The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

お互い様という日本の習慣

2014-01-23 15:40:51 | Weblog
米国大使が投げかけたつぶやきを、何も考えないで感情で反応する愚かしさを日本文化は持たない。そもそも靖国神社参拝も日本人の心の問題だとして、日本以外の国がイルカやクジラを単なる食料ではないという認識もまた彼らの心の問題。韓国が英雄とする伊藤博文初代首相の暗殺者も、韓国人の心の問題であり、日本は被害者としての心の問題。しかし、慰安婦問題だけは違い、事実ではない。否、正確には韓国側の日本軍関与と日本側が持つ証拠から見える事実の違いだ。これは並行するだけで韓国側が納得するのは、簡単ではない。事実を受け止めるには、勇気が必要だ。受け止めるなら、既存の価値観は崩壊する。これがどうゆうことか、考えて欲しい。

日本に永井隆博士という人がいた。The Bells of Nagasa 長崎の鐘の作者であり、医師。しかし、日本では彼の功績を義務教育で教えない。理由は彼がカトリック教徒だからだとも言われている。マザーテレサが来日した時にはメディアも騒いで、学校ですら騒いでいる国なのに、おかしなことだ。何故、客観的に自分とは違う価値観を受け止めないで、表面上の情報で踊らされるのか。多種多様という日本語がありながら、自分たちと違う価値観を否定して、共通点を見出すことすらできないのなら、話し合いなど不可能ではないのか、と問いたい。

人間には好奇心がある。特に島国という環境にある日本ではあれこれ興味がある事象が多い。だから、サブカルチャーとして新しい文化を生み出した。非現実から実際の技術を生みだす力も好奇心がなければできないと自分は思う。おもてなし、という日本語も相手を敬う気持ちが現れた言葉だと思う。お互い様とは、物理的に別れることができない環境だからこそ、善悪、勝ち負けという極端ではない双方にとって利益になる部分ぐらいはなんとかするしかない。ある意味、距離を置く関係が必要とも言える。

日本国が目指す平和とは何なのか。国益とは何なのか。世界への貢献として海外青年協力隊、自衛隊の平和活動をどう近隣諸国に理解してもらえるのか。世界には貧困による餓死、病死に加えて、な武力衝突による死者も多い。ODAは何のために存在し、その効果測定はどうなのか。経済大国、技術大国といわれている国が、ある意味過去に拘り摩擦を持つことこそ、社会不安を冗長してないのか。つまり、明るく楽しい未来が見えてこないから、こだわるだけではないのか、と自分は感じる。竹島、尖閣諸島問題も、海洋資源が絡むからで、現実には居住区としては適してない。ならば海を安全に利用するための条約やらを決めて守ればいいだけだ。それを守ることもできないのなら、協力する以前に断交となるのは当たり前だ。中国だって共同開発の取り決めをしてもあれこれ難癖つけて自分の所有とした事実もある。韓国も同じで竹島をどうしたのか。決して日本国から双方に侵略を進めたわけでもない。当事者国同士でさっさと国際裁判所で調停すればいい。共同管理をするためにも、決め事は守らないとできるはずもないと説明から始めて行けばいい。

話し合いができるようになるまでは、。当事者国同士の国民の行き来には、ビザを必須とする。法も決め事も守れない国からなら、観光者、学生だって歓迎ができない理由も説明してビザありに変更し、時間の経過を待つのが双方の国民が望むことだ。ー
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