アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「朝鮮半島情勢」を傍観していていいのか

2018年03月27日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 「森友問題」の後景に退いているように見えますが、朝鮮半島をめぐる情勢が現在の最重要問題であることは変わりません。しかし、日本では「南北会談」「米朝会談」を第三者的に傍観している状況があるのではないでしょうか。

  朝鮮半島の非核化、さらに平和的・民主的統一へ向けて、いま日本の私たちは何をするべきでしょうか。
 それを考える上で、最近注目した2つの論考(要点)紹介します。

 ☆「北朝鮮の核と禁止条約」 ヒロシマ学研究会世話人・田中聰司氏(元中国新聞記者)(20日付中国新聞)

 < 米朝首脳の言動が世界を振り回し、画期的な核兵器禁止条約がかすんでいる。被爆国の存在感が薄い。

 米国ファースト、核保有国ファーストの身勝手が北朝鮮の暴走を許してきたともいえよう。

 北朝鮮の非核化を進め、禁止条約に力を与える鍵は何だろうか。元来、核兵器の廃絶責務を真っ先に負う(核)保有国が、他国が持つのはまかりならぬというのは理不尽、横暴と言わざるを得ない

 核軍縮を怠れば核拡散を助長することは歴史が教えている。説得役を期待される中国やロシアも、かつては米国に対抗する「平和の核」と称して核実験を重ね、ため込んだ核を手放そうとしない。「あんたに言われたくない」と反論されれば、それまでである。

 6カ国協議で非核化を言うなら、米中ロも同様に廃棄(削減)の意思を示して翻意を促すのが道理だろう

  (日本)政府は核保有国と非核国の「橋渡し役」を自認する。だが、米国と一体で北朝鮮に圧力をかけ、核抑止力、核の傘が必要だと(核兵器禁止)条約に加わらない。核に頼りながら非核化を求める論法は矛盾がある。さらに(アメリカの)小型核兵器を「歓迎」し、核軍拡競争に丸乗りするかのような姿に「橋渡し」を期待できるだろうか。

  最大の橋渡しとは核保有国と北朝鮮を道連れにして禁止条約の合流すること。それにはまず、ヒバクシャが求める核兵器廃絶署名に応じ、核の軍縮―廃絶交渉の要請に乗り出さねばならない。朝鮮半島の被爆者援護は非核化につながる宿題でもある。>

 

「驚天動地の北南、朝米首脳会談を読む」 国際問題研究者・浅井基文(元広島市立大広島平和研究所所長)(14日付朝鮮新報)

 < 北南首脳会談及び朝米首脳会談開催の基本的合意は、金正恩委員長の周到な国家戦略方針を抜きにしてはあり得なかった。重要なポイントは、「国家体制の尊厳ある存立」が目標であり、核デタランス(「核抑止力」)はそのための手段であることだ。米国が朝鮮敵視政策を改めるのであれば、核デタランスは手段としての役割を終える。
 具体的には、(朝鮮戦争)休戦協定を平和条約で置き換えること及び米朝国交関係の正常化に米国が応じることが確約されれば、朝鮮は非核化に応じることができる。

  安倍政権は、念願の9条改憲の実現を図る上で、「北朝鮮脅威論」で国民の政治意識を自らが望む方向に誘導することが至上課題だ。しかも、森友学園問題で政治基盤が脅かされている難局を打開する必要に迫られている。
 安倍首相は訪米してトランプ大統領に働きかけて歴史的合意の実現を妨げ、自らの存在感を誇示することで、これらの課題・難局を打開しようと図っているに違いない。

  しかし、北南首脳会談及び米朝首脳会談の実現を阻もうとする安倍首相の行動は、絶対に許すことのできない政治的犯罪と言っても決して過言ではない。日本国民が安倍首相に唯々諾々と従うことは、その犯罪に加担することと同義だ

 国民は今こそ安倍首相の繰り出す催眠術(「北朝鮮脅威論」)の呪縛から自らを解き放ち、安倍首相に鉄槌を下さなければならない。

 それは、朝鮮民族に対して植民地支配を行い、朝鮮の南北分断に道を開いてしまった日本国家の歴史的責任を負う主権者・国民に課せられた、逃れることのできない責任である。

 私たちは、明治以降の朝鮮侵略・植民地化、朝鮮戦争への加担、日米軍事同盟(安保体制)、今も続く在日朝鮮人差別などに「歴史的責任」を負う日本の主権者として、その責任を果たさねばなりません。

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