても、決して安いとは思えないのだが。安ければ、それだけ安全性にも疑問が出る。そもそもゴミ処理を決めるためにかかる費用、つまり計画立案だってただって訳じゃない。日本の悪い点は、こういった企画立案や見積もりは無料という感覚が異常なんだ。それがブラック企業を生む出す温床となっている。サービスは有料。労働条件の改善すら、国会で議論されないのだから、いかに日本国の労働組合は存在意味がないのがよくわかる。

一つには日本の労働形態で、契約時に職務に対しての詳細が記載されてないのだ。人件費コストが高いと嘆く経営者たちは、専門性のある労働者よりなんでもやれる労働者が欲しい、という姿勢が労働者の賃金を安く抑えているのだ。賃金とはそもそも働く内容によってコストは算出されるべきであり、そういった点からの賃金モデルがない日本。おまけに未だに会議には紙の資料を大量に使う。そろそろ紙からタブレットや電子ペーパーへの移行としてもいいはずだが。紙の資料はもっともリスクが高い。セキュリティー面から紙の方がデジタルデータより安全という人もいる。だが、デジタルデータの場合、暗号化することで暗号解読機の利用者を制限できる。複写も制限できるし、閲覧もだ。タブレットや携帯でさえ、バイオメトリック認証できるおかげで、カメラで本人のみか、周囲に人がいるのかまで確認もできる時代になった。政府はやっと省庁における情報管理をきちんとする気になったようだ。報道陣が自由に闊歩できる執務室なんて、スパイし放題と同じだ。役人も政治家も口が軽い人はリーダには不適切だ。失言なんて、所詮は個人の意見でしかないのだ。つまり、証拠にはなりえない。証言のみによる裁判での判断も同じで、人間の証言のみでは免罪を生み出す可能性が高いのだ。だから、ハードエビデンスと呼ばれる物理的な証拠が必要になる。

政治家の汚職を防ぐための最もよい方法は「電子マネー」のみの流通。現金だと記録に残らないが、電子マネーは移動を必ず記録するからだ。そういう時代には、美術品やら価値が高い品で汚職をやるのかもしれないが。おまけに今回のように払い下げだとか、天下りだとか、別にどうでもよい。きっかけがそうであっても、後にしっかり納税してくれればいい。そう。商取引で税金がかからない、というのは問題だ。一般ビジネスでもはじめは無料や激安で商品を売って、月々の使用量で儲ける方法がある。国有地の利用も同じ。しかし、どうして同じような案件がほかにあるのに、今回の学校だか、幼稚園しか追及しないのだろうか。国会で追及しているのは、激安で入手した土地で、そこの政治家が関与していたかどうか、という点なんだろう。だったら、ほかの案件だって、政治家が関与して、激安になった可能性だってありえる。そちらを追及しないのは、現政府を引きずり落とすことを目的としているだけなんだろう、と明確に目的がわかってしまうのだ。証拠のない追及は国会では一切取り扱わない、ぐらいの決断ができない議長や議会の運営が問題。ここで費やされるコストを考えると、野党はすべてを国会から排除し、無所属でまともな野党議員に入れ替えたい。政党政治のデメリットがまさにこれだ。
政党が目的を持って、政治家を集める。ただし、政治家の資質が劣化しているため、政治家それぞれが持つ目的意識が必ずしも政党の目的と一致してないのだ。勉強会たる名称が飛び交う政党もあるが、そんなもの今更やってもらっても困る。プロ意識があるのなら、常時、新しい情報に接するのが当然。そのための専門委員じゃないのか。

昔の国会では数字が常時、質疑応答に出てきていた。現国会にはそういった数字すら出てこないで、言いがかりばかりだ。法律の審議にしても、的外れな言いがかりばかりでうんざりする。さぞかし、政府は意味がない答弁で疲れ切っているのだろう。だって、質問がまともじゃないからだ。これで成果が出るとは思えないから、税金の無駄なのだ。

ヤジは一切禁止、ぐらいにしてもよい。人の話を聞いて、きちんと会話が成立するのならヤジもよいだろうが、まったく耳すら傾けない状況で、話しての邪魔をするヤジがとんでも議長は静止すらしないのだ。まずは議長更迭とし、人が話しているときのヤジは禁止でよい。これじゃ小学生にも笑われるのは当然。そんな連中がいくら正論を述べても誰も耳すら貸さないのだ。基本的なコミュニケーションすらできないで政治ができるはずはない。政治とは人と人のコミュニケーションによって治めることだからだ。

与党への不信任案があるのに、どうして野党の党首や議員への不信任はないのだろうか。あまりに酷い議員には不信任によって国会から追い出す必要はある。懲罰なんたらとは、こういった態度を許しているには何故なのだ?日本を劣化させているのは、国会の政治家たち全員であり、それを選択した我々日本国民が原因とも言える。いっそ、選挙で当選者と落選者の双方を選択できたら、とネガティブな実行もありえそうで怖い。
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