アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「普天間爆音訴訟判決」の根本問題は何か

2016年11月21日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊

    

 命を縮める騒音をまき散らす米軍機の飛行差し止めと損害賠償を求め、住民3417人が提訴した「第2次普天間爆音訴訟」の判決(17日、那覇地裁・藤倉徹也裁判長)は、騒音や低周波音が「日常生活の妨害」や「健康上の悪影響」をもたらすことを認め、被告の国に総額24億5826万円の損害賠償を命じました。しかし、肝心の「飛行差し止め請求」は却下しました。

 この判決から私たちは何をくみとるべきでしょうか。

 判決が「飛行差し止め請求」を却下した根拠は、「1993年、厚木・横田基地訴訟で最高裁が提示した『第三者行為論』。訴訟の当事者は国民であり、第三者である米軍の行為を国は止める権限を有しないという論理」(18日付沖縄タイムス社説)でした。

 では「第三者行為論」の根源は何でしょうか。それは判決文自体に明記されています。

 「日米安保条約及び日米地位協定によれば、本件飛行場の管理運営の権限は、全てアメリカ合衆国に委ねられており、被告(国)は、本件飛行場における合衆国軍隊の航空機の運航等を規制し制限することのできる立場にはないと評価せざるを得ない。よって、本件差止請求は、被告に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものであるから…判断するまでもなく(却下)」

 ここに米軍基地をめぐるアメリカと日本政府と日本国民の関係がはっきり表れています。憲法が保障する国民の基本的人権が米軍基地によって侵害されても、日本政府は米軍基地になんの権限もないから、裁判で政府を訴えても無駄、というわけです。「日本は米国の属国である」(島田善次原告団長、17日付琉球新報)とはこういうことです。

 重要なのは、このように日本をアメリカの属国にしている法的根拠が、「日米安保条約及び日米地位協定」であることを判決自体が誇示していることです。

 判決に対し弁護団(新垣勉弁護団長)は、「民主主義国家としてあるまじき事態で、司法の自己否定である」とし、「日米両国政府に対し…『静かな夜』を実現させるよう強く求める」という「弁護団声明」を出しました。それは当然の主張ですが、ただ司法を批判したり日米政府に要求しているだけではいつまでたっても事態は変わりません。

 今回の判決は、米軍基地被害をなくするには、「第三者行為論」の根拠であり、そもそも米軍基地が存在する根拠であり、日本を属国にしている日米安保条約(地位協定の法的根拠も安保条約)自体を廃棄する以外にないことを、改めて示したのではないでしょうか。

 しかし、「本土」の新聞やテレビは、相変わらず「日米安保条約」については口をつぐんでいます。全国紙は判決に対する社説すらありませんでした。
 一方、沖縄タイムスの社説にも「日米安保条約」の文字はありませんでした。琉球新報の社説(18日付)は「本判決は結果的に日米安保条約を上位に、基本的人権を保障する憲法を下位に置いた」と正当に指摘しながら、そこまで言いながら、日米安保条約を「廃棄すべきだ」という主張は見られませんでした。

 日米安保条約がどんなに住民・市民のいのちと暮らしを侵害し、平和と基本的人権の憲法に反しているか。今回の判決のように身近で具体的な問題に即して明らかにしていく必要があります。そうでなければ、いつまでたっても「日米安保支持8割」という「世論調査」の虚構は崩せないでしょう。

 
 


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