アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「朝鮮学校無償化排除」提訴から7年

2020年01月23日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

      

 7年前の2013年1月24日、日本の現代史で忘れてはならない裁判が始まりました。高校無償化制度から朝鮮高校(全国10校)が排除された差別・人権侵害に対し、愛知朝鮮高校と大阪朝鮮高校の生徒・卒業生たちが、提訴に踏み切ったのです。

 つづいて、同年8月1日に広島朝鮮学校、12月19日に九州朝鮮高校、14年2月17日には東京朝鮮高校が提訴し、全国5つの裁判所で争われてきました。

 裁判は現在、大阪、東京が敗訴決定(19年8月27日最高裁上告棄却)、愛知が19年10月3日二審敗訴(名古屋高裁)で最高裁に上告中、広島(広島高裁)、九州(福岡高裁)で控訴審継続中です。

 朝鮮学校の生徒・卒業生たちが提訴に踏み切らざるを得なかった、無償化排除の経過を振り返りましょう。

 2010・2・21 「高校無償化法」成立(2010・3・31)直前、民主党政権の中井洽・拉致担当相が「拉致問題」を理由に朝鮮学校を除外するよう川端文科相に要請。
 同・2・24 鳩山由紀夫首相が朝鮮高校の除外を示唆。
 同・11・5 文科省が「検討会議」の報告(同8月)をもとに「支援金支給規程」を公布。
 同・11  朝鮮高校が「規程」に基づいて申請書類を提出。
 同・11・24 申請直後の「延坪島砲撃事件」(11月23日)を理由に、菅直人首相が朝鮮学校が提出した申請の審査凍結を指示。
 2011・8・29 菅首相が退陣前に審査凍結解除を指示し審査再開。
  以後  「産経新聞」などが「朝鮮学校無償化反対」キャンペーン。
 2012・12・26 第2次安倍晋三内閣成立。
 同・12・28 下村博文文科相が朝鮮学校の無償化排除を表明。
 2013・1・24 愛知、大阪の朝鮮学校生徒・卒業生が提訴。

 朝鮮学校無償化排除は、「拉致問題」「延坪島砲撃事件」という子どもたちには何の関係・責任もない政治問題を口実に、民主党政権がストップをかけ、安倍政権がここぞとばかりに政権発足2日目に決定した差別政策です。

 親、教師たちは当初から不退転でたたかう決意でしたが、提訴は「不安や迷い」を乗り越えての決断でした。

 「『朝鮮学校の誇りと存在をかけて裁判はするべきだ』という合意は保護者や生徒、卒業生を含む学校関係者の間で、比較的早期にできていた。しかしながら、いざ、本当に提訴となると、『裁判に訴えたところで、朝鮮学校の主張を裁判所が聞くだろうか』『裁判に負けてしまったら、朝鮮学校はどうなるのだろうか』という不安、また、まだ将来がある子どもたちが原告となることで、『将来に影響はでないのか』『親の仕事に影響はないのか』、さらに排外主義が広まる日本で原告たちの安全をどう保障するのか等々、様々な不安と迷いが出された。

 そして、何よりも、本来ならば、日本社会や大人たちが解決すべき問題に、若い生徒・卒業生たちを巻き込むことへの強い抵抗もあった。それまでにも、生徒たちは部活動や自分の時間を削って、何度も街頭にたち、無償化適用を訴えてきた。これ以上、かれらの貴重な時間を無償化適用運動のために使わせていいのだろうかと、保護者たちや支援者たちは悩んだのである。

 これら不安や迷いが全て払拭されたわけではない。しかし、原告たちは『自分たちの権利は自分たちで守る』と提訴を決断したのだった」(山本かほりさん・愛知県立大学、在日総合誌「抗路」2015年9月号)

 そもそも多くの朝鮮の人々が日本に住むようになった主要な原因は、日本の植民地支配です。その在日の人たちが子どもたちに民族教育=自国の言語・歴史・文化を学んでほしいと私財を投げうってつくったのが朝鮮学校です。

 それに対し日本政府は尊重・援助するどころか、逆に無償化から排除するという露骨な差別で攻撃し、日本の司法がそれに追随しています。朝鮮の人々に対する日本(政治・司法・社会)の二重三重の差別・人権侵害が「高校無償化排除」の本質です。

 その解決、差別政策をやめさせることは、まさに私たち日本人の責任です。提訴から7年の今、そのことを改めて肝に銘じなければなりません。


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