rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Capital Fascismをぶっ潰せ!

2015-01-04 23:21:47 | 社会

拝金主義(mammonism)を信奉する原始的資本主義(mammonistic capitalism)は、再大多数の最大幸福を目標とする民主主義とは相容れないはずなのですが、最近の米国においては民主主義的な手続き(議会が法を定めているが、実質産業資本のロビー活動通りに決まる)によって決められた非民主主義的な法律によって、1%の富者が99%の貧者から富を吸い上げて、しかも社会構造が変化しない(各階級の構成名簿の固定化)ような体制が作られつつあります。「理不尽でも合法ならば正義」とする考え方は東洋的な「仁」の思想にはなく、人権などの自然権を神の法として不可侵のものと考え、人間界における決め事を下位の法とする法の支配の考え方からも本来成り立たないはずです。

 

しかしこの20年の間に米国の社会はmammonisitic capitalismをやりやすいように各種の法によって社会が変えられてしまいました。多くの人は、拝金主義的資本主義が民主主義や「人間性が重視されるより住みやすい社会」につながらないことに気がついているのですが、「拝金主義的資本主義で良いのだ」とする人達が権力を持ってしまっているために現状を変えられないでいます。この「拝金主義的資本主義で良いのだ」とする考え方をどのように呼ぶべきか、「このような思想を適確に表現することば」がないかを考えていたのですがCapital Fascism、資本ファシズムという言い方が良いのではないかと思いつきました。ファシズムとは束ねるという意味があり、社会の多様性を許さない(グローバリズムは正規分布の社会を認めない)、効率と収益が価値規準の全てであり、金儲けが下手な人も生きて行ける社会とか、無駄と思えるものにも価値を認めることで余裕ができ、心が豊かになるといった思想を認めない現在の拝金主義的資本主義にはぴったりの表現ではないかと思います。

 

Googleで検索してみるとbrainbenderという米国の医師の2011年に書かれたブログに私と同じような意味合いでcapital fascismという言葉を使っているものがありました。

Nazism= national fascism= ruling class makes the rules

Communism=social fascism=ruling class makes the rules

Capitalism=capital fascism=ruling class make the rules

と説明されていて、結局社会のルールを作るのは支配階級であることに変わりはないのだからナチズムもコミュニズムも資本主義も皆ファシズムではないか、ということです。特に支配階級が都合の良いように法を作る傾向が強まりすぎているのが最近の米国であり、「その方が都合が良いのだ」と言い張る人はCapital Fascistと言って良いと思います。

 

今年は第二次大戦が終了して70年の節目になります。各国は多くの犠牲の下に築かれた「戦後秩序(民主主義が日独枢軸国のファシズムに勝利した結果作られた戦後の世界秩序)の大切さ」を祝い、再認識する行事を予定しています。戦後秩序の意義は本来「ファシズムの否定」にあったはずですが、1990年代にソ連を中心とした社会主義陣営が崩壊したことで、いつのまにか資本主義を謳歌すること(拝金主義的資本主義を良しとする事)が戦後秩序の意義と同義であるとすり替えられてしまい、その事を誰も表立って否定できなくなってしまいました。きっと多くの記念行事において、「戦後秩序のおかげでグローバルな資本主義が行き渡り、世界が益々豊かになって行く」といった戯言が繰り返されるのではないかと思います。

 

グローバル資本主義はCapital fascismである!ファシズムは否定されなければならない!と世界の99%の一般人が声を揃えて主張しなければ、ルールを作る支配階級達のファシズムは永遠に続く事になるのではないかと危惧します。

コメント (2)
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