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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

多文化共生妨げ「天皇の臣民」つくる「元号」

2021年04月10日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    

 前回のブログで「日の丸・君が代」に対する無抵抗が何をもたらすか考えましたが、「元号」にも同様の危険性があります。
 前回触れた福山市の「学校教育を考える市民・保護者有志」の市教育委員会への申し入れには次のような内容もありました。
西暦記載の卒業証書を希望する児童・生徒には、その思いをかなえてください」 

 「元号」は日常生活にあふれ、その弊害に気が付きにくくなっていますが、実際に生活上被害を受けている人びとがいます。在日外国人の人たちです。
 先日、市の日本語教室の講習を受けました。その中で、災害時に地域の外国人に分かりやすい日本語で情報を提供することが重要だとし、強調されたことの1つが、「元号は西暦に言い換えること」です。元号は外国人には理解できず、緊急時の情報に使うことは禁物だということです。

 もともと元号は、「皇帝は空間のみならず時間をも支配する」という古代中国の専制君主制をまねたものです。明治藩閥政府は1868年に「一世一元制」を制定し、「国民が天皇と結びつけないでは時間を意識し表現することができず、したがって天皇から一日もはなれていられないようにした」(井上清著『元号制批判』明石書店1989年)のです。
元号制は、国家神道、天皇と結びつけた祝祭日制度、教育勅語による教育、「日の丸」「君が代」の強制、皇国史観の強要等々と一体となり、日本国民を天皇の臣民として強力無比に統合していった」(同)のです。

 「元号」は「日本国民」を「天皇の臣民」として統合しただけでなく、植民地支配の強力なツールとなりました。
 帝国日本は朝鮮、台湾の植民地において「皇国臣民の誓詞」を唱和させ、現地民族の信仰・慣習の一切を否認し、民族の言語と歴史を学ぶことを禁止しました。「同化政策・皇民化政策の苛酷さ、間さを象徴するものが、皇紀と年号の使用の強制」(遠山茂樹「元号法制化の本質」、永原慶二・松島栄一編『元号問題の本質』白石書店1979年所収)でした。「政治的に支配するだけではなく、思想・信仰の内側にまでふみこんで支配する天皇制の特質的機能のシンボルが、元号の本質」(同)なのです。

 その戦前の元号制度が1979年の元号法制化によって復活し、政府・自治体によって生活の隅々で事実上使用が強制され、無意識のうちに「天皇の臣民」化がすすめられている。それが今日の日本の実態です。

 「元号」は「日の丸・君が代」と一体となって、侵略戦争・植民地支配の加害の歴史を隠ぺいし、多文化共生を妨げ、今日的植民地主義を再生産しています。その強制に抗い、無意識に使用する思考停止から脱却し、廃絶へ向かうことは、今に生きる私たち日本人の責務です。


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