The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

コミュニケーションがダメな日本の官僚が日本国をダメにする

2014-01-10 23:07:51 | Weblog
BBC討論で中国大使の話し方は素晴らしい。突っ込まれた質問も来然と返し、顔も悪くない。反面日本国大使は苦虫を噛んだような不機嫌な顔で始終話す。内容よりも先ずは公的な話し方を教育するのが先だろう。中国側の方が好感度は良い。こんな失敗を繰り返したらいくら政治家が外交で正論を話そうが、好感度は上がらない。

日本の国語教育というか、日本語教育も同じで、コミュニケーションするため、という視点がない。作文も決められたような内容ばかりが評価され、自由な意見は無視される。考えにいろいろあって当たり前。だから議論の場、リサーチした内容の発表など、もっと増やさないと、いくら英語教育を英語でやっても使い物にはならない。意見は違ってる当たり前だからこそ、話し合いスキルとして、証拠を提示しつつ論理的に議論するスキルが必須だ。武力より話し合いというのに、ここまで議論するスキルがなければ先はくらい。

日本国は、公的なスピーチというマナーすらないのはいかがなものか。広報的な話であればなおさら、問題がある。これがラジオ番組の議論だとしても、英語がだめだとも言える。本当にこれが日本国大使かと思うと危機感が募る。人に聞いてもらえる話し方は簡単ではない。中学生レベルの英語学校ですら、話す速度、声色、どこがポイントなのか聞き手にわかるようにしろ、と何度もやり直しされる。平易な単語でわかりやすい構文で話す。

そろそろ尖閣諸島に対して、国策としての広報を徹底した方がいい。そもそも領土紛争がないという立場なら、そういった視点で後方しないと矛盾がある。竹島も同じ。外務省が各国語で動画を公開しているが、あの動画は果たしてどれだけの外国人が見るんだろうか、と疑問がある。むしろ、侵略されるまでの経過と現在の状況を広めるのに、消極的広報としての動画配信なのか。これでは日本人はみな引きこもりと言われても仕方が無い。
コミュニケーションとは相手に自分の意見を伝えること。公共放送で番組を作ればいい。勿論、議論の場も公開でやる。重要なのは視聴者にどちらが正しいかを見せることであり、事実だから世界の世論が支持する訳ではないことを認識して頂きたい。

自由と平等もいいが、近隣諸国から来日して反日活動する外国人が大学教授だとか、学生交流とかも再考せざる得ない。国内での外国人による政治活動は禁止のはずなのに教育現場でやることに危機感があってもいい。
これはどんあ思想も意見も教育者は中立という立場を厳守させる。私立は個性というが、限度がある。生徒が自由な意見を持って議論するのはいいが、教える側が押し付けるような教育は自由ではないからだ。自分の学校のために運動するという理由は、治安維持を前提の範囲を越えた場合は処罰も必要だろう。つまり生徒や父兄、授業時間での一切の活動を禁止する。政教分離には真剣でも教育と政治活動分離は実現できないのは何故だろうか。





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