アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「3・1文大統領演説」はなぜ刑務所跡地で行われたのか

2018年03月06日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「3・1独立運動記念日」の演説で、「帝国日本軍性奴隷(慰安婦)」を巡る「日韓合意」(2016年)について「加害者である日本政府が『終わった』と述べてはならない」と述べ、「独島(日本名・竹島)問題」について「事実を否定するのは、帝国主義による侵略に対する反省を拒否するものにほかならない」と指摘しました(写真左)。

 これに対し、菅官房長官が会見で「全く受け入れられない。極めて遺憾」と猛反発したほか、読売新聞は「独善的な歴史観に基づく一方的な日本批判」(2日付社説)だと断じ、朝日新聞も「過度にナショナリズムをあおる言動は控えるべきだ」(5日付社説)と批判しました。

 文氏の発言はほんとうに「独善的な歴史観」でしょうか。「加害者である日本政府」「帝国主義による侵略に対する反省」とは何を指しているのでしょうか。
 その意味を理解するには、文演説の歴史的背景を踏まえる必要があります。カギを握っているのは、「3・1記念式典」がことし初めて「西大門(ソデムン)刑務所」跡(ソウル、写真中)で行われたことです。

 その意味を毎日新聞は、「式典は歴代大統領で初めて、日本の植民地時代に抗日運動家が投獄されたソウルの『西大門刑務所』跡で開催。青瓦台(大統領府)は『これまでの定型化された行事の枠から抜け出し、市民が参加して歴史の意味を共有する』狙いと説明している」(2日付)と報じています。

 「歴史の意味を共有する」必要があるのは、むしろ私たち日本人の方です。
 「西大門刑務所」とはどういう所だったのか。同歴史館の案内リーフレットにはこう記されています。

 「近現代期、韓民族の受難と苦痛を象徴した西大門刑務所日本帝国時代には、祖国の独立を勝ち取ろうと日本帝国主義に立ち向かって戦った独立運動家達や、解放後の独裁政権期には、民主化を成そうと独裁政権に立ち向かって戦った民主運動家達が監獄暮らしの苦しみを味わい、犠牲になった現場です」

 西大門刑務所が開所したのは1908年10月21日(当時は京城監獄)。その4年前の04年に帝国日本は日露戦争をしかけ(2月)、「日韓議定書」(2月)、「第1次日韓協約」(8月)、翌05年に「第2次日韓協約(乙巳=いっし保護条約)」、07年に「第3次日韓協約」と、武力を背景に立て続けに「協約・条約」を押し付け、ついに1910年8月22日「韓国併合に関する条約」で名実ともに朝鮮半島に対する植民地支配を確立しました。日本が「竹島」を占有したのもこうした経過の中(05年)でした。

 帝国日本の侵略に対する朝鮮人民の抗日運動は日清戦争(1894年)当時からありましたが、それが全国に広がる起点になったのが1919年3月1日に「独立宣言文」が読み上げられた「3・1独立運動」です。

 これに対し日本は武力で弾圧し、抗日運動に加わった人民に無差別に発砲し、手当たり次第に収監、激しい拷問を加え、転向しない運動家を虐殺しました。その血塗られた場所が西大門刑務所にほかなりません(写真右は地下拷問室にあった刃物の箱)。同所は1967年に移転するまで、運動家を弾圧する暗黒の館となりました。

 「韓国のジャンヌダルク」と言われる柳寛順(ユ・グアンスン)も犠牲になった1人です。当時学生だった彼女は、「郷里に帰って定期市の日に村人と一緒に独立行進し、その先頭に立ちました。憲兵の発砲で寛順の両親を含む三〇余人が死亡、彼女は首謀者として逮捕され懲役刑の宣告を受けました。しかし、『日本人にわれわれを裁く権利はない』と法廷闘争・獄中闘争をやめず、一九二〇年一〇月、たびかさなる拷問がもとで、西大門の刑務所で一八歳の生涯を閉じました。最後の言葉は『日本はかならず亡ぶ』だったそうです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研)

 これはけっして「独善的な歴史観」ではありません。歴史的事実です。文演説はこうした歴史を踏まえたものであり、その「歴史の意味」を市民と共有しようとしたのです。
 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の対日政策の根底にもこうした歴史的事実があることは言うまでもありません。

 それに対し私たち日本人が、朝鮮半島に対して日本が行ってきた歴史的責任に目を向けず、日本政府やメディアの論調に無批判に迎合して、「帝国主義による侵略に対する反省を拒否」し続けていてよいのでしょうか。

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