ブログ 「ごまめの歯軋り」

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山本光雄著 「アリストテレスー自然学、政治学」 (岩波新書 1977年)

2015年05月12日 | 書評
万学の祖アリストテレスの神羅万象の知識学  第4回

第1部 自然学 (その2)

自然学の基礎概念
 自然的事物は自らの内に運動と静止の原理という自然を持つということから、まず運動という概念から入ろう。運動をかなり広くとらえて、①移動、②性質の変化、③量の変化、④生成・消滅を含む事物の転化とする。死して運動(転化)の定義を「可能なものとしての限りにおいて、可能なものの完全実態」という。①移動が第1、②性質の変化が第2、③量の変化が第3の順序で重要であるという。運動においては①運動するもの、②運動させるもの、③運動する時、④運動の始端から終端を考えなければならないという。文法でいう運動の語尾変化みたいな羅列である。5W1Hを考えろということで、実体、場所、性質、量はアリストテレスの「カテゴリー」に属する。移動には直進的運動と円環的運動の2つの型があるが、アリストテレスは無限の直進運動は考えられないので円環的運動(天体)の方が優先するという。円運動は終端という者がなく、無限、永遠、完全であるという如何にもギリシャ的思考を示している。アリストテレスは運動の場や時間というものを何を説明していない。個別物体の定義である「場所を占有する」を、「包むものの第1の不動の限界、これが場所である」という。あらゆる自然的諸事物のつつまれる場所は共通の場所と言われる。場所はそれは物体ではない。物体を離れては場所もない、だから空虚な場所も考えられない。原子論者らは物質の運動のために空虚な場所を主張したが、アリストテレスの空虚否定論はさらに抽象的空間論である。むしろ論理学の範疇になる。そして時間は運動ではないが、運動なしには時間は考えられないという。つまりカテゴリーとしての空間と時間である。今の相対性理論では光の運動が時間であるが、アリストテレスは「より先と後に関しての運動の数が時間であるから、だから時間は運動ではなく数を持つ限りでの運動である」と巧妙な定義をする。天体の運動の数は観察によって可知的である。もし霊魂(理性)以外には本性状数えることができなければ、霊魂が存在しない限り時間の存在は不可能であることになる。時間は天体の運動と同様、永遠であり、無限であり、終わることがない。アリストテレスは「気象論」の序文において、①「自然学」、②「天体論」、③「生成消滅論」、④「気象論」、⑤「霊魂論」、⑥「動物誌」と動物関連 と言った自然学の体系を示した。そしてそれは上の著作集の自然学著作の順序となって記されているとおりである。①「自然学」については上に述べたので、②「天体論」には、従来の四元素説に加えて、第5の元素(第一元素)としてのいわゆる「アイテール」(エーテル)と、それに支えられた宇宙の円運動、「アイオーン」としての宇宙の唯一性・不滅性、地球が宇宙の中心で静止しているとする「天動説」等が述べられている。アリストテレスはアイテールを第1の元素と呼んだが。これは物体なのか、空間なのか、天体神というイデアなのかよくわからない。エムペドクレスは土、水、空気、火を4元素として挙げたが、元素が相互に転換しうるためには、さらに共通な第1質料を想定した。今でいう素粒子論の豊饒さと統一理論の関係にあるようだ。地球は下から上に土、水、空気、火という階層からなり、その上の天空には天球がアイテールの中にあるという階層構造を考案した。日食、月食から地球は球形で有限でそれほど大きくはないと考えた。「気象論」は地球の地上・大気圏における気象現象について述べたもののsw、星座、雲、雨、雷、風、地震などの項目からなる。天文学から地質鉱物学まで含む分野である。これらをアリストテレスは「蒸発物」(乾いた、湿ったの2原理)という火(熱)を質料因とし、太陽を起動因とする気象現象を述べた。

(つづく)