tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

終戦記念日に寄せて

2011-08-15 19:14:02 | 本棚の中から
今日8月15日は終戦記念日です。
この終戦記念日に大きく関わりを持った、最後の禅僧といわれた山本玄峰老大師のことを書いて見ようと思います。


山本玄峰老大師の本

玄峰老大師は、紀州の湯の峰温泉の近くで生まれ、生まれると直ぐに子供が多いいという理由で、縁の下に盥を被せられ放置されていたそうです。男の子であったため、子供の無い岡本家に引き取られ育てられました。
家のためよく働いたそうですが、眼の病に冒され治療を続けても完治に到らず、神仏に祈願する事を思い立ち、四国八十八ヶ所の巡礼に出かけ、7回目の巡礼の時に、高知県の雪蹊寺の前で行き倒れとなり、住職の山本太玄和尚に助けられ、そのまま仏門に入られたそうです。しかし、目も見えず、読み書きも知らないという状態であったため、それはご苦労されたそうです。

昭和20年4月の戦争末期に、鈴木貫太郎氏という政治家が老師を訪ねてこられ、その時に老師は戦争の終結を進言されたそうです。その1週間後に鈴木貫太郎氏は総理大臣になり、戦争は終結へと大きく梶を切ったといわれております。

8月15日の玉音放送の内、「耐え難きを耐え 忍び難きを忍んで・・・」の有名な一節は、鈴木貫太郎氏と老師が話された時に老師の言葉をそのまま引用されたそうです。

また、新憲法の制定の時も、当時の政府関係者ガ相談に訪れ助言を求められたそうです。その時老師は、「天皇が政治に関わると、妙な狐が現れるから、天皇は、大空の太陽のごとく、象徴でいいのではないか」といわれたそうです。

老師の言葉通り、天皇は、日本国の象徴となったのです。

本の中で、印象的なところは、「力をもって立つものは、力によって滅び、金で立つものは金に窮して滅ぶ。ただ、徳あるものは永遠に生きる」と常にいい、「だから陰徳を積みなさい」といっていたそうです。
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