ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 藤沢令夫著 「プラトンの哲学」 (岩波新書1998)

2015年05月06日 | 書評
西洋哲学の祖プラトンが説くイデア論の意義 第8回

第4章 「汝自身を引きもどせ」 反省と基礎固め(後期作品集より)(その2)

「パルミデス」でイデア論の弱点を突かれたプラトンは、イデア論の基礎を固めるために哲学の求知をソクラテスの流儀に従って「知識とは何であるか」に戻って問いなおすため、次の著作「テアイテトス」を著した。哲学の基礎である認識論の古典をなす著作であるといわれる。対話篇でソクラテス(70歳 刑死直前のころ)がテアイテトスに投げかけた問いは「知識とは何であるか」である。それに対し対話相手のテアイテトスは「知識とは感覚(知覚)にほかならない」と答えた。これはプロタゴラス説すなわち「各人が知覚している性質は、その通りに各人にとって実在する」という。不変のイデアはないとして、そして「万物は流転する」というプロタゴラスの言葉に結実する。プロタゴラス説は、イデア論にとって知識(思惟によるイデアの把握)と知覚は相反するという命題に相容れない説である。プラトンは各人の知覚の相対性は、イデアすなわち実在に対応しているのだという方向で考えた。そのためには知覚とはどのようにして成立するのかを見なければならない。目に見えない物は実在しないという「物主義者」に対する反論を用意した。知覚と知覚される物は対応して成立する。知覚される物は知覚より先に存在するのではなく、「知覚の因果説」を否定するのである。主語+述語の関係(個物+性質)構造の把握方式は、ひいてはX主語は抹消されなければならない。プロタゴラス説の知覚の相対性は各人の知覚が同等に真であるという説になり、「誰の判断でもすべて真」ではそこには価値が存在しない。「国家」の太陽の比喩でも、「あらゆる知覚的判断は価値的な判別である」が裏書きしている。ヘラクレイトスの流転性テシスに対しては、性質Fの一定性がなければ議論にならないので却下される。以上のように「テアイテトス」は、近くを分析して物的実体の直結する「このものX」を消去するとともに、知識が成立するための最低限の経験をイデア論抜きに(先に見据えて)析出することができた。このものを主語に立てる「分有」の記述に代えて、「知覚される性状はイデアφを原範型とするその似像である」という似像記述方式を確立した。

(つづく)