宮中の新年恒例行事とされている「歌会始」。今年は18日に行われました。その起源は鎌倉時代とも言われていますが、「一般国民」も歌を寄せるようになったのは明治時代から。入選者が皇居の儀式に参加するようになったのは敗戦後の1947年からです。
短歌に興味がない人には無関係と思われるかもしれませんが、「歌会始」が持つ政治的役割はけっして軽視できません。
今年の徳仁天皇の歌は、「コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み」。3年連続「コロナ禍」がテーマです。時々の政治・社会情勢に関係した天皇・皇后の歌には濃い政治性を持つものが少なくありません。
たとえば、2016年「歌会始」の明仁天皇(当時)の歌は、「戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ」。15年4月に太平洋戦争の激戦地だったペリリュー島を訪れたことを詠んだもの。父・裕仁の戦争責任を隠ぺいしたまま、「慰霊・平和の天皇」を印象付けるものです。
2006年の「歌会始」では、美智子皇后(当時)が、05年に阪神・淡路大震災10周年で神戸を訪れた時のことをこう詠みました。「笑み交はしやがて涙のわきいづる復興なりし街を行きつつ」。すでに大震災からの「復興」が成し遂げられているかのような歌です。
「近年の歌会始の天皇・皇后はじめ皇族たちの作品を一覧してみると…さまざまな配慮、バランスをもって構成されていることがわかる。…大震災後…いくつかの短歌作品が折に触れて発表されることによって…根本的な復旧や復興、問題解決の困難から一時的にでも逃避させる機能を担ってはいなかったか。これは、皇族方個人の善意とは全くかかわらないところでの政治的役割を果たしているにちがいない」(内野光子著『天皇の短歌は何を語るのか』御茶の水書房2013年)
「歌会始」の政治的役割は、天皇や皇后の歌の内容だけではありません。
「歌会始」には「召人(めしうど)」といわれる、天皇が指名する詠み人がいます。今年は小島ゆかり氏でした。
歴代の「召人」には、湯川秀樹、谷崎潤一郎、金田一京助、南原繁、飯島宗一、梅原猛、大岡信、谷川健一、加賀乙彦氏ら、「民主的」とみられている学者・文化人が数多く含まれています。
「歌会始」はこうした学者・文化人を、「召人」として天皇に従わせ宮中儀式に取り込む役割を果たしています。
さらに、応募された歌(今年は1万5005首、1人1首)は都道府県ごとに仕分けされ、天皇に差し出されます。「歌会始」は、短歌を通じて「国民」を天皇の下に集結させる場にもなっているのです。
宮内庁御用掛で「歌会始」の選者でもある永田和宏氏(歌人・京都大名誉教授)は、こう述べています。
「(歌会始は)皇室と国民が共通のお題で歌を作る共同作業であり、同じ場で互いに感じていることを歌を通して伝え合い、思いを寄せることに大きな意味がある。世界で類を見ない形です。日本人であることを確認する場にもなるのではないでしょうか」(18日付朝日新聞デジタル)
「国民」を皇室と一体化させ、天皇の下で「日本人であることを確認」させる場。それはすなわち天皇制の維持・強化を図る場にほかなりません。それこそが「歌会始」の最大の政治的役割と言えるでしょう。