かつて日本に原爆が二つも投下され、多くの犠牲者だけではなく、天主堂も破壊されたにもかかわらず、「恨んではいけない。反撃してはいけない。」のような言葉をカトリック信者に言ったにも教皇。大量虐殺兵器で一方的に民間人が殺されたにも関わらず、殺傷された信者への言葉はないのだ。キリスト教でさえ、こんなものだ。どんな宗教であろうが、人間の命を救うことなどできないと、いい加減人々は知るべきだ。そう、単に気分的に死を受け入れやすくなるだけで、奇跡があって助かるなんてほとんどない。
科学を否定する人たちは、奇跡が何らかの科学的な原因だとは絶対に考えないのだ。キリスト教も新教やカトリック、正教会と色々ある。その一部のグループは進化論を教育で教えるなと今でも反対しているぐらいにとんでもないのだ。イスラム教もキリスト教も同性愛を否定している。愛も結婚も本人たちの意思で選択であり、誰からも文句を言われる筋合いではない。日本なんて男女で結婚したとしても、子供は増えてないのだから、いかに異性愛の結婚のみ認めるって意味がないのか理解するべきだ。キリスト教もイスラム教も家族を基本とする教義だから、そりゃ異性愛じゃないと子供は生まれないからなんだろう。聖書によればイブが知恵のみを食べた罰で人は死ぬようになり、女は産みの苦しみを与えられる。日本の古事記だって、イザナギがカグツチの出産で死んだイザナミに会いにヨミの国に行く。そこで腐ったイザナミを見て、イザナミから数字はわずれたが「毎日何人死ぬ」と言われ、イザナギが「ならば毎日何人生まれてくるようにする」みたいなやり取りがある。つまり、神なんて人間は土地と動物たちと同じようにしか考えてない。だから教皇が信者であろうが、信者でなかろうが、大量に死のうが、運が悪かったと反撃しないで我慢させるために「試練」という言葉で覆い隠す。
宗教においては人間の意思なんてまったくどうでもいいのだ。だからあれこれ理屈で言いくるめる。
現実は今だ。その現在の問題を未来に先送りするとしても、未来は約束なんてされてたところで、今死んだらすべて終わり。未来の世界があるとすれば、それは違う世界なのだから。時間は複数の軸でできてると物理的な説明まであり、SF小説でも出てくる状況だ。昨今、ナノべで異世界ものが人気なのも、来世で幸せだろうが、そんなものは興味がない。現在の自分が幸せになりたいだけなのだ。だから今回、教皇の言葉に耐え難い腹立ちを感じたいのは、人質の生命なんて何も触れてない。たぶん人質になった試練に耐えたら、天国に行けるとか言いたいんだろうか、とツッコミたいぐらいバカらしい。テロにテロで返すなってことは、武力で攻撃されたら武力で反撃するなってことだ。
現在、武力で反撃すらできないチベットやウイグルがどうなったのか。これはもう生存競争における戦争であり、そこには宗教も道徳も関係ない。何のために生まれてきたのか。神が選んだというのであれば、どうしてこんな死ぬ方をさせるのか。この回答を誰もが納得できるだけの回答はないのだ。生きるとは個々それぞれが死にむかうまでにどう生きたか。人によっては神の試練で納得するだろうが、生まれてから難病で苦しみ生きてる人に試練だから仕方がないってのは、希望はないと言ってることと同じ。
イスラエルが最近になってやっと人質について、発言しだした。それでも世界は無視し続けている。まだ人質で人間の盾となっている家族を持つ人の心はどうか、教皇は知らないのだろう。宗教が違っても励ましになるような言葉ぐらい言えないのなら、キリスト教なんてやっぱり意味がない宗教だと言われるだけだ。いっそ、ハマスの幹部と話し合いして、人質ぐらい解放させるような行動もしないで「テロにテロで反撃してはいけない。」って、なんなんだか。せめて多くの死傷者が出ているのだから、今年のクリスマスはやめよう、とか言ったらすごいんだが。まあ、それは無理だとしても、静かに家族と過ごすだけで、パーティーなどはやめようってのなら言えそうなんだが。
どこの教会も人質の命とその家族の苦しみに対して何の言葉もないのがキリスト教。イスラム教と何も変わらない。愛とはやられぱなしで死んで、反撃して相手を傷つけないこと、と回答したらクリスチャン校の宗教はちゃんと評価してくれるんだろうなぁ。ゆえに今年は教会にいって聖歌を歌える気分じゃない。
科学を否定する人たちは、奇跡が何らかの科学的な原因だとは絶対に考えないのだ。キリスト教も新教やカトリック、正教会と色々ある。その一部のグループは進化論を教育で教えるなと今でも反対しているぐらいにとんでもないのだ。イスラム教もキリスト教も同性愛を否定している。愛も結婚も本人たちの意思で選択であり、誰からも文句を言われる筋合いではない。日本なんて男女で結婚したとしても、子供は増えてないのだから、いかに異性愛の結婚のみ認めるって意味がないのか理解するべきだ。キリスト教もイスラム教も家族を基本とする教義だから、そりゃ異性愛じゃないと子供は生まれないからなんだろう。聖書によればイブが知恵のみを食べた罰で人は死ぬようになり、女は産みの苦しみを与えられる。日本の古事記だって、イザナギがカグツチの出産で死んだイザナミに会いにヨミの国に行く。そこで腐ったイザナミを見て、イザナミから数字はわずれたが「毎日何人死ぬ」と言われ、イザナギが「ならば毎日何人生まれてくるようにする」みたいなやり取りがある。つまり、神なんて人間は土地と動物たちと同じようにしか考えてない。だから教皇が信者であろうが、信者でなかろうが、大量に死のうが、運が悪かったと反撃しないで我慢させるために「試練」という言葉で覆い隠す。
宗教においては人間の意思なんてまったくどうでもいいのだ。だからあれこれ理屈で言いくるめる。
現実は今だ。その現在の問題を未来に先送りするとしても、未来は約束なんてされてたところで、今死んだらすべて終わり。未来の世界があるとすれば、それは違う世界なのだから。時間は複数の軸でできてると物理的な説明まであり、SF小説でも出てくる状況だ。昨今、ナノべで異世界ものが人気なのも、来世で幸せだろうが、そんなものは興味がない。現在の自分が幸せになりたいだけなのだ。だから今回、教皇の言葉に耐え難い腹立ちを感じたいのは、人質の生命なんて何も触れてない。たぶん人質になった試練に耐えたら、天国に行けるとか言いたいんだろうか、とツッコミたいぐらいバカらしい。テロにテロで返すなってことは、武力で攻撃されたら武力で反撃するなってことだ。
現在、武力で反撃すらできないチベットやウイグルがどうなったのか。これはもう生存競争における戦争であり、そこには宗教も道徳も関係ない。何のために生まれてきたのか。神が選んだというのであれば、どうしてこんな死ぬ方をさせるのか。この回答を誰もが納得できるだけの回答はないのだ。生きるとは個々それぞれが死にむかうまでにどう生きたか。人によっては神の試練で納得するだろうが、生まれてから難病で苦しみ生きてる人に試練だから仕方がないってのは、希望はないと言ってることと同じ。
イスラエルが最近になってやっと人質について、発言しだした。それでも世界は無視し続けている。まだ人質で人間の盾となっている家族を持つ人の心はどうか、教皇は知らないのだろう。宗教が違っても励ましになるような言葉ぐらい言えないのなら、キリスト教なんてやっぱり意味がない宗教だと言われるだけだ。いっそ、ハマスの幹部と話し合いして、人質ぐらい解放させるような行動もしないで「テロにテロで反撃してはいけない。」って、なんなんだか。せめて多くの死傷者が出ているのだから、今年のクリスマスはやめよう、とか言ったらすごいんだが。まあ、それは無理だとしても、静かに家族と過ごすだけで、パーティーなどはやめようってのなら言えそうなんだが。
どこの教会も人質の命とその家族の苦しみに対して何の言葉もないのがキリスト教。イスラム教と何も変わらない。愛とはやられぱなしで死んで、反撃して相手を傷つけないこと、と回答したらクリスチャン校の宗教はちゃんと評価してくれるんだろうなぁ。ゆえに今年は教会にいって聖歌を歌える気分じゃない。