アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

宮古島・「人頭税廃止」にみる歴史の深淵

2013年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 宮古島で連想するのは人頭税(にんとうぜい)です(「純と愛」もありますが)。一定の身長に達した住民に頭割りで課税する過酷な税制で、課税対象者を確定するための石(ぶばかり石=写真左)は観光コースにもなっています。市立博物館には人頭税のコーナーが大きく設けられています。人頭税は薩摩藩の琉球侵略(1609)による重課税を契機に、1637年琉球王府によって課せられた差別的税制といわれており、1903年廃止されました。その廃止の歴史には、今日に通じる、感慨深いものがあります。
 ①廃止運動の先頭に立ったのは、城間(ぐすくま)正安と中村十作(写真右)の2人でした。城間は本土の製糖技師、中村は新潟県の真珠養殖調査員。二人とも島の住民ではなかったのです。私財を投げうって献身的に尽力し、島の農民から深く慕われた2人の姿は、離島と本島、沖縄と本土の友愛・連帯の先駆けともいえ、感動的です。
 ②城間、中村らは島の行政官、さらに琉球王府に廃止を要請しますが、ラチが開きません。そこで彼らがとった戦術は、東京の政府と議会への「直訴」でした。そのための費用は募金と私財で賄いました。今年1月の「オスプレイ反対」東京行動・直訴がよみがえってきました。
 ③中央への直訴が奏功して人頭税は廃止されます。その力になったのは、新聞各紙がそろって中村らを支援する記事を書き、キャンペーンをはったことです。ここが安倍内閣に一蹴された「オスプレイ直訴」との大きな違いです。
 ところが、宮古島から帰って改めて調べてみると、人頭税廃止は単純に喜べることではないと分かりました。請願を受けて帝国議会が廃止を可決したのは1895年。日清戦争開戦の翌年です。明治政府は戦費調達のために税制の刷新を図る必要があったのです。現に人頭税廃止後も宮古の人々は別の重税に苦しみます。そのうえそれまで人頭税があったので免除されていた徴兵制も課せられるようになりました。
 さらにそもそも、人頭税の導入経過・目的自体が「定かでない」(『沖縄大百科事典』)といわれています。また、「人頭税は『過酷』だったとするこれまでの通説は、反省を迫られている」(来間泰男氏『近世琉球の租税制度と人頭税』2003年)との説さえあります。人頭税はまだ研究途上なのです。
 歴史はさまざまな角度から見る必要があると、改めて知らされました。

 <今日の注目記事>(12日付沖縄タイムス1面から)

 ☆<オスプレイ 追加12機 15日出港 米西海岸の基地>
 「米軍普天間飛行場に追加配備予定の海兵隊垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機を積載した輸送船が15日(現地時間)に米カリフォルニア州サンディエゴの海軍基地を出港することが分かった。米海兵隊当局は本紙に対し、29日(日本時間)ごろに米軍岩国基地(山口県)に到着し、機体の整備や試験飛行を行った後、8月上旬に普天間に飛来するとの見通しを示し、配備スケジュールは滞りなく進行していると強調した」
 ☆<低周波音 他機種上回る 県も確認「問題ある数値」>
 「米軍普天間飛行場に配備されたオスプレイの低周波音が他の機種を上回ることが、県の調査で分かった。・・・超低周波音による人体への影響に着目して補正する国際基準、G特性の値はオスプレイが最大値110・6デシベル。オスプレイと交代するCH46ヘリは93・5デシベル」

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