甲州へ行ってゐました。
6月に急逝した妹の納骨です。
急ぎ定められた墓地は、遥かに、甲斐駒ケ岳や八ヶ岳を望む高台にあり、妹は特に山が好きだった訳でもないが、また、働きづめでさしてあちらこちらへ出掛けた話もなかったが、やっと静かにその遺骨が収められた。
吹く風と、降り注ぐ光の中に故人はいつでも在りますからー、といふ住職の言葉が心に沁みて、けれど、哀しい。
遥かな山なみを眺めると、兄としての拙さだけが湧き出てくる。
すこし時間があったので、恵林寺と景徳院へ行った。
共に、三十年ぶり以上の再訪ー。
二十歳過ぎのころ、共に建築家を目指してゐた友人と徹夜で飲んで、何故か、恵林寺を見にゆかうとその足で行って以来です。
(思ひ出しました、夢窓国師の庭園を見やう、との話になったからでした)
その友人は、その後成田闘争へ身を投じ、時折来ては激論を広げてゐた。小生は、建築屋の端くれにはなったけれど、共に、夢は叶はなかった。
織田信長に抵抗し、その山門で焼死したといふ快川国師の志が凄まじい、けれど美しい山門に再び会ふ。
景徳院は、以前武田信玄と武田勝頼を調べてゐた頃に一度行った以来です。
武田家滅亡の道を作ってしまったと云はれてゐる勝頼の終焉の地の近く、です。
無念さに満ち溢れてゐる場所です。
妙な妖気を感じます。