角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

想い出の実演日記 第三話

2016年06月20日 | 実演日記
「じいさんへの道」2010年9月1日

九月に入ったばかりのその日、角館は朝から夏の太陽が降り注いでいました。その日はテレビ収録の予定があり、時刻が近づくとさすがにやや緊張感があったものです。番組名は「ちい散歩」、さまざまな役柄をこなすベテラン俳優でありながら、遠い存在ではないイメージを持っていました。おそらく私は、地井武男という人物に関心を持っていたのだと思います。

西宮家に入って見えた地井さんは、自然な足取りで草履実演席まで進みます。番組スタッフは立ち寄り先を知っていますが、地井さんはそれを知らされていません。自然な…というのは演技ではないことになります。
『んっ、これはなにを作ってらっしゃるのですか?』。出会いはこの言葉から始まりました。

丸太椅子に腰を下ろし、地井さんとのやりとりは15分ほどだったと思います。その間に訊かれる一つ一つが、日頃旅人から訊かれる内容と何一つ違いがありませんでした。それはつまり、地井さんが私との時間を素のままで愉しんでくれたことに他なりません。嬉しかったですね。たった15分ですっかりファンになりました。

もう一つ強く感じたのは、周囲のスタッフです。照明さんも音声さんもカメラさんも、皆20代から30代ほどとお見受けしました。そのみなさんがニコニコ顔で仕事をしているんですよ。確かに地井さんと私の会話で笑える部分はありましたが、彼らの笑顔はそれとやや違って見えました。それは、「地井武男さんとの仕事が楽しくて仕方ない」がぴったりでしたね。

そんな地井武男さんは、収録から二年も経たない2012年6月29日に還らぬ人となりました。テレビで訃報を聞き、その日の夕方お悔やみのメールを送った相手は、「ちい散歩」のADをされていた20代の女性です。彼女は収録の数日後、ホームページからメールで草履のご注文をくださっていたわけです。

4~5日経って彼女から届いた返信には、地井さんとの想い出が綴られていました。その一部にあったのは、「地井さんを思い出すのは地方ロケなんです。泊まりの宿でずっと地井さんのお話を聞けたのが、なによりの想い出です」。
20代の女性が70歳のおっさんに対して、「その会話が想い出」といいます。私は自身が目指すべき将来像を、彼女の言葉にしっかり見えた気がしました。

「地井さんへの道」は、理想的な「じいさんへの道」です。それを教えてくれたのは20代のADさんでした。これからもお若い女性との出会いから、きっと何かが得られると確信しています。
コメント (2)
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