アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

本島・元長崎市長から今学ぶものー戦争・天皇・加害責任

2014年11月04日 | 国家と戦争

     

 本島等元長崎市長が10月31日亡くなりました。
 翌日の中国新聞は、「被爆地の市長として核兵器の廃絶と恒久平和の実現を国内外に訴えた」と業績を紹介する一方、「原爆について『落とされるべきだった。日本に対する報復として仕方がなかった』と発言。被爆者らの反発を買った」と書きました。

 本島さんの本意はどこにあったのでしょうか。『本島等の思想』(編・監修 平野伸人、長崎新聞社)から、その思想と行動を振り返ってみました(写真中央は1990・1・18襲撃された時。右は晩年2012・5=いずれも同著より)。

 天皇裕仁の戦争責任
 
 本島さんといえば、まず想起されるのが、「天皇の戦争責任」発言と、それによる銃撃被害です。発端は次の発言でした。 

 「外国のいろいろな記述を見ましても、私が実際に軍隊生活を行い、特に、軍隊の教育に関係をいたしておりましたが、そういう面から、天皇の戦争責任はあると私は思います。しかし、日本人の大多数と連合国側の意思によって、それが免れて、新しい憲法の象徴になった。そこで、私どももその線に従ってやっていかねばならないと、そういうゆうに私は解釈をいたしているところであります」(1988年12月7日、長崎市議会での答弁)

  この発言によって襲撃(90年1月18日)されたことについて、「こんな事件を再び起こさないため、国民一人ひとりは何をすれば」という質問に対し、本島さんはこう答えています。

 「言論の自由を守ることは経済的、物質的なものと同様、国民生活の一番大切なもの。一人ひとりもっと強くなってほしい」(1990・1・25付長崎新聞)

 同時に、発端の「発言」が、「言論の自由」の視点からのみ取り上げられることにも警鐘を鳴らしました。

 「ほとんどの新聞が、言論の自由という面からの論評が主だったものであったと思います。私の記憶では、敗戦直後の新聞は、もっと天皇の戦争責任を自由に発言できていたのではないかと思いますが、その点が論じられなかったのは残念でありました」(1989・1・14、法政大学講座へのメッセージ)

 「一般市民」の戦争責任

 本島さんが問うたのは、「天皇・国家の戦争責任」だけではありませんでした。

 「戦争責任は国にあり、謝罪も国がなすべきことだという考え方は、根強く残っている。だが、戦争の責任は、軍隊、兵士だけにあるのではない。被爆者を含めて一般の市民にもあると、私は思う。また、当時は幼かったり、生まれていなかった者も、祖先の負の遺産を背負うべきだという意味で、責任は及ぶのだと考える」(「論座」1997年11月号)

 原爆投下と戦争の加害責任

 こうした「加害責任」についての思想は、原爆投下にも及びました。「被爆者らを怒らせた」といわれるのは、次のような発言です。

 「アジア、太平洋戦争については日本と中国、米国との間には、共通の認識と理解が成立していない。広島に大戦への反省があれば、世界遺産登録はなかったと思う」
 「原爆の惨害は多く語られている。しかし原爆投下の原因は語られることは少ない。私はここでそれを語らなければならない。広島は戦争の加害者であった。そうして被害者になったということを」(「広島よ、おごるなかれ 原爆ドームの世界遺産化に思う」1997・3『平和教育研究年報』)

 衝撃的な発言のため、本島氏は原爆投下を過小評価しているのではないかという声がありましたが、けっしてそうではありませんでした。

 「原爆攻撃が、最大の犯罪というのは、人道法上、国際法上許されないというだけではない。原爆は、原爆症を持つ被爆者を地球上に産み出す罪、これは宇宙秩序を破壊する罪である。また、未来の人類の生存を脅かし続ける罪である。これこそ世界史的な犯罪である」(『軍縮問題資料』1996・8号)

 さらに、ここでは詳しく書けませんが、在韓被爆者問題にいち早く、そして親身に取り組んだことも、本島さんの優れた業績です。

 「秘密法」施行、ヘイトスピーチ、朝日新聞記事や「戦時性奴隷」をめぐり北星学園や広島大学への脅迫など、「言論の自由」が重大な危機に瀕しているいま。
 『昭和天皇実録』発刊などで「天皇の戦争責任」の“風化”が図られようとしているいま。
 そして「敗戦70年」を目前にしたいま。
 本島さんの「思想と行動」から私たちが学ぶべきものは決して小さくありません。

 「アジア・太平洋戦争は、前線の兵隊も銃後の市民もまったく一体となって遂行されたのである。・・・日本人がいま謝罪を怠るならば、信義も道徳的誠実さもない国民として世界に記憶されるだろう。一人ひとりが加害責任を思い、心から謝罪することなしに、歴史の過ちは清算されないだろうと、私は思う」(「論座」同上)

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