ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本光雄著 「アリストテレスー自然学、政治学」 (岩波新書 1977年)

2015年05月18日 | 書評
万学の祖アリストテレスの神羅万象の知識学  第8回 最終回

第2部 政治学 (その3)
弁論術:

 ソクラテス・プラトンはソフィストの弁論術を激しく攻撃して「何も知らないものが弁論の術をたくましくしても無意味である」と言いましたが、アリストテレスは学問の術として評価しています。弁論術はギリシャ人の自由な弁論を愛好する素質にマッチし、民主主義の発展に応じて発達した経緯があります。裁判、民会で自己の主張を、大衆に納得させることは政治の術として有効な手段となり、「修辞学」とも呼ばれています。弁論のそれぞれの類には別の言語表現が必要であり、文字的言語表現と討論的言語表現は異なり、裁判的表現と民会的表現は同一ではない。弁論術には討論的に適した表現に加えて演技的なものも付け加わる。アリストテレスは弁論術を定義して「弁論術とはそれぞれに対象に関して可能な説得の手段を観察する能力である」という。用途に応じて説得の手法は異なるのである。弁論による説得の手段は立証である。弁論には問題・事件の提起と、証明・立証の2つの部分からなる。弁論によって弁論者が信頼に足る人物であると聴衆に思われることが必要で、聴衆を一時的にもある感情の内に誘導しなければならない。そして証明することによって得られる立証である。三段論法がその最たる手段であろう。しかし弁論家としては専門的知識で述べるわけではなく、人々に共通の言葉で、共通な常識を心得ていればいい。弁論家は専門家である必要性はない。弁論術で使用される論理的証明には、論理学の帰納と推論に相当する、有利な例とそこから結論導き出す弁論術的推論である。弁論術的推論とは多くの場合前提は「たいていの場合そうである」式の蓋然的前提である。格言、例、比較、寓話などの手法が用いられる。言葉巧みに小道具を引き出しから持ち出して、例というものから結論を引き出すのである。弁論要素は①語り手、②語られる対象、③語りかける相手(大衆)の3つからなる。法廷的弁論では正と不正、民会的弁論では利益と損害、演技的弁論では美と醜が語られ、聴衆がそれを真理と思い込ませることである。例えば正と不正に付いt語るとき、それぞれの特殊な命題トポスを心得ておかなければならない。いわゆるTPO的な命題でアリストテレスは「共通なトポス」として4つを、エンテュ-メ―マーのトポスを28、ただそう見えるだけのトポスを9つ類別してあげている。アリストテレスらしい徹底したカテゴリー癖である。弁論者は信用にたると信じ込ませるには、証明以外に思慮と徳と好意の3つがある。聴衆が最終的に判定するわけであるが、その判定は聴衆が陥り易い感情によって左右される。弁論者は聴衆の怒り、恐れ、情け、義憤、妬みなどの感情をコントロールしなければならない。聴衆の性格を心得てその心に火をつけなければならない。

(完)