山にゆくつもりでしたが天気が悪いので、今年は出羽三山の丑歳御縁年の年ですので、先月の月山に続き、湯殿山、羽黒山を巡ってきました。
月山は「死の山」であり、湯殿山は「未来の山」であり、羽黒山は「現在の山」です。
錦秋の山に入ってゆくと、忽然と巨大な鳥居があります。
ずゐぶんと昔に来たはずですが、御神体へは行かなかったはずです。
結界を過ぎると、この先に御神体があるのですが、この先は撮影禁止になってゐます。宮司らしき方に湯殿山への登り方を聞くと、途中から登山道は獣道になってをり、またそもそも山全体が神なので登る事は叶はない、との話で、凛とした空気を感じる。
観光客でごった返してゐる御神体の手前で裸足になり、数十人単位でお祓ひを受け、その先の巨魁な石と対峙する。
まさしく、秘蹟、である。
かつて、「決して見たことを語ってはならぬ」といはれたといふその場所に立つと、神への祈りのみが、厳しい自然と己の孤独から脱却する唯一の手段であったことが実感でき、山や谷へむかって自然と手をあはす。
雨がふってきたので、羽黒山へ車を走らせる。
久しぶりの三山神社の姿ですが、いつみてもその姿に圧倒され、感動する。
ここにも、己を消して修験することが生きることへとつながるといふ空気が流れてゐる。
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