この季節、桜桃を贈ったり、あるひは、頂いたりします。
流石に、粒のそろったものは、とろけるやうな赤色です。
ヘルベルト・ケーゲルの指揮で、モーツァルトのミサ曲を聴いてゐます。
ユニヴァーサル・グループでの全集では、ミサ曲は、ほとんどがふたりのヘルべルトによって演奏されてゐます。
さすがに定盤路線でいったのか、晩年の大作、ハ短調ミサ曲とレクヰエムはヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏です。
勿論、名演です。
確か、ベルリン・フィルとの演奏のあとに再録音された、このヴィーン・フィルとのレクヰエムを聴いた時、その驚異的な美しさに(まったくに、余りにも美しい弦とコーラスとの響き!)驚いたものです。
けれども、決して鎮魂歌にはならない演奏、でした。
そして、ヘルベルト・ケーゲルによる中期のミサ曲の演奏。
彼が手塩にかけたライプツィヒのオーケストラと合唱団の渋めの音色がいい。
カラヤンのやうな、水飴が混ざるやうな弦と合唱との異様な美しさもないけれど、
東独の、切実な響きが、そして、祈りがある。
20年近く前、東ドイツの崩壊後、自殺した彼は、あるひは精神を病んでゐたか、あるひは時代に絶望したのかー。
同じ東ドイツのオトマール・スウィトナーが時を同じくして、忽然と引退したやうに、やむにやまれぬ理由があったのかもしれません。
このミサ曲は、その時代の前に録音されたものです。
たしか、小生の棚にもケーゲルの演奏はベ-トーヴェンのCDが数枚あったはずですが、このミサ曲の演奏群も、かれのよすがを偲ぶ名演であらうかと思ひます。