先日、成瀬巳喜男監督の『乱れる』を見て以来、すっかり魅了されてゐました。
『浮雲』『山の音』を見ました。
『浮雲』は1955年の作品。
こんな傑作を、今さらながらに見たことに、いたく恥じる思ひでした。
高峰秀子が、素晴しい!!
時代は、戦後すぐ。
映画の冒頭、内地に帰国した早々、女は不倫相手の男の家を訪ねる。
そのふてぶてしい感じが実にいい。
”底をついた男”であり”落ちてゆく男”でありながら、
切れない気持ちを、時に激しくぶつけ、時に甘へ、時に自らの自立を願ひながら、
けれど、結局、男の赴任先の屋久島へ「連れていって!」と病を発病させながら
まるで、道行のやうに、哀しく落ちてゆく。
ひとり生きるために、米軍相手の娼婦にもなり、新興宗教を起こした義兄の金を盗み、その金で男と温泉宿に泊まる。
そんな、荒れた、すごみのある、けれど、限りなく哀しい女を演じて、全編にわたり、彼女の演技が、光りすぎるほど光ってゐる。
『山の音』は1954年の作品。
原節子を成瀬巳喜男監督が撮ってゐるといふので見てみましたが、
高峰秀子の演技に較べたら、目を覆ふほどの粗末な演技でした。
監督も同じ、脚本家も同じでありながら、そのインパクトはまるで違ふものです。
きっと、何の前知識もなく見たのならば、巷間云はれてゐるやうに、
大根役者、といふ言葉が出てきてしまふかもしれません。
映画そのものは、義父役の山村聡の演技が全体のレヴェルを上げてゐますが、
ある意味、原節子の素人っぽい演技が、きはどい内容の話を、
彼女の美しさ、あどけなさで救ってゐたのかもしれません。