The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

ひたすら金をばら撒く日本の未来は世界のATM

2023-12-03 07:45:54 | Weblog
かつては技術支援こそが、日本にとって外交上の効果を出していた。今はその技術さえないから、こうやって金をばら撒く。どうしてエジプトやヨルダンへの支援金なのか。パレスチナ難民のためなだろうが、ますますイスラエル叩きの先導を切らせたいのだろうか。人質が解放され、やっとどうだったのかが世界に報道されるのかと思えば、それがない。おそらく残された人質の中には殺害された人もいるだろう。すでに報道された若い女性の話がある。しかし、反抗した男性の人質とかイカしている意味はないのだが、その行方すらわかってないのだ。ゆえに交渉するなら、本来は人質の生死と指名を公開させてもよかった。世間の流れは徐々にイスラエル非難からハマス非難に以降している。そりゃ世界中で恐怖を伴う圧力ともいえるデモを頻発するパレスチナの行動こそ、テロ行為そのものだからだ。同時にイスラエル人は攻撃された数が増えてきて、政治的問題ともなりつつある。この違いのポイントをある人は「イスラム教徒は自爆テロをするが、ユダヤ人は自爆テロはしない。」と。ここに民主主義国と民主主義よりも宗教が上位にある人間たちの集団との差がある。キリスト教もユダヤ教も宗教上の最上位には、指導する人間が存在する。イスラム教もいるのだが、世界で有名になるのは、ほぼ原理主義者の指導者。おまけに指導者に逆らえば、即刻、処刑となる。キリスト教もユダヤ教も改宗はできるから、無宗教という選択もできる。確かにこうやって考えると双方が歩み寄り共存できるかと言えば、難しい。確かに原理主義でない宗教指導者がいると異教徒たちと歩み寄り地球上で共存するために努力してる国もたくさんある。

さて、日本と言えば、自国の宗教である神道の扱いを見ていると、不思議で仕方がない。まず皇室は人と定義している割に宗教的儀式は継続されている。ならば、歴史ある神社を管理してきた一族は皇室ほど保護されてないのだ。まあ、迷信とかオカルトとかいうのではなく、神道における宗教上の儀式は日本中で実施されているが、この神社についても何故かランク付けされているのだ。祀っている神のランク付けするって、ある意味、考えると恐ろしい。祀られている神の中には祟り神もいるのだから。ある意味、宗教を重視してない国とも言える。なにせ、外国からの異教徒に「神社だけ優遇するのは差別」と言われて、あらゆる宗教を保護する羽目になったのだからだ。信教の自由はあれど、税金を使う対象で考えるのなら、自国の文化のみとするの好ましいと自分は考える。だて、日本の文化なので、他国のどこかの組織が保護なんてしてくれる訳ではないのだから。おまけに日本の皇室という存在を認める限りは、神道をきちんと保護しないといけない。ところが神社、仏閣を管理する省庁はあれども、ここも存在する意味なんてほとんどないのだ。日本文化としての保護を前提とするべき。つまり長崎のキリシタン歴史とか、関連する施設とかなどだ。新興宗教もいろいろ言われているが、さて、これを日本独自の宗教と指定するかどうか。人間を神として崇めるような宗教はいかがなものか。
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