ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫 1927年)

2015年05月26日 | 書評
スパルタに破れた後のアテナイの混乱期、「焚書坑儒」の犠牲者ソクラテスの裁判記録 第8回
--------------------------------------------------------------------------------
プラトン著 「ソクラテスの弁明」 (その4)
--------------------------------------------------------------------------------

刑量についての弁論
25、 有罪決定は予想通りだった。むしろ多くの票差がつくと思ってたのが、意外に僅差だった。30票の投票が違えば無罪放免になっていただろうし、アニュトスとリュコンが告発者に名を連ねてなければ、メレトスは5分の1の票数も得られずに罰金1000ドラクメを払うことになっていただろう。
26、 告発者は死刑を提議している。それに対して何を提議すべきか。何人にも善良かつ賢明になるよう説得することに務めてきた一人の貧しき国家功労者が受けるべき賞罰は、良きものであるべきであり、プリュタネイオン(役所、会議場、迎賓館・宴会場を兼ねたアテナイの中心施設)における食事がふさわしい。
27、 これは傲慢から言うのではない。自身は決して故意に不正を行ったことがないと確信しているが、それを諸君に信じさせるには時間が短すぎる。自身は不正を行っていないと確信しているので、(ましてや福か禍かも分からず恐れてもいないと述べている死刑にわざわざ対抗するためにあえて)提議する刑罰が思いつかない。投獄されて奴隷生活を送ればいいのか。罰金を払うにも金が無い。追放されてもその町々で同じことを繰り返すだろう。
28、 「追放先で静かな生活を送る」ことなど、自身にはできない。それは神命に背くことであるし、人間の最大幸福であり生き甲斐は、日毎、徳について語ることであり、魂の探求に他ならないから。金があればそれを罰金として提議するが、自身は一文無しである。銀1ムナぐらいは払えるので、それを提議したいところだが、プラトン、クリトン、クリトブロス、アポロドロスが罰金30ムナの提議を催促し、その保証人になってくれるというので、それを提議する。

----------------- (「刑量確定」の投票。結果、約360対140の多数を以て「死刑」が確定。)-----------------

(つづく)

文芸散歩 プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫 1927年)

2015年05月25日 | 書評
スパルタに破れた後のアテナイの混乱期、「焚書坑儒」の犠牲者ソクラテスの裁判記録 第7回
--------------------------------------------------------------------------------
プラトン著 「ソクラテスの弁明」 (その3)
--------------------------------------------------------------------------------

最終弁論
16、 「新しい弾劾者」(当裁判の告発者)及び「訴状」に対する弁明も終了、総論へ。自身(ソクラテス)や他の善人を滅ぼすのは、メレトスら告発者(新しい弾劾者)ではなく、むしろ大衆の誹謗・猜忌(旧い弾劾者)である。これまでもこれからもそう。それら大衆によって死の危険に晒される営みであっても、人は自身の持ち場を死をも厭わず固守すべき。
17、 ソクラテス自身は従軍した際にも持ち場を固守した。したがって、今も自身が神から受けたと信じる持ち場、愛智者として他者を吟味する持ち場を、死などを恐れて放棄することはできない。それをしてしまうことこそがむしろ、神託の拒否、賢人の装い、神の不信の罪であり、法廷に引き出されるに値する。死が人間にとって何かを知る者などいないのに、死を恐れることも賢人を気取ること。したがって、アニュトスの「ソクラテスを死刑にするか、放免して子弟を一人残らず腐敗させるかの二者択一」という意見はともかく、今回放免と引き換えに姿勢変更を求められたとしても、自身はこれまでの姿勢を変えない。自身は諸君よりも神に従う。そうした人々には「偉大なアテナイ人が蓄財・名声・栄誉ばかりを考え、智見・真理・霊魂を善くすることを考えないのは恥辱と思わないか」と指摘する。自身は「神に対する私のこの奉仕に優るほどの幸福が、この国において諸君に授けられたことはいまだかつてなかった」と信じている。それは身体・財産よりも霊魂の完成を顧み、熱心にすることの勧告、徳からこそ富や善きものが生じることの附言に他ならない。いずれにしても、放免されようがされまいが、自身の姿勢は一切変わらない。
18、 諸君が自身(ソクラテス)を死刑に処するなら、諸君はむしろ諸君自身を害することになる。自身(ソクラテス)にとっては、死刑・追放・公民権剥奪は、正義に反するという大きな禍に比べれば大したことではない。自身(ソクラテス)は自分のためではなく、諸君のため、諸君が神からの賜物に対して罪を犯し、容易に見出すことのできない自身(ソクラテス)のような人物を失ってしまうことがないようにするために弁明している。長年、家庭を顧みず、貧乏も厭わず、何人にも家族のごとく接近し、無報酬で徳の追求を説くような行為は、人間業ではなく神の賜物。
19、 自身(ソクラテス)が国事に関わらない理由は、幼年時代から現れる「ダイモニオンの声」にある。常に何かを諫止(禁止・抑止)するために現れるこの声が、政治に関わることに抗議する。この抗議は正しく、実際、自身が政治に関わっていたら、既に死んでいただろう。本当に正義のために戦うことを欲するならば、公人ではなく私人として生活すべき。
20、 政治に関わることの危険性に関する2つの例示。唯一の公職経験である評議員時代、ペロポネソス戦争中の紀元前406年におけるアルギヌサイの海戦後の将軍10名に対する違法な有罪宣告に対し、一人反対したことで演説者・大衆の怒号を受けたエピソードと、三十人政権下の紀元前404年、サラミス人レオンを処刑のために連行することを一人拒否して家に帰ったエピソード。
21、 自身は公人としても私人としても態度を一切変えなかったが、公人として政治に携わることが少なかったから、長い歳月生きながらえることができた。誹謗者が自身(ソクラテス)の弟子と呼んでいるクリティアスやアルキビアデスに対しても、譲歩したことはない。自身は何人に対しても、報酬を受け取らず、貧富の差別なく、試問・問答を行なってきた。いまだかつて誰の師になったこともなく、誰に授業を授けたこともない。
22、 自身の仲間となっている人々は、賢明とうぬぼれている人々が吟味されるのを楽しむ。しかし、自身は神からの使命としてこれを行なっている。自身が青年を腐敗させているのなら、その中で既に壮年に達した人々、その家族・一族がここに復讐に来てなければおかしい。ここにもその仲間(クリトン、リュサニヤス、アンティフォン、ニコストラトス、パラロス、アディマントス、アイアントドロス)の子息・兄弟がいるが、彼らはむしろ自身(ソクラテス)を援助している。
23、 弁明として言いたいことは言い終えた。諸君の中には涙を流して嘆願哀求したり、同情をひくために子供・親族・友人を多く法廷に連れ出そうとすることを期待していた者もいるかもしれないが、自身はそうはしない。自身にとっても、諸君にとっても、国家にとってもそれは不名誉なことだから。
24、 裁判官(陪審員)は、国法にしたがって事件を審理しなくてはならない。メレトスの訴状の通りであるか否か。自身は告発者たちよりも堅く神々を信じ、最も善い裁判が成されることを諸君と神々に委ねる。
------------------(黒石・白石による「無罪有罪決定」の投票。結果、約280対220、すなわち30の票差で「有罪」が決定。以下、刑量を巡る弁論に移る。)-------------

(つづく)

文芸散歩 プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫 1927年)

2015年05月24日 | 書評
スパルタに破れた後のアテナイの混乱期、「焚書坑儒」の犠牲者ソクラテスの裁判記録 第6回
--------------------------------------------------------------------------------
プラトン著 「ソクラテスの弁明」 (その2)
--------------------------------------------------------------------------------

メレトスとの質疑応答
11、 「旧い弾劾者」に対する弁明終了、続いて「新しい弾劾者」(当裁判の告発者)に対する弁明へ。訴状の内容「青年を腐敗させ、国家の信じる神々を信じず、新しき神霊(ダイモニヤ)を信じる」の検証。まずは「青年を腐敗させ」の部分から。告発者メレトスは青年の善導に本来無関心なのに、熱心であるかのように装っている。
12、 メレトスへの質問開始。メレトス:青年の善導者は「国法」、人間では「裁判官(陪審員)、聴衆、評議員、民会議員全員」「ソクラテスを除く全てのアテナイ人」すべてが青年の善導者であるという。ソクラテス:馬の場合ならそう答えないはず、調馬師以外の大多数が一緒に躾けたらかえって悪くする、青年も一緒、これでメレトスの青年善導への無関心が暴露されたと反論した。
13、 メレトス:人は自分を益する善人よりも自分を害する悪人を欲すること(青年たちが自ら望んでソクラテスを欲したこと)は「ない」、ソクラテスが青年を腐敗させたのは「故意」だと糾弾。ソクラテス:メレトスの言い分では、自身(ソクラテス)は青年を害し、青年からも害されることを故意に行なっている愚者になってしまうが、そのような者はいない。自身(ソクラテス)は青年を害さないか、無自覚かのどちらかであり、いずれにしろメレトスは嘘を述べている。また、自身(ソクラテス)が無自覚に青年を腐敗させているのなら、自身(ソクラテス)にそれを教示・訓誨すれば済む話なのに、それをせずに不当にも処罰のための裁判へと引き出した。
14、 メレトスの青年善導に対する無関心は明白。次に「新しき神霊(ダイモニヤ)を信じる」の部分に話題移行。メレトス:ソクラテスは国家の認める神々ではなく他の新しい神霊(ダイモニヤ)を青年に教えて腐敗させている。ソクラテス:それは「アテナイ以外の神々を信じる」ということか、それとも「無神論者」ということか。メレトス:ソクラテスは後者の「無神論者」であり、「太陽を石、月を土」と主張する。ソクラテス:それは哲学者アナクサゴラスの主張だと皆知っている。メレトスこそが実は高慢・放恣な無神論者であり、この訴状もそうした青年の出来心ゆえに思える。メレトスの訴状・主張は(「ソクラテスは罪人。神を信じないが故に、しかも神を信じるが故に。」という)矛盾を孕んだ謎かけのよう。
15、 メレトス:「神霊の働き(ダイモニヤ)は信じるが、神霊そのもの(ダイモニス)を信じない者」など「一人もいない」、また、神霊は「神々そのもの」か、「神々の子」と「看做している」。ソクラテス:その言い分では自身(ソクラテス)は「神々を認めないで、神霊(神々)を認める」ということになり、謎かけ・冗談のよう。メレトスがこのような訴状を起草したのは、我々を試しているのか、自身(ソクラテス)を陥れる罪過に苦慮した結果かのどちらか。

(つづく)

文芸散歩 プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫 1927年)

2015年05月23日 | 書評
スパルタに破れた後のアテナイの混乱期、「焚書坑儒」の犠牲者ソクラテスの裁判記録 第5回
--------------------------------------------------------------------------------
プラトン著 「ソクラテスの弁明」 (その1)
--------------------------------------------------------------------------------

「ソクラテスの弁明」は文庫本にして65頁ほどの短編であるが、訳者によって33節に分かたれる。登場人物は70歳の被告ソクラテスと告発者の一人メレトス(告発者は他に手工者・政治家代表のアニュトス、演説家代表のリュコンの二人がいるが、登場しない)の対話(ダイアローグ)と、ソクラテスの弁明(モノローグ)の部分からなる1幕の劇である。33節からなる劇の展開の荒筋は以下である。
導入
1、 告発者は素晴らしい弁論を行ったが、そこには真実が全く無いこと、自身は演説もうまくないし、裁判にも不慣れなこと、言葉遣いではなく内容が真実であるかどうかのみに注意を払ってほしい
2、 自身に対する二種類の弾劾者の区別。すなわち、風聞を撒き散らすアリストパネス及び顔の見えない大衆(旧い弾劾者)と、今回の裁判の告発者(新しい弾劾者)の区別。そして、まずは「旧い弾劾者」側の言い分に対して、弁明する。
3、 「旧い弾劾者」側の言い分の検討。「不正・無益なことに従事、地下天上の事象を研究、悪事を曲げて善事と成し、他人に教授する」が事実無根であることを、まずは聴衆へと訴えかけ。
4、 同時に「人を教育し謝礼を要求する」というソフィスト的風評も否定。自身はソフィストの術を持ち合わせない。
裁判に至るまでの経緯
5、 自身に対する名声・悪評の理由。それは一種の智慧である。しかしそれは告発者・風評に言われるような超人的智慧ではなく、人間的智慧である。その説明の端緒として、デルポイの神託所で自身(ソクラテス)が最も賢いと言われたエピソードを披露。(以降、9まで一連の話が続く)
6、 上記の神託の検証のために、賢者と世評のある政治家と対話を行ったエピソードを披露。相手を無知だと感じ、その説明を試みるも憎悪される。自身も無知だが、それを自覚している(無知の知)だけ、相手より賢いと考える。更にもう一人の世評のある人物を訪ねたが同じ結論だった。
7、 その後も順次、様々な人を憎悪されながらも歴訪。その結果、世評のあるうぬぼれた人々はほぼ全て智見を欠いており、むしろ世評なき分をわきまえた謙虚な人々ほど智見が優れていた。政治家の次に、様々な詩人を訪問したが、政治家の場合と同じく、自ら語る内容の真義については何らの理解もなく、特定の才能を以て他の事柄も知り尽くしている智者であるかのようにうぬぼれていたに過ぎなかった。
8、 最後に手工者を訪ねた。彼らもその分野、熟練した技芸においては智者であったが、詩人と同じく、そのことをもって他の事柄に関しても識者と信じていた。こうして一連の歴訪を終え、神託の名において、これまでの自身のように「智慧と愚昧を持たずにあるがままでいる」のがいいか、彼らのように「智慧と愚昧を併せ持つ」のがいいか自問し、前者を選んだ。
9、 こうした行為の結果、自身には多くの敵が出来、多くの誹謗が起こった。また、相手の無知を論証する行為を見ていた傍聴者は、自身(ソクラテス)を賢者と信じるため、名声も広まった。しかし、真に賢明なのは神のみであり、この神託は人智の僅少・空無さを指摘したものであり、神が自身(ソクラテス)の名を用いたのはあくまでも一例に過ぎない。「最大の智者は、ソクラテスのように、自分の智慧の無価値さを悟った者である」と。この神意のままに自身は歩き廻り、賢者と思われる者を見つけてはその智慧を吟味し、その濫用・うぬぼれがあれば神の助力者としてそれを指摘する。この神への奉仕事業のため公事・私事の暇なく、極貧に生活している。
10、 また、富裕市民の息子たちが自身(ソクラテス)を模倣し、その試問によって無知を暴かれた人々も、「青年を腐敗させた」と自身(ソクラテス)に憤った。またその批判内容の無さに窮したあげく、哲学者批判の常套句である「地下天上の事象を~」といった批判も併せて自身に向けられることになった。こうして詩人代表のメレトス、手工者・政治家代表のアニュトス、演説家代表のリュコンの3名が告発者となり、今回の裁判が起こされた。

(つづく)

文芸散歩 プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫 1927年)

2015年05月22日 | 書評
スパルタに破れた後のアテナイの混乱期、「焚書坑儒」の犠牲者ソクラテスの裁判記録 第4回

序(4)
 本書は100頁ほどの小文庫本で、プラトンの対話篇である「ソクラテスの弁明」と「クリトン」の2篇を含む。ソクラテスの最後を描いた3部曲として、「ファイドン」と併せ読むべきであろう。プラトンはソクラテスの生と死において哲学者の何たるかを体得したものと考えられる。ソクラテスの説くところはソクラテスの行為によって哲学(知を愛する)フィロソフィアとなった。「ソクラテスの弁明」においてプラトンはソクラテスがいかに生き、いかに活動したかを考え、「クリトン」、「ファイドン」において死に臨む態度によって後世に影響を与えたソクラテスの姿を描いた。「ソクラテスの弁明」においてプラトンはソクラテスの行動の正しさを証明しようとする。師が不正にも神々を信ぜずアテナイの青年を腐敗せしめたという罪名の下で死刑を宣告されたが、実はソクラテスが深く宗教的な人であり、青年を向上させるたことを示すとともに、法廷でソクラテスがいかなる精神で自らを弁明したかを描ている。「クリトン」は死刑の宣告ががあって、獄中で脱獄を勧めるソクラテスの親友クリトンとの対話を描いている。そうして個人と国家との関係を論じた(ロックの社会契約論にもつながるテーマである)。ソクラテスの弁明に草稿があるわけではなく、本質的にソクラテスの即興でなされたものである。おそらく一語一語正確な速記録はなかっただろうし、プラトンの記憶に基づいて再構成されていることであろうが、プラトンによって字句以上の真実が一層明確になった。「ソクラテスの弁明」と「クリトン」はソクラテスの死後間もなく書かれたものと推測される。したがって「弁明」に書かれている事態はほぼ正確に記されていると思われる。内容において最も深い意味においてソクラテスその人の行為と解せられる。偉大なる魂と強大な意志はソクラテスそのものであろう。毀誉を顧みず攻撃を恐れず、是非を明らかにし自由に自分の所信を言って実行する人、仮借なき試問追求によっていたるところで人間を吟味し、その似非知識を摘発し、しばしば他の自尊心や虚栄心を傷つける人が、煩わしい邪魔者として毛嫌いされることは火を見るより当然の成り行きであった。正義の代弁者面をして他人の言動を攻撃する人はいつの時代にもいるが、当然爪弾きされ疎外されるだろう。ソクラテスの精神は当時の大衆からは理解されなかった。当時の上流階級の青年の啓蒙的要求に応じて現れたのはソフィストすなわち「知恵の教師」であった。彼らはよそ者で報酬をもらって(家庭教師のように)ギリシャの都市を遍歴した。重視したのは政治的教育、とくに修辞弁論術であった。弁論の最高目的はプロタゴラスのいうように「無力な議論を有力な議論とする」ことであった。相対的に一時的にも論争に勝てばいいのであって、真理探究とは無縁であった。そのようなソフィストの代表としてソクラテスはみなされた。アリストファネスの喜劇「雲」はソクラテスらを批判した喜劇である。このような誤解が広がったとはいえ、ソクラテスは70歳に至るまでその活動を禁じられた形跡はない。一転してソクラテスを弾劾の対象にされたのは、「30人政権」が共和派によって倒された後、共和政復古主義が蔓延し、ソクラテスは「30人政権」協力者とみなされたのである。新教養主義は神への不信心からおきるとされ、プロタゴラスらはアテナイ市を遁れたが、アテナイに生まれ育てられたソクラテスは移住しなかった。アテナイ人は危険思想の教師を懐疑論の故をもって弾劾した。ソクラテスは無神論者ではなく、熱烈なる理性信奉者であると同時に、宗教的神秘主義者であった。彼の心霊の研究はアテナイ人にはこれを新しい神の導入、許すべからざる僭越とみなしたのであろう。ソクラテスはアテナイ生まれの生粋のアテナイ人で、ソフィストらのごときよそ者ではないし、若いころは3度従軍して勇敢な兵士であることを示したという自負をもっていたことで、特別にアテナイへの愛着が大きかった。彼は決して政治の世界に入ろうとはせず、統治の任は識者に任せるべきだという見解を持っていた。衆愚政治ではなく賢者の統治を説いたため、「30人寡頭政治」を覆した民主主義者にとって敵と見えたに違いない。ソクラテスに対する誤解と憎悪が長い年月に徐々に形成されていったようである。500人の市民陪審員を集めた公開裁判の結果死刑の判決の下ったソクラテスはなお30日間獄中で生き延びた。この期間に脱獄するように説いたのが幼少時代からの親友クリトンであった。にもかかわらずソクラテスは友の忠言に従わなかった。脱獄したのでは日頃の自分の言説(理性・知への愛 国家と社会契約説)に反することであり、アテナイをこよなく愛するソクラテスにどこへも行きたい場所はなかった。そして70歳余の歳からして、命を惜しむこの世への執着はなかった。このように自己の信念のために死を選んだ。国家に反する個人的な正義感は選択しなかった。社会契約説において反逆の権利を想定したロックの思想とは異なっている。法の決定が個々人の意思によって左右されるような国家は、一日たりとも存立することはできない。これはゲーテの「法に従え」を連想させる。ソクラテスは市民の義務を果たすために生命・財産の価値には無頓着に国法に服従した。ただし精神的問題については理性の是とするところ、また神の命ずるところに従った。

(つづく)