やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

空の果て

2012-07-12 | やまがた抄


義父の家のメンテナンスに行ったら、義父が書棚の奥からヴィデオ・テープを沢山出してきて、
”これ、でいぶいでえ、に出来ないものか?”といふ。

みると、”日曜洋画劇場”で放送された映画が沢山あり、その中に、義妹と、家人の従兄弟の結婚式のテープがあった。

確かに、義父は洋画が好きで、義母も知らないうちにDVDもたくさん買って! ゐた。

”一寸時間がかかるけれど、出来るよ”と話し、映画は同じものをレンタルからコピーするとして、貴重な映像である結婚式のテープを借りてきて、なんとかDVDに落とした。
(同倍でデコーダーに取り込み、同倍で落とすので、実際やはり、時間はかかりますー)

小生も出席してゐた義妹の結婚式は、それはそれは昔のもので、映ってゐる小生も、びっくりするくらゐに、若い!!

昔の山形市での結婚式ゆゑ、さほど大げさな演出があったわけでもない結婚式でしたが、担がれた長持ちを水先案内に入場してくる新郎・新婦の仕合せさうな姿は、今でもよく覚えてゐます。

そして、ふと、小生らの結婚式の模様を思ひだし、ひとりで苦笑してしまひました。

当時、ある地域で、おおきく羽振りを広げてゐた小生の勤務先は、いたってヤクザな会社でして、チリッチリッのパンチパーマの総括部長(彼の愛車は、V8のカマロで、リッター数キロ程度しか走らない代物で、いつも今の金額で百万ほどは背広のポケットにあり、けれど仕事には一生懸命で、小生ら”鉄砲玉”の不祥事には、必ず前面にたってフォロウする、名実ともの”親分”でした。さういふ意味では、今世の中を騒がしてゐる政治屋さんや東電の偉いひと達とは、雲泥の差ですー)に結婚式の招待状を持って行ったら、”さうか、わかった! めでたいことだ。オレが、ひと肌脱いでやる”と、と云はれ、式の当日に、どこかの手づるで当時かなり有名だったコメディアンを呼んできて頂いた。

田舎から参列してゐた親戚一同はそのサプライズに大いに喜び、一寸図に乗ったその芸人さんは、唄を歌ひ続け、サインをしたレコードの売り方を始め、場内を握手をして回り、気が付くと披露宴会場は彼の”オン・ステージ”になってゐた!

ひな壇で、すっかり蚊帳の外になってしまった小生らは、遅れに遅れた進行にヤキモキするだけでー。


まあ、遥か昔には、そんな仕合せな時もありましたー。





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