やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

小澤の、マタイ

2007-09-09 | 音楽を


夏バテが一挙にきたらしく、とても疲れてゐたので、小澤征爾による《マタイ受難曲》の演奏をビデオで見てゐました。

丁度今から10年前、松本でのサイトウ・キネン・フェスティバルでの演奏の模様(以前、NHKで放送したもの)。
小生、小澤征爾氏の見事な活躍ぶりにはいつも感激、尊敬はするものの、
その創りだした音楽には、それほど感激した覚へが少ないのですが、
何故か、このビデオは幾度となく見てゐます。

斉藤門下の著名なソリストや音楽大学の教授クラスがいちメンバーになってゐて、
この臨時のオーケストラはいつも、なかなかの出来です。
見るたびにいつも、コーラス(少年合唱団も含めて)がもっと緻密であったらと思ひますが、それでも、このマタイの演奏は東洋の、日本のマタイとして、充分にイエスの受難の姿を見るものに伝へます。

そして字幕をみながら演奏を聞き続けると、この音楽が、まさに”説法”であったことがよくわかります。
それは、全体になかに混在する不自然な時間の流れや、時としてブレる視点の問題。ペテロやユダの裏切りの劇的な描写。終曲の、聞く人を包み込む大きな旋律。
当時は、あるひは暗い教会の中で、ひと筋のステンドグラスからのひかりを受けながらこの説法を受けたら、即座に入信したものがゐても不思議ではありません。

それはともかく、
すこしは元気になった身体で週初めに向かひませう。


(写真は、dumprによる合成絵)