アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「反撃されないために…」供述に表れた自衛隊の本質

2023年12月14日 | 自衛隊・軍隊
   

 京都市東山区のマンション踊り場で男性(82)が刺殺された事件(3日)。殺人容疑で逮捕されたのは、陸上自衛隊宇治駐屯地・祝園(ほうその)分屯地に勤務する陸上自衛官・水島千翔容疑者(21)でした。

 被害者と同じマンションに住む女性(82)は、「国民の安全を守る自衛官が人を殺すなんて」と驚きを隠せない様子だったと報じられています(12日付京都新聞)。

 また、被害者を訪問看護していた男性看護師(50)は、「日ごろ訓練を受けている自衛官が起こしたことに恐怖を感じる」と憤ったとも報じられています(同)。

 どちらも率直な感想ですが、男性看護師が抱いた「恐怖」は、その後の報道でさらに増幅することになりました。13日の各紙の報道によると、同容疑者はこう供述しています。

「反撃されないために、大柄な男性以外を狙った」

 「反撃」という言葉にハッとしました。普通なら「抵抗されないために…」と言うでしょう。「反撃」というのは戦闘(戦争)用語です。
 同容疑者は、「誰でもよかった」「逮捕されていなければ、また人を殺すつもりだった」とも供述しているといいます。容疑者の頭の中は「殺人」で支配されており、それは彼にとっての「戦闘」なのです。

 この意識状態は、まさに自衛隊における「日ごろの訓練」で植え付けられたものではないでしょうか。自衛隊が日ごろ行っている戦闘訓練は、突き詰めればいかに人を殺すかの訓練に他ならないからです。

 もちろん、自衛官がすべて犯罪予備軍になるわけでないことは言うまでもありません。同容疑者は特殊な例でしょう。しかし重大なのは、「敵(人間)」を殺害する訓練を日常的に行っている組織(暴力組織)が、私たちが暮らしている同じ社会に存在しているという事実です。しかもその組織は、政府の組織であり、私たちの税金で維持されているのです。

 そして忘れてならないのは、その組織の暴力の矛先は、国家権力の命令によっていつでも私たち市民に向けられるということです。国家権力にとって不都合な市民・市民運動を弾圧する自衛隊の「治安出動」です。

 軍隊とはそういう組織です。自衛隊はけっして「国民の安全を守る」組織ではありません。「軍隊は住民を守らない」。それどころか「住民を犠牲にしても軍令に従う」。それが沖縄戦が多大な犠牲によって示した歴史的教訓です。

 セクハラ、パワハラも同じです。自衛隊内の性暴力を告発して罰することは重要ですが、自衛隊から性暴力・セクハラ・パワハラをなくすることはできません。それは軍隊の属性だからです。

 今回の京都市の事件は、日本が暗黒の軍事社会の入口に立っていることを示しているように思えてなりません。
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